のらやま生活向上委員会 suginofarm

自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、農業を楽しめる農家になりたいと考えています

まっすぐな歴史と誇り引き継いで(のらやま通信251/1510)

2016年04月28日 | 散歩漫歩

山の中腹に忽然と赤い大鳥居が現れました。全国の信者からの寄進で建てられたようです素足になり詔を受け、身も心も清めてご神体とのご対面です。何度も参詣しているという方に「ご利益はありますか」と聞くと「こうして毎年、参詣できることがありがたい」と。不謹慎なことを聞いてしまいました。
出羽三山の湯殿山神社での話です。山を下りた里に湯殿山総本寺大日坊というお寺があります。弘法大師の開創、出羽修験道の霊地で、徳川将軍家の祈願寺という歴史もあって、明治期の廃仏毀釈以前は日本で有数の規模を誇った寺院だったそうです。ここでは修行の究極の姿、即身仏・真如海上人を直接仰ぎ見ることができます。二十代から木の実などしか口にしない木食の行に入り、96歳で生身のまま土中に入定という説明も伺えました。
かつては「西の伊勢参り、東の奥参り」が一対の人生儀礼のひとつだったそうですが、“他言無用、言わず語らずの山”といわれ、今日でも厳しい戒律が生きているようです。今年から地元の二つの講の役員を務めることになり、そういえば明治42年生まれの祖父が地元の八日講(出羽三山講)の最後の役員をしていたと思いだし、その足跡を垣間見ようと7月、山形県庄内地方へいつものように突撃夫婦旅。
庄内といえば、だだちゃ豆を代表とする“在来作物”。現在も50種類以上が受け継がれ栽培されているそうです。イタリアンの奥田シェフの活躍で知られるようになりました。鶴岡出身の藤沢周平の時代小説でも焼き畑農法で作られる藤沢カブや民田ナスなど、山海里の恵みが数多く取り上げられています。こういった食文化が評価され、鶴岡市が昨年、日本で初めてユネスコ創造都市ネットワークに加盟認可されています。これを機にグリーン・ツーリズムを通じたまちづくりを一層進めるとのこと。
鶴岡の街から日本海に出る湯野浜海岸の入り口におしゃれな農産物直売所がありました。店内がとても明るいので見上げると、農業用鉄骨ハウスをそのまま利用していました(写真)。もともと作物が健康に育つように作られた施設です。冬は暖かく、夏涼しい、しかも明るい。農産物直売所というとプレハブやログハウス風が多いのですが、これはいい着想です。
店内には時節柄、色とりどりのミニトマトのほかに、ジュースやケチャップ、カレーなど、トマトを原材料とした加工品がたくさん陳列されています。自前の加工場も持っているといいます。聞けば七年前に土建業から新規参入した事業所とか。近くの砂丘の中の畑を大規模に経営。トマトの他、特産のメロン、イチゴ、キャベツ、ナス、エダマメなど13種もの野菜を作付け、土づくりに力を入れ、差別化を図ろうとしています。レストランも持ち、加工品はネット販売で活路を見出そうとしています。成功事例として紹介されているようですが、本当の評価はこれからかもしれません。互いに頑張りましょう。
庄内には、城のあった鶴岡と北前船で栄えた酒田の二つの街があります。片や譜代大名酒井家が領民との信頼を深めながら江戸期一貫して治め、片や「本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」と歌に詠まれるほど栄華を誇り、防風林や灌漑事業に貢献した日本最大の地主本間家の本拠地。朝ドラ<おしん>で有名になった酒田の山居倉庫、クラゲ展示で名を馳せる加茂水族館、時代小説ファン垂涎の藤沢周平記念館、もちろん出羽三山の羽黒山など、他にも見どころいっぱい。落ち着きの中にも自信と活力があふれている感じです。時間の経過に耐えたものはそのまちに風格を与え、まちに暮らすことの誇りに通じる。こんな想いを再認識した旅でした。         (by mit)

(2015年10月)

果物は必需品?贅沢品?(のらやま通信250/1509)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

 果物食べていますか?1日200g果物を食べようという運動があるが果物の世代別摂取量は年々減少している。摂取量が多いとされる60代以上でも平均160gほどだが、これからを担う若い世代の果物の摂取量は極めて低いものとなっている。20代~40代の平均摂取量は1日64gほどしかないのだ。さらにこの世代は全く摂取しない0gの割合が5割もいる。また農家の7割は60歳以上だ。果物をめぐる現状は、高齢者が生産して高齢者が食べる時代になっている。若い世代には今までのやり方ではなく、別のアプローチが不可欠な状況となっている。
 そんな中、若い世代の一員でしかも果樹農家である私がこれからどうしていくべきかを考えるキッカケとなるかもしれないと、去る7月23日に農水省主催の「くだものフォーラム」に参加してきた。このフォーラムでは、基調講演として上記のくだものにまつわる現状と果樹農業振興基本方針について、栄養学における果物摂取による健康効果についてあり、生産者2名と高級果物専門店の千疋屋総本店、カットフルーツ販売の弘法屋の事例発表、及びパネルディスカッションがあった。
 まず果物の摂取が少なくっている理由は、価格が高い、低所得、ジャンクフード等不健康な食品の選択肢が多いということがあげられる。また子供の場合、保護者の摂取状況や家庭での入手可能性の影響が大きくなる。果物はどうしても嗜好品だ。さらには贅沢品となっているのではなかろうか。極論すれば、果物はなくても困らないもの。果物が必需品であるかどうか3000人を対象に調査したところ、大人では3割ほどしか必要であると答えていない。子どもにとって必需品であるかどうかの調査では5割は必要だと答えている。大人と子どもでの差、これは頭の中では子どもに果物を食べさせた方が良いと思っている大人は多いということになる。これを改善するにはどうしたらよいのか。食育という言葉を初めて聞いてからだいぶ経ったが、単純にカラダにいいから、美味しいからと伝えるだけでなく、生産者の気持ち、さらには生産地から消費者までの流通の大変さを伝えることも大切である。食育だけやっていれば良いというものでもなく、食環境の整備も必要となっている。低価格化を実現するための仕組み作りや家庭菜園、産地やフードシステムの向上が必要だと考えられている。これらは日本だけの課題ではなく世界中で課題となっている。
●千疋屋のおはなし
 難しい話はここまでにして、あの西郷さんも足しげくスイカを買いに通っていた千疋屋総本店について話そう。創業181年目の千疋屋は現在の埼玉県越谷市にあった千疋村から由来している。京橋千疋屋や銀座千疋屋をのれん分けしたが現在資本関係はないという。平成17年に日本橋三井タワーに日本橋本店をオープンし、1Fのメインストアをフルーツミュージアムと呼び、2Fのフルーツパーラーでは6000円で2時間食べ放題だが連日盛況だという。千疋屋の取り組みは、年間100日の産地周りで産地との連携の強化、糖度選別の強化、エチレンガス発生を防ぐ鮮度保持シート、保証カードがあげられる。普通の八百屋ではあり得ない手間を二重にも三重にもかけているのだ。
千疋屋では国内産が90%を占めている。日本における果物の需要は40%が国内産、60%が輸入品であるから千疋屋における国内産の需要は大きい。シャインマスカットの需要が高まってきているように種無し、皮ごと食べられる、手軽な果実が人気だという。果物は糖度と酸味のバランスが重要だが、輸入品のグレープフルーツのような酸味のある果物は敬遠されてきている。さらにお馴染みのバナナの消費は伸びてきていて、房単位から1本単位へと販売形態が変化してきる。
また売上の30%は外国人だという。日本の果物は日本国内だけでなく、外国での需要が高まってきている。現に中東から月間数千万円のオファーがあり、特にメロンやマンゴーが人気だという。本当に消費者が求めるものを作れば、どんなに高い値段だとしても買ってくれる市場は確実にあるというのが千疋屋の考え方だ。
●果物はワクワクするもの
 これから日本の果物は国内だけでなく国外にアピールするチャンスが幾度ともある。5年後には東京五輪で多くの外国人が日本にやってくる。外国へアピールするのには絶好のチャンスだ。しかしどうだろう、ホテルの朝食にフルーツは確実にあるが、パインやグレープフルーツ、オレンジ、バナナ等外国産のものが多く並ぶ。このような身近なところから変えていかなければならないだろう。また美味しい果物をただ輸出するだけでなく、保存方法や食べごろ、食べ方、さらには生産者の思いまでをも輸出する必要がある。
果物は嗜好品だからこそ、ワクワクするものだ。これから生産者としても美味しい果物を作ってワクワクを届けていきたいと思う。日本の果樹農業を絶やさないために。これからの日本のために。    (co-sk)

