■ベートーヴェンは平均律1巻第7番から何を学び、ピアノソナタ第31番を作曲したか■
2010・8・8 中村洋子
★酷暑のなか、9月14日の「カワイ・平均律アナリーゼ講座」に向け、
ベートーヴェンのピアノソナタ31番 Op.110を、
勉強しています。
★ベートーヴェンの 「 直筆譜 」を、詳細に検討していますが、
直筆譜を見れば見るほど、ベートーヴェンが、
この曲を、どのように演奏したかまで、
手に取るように、分かってきます。
大変、示唆に富んだ楽譜です。
★市販の「 ヘンレ版 」 をただ、眺めているだけでは、
百年たっても、絶対に、気付かないようなこと、
分からないことが、洪水のように、
このファクシミリから、伝わってきます。
★具体的に、
「 第 2楽章 」 Allegro molto 冒頭、
1、2小節 「 右手 」の、「 スラー 」 についての、
重大な改竄についてすこし、見てみます。
★ここでは、 2和音が 4回続いています。
直筆譜では、 2和音の上部の音をつないだ
≪ C B As G ≫ に、「 スラー 」 が掛けられ、
「 符尾 」 は、「 上向き 」 に、記されています。
★ところが、驚いたことに、
私が学生時代から、使用しています 「 ヘンレ版 」 では、
「 スラー 」 は、 2和音の下部の音をつないだ
≪ As E F Des ≫ に、掛けられています。
「 ペーター版 」 も、全く同様です。
★「 ヘンレ版 」 の編集者が、そのように改竄した理由は、
多分、楽典の教科書的な規則を、“ 官僚的 ” に、
単純に、当てはめたからかもしれません。
「 スラー は、 符尾と、反対の方向に付ける 」 ことに、
なっていますので、そのようにしたとしか、思えません。
★私は、学生時代、この内声の 「 As E F Des 」 に、
ベートーヴェンが、スラーを、敢えて付けたのには、
深い理由があるはず、と思い込み、
この4つの音を、幾分、強調して弾くべきか、
とすら、思いました。
★しかし、この曲は、後ほど指摘しますように、
≪ 両手を合わせて4声体和声、右手はソプラノとアルト声部 ≫ で、
書かれていますので、
敢えて、アルト声部の 「 As E F Des 」 を、
際立たせる必要は、なく、
ベートーヴェンが、直筆譜で書きましたように、
ソプラノの 「 C B As G 」 を、
「 常識的 」 に、歌わせればいいのです。
★さらに、付け加えますと、このスラーは、開始音より
若干前のところから、書き込まれ、
最後の部分は、2小節目終わりの小節線を越え、
3小節目の第 1音の、「 スタッカート 」 の直前まで、
伸びて、終わっています。
★そのように記された理由は、前の 1楽章の右手最終音と、
2楽章の右手冒頭音が、「 As C 」 で、重なっており、
さらに、ともに 「 ピアノ 」 ですので、
「 1楽章の気分を残したまま、 2楽章に移りなさい 」、
という指示のようにも、読みとれます。
★さらに、
17、 18小節目の 「 As As G F Es 」 の,
右手単旋律について、ベートーヴェン直筆譜では、
敢えて、符尾をすべて「下向き」にして、
記しています。
★この旋律は、五線の第 2間= As 、第 2線= G 、
第 1間= F 、第 1線= Es に、
位置しますから、本来、符尾は 「 上向き 」 に記すのが、
教科書的には、正しい書き方です。
ベートーヴェンは、なぜ、教科書に反した書き方をしたか?
★実は、この旋律は、 ≪ アルト声部 ≫ なのです。
そして、 ≪ ソプラノ声部 ≫ は、この2小節では、
「 休止 」 させている、という意味なのです。
★当然、「 ソプラノ声部 」 の符尾は 「 上向き 」、
アルト声部の符尾は、 「 下向き 」 ですので、
この 2楽章が、 4声体で出来ていることが、
理解できる方にとっては、常識的な書き方である、といえます。
★ 1小節前の 「 16小節 」 が、 「 スフォルツァンド 」 で、
それが急に、 17小節で 「 ピアノ 」 となります。
つまり、そこで 「 ソプラノ声部 」 が、急に休止し、
「 3声体 」 の薄い響きとなることを、意味します。
★ヴィルヘルム・ケンプなど、
真の 「 マエストロ 」 の、演奏を聴きますと、
この指摘が、よくお分かりになると、思います。
★現代の “ マエスロト ” の演奏は、
音の強弱の、刺激的な対比でしかなく、
この構造を読めていない演奏であることが、多いのです。
★さらに、このベートーヴェンの直筆譜では、 30小節目まで、
1段を 6小節で書いていますが、
34、 35小節は、 3小節分のスペースを使い、
とても、ゆったりと広い面積を使って、書かれています。
33小節目から始まる、 「 リタルダンド 」 の指示どおりに、
ベートーヴェンの記譜も、おおらかになり、
ソプラノのスラーも、現行市販楽譜のように、
決して、 1小節を、区画整理のように、
均等に割り振ることは、していません。
楽譜を眺めるだけで、ゆったりと、
歌わせているのが、よく分かります。
★ベートーヴェン直筆譜の 「 スラーの掛け方 」 を見ていますと、
「 ショパン直筆譜のスラー 」 に、とても似ていることを、
発見しました。
ショパンが、ベートーヴェンの直筆譜を、見ていたかどうか、
分かりませんが、
両天才の 「 スラーの掛け方 」 、
即ち 「 フレーズの作り方 」 が、
酷似していることが、分かります。
★このことは、ベートーヴェン同様、
ショパンの楽譜も、
( さらには、バッハ、シューマンについても )
決して、満足のいく市販楽譜がない、
ということを、意味します。
★このように、不完全な、
作曲家の意図をたわめた楽譜が、大半であり、
それが、大手を振って出回っている事実に、悲しくなります。
★以前、カワイの講座で、
「 バッハ・平均律と月光ソナタ 」 の関係を、お話しましたが、
「 月光ソナタ・初版楽譜 」 は、
ベートーヴェンの直筆譜を、できるだけ忠実に再現しようとした、
大変に優れた楽譜であると、お伝えしました。
★もし、現在の市販楽譜を見ながら、
勉強し尽くしても、 “ どうもおかしい ” 、
“ 納得いかない ” というところに遭遇されましたら、
どうぞ、ご自身の感性を信じてください。
現状の出版楽譜の水準が、低いのです。
巷で、 「 権威 」 として宣伝されています、
ショパンの 「 エキエル版 」 も同様です。
★これらのことにつきましては、アナリーゼ講座で、
また、お話いたします。
( ギボウシ、昼間のオシロイ花 )
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