リュート奏者ナカガワの「その手はくわなの・・・」

続「スイス音楽留学記バーゼルの風」

橋本國彦

2006年02月04日 13時09分57秒 | 音楽系
橋本國彦という作曲家をご存知ですか。戦前に活躍した日本を代表する作曲家でしたが,戦後まもなく病没したためか,歌曲の分野を除いてほとんど知られていない作曲家です。
私がこの作曲家のことを知ったのは,ナクソスの日本作曲家選というシリーズが始まったときでした。第一弾が橋本國彦の作品でしたが,さっそく購入して聴いてみましたが,そのすばらしさにぶっとびました。(笑)

曲は交響曲第一番と,バレエ組曲「天女と漁夫」ですが,作曲年は1940年です。(交響組曲はもう少し前)1940年といえば,たぶん零戦が飛んでいた頃ですよね。この時代のイメージとして弾圧とか暗黒とかが基調としてあって,どうせ大した曲ではないだろう,軍艦マーチに毛が生えた程度のちょっと聴くのが恥ずかしい感じがする曲程度かなと思っていました。
それがバロック,古典,ロマン派,近代の全ての要素を自家薬籠にし,日本的な旋律をハイセンスにすばらしいオーケストレーションで歌い上げる音楽が流れてきて,わずか60年ちょっと前にしかも自分の住んでいる国でこんな作曲家がいたなんて,って愕然としたもんでした。

この音楽の存在一つで私の歴史観は変わりましたね。だってこれだけのものが存在できる世の中って,どっかの政党や教職員組合が言っているような暗黒・弾圧の非文化的世界であるはずがないですよね。文化的なものは小林多喜二の蟹工船だけだったとか。(笑)

もちろん戦争に向かって突っ走っていたころだから,暗い部分はあったに違いありませんが,今では全く語られていない非常に豊かな部分が多くあったことも間違いありません。彼の成長を育んできた社会や家庭の環境,その曲を演奏するオーケストラ,それを受け入れて聴く聴衆などどれをとっても相当のレベルのものが存在していたでしょう。

縄文時代の火炎式土器を初めて見たときもよく似たことを思いましたね。あれだけ精密で造形的な土器が焼かれるためにはどういう社会が存在したんだろうって。よく社会の教科書に出てくる毛皮をまとって原始生活をしている縄文人のイメージとは全く異なる,文化的にも洗練された縄文人の社会があったと確信しました。

60年余前でも自分たちのことがはっきりわかっていないし,江戸時代の再評価が始まって久しいですよね。縄文時代も多分再評価されていると思うし,人間の歴史って誰かの恣意的な方針でばたっと次の代に伝わらなくなるもんですね。橋本國彦が埋もれていたのは多分左系の思想に世の中全体がだまされていたからでしょう。そういうのには気をつけんとね。

橋本國彦,ぜひ聴いてみて下さい。ナクソスシリーズですから値段も1000円程度ですし,比較的入手は容易です。→Amazon