■平均律1巻6番、バルトーク版のペダルにより、曲の構造が解明できる
~ KAWAI 名古屋平均律アナリーゼ講座1巻6番d-Moll Prelude & Fuga~
2017.4.5 中村洋子
★昨日は清明。
空気が明るく、清らかに感じられます。
★5月13日は「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」の
アナリーゼ講座です。
http://www.academia-music.com/new/2017-02-21-142146.html
★6月14日の KAWAI 名古屋「平均律アナリーゼ講座」は、
「第1巻6番d-Moll」です。
その勉強をしていますが、屈指の名曲です。
学んでも学んでも、尽きることがありません。
★今日は「Bartókバルトークの校訂版」を勉強しました。
Bartók版は、平均律1巻と2巻の全48曲を、
彼独自の順番で、並べ替えています。
★各曲をどのように配列したか、という観点からだけでも、
分析の秀逸さと見識がうかがえます。
★「1巻6番d-Moll」は、Bartók版では「1巻の第2曲目」となっています。
Bartók版の巻頭第1曲は、Bach「平均律第2巻15番G-Dur」です。
Bach原曲の番号で言い換えますと、
「第2巻15番G-Dur」を第1曲として、その「G-Dur」を主調とした場合、
属調の「D-Dur」の同主短調「d-Moll」である1巻6番を
「第2番」にした、ということになります。
★次の「第3番」は、「1巻21番B-Dur」です。
この調は、第1番=「2巻15番G-Dur」から見ますと、
主音同士は≪短3度≫の関係です。
★第2番=「1巻6番d-Moll」から、3番=「1巻21番B-Dur」の
主音同士を見ますと、「B」と「d」は≪長3度≫の関係になります。
★まとめますと、
Bartók版の2番と3番の主音は、≪長3度≫の関係、
Bartók版の1番と3番の主音は、≪短3度≫の関係となります。
Bachが「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の
自筆譜冒頭に書きました“序文”(前回ブログ参照)と、
深い関係にありそうなことが、分かってきました。
★6月14日の「名古屋平均律アナリーゼ講座」では、
そのBachが書いた“序文”の意味を、
詳しくご説明いたします。
(なお、講座は資料の都合上、予約の上、ご来場ください)
★そのBartók版に話を戻しますと、
「1巻6番d-Moll」の Preludeには、素晴らしいペダルが、
全小節に書き込まれています。
ただし、それは、巷間に満ち溢れているピアノ演奏のための
「how to」では決して、ありません。
★巷の「how to」は、さももっともらしく
“こうすれば、ピアノは上達する・・・”というような、
手や腕、指の使い方、打鍵の方法、ペダリングを、
こと細かく、教授するようなものですが、
それらの知識、情報で頭を一杯にしましても、
Bachはもとより、Mozartモーツァルト(1756~1791)、
Beethoven ベートーヴェン(1770-1827)、
Chopin ショパン(1810-1849)・・・、
クラシック音楽の大作曲家の神髄に肉薄することは、
まず無理です。
★譬えて言えば、大きな象の鼻を触ったり、足をなでたり、
耳に手を触れるようなものでしょう。
長かったり、丸かったり、薄かったりいろいろと、
感じられはします。
しかし、「象」という大きな動物の全体像は、
頭には入らないでしょう。
鼻の触り方をいくら学んでも、象の骨格は理解できないでしょう。
霧の中です。
★作曲家は、和声と対位法を駆使し、巨大な「作品」という建造物を
構築するのですが、その構造に焦点を当てず、
聞きかじりの小手先の技法や奏法を、継ぎ接ぎで貼り合わせましても、
紙でできた張りぼての「象」さんです。
徒労に終わるでしょう。
★日本から、クラシック音楽で歴史に残る大ピアニストが
いまだに、一人も出ていない所以でしょう。
★また、上記の「how to」だけが取り柄で、Bachも理解できず、
Bachを愛してもいない“先生方”が審査員となったコンクールで、
音楽に目覚め、Bachが好きになった子供たちの演奏について、
≪Bachらしくない!≫などと、頭から断罪し、
子供たちの心に、癒しがたい深い傷を刻み、
子供たちから「Bachを奪い」、
“もう、クラシック音楽は嫌”と、
クラシック音楽から遠ざかってしまうように、
結果的に、仕向けている例を、
