■五月の空のような、クリストフ・バッハの明るく爽やかな「チェロと通奏低音のための曲」■
~皆川達夫先生の訃報をお悼み申し上げます~
2020.5.10 中村洋子
★目に沁みるような新緑の美しい五月です。
≪新茶の香 真昼の眠気 転じたり≫ 小林一茶
コロナ禍で、外出は控えめですが、
家の窓から眺める若葉の美しさ、清々しさ。
時と季節は、確実に歩を進めています。
★先月の4月19日、皆川達夫先生がお亡くなりになりました。
92歳でした。
学生時代、楽しみに聴いていましたNHK・FM放送
「バロック音楽の楽しみ」。
毎日、毎日が、バロック時代の作曲家達の名曲との出会い、
ワクワクでした。
★服部幸三先生と皆川達夫先生が、1週間交代で担当されていました。
お二人の解説に導かれ、未知の作曲家、知らなかった曲に
感動する毎日でした。
そして、どの作曲家、作品も素晴らしいけど
「やっぱり Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750)
が大好き」となりました。
一種の恋愛感情に近いかもしれませんね。
★しかし、近頃ある種の音楽家の演奏に感じることは、
「この人は本当にBachが好きなのかしら?」という、
素朴な疑問です。
指はよく回ったり、機械のように正確、あるいは、
ジェットコースターのように早いテンポ。
唯一足りないのは、「音楽が好き、Bachが好き」ということかも、
しれません。
★服部先生、皆川先生が、ラジオを通して私たちに伝えて頂いたのは、
音楽に対して、そして人間に対しての「暖かい愛情」でした。
皆川先生はその後、NHK・AMで毎日曜の朝「音楽の泉」の解説も
およそ31年間なさっていました。
名曲を初めて聴いた人でも興味をもつよう、噛んで含めるように、
ゆっくりと、間違っても「敬して遠ざかる」ことのないように、
話されていました。
★クラシック音楽の演奏は、ファッションのように使い古され、
忘れ去られていくものではありません。
この一年の「音楽の泉」では、いまでは入手困難なCDやLPから、
往年の素晴らしい価値ある演奏も、たびたび放送されました。
そのCDを是非欲しいと思い、銀座の山野楽器に出向き
調べて頂いても、「やはり絶版です」とのお答えも、
多かったのです。
それらは、クラシック音楽の「古典」というべき演奏です。
それらを放送し、皆さまに伝えることが「公共放送」の、
役割でしょう。
★皆川先生の「音楽の泉」は、ことし3月で終了しましたが、
最後の言葉は、
≪バッハ作曲の 無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ第3番から、
ガヴォットをお送り致しました。演奏はヘンリク・シェリングに
よっておりました。今日の「音楽の泉」このあたりでお別れと
致しましょう。ところで、個人的な事柄で恐縮ではありますが、
私は「音楽の泉」の解説を1988年、昭和63年10月から
担当させていただきました。30年以上の長きにわたり、しかも、
92歳の高齢を迎えて、体調にやや不安を覚えるようになりましたので、
これをもって、引退させていただきたく存じます。全国の皆様方に、
長い間ご注視、お聴き取り頂き、お誘い頂いた事を、心より
御礼申し上げます。ここでお別れ致します。皆さん、ごきげんよう、
さようなら≫
・・・アナウンサーの声
「音楽の泉」 お話は皆川達夫さんでした。
★それまで数ヶ月間、解説の音質が明らかにスタジオで収録した
声ではないような響きでしたので、お加減が悪いのかしらと、
案じておりました。
★皆川先生の解説で優れていたのは、例えば、「交響曲」の場合、
どれが第一テーマであるか、その部分を取り出し、音にして聴かせ、
さらに、それがどのように変化していくかについても、
お話されていたことです。
「交響曲」は、複雑な構造体ですので、まずはテーマの記憶を
手掛かりにして、おおまかな骨格をたどることができるのです。
これがクラッシック音楽の聴き方の、基本です。
★昔に比べ、クラシック音楽のラジオ放送は激減しています。
もっと残念なことには、その数少ない放送の解説は、
そのような初心者が必要とする「方法論」や知識を話すことなく、
相変わらず、作曲家や演奏家にまつわる細々したエピソードや
ゴシップの類を、孫引きにより、さも重要な“知識”であるかのように、
ひけらかし、解説めかしてお喋りしているだけです。
そのような話は、曲を理解し、楽しむことには役立ちません。
皆川先生の死により、彼の「音楽の泉」の灯が消えてしまったことは、
日本のクラシック音楽の今後にとって、
大変に残念な憂慮すべきことと、思われます。
★当ブログでも以前、皆川先生を取り上げたことがあります。
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/2427f83beedfb84ee395f1579be81325?fm=entry_awp
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/c71520ed94a2ee7753a4d024c3d9f151
★お話を戻しますと、「バロック音楽の楽しみ」では、あまり
知られていないけれども、素晴らしい曲にたくさん出会いました。
例えば、 Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750) の
子供20人中、17番目の子供「Johann Christoph Friedrich Bach
ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ
(1732年6月23日-1795年1月26日)の、≪Violoncell-Solo※≫。
(※Violoncello ではなく、原題はVioloncellとなっています)
原題は≪ヴィオロンチェル-ソロ≫ですが、
出版社Fuzeauが≪Sonate pour violoncello et basse-continue≫と
サブタイトルを付けています。
https://www.academia-music.com/products/detail/52754
独奏チェロと、チェロとチェンバロの通奏低音の曲という意味です。
★J.C.F.Bachは、Bachの二番目の妻「Anna」の9番目の子供です。
生年の1732年といえば、この年の3月31日に、
