柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

授賞

2013-04-02 08:20:44 | Weblog
昨夜ニュースつけると長嶋の引退セレモニーのあの名セリフ「我が巨人軍は永遠に不滅です」の映像が流れてて、その後も展覧試合の有名なあのシーンとか、有名な(どれもこれも有名ですが)ゴロ捌いた後のフォロースルー、あの右手を王に向けてヒラヒラさせる奴,とかが流れて、ええ、死んだのか?と身を乗り出しましたが、違いました。松井と抱き合わせの国民栄誉賞との報道でした。新聞で盛んに解説推測してます、どうして今?このタイミング?今昼のワイドショーでも百論噴出でしょうし、今週末の週刊誌が楽しみですが、ま、長嶋に何時出すかの機会を探っていたということに他なりません。松井は大方の論評のように早いですわね、ですからこちらはダシに使われたというわけです。大鵬に死後授賞したことへの批判が強かったのでしょうし、あれだけ巨人・大鵬・卵焼きと喧伝されれば、長嶋はどうよ?こっちも死なないと貰えないか?という圧力はそりゃ強かったでしょうよ。そもそもその巨人のもう一枚の看板、王さんが第一号ですからね。授賞する機会だけの問題だったのでしたが、きっかけとなる記録がないのです、もう引退の後でしたからね。衣笠はラッキーでしたよね。長嶋と王とを比較するに、王は数々の記録を残した人ですが、長嶋は記録よりも記憶の人なんてごまかし(褒め言葉)があります。さらに言えば記録を基準にするなら、新聞にもありましたが、野村、張本という人が上にいます。野村はすごい人なのですよ、ああいうキャラで売ってますけど。通算安打数も本塁打数もこの人が歴代二位です、ミスター二位です。本塁打だけなら清原の方が上ですしね。でも、記憶。その通り。この人の華には誰もが頷くでしょう。長嶋が出てきて野球が白黒からカラーになったとか、あの天覧試合のホームランを打たれた村山はずっと「あれはファールだ」と譲らなかったとか、こういう話が尽きないのも長嶋です。長嶋の引退試合はリアルタイムで見ました、昭和49年の秋です、高校三年でした。掃除サボって男どもは皆飛んで帰りましたTV中継でした。中日戦ダブルヘッダー、デーゲーム。あの時分、秋になるとナイターなんてやりません。薄暮のあのシーン。覚えてますよ、じかにTV見ましたからね。長嶋~!
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