タイトルは盗作です。元は一茶の次の句です。
「鶏の小首を曲げる夜寒哉」(一茶)
44歳の一茶が茨城県利根町布川を訪れた際の句といわれています。夕食後、庭先の鶏小屋を覗き込むと、夜の冷気のなか、鶏がなにものが現れたかという表情で小首をかしげています。
一日、冷たい雨が降り続きました。今年の梨の農薬散布をどうしようか練っていました。去年の散布で問題のあったところとなかったところ。弱いところには補わなければならないし、かといって、散布回数もふやしたくないし…。できるだけ少ない散布で効果を上げるには…。新薬をどう使いこなすか…。あれやこれや。いったりきたり。最後は、えい、やあ。はたしてうまく防除できますかどうか。野鳥に小首傾けられたりして…
「鶏の小首を曲げる夜寒哉」(一茶)
44歳の一茶が茨城県利根町布川を訪れた際の句といわれています。夕食後、庭先の鶏小屋を覗き込むと、夜の冷気のなか、鶏がなにものが現れたかという表情で小首をかしげています。
一日、冷たい雨が降り続きました。今年の梨の農薬散布をどうしようか練っていました。去年の散布で問題のあったところとなかったところ。弱いところには補わなければならないし、かといって、散布回数もふやしたくないし…。できるだけ少ない散布で効果を上げるには…。新薬をどう使いこなすか…。あれやこれや。いったりきたり。最後は、えい、やあ。はたしてうまく防除できますかどうか。野鳥に小首傾けられたりして…
小首を傾げてる姿は同じでもヒヨドリと鶏では見えてくる風景がまったく異なります。
梨と米でレイソルに攻め入りましょう。
前の句をいただいてつくるのは違う言い方があるはずですが、思い浮かびませんでした。気分的にはまったくの盗作です。
もう一つ、野鳥には詳しくないので、写真の鳥をとっさにヒヨドリとしましたが、尻尾が長くないのでムクドリかもしれません。まあ、ヒヨドリでもなんでもそれなりの味わいはでてくるのでしょうが。
歌を拝見する側にとっては、「ヒヨドリ」の風景が展開すればそれで構いません。実際がムクドリであっても。事実と詠む世界が異なっても一向に構わないと、ぼくは思います。
また、既成の歌から拝借してくるのも一向に構わないとも思います。デザインの世界ではよくあることです。そのような行為の果てに新しい世界が広がれば、それで良いと思っています。