柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

公より個?

2006-03-21 08:57:13 | Weblog
新聞に載っていました、巨人の李(韓国代表で何本もホームラン打った)が、WBCの目的はベスト4と後輩達の兵役免除だったとコメントしたと。ああ、そうなんだ。世の中はこういう回りなのだ、といい歳をしてまた空回りに気づかされました。今まで吠えてきたのは、負けた理由を力の差以外にすり替えるな、相手は兵役免除というモチベーションを最高に高められる理由がある、かたや日本にはないから仕方がないと言わんばかりの、モチベーションの差を持ち出して誤魔化しなさんな、ということでした。でも、当の本人がそう言うのなら、あらら、です。後輩達の、と言うところをみると本人はすでに兵役免除を手に入れているのでしょうね、きっと56本のホームラン記録のご褒美でしょう。彼の国の制度ですから、私如きがああこう言うことではありません。肩いからせて鼻の穴を思い切り膨らませて大上段に構えていた私が、見事に足を払われた格好です。ああ、そうなんだ、だから準決勝あんなに早く切れていたのね、です。一次リーグ日本に勝ってのウィニングランやマウンドに国旗を立てたりの大はしゃぎは、日本に対する特別の国民感情やら、イチローの発言に対する反発などもろもろ生々しい評価もありますが、いやいやもっと現金なリアルな個人的な理由で、とんでもなく嬉しいことだったわけなのですね。ううむ、私の空回りはさて措いても、この手の暴露話には見事に冷や水を掛けられますねぇ。私が甘ちゃんなのでしょうけれど。
 話は変わって、白鵬強いですね。この人、今場所一段と体が大きくなって、ほんと強そうです。もうちょっと線の細い人でしたよねぇ。でも、旭鷲山の肥え方とはまた違って、強そうに見える太り方です。昔、同じモンゴルの旭天鵬は大鵬に似ているなんて言われていましたが、いやいや白鵬の方がと前から私は感じていました。でも、今は違います、貴乃花が強くなってくる頃、あの人もどんどん体が大きくなっていった時期があったでしょう、あの頃によく似ているじゃありませんか。あの貫禄、安定感。琴欧州じゃなく、次の横綱はきっと白鵬です。残念ながら、栃東はここ止まりです。いかがですか。
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溜飲下げましたけど

2006-03-20 08:38:44 | Weblog
昨日の韓国戦、溜飲を下げましたねぇ。福留、何だか雰囲気を漂わせていましたよね、代打で出てきたとき。上原はきっと大リーグが取りに来ますね、あれは凄いわ。で、イチロー。7回のレフト前ヒットは何とも渋かったこと、あのヒットで最高の存在価値を示しました。私はそう思いました、3安打2盗塁という記録以上に。王監督に恥をかかせるわけにはいかないとか、十分に大向こうを意識した発言は効果十二分でしたが、今後三十年相手にならないと思わせるように、との言葉が韓国世論を刺激してブーイングになって現れていたとは、いかにもでしたね。それに対しても、勝つべき国が勝つ、それは日本だ、と言い放つところ、これまた溜飲を下げますが、この人はそういう反論を予測しながら突き刺しますから、実力と実績とを背にした言動の強さを思い知ります。一所懸命やりました、結果は付いてきただけです、なんて寝言を誰も言わなかった(報道されなかった)のもよかったです。韓国の監督は日本の方が上だと言ったそうです、韓国の大リーガーも同じようなことを言っていたそうです。なるほど、でしたね。こういう大団円も日本人の好きな解決方法ですから。ひねくれてますか?韓国の選手は途中から明らかに切れてましたよね、ピッチャーは次々に繰り出してきましたが。スポーツは勝ち負けが見えて、見えたらそこで終わるんでしょうけれど、だから6点差というのは十分なセイフティーで、普通の成り行きには違いないのですが、もう韓国の選手には準決勝に出たことで兵役免除のご褒美は確定しているから、ということをきっと誰かが言うわけです(TVで言っていました)。負けたときにはあれこれぐじゃぐじゃ他に理由をこじつける、勝ったら勝ったでそんな事々には知らん顔を決め込んで、よくやったの大合唱、相手もよくやった、です。なんだか、こういう物事の閉じ方には食傷です。こういう世論誘導には食傷です。ううむ、やっぱり俺はヘンクーですか、十分ひねくれています、ねぇ。
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男と女と