私はたくさん、聞いております。
★滑稽であり、かつ、とてつもない悲劇です。
Bachを自分の解釈で、思うように弾いて、
どこが悪いのでしょうか、
逆に、その“先生方”の≪Bachらしい演奏≫とは何なのか、
実際に、聴いてみたいと思います。
往々にして、子供さんたちの演奏のほうが、直観により、
「“先生方 ” のBach観より、Bachの音楽を的確にとらえている」
ことも多いようです。
これからのクラシック音楽を担おうとする世代を、わざわざ、
追放するような犯罪的な行為を、
無自覚的にやっているのです。
その意味で、罪は深いのです。
★曲の構造が理解できれば、自分がどのように弾きたいかが、
自ずと、分かってきます。
その場合、自分の欲する音を明確に発想できます。
その音を追及していきますと、自分の骨格や指、手、
筋肉の強さに合わせ、自分の身体に沿った奏法、
オリジナルな奏法が出来上がっていくのです。
私たち日本人とは大きく異なる、
海外の大きな体躯の人たちの奏法を、
形だけ模倣しても、意味はないでしょう。
まず、曲の構造を分析し、理解することです。
★「6番d-Mollプレリュード」では、
全小節で書き込まれていたバルトークのペダルが、
6番 Fuga(全44小節)では、
わずか、4ヶ所でしか書かれていません。
★36小節目の最後の音の打鍵直後から、37小節目にかけて、
37小節目の最後の音の打鍵直後から、38小節目にかけて、
そして、43小節目と44小節目です。
★36小節目の左手最後の音「fis-a」から
37小節目冒頭の「G-g」にかけてのペダルは、
「fis-a」の和音と、「G-g」の和音をレガートでつなげるための
ペダルのように、思われます。
★しかし、そのためだけでしょうか。
なぜなら、31小節目もかなり似たケースなのですが、
31小節目左手3拍目の「e-g」から、
32小節目の左手「F」にかけて、「e(3指)」と「F(5指)」による
レガートを、Bartókは、ペダルを用いずに、
指だけによるレガートを要求しています。
★「e-F」の「長7度」を、「3-5指」のレガートでとるためには、
かなり、大きな指と手を要求するでしょう。
その大きな指と手の人にとって、
36小節目最後の音の「f-a(2-1)」と、「G-g(5-1)」を、
ペダル無しのレガートでとることは、可能ともいえます。
★結論を申しますと、Bartókは、
この36~37小節目のペダルと、
37~38小節目のペダルとによって、
この4つの和音「fis-a、G-g」、「gis-h、A-a」の、
構造上での重要性を、強く訴えているのです。
★ここで、Bachの自筆譜を見てみましょう。
Fugaは、見開き左のページに6段27小節目2拍目まで、
記譜されています。
右ページは、上3段が27小節目3拍目から最後の44小節目まで。
残りの下3段は、 「第7番Prelude Es-Dur」の1小節目から、
9小節目までが、記譜されています。
★36、37小節目は、2段目右端に記譜されています。
38小節目から44小節目までは、3段目までに記されています。
38小節目冒頭の「A-a」は、3段目左端に位置することになります。
★そして、その3段目右端に42、43、44小節が配置されています。
37小節目最後の「gis」は、2段目右端、
38小節目冒頭「A」は、3段目左端。
それによってできるmotif モティーフは、
42小節目上声2拍目の「gis²-a²」に対応していることが、
レイアウトによって、実によく分かります。
★42小節目の「gis²-a²」は、
この曲全体で何回か出現する頂点のうちの、最後の頂点です。
それを、「gis-A」によって、準備しているのです。
バルトークは、ここにペダルを記すことにより、
奏者、聴く人に、曲の構造を理解させようとしているのです。
★同じく、36小節目最後の「fis」と、37小節目冒頭の「G」が、
2段目の右端にレイアウトされていますが、
そのほぼ真下、3段目の右端43~44小節目にかけ、
「g¹-fis¹」が2回、繰り返されます。
★「fis-G」の転回音程は、「fis-g」になります。
転回音程とは、譜で書きましたように、
「fis-G」の「G」を1オクターブ上行させた時に、
できる音程です。
いずれにしましても、聴いている人にとっては、
「fis-G」と「fis-g」が同じmotif モティーフとして、
認識できます。
★それだけ、この最後の44小節目「fis¹」が、
重要であるということです。
では、「d-Moll」の音階音ではない「fis¹」は、
何なのでしょうか?