(2015年9月)

“地あぶら”でからだも地域も健康に(のらやま通信249/1508)

2016年04月28日 | グリーンオイルプロジェクト

7月下旬、わが家の隣の畑でヒマワリが咲きだしました。最初に10a分、一週間置いてから20a分。離れた畑では、これから順に合計60a分ぐらいのヒマワリが咲きます。ヒマワリの種子から油を採ろうというのです。
なぜナシ農家のわが家でひまわり油?実は切実な課題が目前に。農業の担い手がいないというのはここ何年も言われてきたことです。最近20年間で農業就業人口が半減したといいます。しかも平均年齢は65歳を越えたとか。最近の農政の大転換は農業事業者として自立するか離農するかを迫るものです。効率的に利用できる農地は大規模経営や企業参入も可能でしょう。市街地に隣接していれば市民農園や体験農園としての利用も可能です。でも残りの農地は?残土埋め立て?資材置き場などへの転用?害獣の隠れ家?いずれも地域で農業を続けていくには……。専業農家として生き残っていくために、自分の経営農地だけでなくその周辺の遊休農地も管理していかねばならない状況と判断しました。
でもナシ園の拡張も限界がありますし、わが家に他の野菜を作付ける余裕はありません。除草しているだけや緑肥を播いているだけでは経費はでません。管理が容易で作業が機械化できて収入が得られるもの。昨今の健康ブームで食用油が注目されていることもビジネスチャンスです。
栽培しているヒマワリの品種は中オレイン酸種に改良された“春りん蔵”。低温圧搾・未精製の食用ひまわり油にはオレイン酸、ビタミンEなど有効成分がたっぷり。オリーブ油と変わらない成分含有量があります。大手メーカーの食用油の原材料はすべて輸入品。どのように作られたかを確認することは難しい。地元で採れるひまわり油なら種子採りなどに消費者自らが関わることもできます。バターに代えて、サラダに、ドレッシングにも、コスメ利用もできます。“地あぶら”で食用油国内自給率3%から脱却しましょうという提案です。
わが家で食用ひまわり油づくりに挑戦するのは今年で4年目。はじめはNPO法人手賀沼トラストの有志で10aほどチャレンジ。開花して種子採りまでは良かったのですが、種子の保管状態が悪かったようで、50リットルの油が無駄に。2年目に再挑戦して、3年目は手賀沼トラスト事業として手賀沼湖畔の10a、柏市あけぼの山公園事業として10a、農業生産法人ちゃちゃちゃビレッジとして10aでヒマワリを栽培し、好評を得ました。今年の3月には東京ビッグサイトで開かれた【健康博覧会】という展示会に出品してみたら、くせのない油、心地よい余韻の残る油と高評でした。そこで今年はわが家とちゃちゃちゃビレッジの共同事業として90aぐらい作付けてあります。
規模拡大となると問題は作業の機械化です。特に収穫時の機械化。流通している国産食用油の多くはナタネ油や大豆油。どちらも機械化ができています。農機具メーカーに問い合わせても「ヒマワリですか…」という声ばかりで自信なさそう。そこで7月はじめ、ナタネ、ヒマワリ、ダイズを二年三作して地あぶらづくりに取り組んでいるNPO民間稲作研究所(栃木県)に伺ってきました。
ちょうどナタネ油を搾っているところでした。ヒマワリは4月上旬に種まきをしたということで、もう花は満開を迎えていました。種蒔きから収穫、調整、乾燥、圧搾まで一貫した機械化がなされています。雑草が出る前に種を播けば中間除草は必要ないこと、汎用コンバインでもうまく刈り取りができないこともあること、専用の乾燥機があることなど、参考となることばかりでした。油脂植物の花はミツバチの蜜源になり、ミツバチにより交配がうまくいくと、種子も充実するという相乗効果も期待されます。蜜源と畑の肥沃化のためにレンゲも輪作体系に組み込んでいるといいます。
こうなりゃ将来は、食用ひまわり油と蜂蜜もわが家の商品にラインアップじゃー、なんてね。
(by mit)

(2015年8月)

枝をつなげる、未来につながる(のらやま通信248/1507)

2016年04月28日 | 今年の梨づくり

 農業技術の進歩はめざましいものがある。明治時代以降、それらの進歩は日本の農業経営の成長に大きく貢献してきた。農業機械や施設の開発・改良、栽培技術の改善は生産体系を大きく変え、大規模経営を可能にさせた。さらには肥料や農薬、品種改良等、生産者だけでなく農産物自体、消費者自身にも直接影響を与えるものまでも大きく変わってきた。
 日本における梨栽培は他の果物と比べても歴史は古い。弥生時代にはすでに食べられていて、日本書紀にも栽培の記述が残っているほどだ。現在の梨栽培の主流である棚仕立て栽培は江戸時代から始まったと言われている。明治時代に日本の農業技術が進歩し始める以前に、すでに梨栽培の技術の進歩は始まっていたのである。そんな棚仕立て栽培は整枝法の確立と剪定技術の向上により150年の歴史にわたって続いてきている。しかしながら高品質品種の登場による剪定技術の複雑化で作業効率が悪くなってきているという問題もある。
 現在、棚仕立て栽培を進化させた樹体ジョイント仕立て法(以下、ジョイント栽培)が全国各地の果樹園で拡がってきている。この樹体ジョイント栽培は神奈川県農業技術センターが梨の早期成園化、省力・低コスト栽培技術開発に向けて研究が進められてきたものである。わが家のある千葉県東葛飾地域では手で数えられるくらいの農家がジョイント栽培を取り入れている。その数少ない農家の中に加わろうと、わが家でもジョイント栽培を試験的に一部に導入しようと決めた。ジョイント栽培とはどういうものなのか。今までの1本樹(慣行)の場合、腕となる主枝を2本、または3本出し、そこにさらに細い枝(側枝)を何本も出し実をつけるというもので、たくさんの実を付け収穫量を上げるのに時間がかかった。ジョイント栽培は腕となる主枝を一直線にし、さらには隣同士複数の樹を接ぎ木で連結し、直線状の集合樹として仕立てあげる新しい仕立て方法だ。慣行では1本の力で養分を汲み上げていたものを、ジョイント栽培で集合樹とすることで複数の力で養分を汲み上げ均等に巡り渡せられるようになるのだ。樹をヒトに見立て簡単にイメージしてもらうと、慣行の場合、腕を大きく拡げているヒトが何人も園内に点在し、それぞれが自分のエリアを確保している状態である。ジョイント栽培はというと、何人ものヒトが肩を組んだ列が複数列あるというもの。慣行が「自分のために」だったものが、ジョイント栽培では「一人はみんなのために、みんなは一人のために」となる。ジョイント栽培の最大のメリットとしては作業動線の単純化により作業の効率化をはかれること、早期成園化を目指せることだろう。
 そんなジョイント栽培をわが家も取り入れることになったのは理由がある。1つは樹の老木化により収穫量のピークが過ぎたことで早期成園化を目指したいこと、もう1つは近年悩ませられている白紋羽病という病原菌の問題である。白紋羽病は梨だけでなくリンゴや柿、ブドウなど、すべての果樹の根に影響を与える病気である。それがジョイント栽培で根に与える影響を軽減できるのではないかと考えている。
 わが家は上図のように連結はまだしていない。これをするために苗木を生育している段階である。翌春、もしくは翌夏に接木し連結する予定でいる。
●全く新しい栽培技術
 梨の新しい栽培技術はジョイント仕立て法だけではない。栃木県の農業試験場で開発され各地に普及し始めている盛土式根域制限栽培だ。初期費用に相当かかるのだが、植え付け3年目で3t/10aの収量を見込める方法となっている。この栽培方法では地面にビニル、底面給水の塩ビ管と給水マット、遮根シートの順に敷き、培土を盛り、そこに苗を植え、さらに盛土はビニルマルチで覆う。実際の畑の土の上に遮根シートを敷き盛土する。施設栽培のトマトやイチゴのように梨も作ってみようという今までとは全く違う栽培方法となっている。わが家のような白紋羽病に悩まされている圃場でも問題なく栽培可能になる。
 慣行にしてもジョイントにしても根域制限にしても、それぞれの優劣を考えながら取り入れていきたいと考える。   