2006-03-19 13:38:42 | Weblog
男より女の方がリーダーに向いているのだろう、何故なら嫉妬や妬み、エゴ、野心、金銭欲などの人間の負の部分は男に強く、しかも男には幼児性があり、精神がもろく、孤独や痛みに弱いから。男がすぐ怒鳴るのは弱いからだろう、弱い者ははったりを吐き、口を真一文字にわが道を行き、都合が悪いと黙り込むのだ、と今日の毎日新聞のコラムにありました。ううむ、いかがですか皆様。男と女の差は歴然としてあります、もちろん能力の差です。昔から、男らしさをわかるのは男でなくて女だ(その逆も真)と言いますね。女の優れているところを痛感しているのは男の筈なんでしょう、だからコラム子の言う如く男は怒鳴って黙り込むばかりの幼稚な手段でその社会的優位を守ってきた。それは決して今時初めて認知されたことなどではなく、それこそ縄文弥生奈良平安の昔から世の中は女の力で整い調いリセットされ復元されてきたのでしょう、それは歴史の雄弁に物語るところであり、後世の我々だけでなくその時代その時代にもその能力差を実感認識していた人は多かったに違いないのです。今どきの若いモンは!という嘆きや非難が全世代が共通して受ける咎めであるように、です。どの時代にもそう気づいている人は多かったのです、でもそれこそ太古の昔から男によって都合よく引き継がれてきた男優位の社会構造(男尊女卑とも言います、私はこの字面が好きではありませんが)にそれこそ男は口を拭い、頬かむりして来たのです。でも、男にももちろん言い分はあるわけです。自作自演とは言え、国のため家族のために死んでいくのは男であったという歴史です。昔の言い方で恐縮ですが、男は戦地へ女は子を産み銃後を守るという原則が、国策として適当であり且つ選択されてきたのです。でも、女は無理矢理に口を閉ざされてきただけのことで、何も考えずにただ追従してきただけでないわけです当然。男どもが勝手に自作自演する戦争に否応なく巻き込まれて、各々それぞれの状況で十全の調整能力を発揮してきたのが女であったわけです。男に決定的に欠けている能力です。どの時代でも共通したことだと思います。で、現実に向き合えばどうか。私の親の世代は明らかに男優位、そして差別を当然に受け容れる世代です、それは彼らの言動の端々に如実です。私達の世代でやっと女の能力が同等に評価されるようになって、私達より年下の世代は男と女の差が全くないように見えます。私も、私が男だからでしょうが、女の能力の高さを実感しています。というより、能なしの男ばかりが目に付くというべきか。コラム子の言う如く管理職ばかりでなく、技術畑でも、営業畑でも、研究畑でも女が男に劣るなんてことは大昔からないのでしょう。あったのは体力差や出産という単純な物理的相違を人格否定にまで押し広げての根拠のない抑圧。ないものはないわけです、至極単純な事実です。で、男達よしっかりせーよなのです。コラム子も男ですから、おそらくはそういう意図での記事と思います。男女共同参画やらフェミニズムやらには敢えて今回は触れません、こちらはあらぬ方向への進展に過ぎぬものですから。「男は死ぬ性、女は産む性」との区分けもあります。男が死ななくなったから、女が産まなくなったという皮肉も言われます。男女差は歴然としてあり且つない。色即是空、空即是色。ううむ、ううむ。
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どっちがないの?やる気?才能?

2006-03-18 08:37:28 | Weblog
一コマ漫画の吹き出しです。吹き出してしまいましたが、おもろうてやがて悲し、の趣です。胸に手を置いて考えれば、あることですねぇ。仕事をしない部下を怒鳴る時にぴったりでもありますから、このフレーズ覚えておかれたらいいと思いますが、きっと同じだけ自分に返ってきますよ、ブランコのように。この手の「対置する」レトリックは人をうまく納得させる常套手段ですが、でも、対置されるものは本来同じものであることが多いのです。このやる気も才能も全く別物ではありません。才能があるからやる気が出るのですから。才能の向かないところにやる気なんて出ませんでしょう?もちろん才能が仮にあっても、その人の性格性質も十分に左右しますから、怠ける人、遅い人、だらしない人というのはいるわけで、才能が表に出ないことはあり得ることでしょうが、でも才能が表に出ないということ自体、才能がないということだとも言えるわけです。私はそう思っています。やる気も才能も同時に出てくるもので、どちらかだけが出たり引っ込んだりするものではないと思っています。でも、このフレーズは使えそうですよ、覚えておきましょう。
 韓国戦またありますねぇ。昨日あれだけ言いましたから、ゲームの前に今一度。今日の中国新聞のコラムが、韓国があれだけ真剣にやってくるのは兵役免除というニンジンがぶらさがっているからだというニュアンスを伝えました。ならば、こっちは報奨金をどんとぶらさげればいいじゃないですか、そんなことで連中の働きが変わるのであれば。おかしいでしょう?結局そういうところに負けた原因をもっていって、こちらの力不足を隠すのです。誤魔化すのです。例によってインタビューは監督とイチローだけ。勝てばこの人達のお陰、負ければ失敗した選手の所為。ううむ、明日のゲームが楽しみですが、それ以上に試合後の論評が楽しみです。しつこいですか。
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リアルさ