Franz Joseph Haydn フランツ・ヨーゼフ・ハイドン
(1732-1809)が、生まれています。
★Bachの息子では、長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ
(1710-84)、
二男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-88)、
九男のヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~82)が有名で、
J.C.F.Bachは、この三人に比べ、それほど知られていません。
★この作品の初版譜ファクシミリが、Fuzeau フュゾーから出版されて
いましたが、昨年になって絶版情報が入り、慌てて購入しました。
3楽章から成り、抜けるような五月の青空にも似た、
明るく爽やかな曲。
★Fuzeau のファクシミリに記載されている出版年は、1770年です。
Bach没後20年です。
★Fuzeau のファクシミリから、第1楽章冒頭を写譜してみます。
2段譜の上方、テノール記号で記譜されているのが、チェロ独奏です。
皆さまが読みやすいよう、バス記号に書き換えてみましょう。
威厳がありながらも、明るく、春風駘蕩たる趣きのある主題です。
どこか、Haydn ハイドン(1732-1809) のチェロ協奏曲を
思い起こさせます。
その時代の雰囲気なのでしょうね。
★2段譜の下方、バス記号に記譜されている旋律は、
チェロとチェンバロによる通奏低音(ゲネラルバス Generalbaß=独、
バッソ コンティヌオ basso continuo=伊)です。
記譜されている旋律は、チェロで奏され、チェンバロは数字付低音
(figured bass)に沿って、和声を充填していきます。
何も数字が書かれていない和音は、基本形です。
例えば、冒頭1小節目2拍目の「A」音の和音は、このようになります。
★主調「A-Dur イ長調」の主和音Ⅰに、なりました。
基本形は、本来「5」と書くべきですが、そう書かずに
省略するのが通例です。
第1転回形は「6」と、書きます。
続く1小節目3拍目冒頭の「d」音には、「6」と書いてありますから、
この「d」音は、ある三和音の第1転回形の「第3音」になります。
「A-DurⅡ」の和音の第1転回形になりました。
このような手順で、1小節目に和音を付けていきますと、
このようになります。
★では、1~4小節間について、和声をつけてみましょう。
七の和音は、三和音ではなく、七の和音
四六の和音は第2転回形です。
この曲を、楽譜を見ながら鑑賞してみましょう。
豊かで色彩溢れる和声を、楽しむことができます。
もちろん、ご自身で和声をつけて弾いても楽しいです。
★この魅力的な主題は、全72小節の1楽章の中で、
26小節目3拍目からは、更に晴れやかに、「E-Dur ホ長調」に、
転調されます。
独奏チェロは、テノール譜表で記譜されていますが、
高音部譜表(ト音記号)に書き直して、写譜します。
★50小節目3拍目からは、メランコリックな「a-Moll イ短調」に変容。
皆川先生のラジオ番組ですと、おそらくここで
「まぁ、聴かせますね」と、感に堪えたように、
おっしゃるでしょうね。
★さて2楽章 Allegro 9小節目(8小節目のアウフタクト)を
見てみましょう。
独奏チェロは、テノール譜表で記譜されていますので、
これを分かりやすく高音部譜表に書き換えますと、こうなります。
譜表は違っても実際に奏される音(実音)は、変わりません。
★ここで一つ、面白い遊びをしてみましょう。
この「テノール譜表」で記譜された独奏チェロの旋律を、
「バス譜表」で読んでみるのです。
実音とは異なり、
5度下の旋律となります。
なんと、1楽章冒頭の旋律になりました。
楽しいお遊びです。
3楽章 Tempo di Minuetto 冒頭も
1楽章テーマに"そっくりさん”です。
★お父さんの大Bach先生の「なかなかやるじゃないか」という声が、
聞こえてきそうです。
皆さまも是非、お家でこの明るい曲を聴いて、晴れやかな気分を
満喫してくださいね。
独奏チェロは、Wolfgang Boettcher
ヴォルフガング・ベッチャー先生、
通奏低音チェロは、Christoph Habler クリストフ・ハプラー、
チェンバロは、Waldemar Döling ヴァルデマール・デリング。
★このCDは、私の愛聴盤です。
オーボエのローター・コッホ「Antonio Vivaldi・オーボエソナタ
c-Moll」
ヴァイオリンのトーマス・ブランディス「Händel ヘンデル ・
ViolinソナタD-Dur」
フルートのカール・ハインツ・ツェラー「Platti プラティ・
フルートソナタG-Dur」など
マエストロによる珠玉の名演が収録されています。
★私の曲を出版して下さっているドイツの
「Musikverlag Ries&Erler Berlin リース&エアラー」社 から、
お手紙が届きました。
美しい≪Beethoven ベートーヴェン(1770-1827)生誕250周年≫
の切手が、貼ってありました。
立体的なBeethovenの顔の描写に、ト音記号を掛け合わせ、
直観的に Beethoven と分かる、優れたデザインです。
Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生も、
このコロナ禍の中、元気に家でチェロを「practice & practice」と
練習されているそうです。
★ 皆川達夫氏が死去 西洋音楽史学者
2020/4/22 共同
皆川 達夫氏(みながわ・たつお=西洋音楽史学者、立教大名誉教授)4月19日、老衰のため死去、
92歳。告別式は近親者で行う。喪主は長男、瑞夫(みつお)氏。
長崎県平戸市・生月島で隠れキリシタンによって口伝えで受け継がれてきた祈りの歌「オラショ」の研究に携わり、ラテン語の聖歌との関わりを明らかにした。長年、NHKラジオ第1「音楽の泉」の解説者も務めた。著書に「バロック音楽」「洋楽渡来考」など。
★【皆川達夫さん追悼】「ここでお別れいたします。皆さん、御機嫌よう、さようなら」
:2020年5月3日
クリスティアンプレス
https://www.christianpress.jp/minagawa-tatsuo-2/
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