(2015年7月)

境内と“市”とサードプレイス(のらやま通信247/1506)

2016年04月28日 | かしわかあさん

ここ何回か、柏神社で開かれる『手づくりての市・ジモトワカゾー野菜市』に参加しています。この“市”は柏の街で人と人がつながるゆる~いコミュニティができればいいね!柏をもっと楽しいまちにしたい!という思いで行っている、作る人と買う人をつなぐ“市”です。月に一度、手作り作家さんたちのクラフト品、工芸品、食品、加工品、地元の産直野菜が並びます。出品者の多くは地元の柏や周辺の我孫子、松戸から、中には成田からも。
 これまで梨のシーズンだけ後継者君が参加していたのですが、地域の農家女性で参加しようという声があがり、また農産加工品を作るだけでなく、消費者の方の反応も知りたいという思いから参加しています。
わが家からは、コシヒカリのごはんから作った串だんごとコシヒカリの米粉から作ったシフォンケーキ、ナシやキウイフルーツのジャムやドレッシング、トマトケチャップなどです。道の駅しょうなんの農産物直売所で販売している定番商品ばかりです。“ての市”は長く定期的に行われているのでリピーターのファンも多く、そういう方のなかには道の駅をご存知の方もいて「先月買ったお団子がおいしかった」とか「ケチャップを作ったのはあなたでしたか。道の駅しょうなんで買ったケチャップのファンです」とかお客様との会話もはずみます。お客さんとの交流が“市”の醍醐味!
会場を神社にしたのには実は意味があります。柏駅前には百貨店、家電量販店があるのですが、街としてはお客様の流れがそこで止まってしまいがちなのは問題。柏神社は駅から5分ほどの旧水戸街道の交差点のところにあり、“ての市”を目指していただくことで、駅から駅前商店街を通って神社へ行く流れ、また神社から駅前商店街を通って帰る流れができ、商店街にもお客様に足を止めていただくことを期待しています。
6月は柏神社から会場を変えての出張販売『千産千消フェア 青空マルシェ』として高島屋柏店店頭での販売も実現しました。販売までの細かい打ち合わせや当日の会場設営、駐車場案内など、今回もストブレのみなさんのお世話になりっぱなしでした。地元のイベント、産品が百貨店と関わり扱われるというのは百貨店側に地域応援の姿勢があり、百貨店のお客様側にも地元の商品もという要望があるのではと感じました。
 この“市”を運営しているのは、ストリートブレイカーズという団体です。1999年、柏商工会議所青年部創立20周年を機に設立。翌年、柏駅周辺イメージアップ推進協議会イベント部会として位置づけられ、以来様々なイベントが企画され、今日にいたります。
 実はこのストブレさん、若者が柏のまちを身近に感じてくれたらいいという思いが熱く、完全ボランティアにより運営されています。ジモトワカゾー野菜市では販売用の長机のレンタル料のみが出店者の負担です。柏神社に行けば、机が用意してあって販売を終えて撤収したあとの後片付けもストブレさんがやってくれています。出品者は場所を提供していただいて、まさにおんぶにだっこ状態。いろいろな年齢の方たちが参加していますが、中でもリーダーのKさんのバランス感覚、押し付けがましくなくそれでいて細かい気配り、自然体の穏やかさには頭が下がります。
ストブレさんの様子を見ていると、イベントの段取りを楽々こなしている感じがします。彼らの応援団もいて互いに声をかけあい楽しそうです。市民参加などと書くと堅苦しい。もっと肩の力をぬいて楽しんでやっているという感じです。それぞれ普段のお仕事があってそれとは別の活動の楽しみを見出しているようです。自宅(ファーストプレイス)や職場・学校(セカンドプレイス)ではない、一個人としてくつろぐことができる第三の居場所“サードプレイス”になっているのかも。(by sa)

(2015年6月)

さあ今日は大師様だ(のらやま通信246/1505)

2016年04月28日 | 散歩漫歩

毎年5月1日から5日まで、地域最大の民俗行事“送り大師”が行われます。四国八十八ヶ所巡りに習い、地元に札所を置いて5日間で巡ってきます。柏市を中心に白井市、鎌ヶ谷市、松戸市域まで及び三十数集落が講中に参加。今年は柏市逆井区が結願区となって行事全体を仕切ります。泉区の講中役員として初日の1日、17km 余り歩いてきました。今年の結願区逆井の観音寺で出発式。700人あまりが集まりました。かつては野良道を歩いたのでしょうが、今では大師道を鉄道が横切り、札所をマンションが取り囲みます。JR常磐線柏駅すぐ近くを歩くときはやはり少し恥ずかしい。参加者の中には異国出身の方や子供たちも。もちろん、般若心経を一緒に唱えています。
2日目はわが地区の札所でお接待。「もてなし」「もてなされ」のお互いさま。

5日は結願の祭礼の行われる日。最後の5km余りを歩きます。数百メートル手前で隊列を組みなおし、稚児行列も加わります。会場となった逆井観音寺正面に建てられた御柱の白布がとられて祭礼は最高潮。観客も含め1000人近くが集まったようです。来年は松戸市金ケ作区が結願区。その先は未定とのこと。

