■「ゴルトベルク変奏曲」20変奏・25小節目の改竄■
~越前・三国と三好達治、万太郎、一茶の春の句~
2017.2.17 中村洋子
★寒い日の中にも、暖かい春めいた陽がまじるようになってきました。
私の好きな俳句に、久保田万太郎の
『叱られて目をつぶる猫春隣』
が、あります。
「春」は、季語としては冬の終わりを言うのでしょう。
ちょっとしたオイタをして、叱られる猫、
猫をやさしくたしなめる人、
陽だまりに、そこまでやって来ている春を感じています。
★目をつぶった猫は、きっとその後、前足を大きく伸ばし、
腰をうんと高く上げ、大きな欠伸をしたことでしょう。
それを見て微笑む飼い主。
春間近の情景を、見事にとらえています。
★2月10日のKAWAI金沢アナリーゼ講座では、
Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)
「ユーゲントアルバム」のコラールが、
Bachのコラールを出典としていることを、
詳しくご説明いたしました。
★3月8日は、KAWAI名古屋「平均律クラヴィーア曲集第1巻5番」
アナリーゼ講座を開きます。
http://www.kawai.jp/event/detail/676/
3月18日は、東京での「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」
アナリーゼ講座です。
https://www.academia-music.com/academia/m.php/20161026-0
★“いつかは行ってみたい”と昔から、思っておりました
越前・三国を先日、訪れました。
詩人・三好達治が終戦間近から約5年間隠棲していました町です。
北陸の青空は、関東の濃い青とちがい、薄く透き通った淡い青、
頼りない青です。
青空とちぎれ雲、そして港が溶けあい、日本離れした美しい街です。
★北前船の交易で栄えた町ですので、往時の華やかさ、開放性も
持ち合わせています。
★昭和21年9月「世界文学 5号」に発表された≪北の国では≫が、
私の好きな達治の詩です。
その一節
『さてもさても人の世は
何から何まででたらめで
さかしまごとの砂の山』
★これは戦後日本の社会を風刺したものですが、
いま現在でも、あまり変わっていないのかもしれません。
★3月の「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」
アナリーゼ講座の勉強をしていますが、有名なある楽譜に、
改竄があるのに気付きました。
★第20変奏曲の25小節目右手上声16分音符、9番目の音。
皆さまの楽譜では「gis¹」となっていますか?
これは「g¹」が、正しいのです。
★「gis¹」となっています楽譜をお持ちでしたら、
「g¹」にお直しください。
Bachが書いた「g¹」を、なぜ、編集者が改竄したか?
それにつきましては、3月18日のアナリーゼ講座で、
詳しく解説いたします。
★Bachを“勇敢”にも、改竄した編集者に憤りを感じつつ、
同時に、どうしてそのような身の程知らずのことが、
許されるのか、やすやすと出来てしまうのか、
現代がどういう時代になってしまっているのか、
嘆息しつつ、考え込みます。
★しかし、達治の詩を頷きながら読んでいますと、
改竄に足をすくわれることなく、
もっと、勉強を勉強を、と思うこのごろです。
★達治の詩に続き、ズルズルと「小林一茶」の句を鑑賞しました。
・づぶ濡れの大名を見る炬燵かな
・春雨や喰われ残りの鴨が鳴く
・春風や鼠のなめる角田川(すみだがわ)
★大名の句は、どなたが読んでも情景が眼前に浮かぶことでしょう。
参勤交代でしょう。
大名という高い地位にあっても、幕府から睨まれないよう、
常に針鼠のように警戒し、
真冬でも、侍たちは裾をからげ、ずぶ濡れで歩く歩く、
郷里と江戸とを、往復しなくてはならない。
★自分はぬくい炬燵に足を入れ、づぶ濡れを眺めている。
づぶ濡れを楽しんでいるのでしょう。
本当に眺めているかどうかは、定かではありません。
フィクションかもしれません。
「づぶ濡れ」と「炬燵」との二語で、
庶民が支配者・大名を憐れんでいます。
逆転します。
その時代に「生きる」とはどういうことかの、
根源的な問いです。
★「喰われ残りの鴨」、天然の鴨はいまは、高根の花ですが、
江戸時代は自然の恵みとして、冬に数度あるかないかの
お楽しみだったことでしょう。
「喰われ残り」という表現の迫力。
人と自然が一緒に生きている、
それが実感として迫ってきます。
★「鼠のなめる角田川」、春に入って少したったころの句でしょうか。
私は東京生まれで、父が水泳を覚えたのは隅田川。
「水練」という小学校の授業だったそうです。
大昔は白魚もいた、澄んだ川だったのです。
★春の陽光に照らされた川面は、ねっとりと油を塗ったように、
粘っこい感じもします。
陽光が弱いので、ねっとり、鼠の背中のように見えます。
もし、「角田川」が「墨田川」となっていますと、
鼠も川面も灰色一色に塗り込められます。
★「角」とすることで、灰色を押し戻し、
鼠や川面の曲線が活きてきます。
「すみだ川」と言いますと、東京育ちの私は、
両国の相撲が連想されます。
相撲は、昔は「角力」という語がよく使われていました。
「角力」の“四股を踏む”は、
大地を踏みしめ、田の豊穣を祈る姿とも言われています。
眠っている大地に春を呼び起こします。
「鼠」という小と、「角」の大との対比の妙。
「角田川」から、江戸の風景が眼前に浮かんできます。
★小林一茶(1763-1828)は、平易な親しみやすい句の作家と
思われ勝ちですが、底知れぬ力強い詩心をもった人です。
生前は、もてはやされることもありませんでしたが、
十二文字の中に、巨大な世界をねじ込む力量を、もった人でした。
1763年生まれ、Bachの死後13年の生まれ、
没年は65歳でBachと同じです。
※copyright © Yoko Nakamura
All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