2006-03-17 08:37:25 | Weblog
韓国強いですね。王監督の言うように個々の技量の差はないのでしょうが、執念がどうのこうのという次元の違うすり替えでなく、十回真剣勝負すればおそらく八回は負ける程の差があるように思いました。さて、アメリカ戦はジャッジに負けたということになっています。あんなことは日本のプロ野球でも高校野球でも往々にしてあることじゃないのでしょうか。王監督はあんなことは許されない日本では考えられないことというニュアンスで怒りを表していましたが、私のような素人が見ればありがちなことと思いましたし、その後韓国がその米国に圧勝したのを見るにつけ、あれれぶさいくなことと思ってしまうのです。で、韓国戦も今江の落球と藤川の米国戦に続く救援失敗が敗因と決めつけるような報道です、王監督の所為じゃないよ、イチローも怒っているよと。もう、その場その場の鬼探しでなく、執念などという言葉で誤魔化すのではなく、根本的に抉るべきなのではないでしょうかね。勝てば相手を侮らんばかりの過大賛辞、負ければ一所懸命やったのだから仕方ない、結果よりプロセスだなどど慰めの言葉の雨霰。ぶざまな負け方しても、感動をありがとうなどと間抜けた評価を受けるものだから、やっている選手までが楽しめましたからなんて戯言を平気で口にする。日本人というのは、こんなに幼稚で恥知らずな民族でしたかねぇ。ま、それはさて措き、敗因はズバリ侮りです。アメリカ様ばかりを上座において、韓国をはじめとして他のアジアの国々や中南米の国々を侮っているのです。いつまでも10年前20年前のように思っている、というか現実を見ようとしていないのです。きっとそうです、これも悲しいかな日本人の特性じゃないでしょうか。リアルじゃないんです。韓国があんなに強いって、みなさんご存じでしたか?全然マスコミが報道しなかったでしょう?松井やイチロー級の選手が韓国の方に多くいたということですよ、なぜそこを見ようとしないのですかねぇ。それはきっと一切外に出ることを禁じていた日本のプロ野球機構の旧態依然さ頑迷固陋さに因を求められましょうし、日本人独特の根拠のない実質を全く伴わない優越意識が横たわっているからとも言えましょうか。もっとリアルに物事を剔るべきなのです。日韓の差は執念の差などではないです。と、世界の王さんの言葉に一介の民草が噛みついてみます。ううむ、身の程知らず、でしたか。
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似たもの夫婦

2006-03-16 08:39:15 | Weblog
年月を経ると夫婦は似てくる、とよくいいますね。私はいつだったか広島の繁華街で、女房の買い物を待つ間、ぼんやり人通りを眺めていて、はたと気づきました。いいや違う、夫婦が年月を経て似てくるのではなく、似たもの同士が好きになる、惹かれ合うのだと。行き交うカップルのほとんどが実によく似た顔をしているのです、これにはびっくりしますよ、一度そういう目で眺めてみてください。やはり、年配のキャリアの長い夫婦の方がよりよく似ていますが、若いカップルもどうしてどうしてよく似ているんですから。で、ここから先は推測ですが(いちいち問うわけにもいきませんので)おそらく性格性癖心根も似通っているカップルが長続きするんでしょうね。でしょうね、なんて人ごとみたいに言わなくても自分と女房のことを考えればいいことですが、やっぱり物の考え方やら物事の捌き方やら人生観やら処世観やらは似ています。でも、若い頃はそんなこと考えもしませんからね、そういうことを考えるには若すぎた未熟に過ぎたというべきなのでしょうが。住んでいる場所も生きている場所も違ううちは、時間の流れ方やら生活のペースの違いがそういう考え方の相違などは隠してしまうのもむべなるかなで、そちらの方がより直接的で前面に出ていることですからねぇ。ですから、同じものを食べ、見、同じ所で生活すれば似てくるのも当然だ、という謂もきっと正しい洞察なのでしょう。もとより否定することでもないですけれど。でも、でもやはり私は、一緒にいるから似てくるよりも、似ている者同士が惹かれ合うという要素の方が本質だと思っています。夫婦ばかりでなく、若いカップルを見ていて強くそう思います。が、私自身正直なところ女房と顔が似ているなんて思ったこともありません。ということは、この手の事柄は当の本人にはわからないことなのでしょうか。ううむ。人生は深いのです、道半ばにも遠い思いです。
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フェアプレイ

