吉村昭の作品に『冬の鷹』という小説があります。解体新書の翻訳で知られる前野良沢の生涯を描いた作品です。吉村作品では戦記物をいくつか読んだことがありました。『戦艦陸奥』、『零式艦上戦闘機』、『深海の使者』あたりです。
たまたまアマゾンで見つけた『冬の鷹』が面白そうだったので読んでみました。こちらは戦記物とはことなり歴史物ですが、歴史物であっても吉村の力強い文体は健在でした。
「解体新書=前野良沢、杉田玄白」という丸暗記しかしていませんでしたが、良沢と玄白はまるで対照的な人物として描かれています。絶えず戦略的に行動し世渡りが上手な玄白に対して、研究肌で世間的な成功にはまるで関心がない良沢。解体新書は玄白と良沢の共訳だと思っていましたが、実際の翻訳は良沢が行ったようです。
自分のことと比べるのはちょっとアレなんですが、私も1610年にロンドンで出版された「VARIETIE OF LUTE-lessons」日本語に訳して「とりどりのリュート曲撰」と題して出版しました。私の原本は400年以上前の英語の専門書、良沢・玄白の解体新書は大体同時代の『ターヘル・アナトミア』の翻訳です。ということは私の翻訳の方がはるかに困難!?に見えますが、「VARIETIE OF LUTE-lessons」は文章の部分はそれほど多くないし、翻訳のためのツール(主にOED)が揃っていたし、そもそも私は英語をそれなりにかじっています。
良沢が全く知らない文字で書かれた未知の言語による書物を解読したのは想像を絶する苦労があったのだと思います。そのあたりの道筋や苦労が小説では丹念に描かれています。吉村の筆致は対話文(ダイアログ)は最小限に、簡潔な地の文(ナラティブ)で話をぐいぐい進め読者を引きつけます。対話文ばかりの小説を最近いくつか読んでいたので、誠にすがすがしいテンポ感を感じました。