リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

桑名、柏崎日記(新発見!?アリ)

2012年11月21日 13時13分14秒 | ローカルネタ
江戸時代の末期に書かれた「桑名日記」「柏崎日記」というのが桑名に残っています。これは幕末の下級武士の親子(渡部平太夫=親=在桑名、渡部勝之助=子=在柏崎)の今流に言えば交換日記です。桑名藩士である平太夫の息子勝之助が、桑名藩が所有する越後柏崎の領地支配のための業務につくことを命ぜられ、桑名と柏崎の間で交換日記が始まりました。1839年5月のことです。交換日記は10年にわたり続き、平太夫の死と共に終わりました。

この日記には日常的なこまごまとしたことから世間の様子など実に多岐にわたることが綴られていて、とても貴重な資料だと言われています。昔からいろいろな本にまとめられて出版されていて、テレビドラマになったこともありました。

最近本屋で同日記を扱った「下級武士の米日記、桑名・柏崎の仕事と暮らし」(加藤淳子著、平凡社新書)というのを見つけて読んでみました。前から渡部平太夫が市内のどのあたりに住んでいたのか興味があったんですが、この本に掲載の地図には立坂神社のすぐ近くだとありました。てっきり市内の新屋敷のあたりだと思っていたのですが、これは意外、ウチのすぐ近くです。

同書を読んで行きますと、平太夫は八幡瀬古に住んでいたとありました。八幡瀬古というのは私が住んでいる町の昔の言い方です。今はウチの町内は石取祭に参加していませんが、今から50数年前までは参加していました。大正年間は八幡瀬古という町名で参加していたようです。


(一番手前の祭車、幟の文字が裏返ってますが、八幡瀬古と読めます)

平太夫さんはご町内の住人で、せっせと日記を書いていたわけです。桑名日記の記述に平太夫の近所のことが出てきますが、それを読んでいると170年程前にタイムスリップしたような感じが致します。

以前桑名市博物館で特売をしておりました昔の桑名の地図を買ったことがありまして、一番大きな地図はウチの壁に貼ってあります。その地図は文政8年(1826年)の地図で、当時の桑名藩士の一種の住宅地図です。(あと神社仏閣も示されています)町衆の家は豪商の山田彦左衛門以外は示されていません。日記は1839年から1848年に書かれたそうですから、1826年というと1784年生まれの平太夫は42歳、当然地図に彼の家があるはずです。で、ちなみに最後のリュート奏者と言われるゴットリープ・シャイトラーは1815年没です。あまり関係がありませんが・・・(笑)

それで地図の「八幡瀬古」あたりを丹念にみてみましたらありましたねぇ。別に新発見というのではないでしょうけど、なんかすごい発見をしたようで感動的でした。早速「現地」に赴きだいたいこのあたりというのを確認してきました。(笑)


(天地逆さまに書かれています)


(上方の八幡は立坂神社で現存しています)