かつてはこんな農繁期にやってと苦々しく感じていたものですが、今回、初めて行事に参加し、イメージが変わりました。農作業や田植えで忙しいといっても、これから農作業や田植えをやる人は限られた人だけになるでしょうし、ほとんどの人は大型連休何しようかしらと思うはず。
爽やかな緑の風の中、普段は車であっという間に通り過ぎるまちの裏道を旧知の人や友人たちと何を話すとはなくだべりながら一日歩く。地域の再発見の機会になります。かつては婚活の場となったり、地域紛争解決のきっかけとなったこともあったようです。宗派を問わず、参加したいものを受け入れる寛容さ。今日もてなされたなら明日はもてなす方に回るお互い様という関係性。実にジャパネスクです。

各札所での般若心経は頭の体操とともに呼吸健康法かも。全行程で百回以上唱えます。毎日歩くと「スリーデイマーチ」ならぬ「ファイブデイマーチ」健康づくりイベントのようです。今年も五日間歩けたからまだまだ元気だなんて、若さ具合を測るバロメーターになっているようなことも。
実情にあった運営方法を模索しているようですが、これからはムラ単位の講中による運営は難しいかもしれません。新しい時代には新しい価値を見つけられる気がします。“健康都市かしわ”あるいは“健康都市東葛印旛”を象徴する地域の文化遺産としても継承していきたいと強く感じました。

(2015年5月)

我が家のブランド化計画(のらやま通信245/1504)

2016年04月28日 | 農のあれこれ

ブランディングという言葉を聞いたことあるだろうか。最近は流行り言葉のようにメディアで耳にするようになってきたと感じる。単純にいうと価値を高めることだ。自分自身の価値を高めようというセルフブランディングという言葉まである。そんなブランディングの話をする。
昨年末より我が家は経営の見直しを行っている。新しい世代に交代する転換期である今、改めて経営の改善を図る時期となってきたのである。我が家は単純に梨農家や米農家、野菜農家という訳ではないのはご存知の通りだ。梨も米も野菜も、さらには加工品もと、何でもやる複合経営をしている。各々がそれぞれを好きなようにやっている点と点の集合体が現状の我が家なのだ。これを新しい世代に交代していく中で、点と点をつなぎ1つの大きな球(円)としていく作業を行っていく。この大きな球を作り、さらに大きくしていくことがブランディングというものなのだ。
この大きな球はそのままだと転がってしまう。転がらないようにするためにはそれを支える土台が必要不可欠である。まずその土台作りから始めた。この土台というのはどんな会社でも持っている「理念」というもの。今まで曖昧な表現でしかなかったものを文章化する作業、各々が頭の中でポツンと浮かんでいたものを明確に言葉にする作業を行った。これには時間を大変費やした。家族間で何度も話し合いを繰り返し、きっちりとした土台ではないにしてもある程度形としてはできあがった。我が家の理念は「共感」。我が家の農産物を通じて、関わりあうすべての人々と共感し合い、必要不可欠なパートナー的存在を目指したいと考えている。
土台ができたらその上に乗せる球を作る作業となる。我が家の場合は新しい球を作るのではなく、今ある点と点をつなげ円にし、さらに立体化させる。それをするために、ある6次産業化プランナーにアドバイスをいただく機会を得た。日本各地の一次産業をデザインで活性化するために全国を飛び回っている方。F社のN氏に遠く離れた北海道からわざわざ千葉まで来てもらい、ブランディングについての話を聞かせていただいた。
ブランディングとは、ただ商品ラベルをデザインすること、ロゴマークを制定すること、ホームページを作ること、パンフレットを作ることではないという。これらはあくまでもツール(手段)でしかないのだ。お客様に自分たちの思いを伝えること、思いをわかってもらえるデザインにすること、他とどう差別化するかがブランディングということになる。
企業には有形価値と無形価値が存在する。有形価値というのは土地だったり資産だったり技術だったり数値で表すことのできるもののこと。これらには限度がある。しかし無形価値は違うのだ。無形価値とは数値で表すことのできない部分、すなわち企業のイメージのことである。ブランディングの目的はこの無形価値をどう高めていくか、どう作っていくかということである。ロンドンに本社を置くインターブランド社による調査によると全世界で最もブランド価値の高い企業は誰もが知っているリンゴのロゴのところだ。新しい商品が発表されたら全世界で人々が熱狂する。あのリンゴの一口かじられたロゴが付いているだけで人々は良いイメージを持ち購入していく。同じような形や機能であれば、多少高くともリンゴのロゴを選ぶ。「いいモノ」を作っていれば売れる、結果は後からついてくるという時代は変わった。「いいモノ」を作ることはどんな企業も当たり前だ。その「いいモノ」についての価値を見出し、具体的な言葉にして伝え、アピールしてブランドを構築すること(他と差別化すること)がブランディングになる。
ブランディングという横文字の話を続けてきたが、これは今に始まったことではない。戦国時代にはもうすでに存在していたのだ。合戦の場において敵と味方を区別するために家紋が使われていた。旗やのぼり、鎧や刀に家紋がつけられていた。合戦のなくなった時代になると家の格式を表すために、庶民の間においても家紋が広く使われるようになった。戦国時代においての家紋は敵に向かって自分たちを主張し、味方には誇りを持ち連帯感を高めるツールであった。それが時代が移り変わり現在、家紋ではなくロゴマークとして、お客様に向けて自分たちを主張することに置き換わったのではないかと考えられる。
 これから我が家は新しく生まれ変わろうとしている。話し合いを続けて、より「いいモノ」、より良い環境作りを目指したいと考えている。このブランディングは一過性のものではない。ロゴマークができた、商品ラベルもできた、ホームページもできた、パンフレットもできた、ここでは終わらない。ここからが初めてスタートとなる。その先、お客様に伝えていくこと、それがブランディングとなる。
 さぁ、新しい時代を新しい世代で切り開いていこう。
(co-sk)

(2015年4月)

あぶらを自らつくるという提案(のらやま244/1503)

2016年04月28日 | グリーンオイルプロジェクト
三月中旬の三日間東京ビックサイトで健康博覧会というイベントが行われました。そこに農業生産法人ちゃちゃちゃビレッジが「土活で畑から健康経営をサポートします」というテーマで出展。「土活」とは土に親しんでいただき、都会生活で疲れた身体も心もリフレッシュし、明日からの創造的活動をしようというもの。すぎのファームと農産加工所かしわかあさんも協賛しています。
国内最大級の健康産業BtoB商談展と銘打っているイベントでなにするの?って感じですが、企業の福利厚生のひとつとして都心から近い柏で農作業体験はいかがでしょうか。体験だけでなく収穫したものを加工することもできます。それを御社のギフト商品にできたらどうでしょうっていうイメージです。社員を受け入れる畑はチャチャチャビレッジが準備。小ロットの農産加工はかしわかあさんが担当。すぎのファームは具体的な栽培作物としてヒマワリを提案します。<地あぶらで体も地域も健康に>というキャッチで、農地活用や耕作放棄地解消できる上に、景観形成やミツバチの蜜源を増やすことにもなりますよと呼び掛けました。
先日、健康博覧会主催者より来場者数が報告されました。連日、1万数千人ずつの方が来場され、農業生産法人ちゃちゃちゃビレッジには三日間で数十社から商品としてのヒマワリ油を求めたいという打診や、生産過程に関わることでオリジナルのギフト商品を作らないかという仕組みへの興味が示されました。予想以上の手応えです。