★「d-Moll」の主和音は、「d-f-a」の短3和音ですが、
短調の曲の最後は、第3音を半音上げて「fis」とし、
「長3和音」にすることが、
平均律クラヴィーア曲集で、多く見られます。
これを「ピカルディの3度」、または「ピカルディのⅠの和音」
と、言います。
★まさに、この「3度」こそが、
Bachの“序文”が言わんとしていたことなのです。
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■中村洋子 バッハ 平均律 第1巻 6番 d-Moll Prelude&Fuga
アナリーゼ講座■
~Bachの“序文”は演奏法までも示唆しています~
★Bachは「平均律クラヴィーア曲集」を、6曲ごとに「1つのまとまり」として
作曲しています。第1巻6番d-Mollの Prelude & Fugaは、その最初の1セッ トを締めくくる重要な曲です。そのどこが重要なのか・・・
今回は、Bachが自筆譜の巻頭に自ら記した≪序文≫を基に、解き起こしたいと思います。それこそが、この6番を、どう演奏したらよいのかの、答えとなるからです。
★幸いなことに、平均律第1巻は、Bachの自筆譜が存在するだけでなく、
偉大な作曲家バルトーク、フォーレ、レントゲンの校訂版があります。
さらに、ショパンが所持していた平均律1巻の楽譜に、ショパン自身の書き込みも残されています。これらを総動員しますと、この曲の真価が明確に分かってきます。
★前回の講座で、5番 Preludeとコラールとの関係をお話いたしました。
これを更に深め、6番 Preludeのご説明をします。この曲は、決して干からびた“指の練習”ではないことは、言うまでもありません。
★1ページ6段で記譜されています自筆譜の Fuga16小節目上声「c³」は、このページの真ん中に“高々と”記されています。
そのようにしたBachの意図を理解しますと、何故Bachが平均律クラヴィーア曲集そのものを作曲したか、という謎が氷解するとともに、Bachを弾くことが、楽しくてたまらなくなるでしょう。
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■日時 : 2017年 6月 14日(水) 10:00 ~ 12:30
■会場 : カワイ名古屋2F コンサートサロン「ブーレ」
■要予約 : Tel 052-962-3939 Fax 052-972-6427
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■講師: 作曲家 中村 洋子
東京芸術大学作曲科卒。
・2008~15年、「インヴェンション・アナリーゼ講座」全15回を、東京で開催。
「平均律クラヴィーア曲集1、2巻アナリーゼ講座」全48回を、東京で開催。
自作品「Suite Nr.1~6 für Violoncello無伴奏チェロ組曲第1~6番」、
「10 Duette fur 2Violoncelli チェロ二重奏のための10の曲集」の楽譜を、
ベルリン、リース&エアラー社 (Ries & Erler Berlin) より出版。
「Regenbogen-Cellotrios 虹のチェロ三重奏曲集」、
「Zehn Phantasien fϋr Celloquartett(Band1,Nr.1-5)
チェロ四重奏のための10のファンタジー(第1巻、1~5番)」をドイツ・
ドルトムントのハウケハック社 Musikverlag Hauke Hack Dortmund
から出版。
・2014年、自作品「Suite Nr. 1~6 für Violoncello
無伴奏チェロ組曲第1~6番」のSACDを、Wolfgang Boettcher
ヴォルフガング・ベッチャー演奏で発表
disk UNION : GDRL 1001/1002)
・2016年、ブログ「音楽の大福帳」を書籍化した
≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜 にあり!≫
~バッハ、ショパンの自筆譜をアナリーゼすれば、曲の構造、
演奏法までも 分かる~ (DU BOOKS社)を出版。
・2016年、ベーレンライター出版社(Barenreiter-Verlag)が刊行した
バッハ「ゴルトベルク変奏曲」Urtext原典版の「序文」の日本語訳と
「訳者による注釈」を担当。
著書『クラシック音楽の真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!』(DU BOOKS)
を出版。
CD『 Mars 夏日星』(ギター二重奏&ギター独奏)を発表。
★SACD「無伴奏チェロ組曲 第1~6番」Wolfgang Boettcher
ヴォルフガング・ベッチャー演奏は、disk Union や 全国のCDショップ、
ネットショップで、購入できます。
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