■ケンプのCD「平均律1巻(抜粋)」の偉大さ、曲順がBachの作曲意図を完璧に示す■
~14日(水)、KAWAI名古屋「平均律1巻6番d-Moll」アナリーゼ講座~
2017.6.12 中村洋子
★梅雨の季節になりました。
ドクダミが白い花を咲かせています。
清楚です。
ドクダミという名前は、気の毒な命名です。
花の付いた茎を摘み取り、浴槽に数本浮かべますと、
清潔感ある香りが漂います。
葉の緑が鮮やか、皮膚がツルツルになります。
★庭の薔薇の花びらを、浮かべても、素敵です。
もちろん、農薬はかかっていません。
巷に溢れる人工香料には辟易します。
気分が悪くなることもあります。
自然の香りは、馥郁として、
この季節ならではの楽しみです。
★先日、当ブログの内容をそのまま、自分のブログに貼り付け、
そのうえ、All Rights Reservedと、著作権まで主張しているサイトを、
複数も発見しました。
★あるサイトは、金銭まで要求するようです。
私が、心血を注ぎ、すべて自分で考え、孫引きせず、
発見し、当ブログを通じて皆さまにお伝えしていますことが、
このように、悪用されていることに、驚き呆れ、不快です。
★音楽の真髄の探求からは、宇宙の端から端までの距離ほど、
離れている行為でしょう。
私の講座や、当ブログの内容は、
言われてみれば、「なるほどその通り!!!」と、
ごく普通に、納得されることでしょう。
しかし、その結論に至るための「着想(idea)」を得るには、
勉強、勉強、勉強という、長く苦しい道程が横たわっています。
★この「着想(idea)」、あるいは「発見」を生み出すことの重み、
価値について、理解されていない方も多いようです。
★日本で出版されています楽譜の校訂について、
海外の優れた楽譜、特に、絶版になっていたり、
品切れになっている楽譜など、
人目に触れることが少ない楽譜の、校訂アイデア(着想)を、
あたかも、ご自身の着想のように装って、
しかも、その一部だけを、木に竹を接ぐかのごとく、
散りばめているものが多いのを、
以前、指摘いたしました。
そうした楽譜が、出版されよく売れていることとも、
共通しているかもしれません。
★そうした楽譜は、ツギハギの分析をパッチワークのように
貼り合わせ、趣旨一貫していないため、
それによって演奏しようとしますと、
「ピアノは好きだけれど、この楽譜では、どう弾いたらいいか、
分からなくなってしまいます」と、
真面目に勉強しようとしている多くの方々を惑わせ、
音楽を演奏し、聴き、学ぶ楽しみから、
次第に、引き離していくのです。
★6月14日(水)のKAWAI名古屋での
「平均律1巻6番d-Moll Prelude & Fuga」アナリーゼ講座では、
そのような“まがい物”ではない、真正な校訂楽譜を皆さまにご紹介し、
勉強方法をお伝えいたします。
★Bachの「平均律クラヴィーア曲集1巻」を勉強するには、
何はさておき、「Bachの自筆譜を勉強する」に、尽きるでしょう。
それをいたしませんのは、怠慢。
前記の真正ではない校訂楽譜に、足をすくわれることは、
せっかくの「音楽人生」にとって、時間の大いなる損失。
とても残念なことです。
★私はいま、近く出版されます
「Bärenreiter平均律クラヴィーア曲集第1巻」の、
≪校訂者(Dürr)前書きの翻訳≫、
≪その前書きに対する、訳者(中村洋子)の注釈≫
さらに、
≪Bach「序文」の翻訳と、「序文」の中村洋子解釈≫の、
ゲラをチェックしています。
★出版はもうすぐです。
そこでは、「Bachの序文」が、本当は何を意味したかったか・・・
ということを、徹底的に分析し、解説いたしました。
★Bachが、平均律1巻の冒頭に、自分で書きましたこの「序文」、
その分かり難さについては、文章で説明する能力が、
彼の音楽能力に比べ、それほど優れていないせいかと、
これまでは思っていました。
★しかし、平均律1巻の「自筆譜」をすべて、
手で書き写して勉強しますと、そうでないことが
はっきり分かりました。
★Bachは、この謎めいた「序文」を書くことにより、
“私が言わんとすることを、あなたは自分で考えてごらんなさい。