会場ではヒマワリ油をバケットの小片につけて試食してもらいました。「オリーブ油より癖がないね」とか、「心地よい余韻の残る油だわ」ってわざわざ印象を伝えに戻って来てくれた方も。「パンはいいからそのまま舐めさせて」とか、ヒマワリの種を常時、健康食品として食べている方からは「確かにヒマワリの香りがしている」とか、これまで食用油にこだわっていないものやヒマワリの種を食べていないものにとっては予想外の反応もありました。「モンゴルでもヒマワリは咲くかしら」というモンゴルからの方もいらしたし、「化粧品の原料とするほど大量に供給できる?」という香港からいらした方も。
以前はヒマワリ油というとリノール酸が高いということで敬遠されがちでしたが、リノール酸は少なく、酸化しにくいオレイン酸を多く含むよう品種改良されたヒマワリであること。オレイン酸はオリーブ油と同程度含まれていて、そのうえビタミンEはオリーブ油の10倍も含まれていること。何より、自分が食べる油の作る過程に自分が関われるんです。食用油国内自給率3%から脱却しましょうよ。
皆さん、初めて会ってお話するわけですが、もともと健康に関心をお持ちの感度の高い方々です。むしろ教えていただくことの方が多かったように思います。
マスコミ系の来場者から仕組みの提案に関心を持っていただいたことから、ビジネスモデルとしても可能性があるのかもしれません。こりゃあ、今年はヒマワリ油を増産しなければなりますまい。

君に託したい畑はいっぱいある(のらやま通信243/1502)

2016年04月28日 | グリーンオイルプロジェクト
まとまった耕作放棄地を解消して借用しようという“もう少しで還暦プロジェクト”。耕作放棄地の開墾作業が予想以上に手間取って、いつの間にか冬休みになっていました。
農家の知人には3人の男の子がいるのですが、なぜか中学生の3番目の子だけが農業に興味があるようです。夕方、友人宅をたずねると、その子が薪と思われるスギ木片にカンナをかけています。何しているのと聞くと、なんかかっこいいからという答え。これは期待がもてます。開墾地にまだクリの大木が残っていましたので、切り倒しにおいでよと声をかけました。チェーンソウで切り込みを入れて、最後の倒すところだけのこぎりをひいてもらいました。木が倒れた後はお約束のひとときの“樹上生活”
高い枝の上から彼は何を見ているのでしょうか。君に託したい畑はいっぱいある。

ようやく耕作放棄地の開墾作業の前半が終わりました。地表の樹木や草を持ち出し、あとは抜根、天地返し、整地と機械任せの作業となりますが、時間も費用も想定していた倍もかかりそうです。地主さんの理解をいただいて新しくできた畑を長くお借りしなければなりません。耕作放棄のままでは農地とは認められず、税金も雑種地扱いになるということは理解いただけますでしょうか。農地として管理しているだけで地主さんには利益があるということです。10年、20年、できれば30年といった期間お借りしてナシ畑にでもしたいと考えています。これまでも先輩たちから話しに聞いてはいたのですが、自ら40年あまりのナシ栽培の経験をしてきてナシの樹と栽培棚等の施設の寿命は同じということを実感してきました。ナシ畑の一部を全面的に改植するためには、栽培面積の他に、苗木を育成するような生産の上がらない畑が必要です。所有地ギリギリで栽培、経営しているような小農にはなかなかできないことだと思っていました。今回、近接地で遊休農地をお借りできるようなチャンスを得ました。チャレンジをしてチャーミングな事業経営にしたいと思います。
農業関係の新聞を見ていましたら、日本の土地利用型作物の生産性が停滞していて、世界各国との間で格差が広がっているという記事に目が留まりました。「面積は小さいながらも高い技術力と集約的な栽培管理で、高い収量を保持する日本農業」というイメージがひるがえされる研究成果があったという記事です。
水稲は東南アジアやエジプトで単収を増加させている中で収量増加率が低位に推移。小麦の単収は欧州諸国より低く、中国よりも増加率が少ない。大豆は80年代以降、収量水準が変わらない……。その理由として、アジア諸国や南米では経済成長に伴い農業への資本投下を拡充し、高温や日射量の多さなど有利な気象条件が生かされるようになったのではないか。
一方、日本は“世界でも特異的に”農地面積も労働力が減少し、農業投資、生産資材の投入も減少傾向にある。増産意欲が働く構造になっていない……。また、日本の食料自給率の低下要因が質的に変化していると指摘。90年代までは米からパンに変わったなど「消費構造の変化」だったが、2000年以降は「国内の供給力の低下」にあったといいます。
国内の食料は消費量が減少し供給量が上回っているから、農産物価格が低迷していると思っていました。ところがこう指摘されると、増産意欲も技術向上意欲もなくなっているのかも、と現場でしばしば思い当たることがあります。こういう現場では、当然、後継者が育つはずはありません。やっぱり農政が問題なんじゃない?

(2015年2月)

たかが五年されど五年 敬うべきは野の営みか人の生業か(のらやま通信242/1501)

2016年04月28日 | グリーンオイルプロジェクト
なにやら異様な光景です。地面には葉が落ち重なり、頭上には弦が絡んだような線が張り巡らされています。前方には雑木のような細い幹が見られます。5年ほど放置されたナシ畑のなかを“探検している”様子です。
わが家のナシ畑に隣接したところで担い手のいなくなったナシ畑50aがあり、そこを借用することになりました。。棚はまだ十分使えそうです。井戸もあります。活用してやらないのはいかにももったいない。
周辺にもまだ放置された畑があって、ナシ棚のないところなら大きな機械が入れます。ついでに周りの農地約70aも回復しましょうということに。ところが、そこは20年も30年も耕作放棄されていたところ。雑木はあるし、篠竹も繁茂しています。自前の機械では歯が立ちません。ハンマーモアを腕の先に取り付けた重機をレンタルしての作業となりました。


何十年も放棄されていた畑を借りなくとももっと条件のいい畑はいくらでもあるだろうにという声もありますが…。
理由の一つは、既存のわが家のナシ畑を守るために、周辺の環境も自ら管理したいということ。いや、しなければならないということ。近接地に廃棄物処理場ができて、その排煙で農業ができなくなった友人がいます。2haもまとまって屋敷畑があったのに、です。 
二つ目の理由は、後継者君(四代目)に開墾のようなことを体験させたかったこと。
わが家のナシ畑の半分は山林を開墾したところ。最初は三代目が高校生のころ、二代目が普通畑作からナシ作りに業態を変えようと奮闘していました。初代もまだ元気で木を伐りせっせと薪にしていました。三代目も休みになれば当然手伝うことになり、そのときに木の伐り方や薪の作り方などの基本を覚えた気がします。その後も10年ぐらいまえにナシ畑を拡張しようと山林を切り開いたことがあります。そのときは三代目が主体でやっていました。初代は新たに家を興し農家になるのに、木を伐り根を堀り出したそうです(当時はパワーシャベルなんてありません)。こう考えると、わが家は代々農地造成の土木事業をしてきています。
もっとカッコいいこというと、いま農地流動化といって中核農家に農地を集積しようという政策が進められています。農家として生き残るためには不可欠な政策のひとつですが、農業への企業参入の開放と連係します。と、ひとつ間違うと農家から農地を取り上げ、企業、大資本、場合によっては海外資本が保有することに。刀狩りならぬ農地狩り。命をつなぐ場の喪失、なんてことにもなりかねません。
70aもまとまった平坦な農地です。実際、不動産屋さんらしいひとがこの農地を見に来ていたそうです。守るか取られるか、競走です。まあ、そんなカッコいいこといったって、どうやって農地を守るの?ってことがついて回るのですが。
手間もお金もかけずにできるだけ少ない資本投下で最大の成果をあげたい。いま考えられることは景観作物か機械化の進んだ穀物生産か。景観作物に補助金でも出してもらえませんかねえ。それとも、いま農地に復元しているところは、ゴルフ場に隣接しているので春と秋に彩りある空間をつくるから、ゴルフ場からいくらか協力金を期待できないでしょうか。最近、元気な農家が大豆やソバなどを刈り取る汎用コンバインを購入して畑で穀物生産に取り組もうとしています。大豆なら豆腐屋さんとか、ソバなら蕎麦屋さんとか、菜種油、ヒマワリ油なら一般消費者の皆さんも買い支えてくれるような風潮や仕組みができると理想的なんですが。