2006-03-15 08:37:59 | Weblog
フェアプレイとは精神論だ、と聞いたことがあります。つまり、ルールを守ることだけでは足りないというわけです。どういうことか?ずるいことをしない、卑怯なマネをしない、人を騙さないなどなど、それぞれのルールよりひと回りもふた回りも大きい、いわば人と人が物事を為す際の基本的規範を守るということです。明文化されたルール以外にも、守ることを皆が前提としているより大きな決まりがあることを示しているというわけです。ふむ、容易に理解できるところですね。見苦しいことをするな、人に迷惑を掛けるな、と多々派生していくわけです。これらはきっと同じ民族の根元的な心根というべきもので、これに反する行為には皆同じように嫌悪や反発を感ずるのでしょう。ホリエモンのあの上げ下げは、マスコミの常套手段ですが、やはり日本人の心根に合わぬ行為であったということなのです。そして、まだ記憶に新しい'99年の光市の母子殺人事件の最高裁弁論に弁護士がすっぽかしたという事例。あんな犯人が歴然としている事件をどうしてこんなにだらだらと長く引っ張るのかとそっちにも憤るのですが、この弁護士の行為はいわく「人倫に悖る」わけです。そう、人倫なんてのは人が社会で生きていく上での基本的規範の筆頭項目の一つなんです。この事例を殆どの人は腹が立つでしょう。期日通りに現れなかったというのはルール違反だけではすまないと、皆感じているわけです。あの若い旦那さんの、裁判費用も少なくなかろうに、気丈な姿には皆打たれるわけです。ルールだけでは世の中は回っていないのです。法律では許されても、それは善悪正邪を保障するものではないのです。ですから感情を無視すると、相当のしっぺ返しを受けるのです。フェアプレイ精神に則り、正々堂々戦うことには、実は深い真理を含んでいるのであります。ううむ。
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住民投票 その二

2006-03-14 08:38:21 | Weblog
なんと雪です、山口県最温暖の地柳井に時ならぬ雪です。寒いはずです。お元気ですか。さて、12日の岩国の住民投票の詳細判明に沿ってコメントも揃いました。最終結果は43433:5369で反対、投票率は58.68%だそうです。首相や安倍さんは「進むのみ」、県知事は「岩国市の決定を尊重する」、岩国市長は「責任重大」。ひょっとして一番困っているのは、拳を振り上げたはいいが、の市長かも知れませんね。お手並み拝見、ではあります。で、住民投票です。あちこちでこの手段が採られています、田布施町の合併にかかる住民投票は記憶に新しいです。でも、何か大きな勘違いというか、皆幻想を抱いているのではないかと思う節があります。つまり、住民投票を最後で且つ最強の手段の如く、黄門様の葵の印籠の如く捉えていないですか、という思いです。議員さんら政治家のうまく処理できぬことを、俺達住民が決めてやる、何と言っても主役は国民たる俺達だ、主権在民は憲法の保障するところなのだ、民主主義だ!という気持ちでしょう。では議員を選出するのは何のためなのですか?よく政治家が(困ったときによく口にするセリフですが)国民の負託を得ているなどと言いますが、我々国民が負託するという前提なのです。議員を選んで、議員に考えてもらうという図式です。いえ、だからといって、ずっと黙っていろとはなりませんが、住民投票という手段を民主主義の一典型などと位置づけるのは、この手段が安易に発動されることは、それこそ民主主義の基本に悖ることかも知れないと思うのです。高名な政治家がこう言ったそうです「民主主義が最良の手段だとは思っていない、ただ他にいい手がないだけだ」と。要は、いかに正しい判断のできるトップを戴くことができるかという、結局システムの問題ではなく、人の才能に頼るしかないという危うさの上に私達の社会は成り立っているということなのでしょう。少しヤバイ?