そうすれば、私の音楽を正しく理解できます」と、
言っている、と思います。
★「序文」を読んだ人に、考えることを要求しています。
その意味がやっと、私にも分かりました。
これが着想(idea)であり、剽窃ではない価値のある営為であると、
私は、思います。
★さて、この「序文」の意味を理解しますと、
Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)が、
1975年に録音しました
「Das Wohltemperierte Klavier 1.Teil (Auswahl)」
平均律クラヴィーア曲集 第1巻(抜粋) POCG90105
の偉大さに驚きます。
★特に、演奏曲順の凄さに、唸ってしまいます。
Bartók Béla バルトーク(1881-1945)校訂版の楽譜も、
平均律1、2巻全48曲を、Bartókが考え抜いた曲順で、
配列し直しています。
★この Kempff のCDは、1巻から12曲を選び、
以下の順に演奏しています。
➀1番 C-Dur ②2番 c-Moll ③17番 As-Dur ④3番 Cis-Dur
⑤8番 es-Moll ⑥7番 Es-Dur⑦15番 G-Dur ⑧16番 g-Moll
⑨21番 B-Dur ⑩22番 b-Moll ⑪6番 d-Moll ⑫5番 D-Dur
★ Kempff は、この曲順によって、
Bachが「序文」で言わんとしていたことを、
すべて完璧に説明している、と思います。
すべて、見通しています。
★14日のKAWAI講座は、「6番d-Moll」を勉強しますが、
これは、 Kempff のCDでは、第11番目に置かれ、
最後の「5番D-Dur」の前に配されます。
★これは、遥か「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」まで、
見通せる配列です。
Kempff の眼は、Bachの意図を透徹し、全てを見抜いていた、
と言わざるを得ません。
★このCDは、幸い現在でも入手可能です。
「Manuscript Autograph 自筆譜」ファクシミリを見ながら、
是非、勉強をしてください。
★ Kempff の演奏は、Bach自筆譜を譜面台に置いて弾いた、
と錯覚するほど、Bachの意図(序文も含め)を分析し貫き、
その上に、 Kempff オリジナルのファンタジーを、
羽ばたかせています。
★≪Bartók校訂の平均律1巻≫では、
第1曲目が「2巻第15番G-Dur」。
この「6番d-Moll」は、第2曲目として登場します。
プレリュードは、とても詩的に始まります。
1、2拍目は、2拍目上声の16分音符4つ目の「f¹」まで、
ペダルを踏み続けます。
静かな湖にさざ波が立つような始まりです。
Quieto(♩=70)と、表示しています。
★そして、このペダルが終わった2拍目上声、
16分音符4番目の音「f¹」で、ペダルが離され、
3拍目上声1番目の「b¹」が奏される直後まで、
ペダルは踏まれていません。
★すなわち、ペダルの空白域、2拍目上声16分音符5番目の「d¹」、
6番目「d²」、3拍目上声16分音符1番目「b¹」の、この三つの上声
「d¹ d² b¹」が、湖面から浮かび上がるように、
聴こえてくるのです。
★この浮かび上がる上声音は、
Bartókのアナリーゼの基本となります。
名古屋で詳しくお話します。
★Bartókは、脚注(フットノート)で、さりげなく、
「Manuscript Autograph 自筆譜」ファクシミリを見ていることを、
告白しています。
★それなのに、何故か、最終小節26小節目、最後の2分音符主和音の
「fis¹」の、「♯」を脱落させ、「f¹」にしています。
★Bachが「fis¹」と書いているのに、
あえて、それを変更したのは、何故か?
それは、平均律1巻での、Chopinの書き込みにも見られる、
大作曲家の共通項、とも言えるのです。
その理由も、講座でご説明いたします。
(麦秋)
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