(2015年1月)

梨ドレが激戦市場を切り開く(のらやま通信241/1412)

2016年04月27日 | かしわかあさん

この冬もわが家のナシを使って『梨ドレッシング』を作っています。試作、商品化、改良につぐ改良と農産加工所“かしわかあさん”で取り組んできた商品です。梨ドレッシングの構想はかなり前からあたためてはいたのですが、ソース類製造の加工場ができてから昨年はじめて商品化しました。
昨年9月、農文協加工講座(出版社が主催する農産加工の実践講習会)に参加し、そのワークショップで『梨を加工した売れる商品』というテーマで参加者からお知恵を拝借しました。「お菓子は日持ちが課題」「キムチは美味しいし、韓国では梨を料理にいろいろ使っているからいいんじゃない?」「いやいや、日持ちの点ではジャムやドレッシングがいい」…。ああだ、こうだの結果、新しい商品として梨を主にしたドレッシングが売れそうだという結論に達しました。さらに杉野に来年の加工講座に商品化してもってくるようにと宿題がでました。
それからは<学ぶはまねぶ(まねる)から>というとおり、梨ドレッシングと名前のつく商品を買い求めたり、レシピ本を見たり、インターネットで検索をしたりと、まずは情報を集め、それらをもとに試作をし、これはと思うレシピを決め商品化にこぎつけました。冬から道の駅しょうなんにて販売開始。ちょぼちょぼと売り始めました。
この10月、本年度の農文協加工講座が開催されました。加工の先生小池芳子先生が講評する加工品品評会に昨年度の宿題であった梨ドレッシングを出品、批評していただきました。「味はよい(やったー!)。ただ、分離液状というタイプのドレッシングなのだが、現状の作り方だと梨と米油が分離していてよく振ったとしても油が先に出てしまう欠点がある。これをどうするか?」参加者からも、油っぽいとかパンチに欠けるとか色が地味とかの感想が寄せられました。
小池先生からは次のような指導がありました。梨と酢や油をよく攪拌して混ぜること。梨やたまねぎなど生のものは全体の3割までにすること。唐辛子を使っているが、辛いもの、辛くないもの、いろいろあるから配合を工夫するように。味とは別に商品ラベルがおとなしいとの指摘もありました。これまでは味がすべてでした。次は味と長期保存が課題となり、PHメーターという測定器を使うことも覚えました。講習会から帰ってから改良バージョンを作り、油が分離しにくくなり、唐辛子の配合を変えてこれまでよりパンチをきかせた梨ドレッシングになったつもりです。そして、現在直面している課題は商品のラベルと外観です。
つい最近ある方から次のような話をされました。『およそ世間にある商品にまずいものはない。農家の方はこだわってつくっているから、なおのこと味はよい。しかし200の商品が並んでいて200の消費者がもう一方にいて、さあと言ったときに選ばれるものとそうでないものとがある。味見ができないとしたら、ポイントはデザイン。』
これまでは串団子やシフォンケーキなど消費期限の短いものを道の駅の直売所を出品していましたが、賞味期間が6ヶ月から1年のものを作り始めたのですから販売チャンネルを増やすことも必要です。わが家の加工品を多くの方に手にとってもらいたいと考えています。
そんなことを考えているとき、テレビで、大手デパートのドレッシング売り場で農家の手作りドレッシング(ねぎのドレッシング)が売れているという放映がありました。ならわが家の梨ドレッシィングだってという気にもなるじゃありませんか。また、加工講座でこんな話も聞きました。「ガラスびんは割れる重いなどの点からプラスチック容器に変わっていて、びん業界全体の生産量は減っている中で微増しているのがドレッシングびんです。」
はてさてこれからわがやの梨ドレッシングはどこへいくのでしょうか。こんなアメリカンジョークがあります。発展途上国に行ったセールスマンの話。
セールスマンA この国はだれも靴をはいていない。だから靴は売れっこないよ。
セールスマンB この国はだれも靴をはいていない。しめた。だからこれから靴はバンバン売れるぞ。
梨ドレッシングなんてふつうのスーパーではあまり見かけません。アイスのガリガリ君や“ふなっしー”のおかげで梨も加工できるんだと認知されてきました。梨ドレッシングはセールスマンBのようになれるでしょうか?
(2014年12月)

産み手ならつくってみたい血が騒ぐ(のらやま通信240/1411)

2016年04月27日 | 農のあれこれ

出掛けたついでに東京ビッグサイトで行われていたアグロイノベーションというイベントに寄って来ました。農業の新しい潮流を概観するにはこういう展示会は最適です。せっかく近くで開かれているのですからその利点を生かさない手はありません。同種のイベントはいくつもあって、先月の幕張メッセのイベントはどちらかというと商談会、今回は新技術の発表会といった感じ。
今年のメインテーマは植物工場とICTを使った栽培管理システム。植物工場はわが家の経営としては当面検討対象外。ICTとはInformation and Communication Technologyの略で、情報通信技術を表すITにコミュニケーションの概念を加えた言葉。JGAPという農業生産工程を食の安全や環境保全の側面から管理する世界基準の認証制度があります。将来、JGAPを取得することを求められるでしょう。認証に際してはきちんとした栽培情報を管理することが求められます。農業経営者としては現在進行中の作業も含めた栽培履歴をクラウドデータで管理し、スタッフ間で共有、顧客へ公開するというICTの活用した栽培管理システムに取り組まねばと再認識させられたのですが、生産者としては新技術や新品種の方が気になります。
梨の新しい栽培技術としては、神奈川県から樹体ジョイント仕立て法と栃木県から根圏制限栽培法が発表されていました。どちらも数年前から公表されていて、前者は幹と幹をつなげていって(ジョイントして)、複数の根から一本の長―い幹を作ろうという技術。後者は果樹のポット栽培のようなもの。どちらも栽培管理の容易化、早期成園化、安定生産などを目的とする技術です。今後、借地で梨を栽培するようになると、不可欠な技術になるかもしれません。
ジョイント仕立てはわが家でもこの冬の苗木から少し試みるつもりでした。普通なら現地に出向いて担当者に時間をとってもらって聞かなければならないのに話を、今回は向こうから同じ所に来てくれて、しかも二ヶ所の現場責任者の話を聞けるのですから本当にありがたいことです。
梨の新種では、農研機構(国の果樹試験場)から「甘太」「凜夏」、神奈川県から「香麗」「なつみず」が発表されていました。「甘太」は「新高」に代わる品種。「凜夏」は気候温暖化に対応した品種。「香麗」は「幸水」より早く収穫できる品種。「なつみず」も「幸水」より少し早く収穫でき実の大きくなる品種。新しく登録される品種はどれもこれまでの品種にない特性があるもので、わが家としては「幸水」より早い品種を思案中。農研機構からも近いうちに早生品種がでるとかで楽しみです。
他の新品種をみると、キウイフルーツの新品種が複数の研究機関から発表されていました。神奈川県と東京都の研究機関からも。どちらも市街地のなかでも栽培しやすいという性質に着目しているということでしょうが、需要そのものがこれからも期待できるということもあるのかもしれません。
香川大学は自生しているシマサルナシとキウイフルーツを交雑させ、新品種を開発。小型でありながら糖度が高く、果皮に毛がなく皮を剥かずにそのまま食べられるというものでした。果皮は栄養価も高く、本場でもそういう食べ方をしていると聞いたことがあります。これは将来有望と苗木を手に入れることはできるかと聞くと、当面は香川県内に限るとか。香川県はキウイフルーツを特産にしようとしていて、この品種開発についても県のお金も投入されているとか。それでは仕方ありません。
ちなみに神奈川県は県の開発品種の栽培を県内に限るとはしていないそうです。キウイフルーツについては確認しませんでしたが、ナシはT県との比較で伺いました。神奈川県のナシは直売が多く、品種の知名度を高めるために、むしろ早く拡散するのを歓迎するとのことでした。なるほど地域それぞれの性格で戦略が違うようです。
加工用として注目したい品種もありました。オリーブの生産者が地域を越えて連携し、商品を開発、売り込みをしていました。国の農研機構でスモモとウメを掛け合わせて育成した「露茜」。その赤い色素に注目した和歌山県が加工品を開発。島根大学は地元で自生するダイコンを品種改良。辛味の薬味に使う「出雲おろち大根」と命名。登録品種名は「スサノオ」。相当に辛そうです。三重県鳥羽商工会議所は古来から自生する「タチバナ」に着目。永遠に香るといわれるその香りを生かしたオリジナル商品を特産品にしようとしていました。北海道からは海から陸に最初に上がったといわれる「シーベリー」を商品化。油成分は高級化粧品や皮膚疾患の薬に、ビタミンEと強い酸性は抗酸化作用のある加工品に、黄色い色素はお菓子業界にと応用範囲が広がります。
わが家でもどれか作ってみたくなりました。
(2014年11月)