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住民投票の是非はさておきまして

2006-03-13 08:33:13 | Weblog
岩国の住民投票、思わぬ大差でしたね、あなたの予想はいかがでしたか。投票率が58%で、21000対3000で移転反対、市長はこの19日に失職、この住民投票の結果も20日には失効する(合併しますから)という結果環境です。投票率が50%に満たない場合は開票すらされないという仕組みや、棄権を勧めるという、選挙にあるまじきキャンペーンもあることなどとても勉強にはなりましたが、さてさて。7日先に失効する?と解せぬ人も多いのではないでしょうか。規則上はこの住民投票の結果は何ものをも拘束しない(裁判じゃないですから)のですから、形式上はこの結果をもって「お上の情に訴える」わけです。国の施策はおそらく変更されないだろう、ならば条件闘争(つまりは見返り要求です)だという現実論も当然強いのです。交渉事ですから、どこまで押せるかがポイントであることは一般論からも常識、ですからこういう結果も向こうへ押し込むための大ツールにはなるわけです。市会議長さんや副知事さんの言動のごとく多くの反対があってのこの結果なのですが、テレビで流れた「一市民としては反対じゃが、商売する上では賛成せにゃならん」という声こそが重たいですよねぇ。さて、これからは政治家さん達の出番ですか、県議さんに福田さん、平岡さん、岸さん、そしてそして天下の安倍さん。お前の膝元で何をしちょるかなんて、安倍さん言われているんでしょうかねぇ。
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一級と二級

2006-03-12 18:02:29 | Weblog
いわゆる耐震強度偽装問題ですが、最近の札幌の事例では二級建築士とえらく強調していましたねぇ。姉歯さんが一級でこの人が二級。世の中には、一級でも危ないのに、二級にかかったら当然か・・という不安というか憤りというかそういう感想が広がったのではないでしょうか。姉歯さんの時に世の一級建築士達から「一緒にするな!」と大合唱が起こったように、今回も二級建築士会(こんな会があるのなら)辺りからコメントでも出るかも知れませんが、今回の本人の会見を聞いている限りでは、ちとお粗末な思考過程でしたね。単純な思いこみ、つまり独善でしかないようです。姉歯さんの事件の時から不明に思っていたのですが、何をもって偽装と言うているのでしょうか。あの事件は、本来10本鉄筋を入れなければならぬ所へ、設計図上は10本と記載されているのを3本しか入れなかったのか、それとも設計図に3本と記載してあったのか。前者なら設計図の問題ではなく実際に建てた業者の問題(もっとも、施主から設計者から建築業者から全員がつるんで(謀議して)のことなら、話は別です)、後者なら設計図通りに作った業者の責任は軽い(明らかに常識を外れた設計なら業者も疑義を呈すべきでしょうから)でしょうし、それをそのまま認可した検査機関(私的機関と公的機関)の咎が大きいはずと、形式的には判断できますが、姉歯さんばかりでなくあれだけヒューザーの社長や検査機関がつるしあげられているということは、後者であったのでしょうか。ならば、それは偽装ではなくて、ただの欠陥設計、設計図上に誤り(コスト減らそうとする悪企み)が明々白々なものをそのまま許可して建設したという、マンション購入者に対する大掛かりな詐欺ですよね。偽装という表現は正しくないように思いますが、いかがですか。で、あの二級建築士は「自分は正しいと思って、数字を変えて設計図に記載した」そうですから、こちらの方がどちらかといえば偽装なのでしょうねぇ、あたかも耐震構造であるように偽装したと言う意味では。そして今一つ聞きたいのは、一級と二級の差です。力量の差を示すものなのか(剣道の段位のような)、それとも世の中によくある公的役職に就くためだけの差(例えば公務員試験、看護婦の正准のような)なのか。少なくとも、普通のマンションの設計建築に関しては両者に差はないようですね。ううむ。一級だからといってその人が優れているわけでは決してないし、つまらぬ上級者(上司、有資格者)がそこかしこにいることを誰でも知っていることで、資格のない人や資格の低い人に優れ者がいることもよく経験することですが、しかし悲しいことに、私達はまず資格で人を見ています。そういう判断はいけないことだと言うのは簡単ですが、それが世の中でしょう。ですから、今回の事件の軽重はさておき、資格を持っている者は相当に世の中の評価を受けているのですから、それに応えるべく身を心を律せねばならぬのです。上級者の失着は咎められるが宿命ですが、そうでない者の失着に対しての世の中の仕打ちは・・。諸兄、心いたしましょうぞ。

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