葡萄畑を見下ろして飲むワインの美味しさよ(のらやま通信239/1410)

2016年04月27日 | 散歩漫歩

7月上旬、ナシの収穫・出荷前の気分転換にと30年来のパートナーと四万温泉へ。のんびりするのが目的。温泉で体が温まったら布団の中で読もうと数冊の本をカバンに詰めていたのですが、直行しても早く着きすぎるからと寄り道をしようと考えたところから少し旅の意味合いが変わってしまったようです。
まずは関越道に入らずに東北道を北上。足利のココ・ファーム・ワイナリーへ。知的障がい者たちのつくるブドウ畑ということで広く知られています。ブドウ畑のその急斜面にびっくり。30度以上の傾斜はありそうです。「施設概要」に“山の斜面を使って障がい者の機能訓練をしたい”というねらいが書いてありました。急斜面のブドウ畑を前にしたカフェで開墾当時の労苦や毎年の栽培作業の厳しさを思い浮かべワインでも。いえまだ旅の途中。
二日目。骨休めに来たのだからと午前中は温泉に入ったり布団にもぐったりでしたが、外は上天気。根っからの貧乏性が起きだして、子供たちとキャンプに出かけていた当時、気になっていた野反湖へドライブ。その途中で見つけた見事な薪の壁。薪を販売しているプロなのか薪が生活の必需品のやま人なのか、家庭用の薪を作っているにしては立派な薪小屋です。プロにしては動力薪割り機のような機械が見当たりません。斧一本が立てかけてあるだけでした。斧でこれだけの薪を割る労力と技には頭が下がります。わが家の曽祖父は昭和初期に新しい家を興したとき、薪を拾う山林を持っていませんでした。だから子孫が薪で困らないよう晩年は薪づくりに精を出し小屋一杯の薪を残してくれました。亡くなって20年余りたちますが、まだ薪小屋の隅に曽祖父が割った薪が残っているかもしれません。
三日目。向かうは長野県東御市のワイナリー。吾妻渓谷をどんどんさかのぼり鳥居峠を越えて菅平口を経て千曲川沿いの丘陵へというルート。学生時代から何度か鳥居峠を通ったはずですが、有名な嬬恋村のキャベツ畑を見たことがない。そこでちょいと寄り道「つまごいパノラマライン」へ入ると国道だけ走っていただけではみられなかった光景が広がっていました。高原すべてがキャベツで埋め尽くされています。ヤマトタケルがわが妻の恋しいことよと詠んだ故事から命名された地名にちなんで愛妻の丘という見晴らし台がありまして、若いカップルが和んでいました。われわれには、夏秋の半年で1年分を稼ぐ畑、しかも百馬力の大型トラクタを買えるだけ稼ぐ畑、理想的農業のひとつの形だよねーって、日常的感想のみ。
今回の夫婦旅のひとつの目的地は玉村豊雄さんの始めたヴィラデストガーデンファームアンドワイナリー。軽井沢と上田の間の丘陵にあるファームカフェです。「ブドウ畑の風景を見ながらそのブドウからつくられたワインを飲む。そんな田園のリゾートを信州の自宅の庭先に作りました。多くの人々の共感を得られればと願っています」こんなメッセージに共感して多くのお客さんが訪れていました。
1992年に栽培を始めて2014年には6ヘクタールを越え、さらに地元の役所の紹介で遊休農地を解消して近々10ヘクタール規模の経営になるとか。栽培面積の拡大に合わせてワイン醸造の研修所もつくって千曲川沿いの一帯をワインバレーにしようという構想もあるとカフェのスタッフから聞きました。先々にはカフェレストランだけでなく宿泊施設も整備して、心置きなくワインを楽しんでもらおうという計画もあるそうです。
『里山ビジネス』という新書で紹介されていて興味を持って出かけてみたのですが、想像以上にビジネスとして成功しているようです。なぜこんな不便でなにもないところへ人が訪れるのか。実は高速道路ICから車で10分ですから、そんな不便ではないのですが、近くの観光地に来たついでに立ち寄るようなところではない。わざわざ訪れることを目的にしなければならないところ。きっとそこに切った張ったような嘘がないからでしょう。オーナーが本気になって楽しんでいる様子が本物だからでしょう。帰路で立ち寄った柳生博さんの八ヶ岳倶楽部も観光地にあるという立地を除けば、オーナーのライフスタイルに共感できるものがあるというのが共通点でしょう。
農業も単に農産物を栽培するだけでなく加工、販売を加えた6次産業化、さらにグリーンツーリズムという観光機能も求められる時代です。観光とは文字通り『光り』を観ること。そこにキラリと光るなにかがないとただのお騒がせで終わってしまいます。さてさて、わが家の農業、柏市の農業はいかに。
(2014年10月)

広大な田野を讃えよ、されど狭き田野を耕せよ(のらやま通信235/1406)

2016年04月27日 | 農のあれこれ


晴耕雨読ではなく晴耕雨W杯の6月を送っているのですが、先月に続いて新書の紹介。
一冊目は“百年幸せなまちをつくろう”という帯のコピーに惹かれて手に取りました。(『実践!田舎力 小さくとも経済が回る5つの方法』金丸弘美2013、NHK出版新書413)。金丸さんは食環境ジャーナリスト として全国の地域活性化先進事例を取材しつつ国・自治体の支援事業のアドバイザーとして活躍される中から、持続可能なふるさとづくりのための5つのアプローチを提案されています。
① 農産物に付加価値をつけて売る方法
② 素人を実業家に育てる事業の仕組みの立て方
③ 地元を売り出す広報ツールの開発
④ 観光やコンパクトシティを支える交流・連携の仕組みづくり
⑤ 持続可能なまちづくりのための環境エネルギー政策
農産物に付加価値をつけるのは<六次産業化>。短絡的な発想で失敗する事業が多い一方、成功事例にはいくつかの共通点があって、そのひとつが日常の生活のなかで自分たち自身が欲しいと思うものをつくること。きちんとつくったものは、そのよさを知っている地元の人たちが買いに来る。④は「着地型観光」。観光客を受け入れる側が旅行商品やプログラムを企画・運営。都会と田舎が互いの価値を認め合う交流型の観光で、景観づくりや芸能文化、農業、自然環境などの地域資源を生かすことが重要になる。いずれにせよ、地域に暮らす住民自身が地域の価値を理解し、うまく売り出すことができれば地域の経済は回りだし、雇用も生まれる。生活に根差した地域の価値を見出せることが田舎力だといいます。
そのタイトルからたまたま手に取った2冊目の新書(玉村豊男『里山ビジネス』2008、集英社新書448)も、森と人の境界線である里山ならではの恵みとともにある仕事をやりながら暮らしを成り立たせる、それが農業的な価値観にもとづく里山ビジネス。拡大せずに持続しながら生活の質を上げることができる愚直で偽りのない生活とともにある仕事なら、どんなにグローバル化してもそれに影響されることのない生活を確立できると主張します。
玉村さんは旅や料理についてのエッセーイストとして活躍したのちに長野の里山に移住。趣味のガーデニングから個人でワイナリーを立ち上げ、レストランには大勢のお客さまが訪れているそうです。そこでしかできないもの、そこへいかなければ食べられないもの、同じものでもそこで食べるからこそ美味しいものを提供する。料理とともにそこからの景観、特に夕景は自慢のひとつ。観光とは、風光を観ることの意。人と自然がたがいに関わりあいながらつくりだした景色を見る、ということ。特別な仕掛けはいらない。なにもなくとも嘘のない生活があればいいといいます。「農業は続けることに意味がある。その土地を絶えず耕して、そこから恵みを受けながら人も植物も生き続ける。ワイナリーを中心に地域の人が集い、遠方から人が訪ねて来、そこで作られたワインや野菜を媒介にして人間の輪ができあがる。それが来訪者を癒し、地域の人々を力づけ、双方の生活の質を高める」という記述には思わず付箋をつけました。
従来通り同じ作物をたくさん栽培して、青果、加工原料として出荷しても、出口の市場が縮小しているのだから売り上げは下がる。スーパーや量販店も生き残るために価格競争を始める。そうなるとさらに農作物価格は低迷するという構造的な課題を農業・農村は抱えています。政治家・企業家はその中でさらにナンバーワンを目指してグローバル化へ向かっています。
二人の著者は、そんなグローバル化に正面から抗うことなく、むしろ都会と連携をすることで田舎の価値を高めようといっています。小さくとも地に足のついた経済が回っている仕組みこそが、次世代に誇りを持って引き継げるふるさとをつくるはずです。少なくとも百年もの間、幸せに暮らせるまちはできるのか。このぐらいの時間軸でまちづくりを考えたいものです。
タイトルの<広大な田野を讃えよ、されど狭き田野を耕せよ>(ヴェルギリウス『農耕詩より』)は玉村さんの新書からいただきました。
(2014年6月)

コンサバをナシとハチから教えられ(のらやま通信234/1405)

2016年04月27日 | 農のあれこれ


お彼岸を迎えたころからナシのつぼみが膨らみ、4月上旬には開花。それに合わせて摘蕾やら摘果やら、その間に稲の種まき、育苗、田植えと、今年も待ったなしの日が続きました。そんな毎日に追われ、最近とみに発信力が衰えてきたことを自覚しているのですが、実は、受信力も衰えていたようで、2014年の新書大賞を受賞した『里山資本主義』という新書(角川oneテーマ21)を先ごろまで知りませんでした。
グローバリズムや「マネー資本主義」の経済システムのアンチテーゼとして、中国地方の中山間地で木屑ペレット発電に取り組んでいる製材所があるとか、木造高層建築物が可能となってオーストリアではエネルギー革命が起こっているとか、新しい社会の具体例を提示し、お金の循環が滞っても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組みをつくろうといっています。多くの人に「懐かしい未来」として、田舎の可能性が注目されるのはたいへん喜ばしいことです。311以降のなんとなくもやもやした気分を吹き飛ばしてくれるのかもしれません。
『百姓貴族』というコミックも話題を呼んでいるようです。最近映画化された『銀の匙』という農業高校を舞台にしたコミックと同じ作者で、農業エッセイをコミック化した感じ。
どちらも、そうだよねえとか、あるあるって思う反面、今頃、こんなに騒がれてなんだかなあという思いもあるのですが、農業分野に様々な人たちが興味をもって入ってきてくれることは現場が活性化してありがたいことです。
しかしながら、農業あるいは農村の現場では急速にその姿を変えていて、農地制度を含めた農政の見直しとともに企業参入や金融機関による農業ファンド、農業起業家たちの踊る舞台となりつつあることも確かです(週刊東洋経済2014/2/18 特集:強い農業 世界で勝つためのヒント)。
そんな中でわが家の当面の仕事はナシづくり、コメづくりとわが家産品を原料とした菓子・ジャム・ソース加工。それに近在農家からの加工受託。これでこれからの荒海を乗り越えていこうと考えています。
『里山資本主義』の中にこんなわが家を後押ししてくれる事例が紹介されていました。瀬戸内海の島で原料を高く買い入れ、人手をかけて成功したジャム屋さん。自分も地域も利益を上げる方法が生まれたといいます。生産、加工、販売を地域で行うことによって外に出ていく金を減らし、地元で回すことのできる経済モデルです。わが家の加工受託はまさにここを目指しています。
また、わが家でも貨幣換算できない物々交換や市場外での流通も以前からいろいろと試みてきました。CSA(community supported agriculture)もそのひとつの形でしょう。グローバリズムや巨大企業に負けない農業を探し続けねばなりません。
もし農業が行き詰るとすると、雨も風も雪も百年に一度なんていう大きさのものになってしまう気候変動か社会的動乱(戦争)かもしれません。
最近、こうあらねばならないと大のおとなが声だかに騒ぎ立てて、あちこちでギクシャクしているように思えます。農業って今年も去年と同じように収穫できますように、我々同様、子どもたちも食べていけますようにと念じながら作業することが多いので、本質的にイデオロギーや原理に基づくよりも、日常的利益や生活を維持しようとなります。
これまでうまくいってきたことは変えようとしない。まずいことが起きたらそこだけ変えればよい。まさにこういうことかもしれないなあと、新聞記事に目が止まりました。18世紀の思想家エドマンド・バークを引き合いに、真の保守とはこういうことだと、生命保険会社会長が紹介していました(朝日新聞4月11日オピニオン欄)。
やっぱり農業って保守主義だったんだって再認識させられたと同時に、環境を守れ、ふるさとを守れ、平和を守れって、進歩的な人の主張だといわれてきたことが、実は今の世の中では最も保守的だったと気づかされました。いつのまにか立場がすり変わっていることに驚かされます。
(2014年5月)