柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

人の金、人の所帯

2006-12-22 08:40:03 | Weblog
今日は冬至です。当地では6時半になってやっと空が白みます。昨日今日は余り寒くありません。暁、曙といった時間の、風景の移ろい表現がなんとも愛おしいというか、日本人が昔から感じてきた自然に対する畏敬を思うことです。白んでくる東の空に山の端が次第に明らかになるのを見ていると、思わず手を合わせて拝んでしまいます。山川草木、そこここに神様がおわすわけです。日本人の心根なんでしょう。学者がしたり顔で解説するところの一神教に対する多神教です。山の神、海の神、火の神、水の神・・。正月にはそれぞれの部屋に鏡餅飾りますね。部屋それぞれにも神様がいるわけです、便所にも、竈(今時ないことですが)にも。日の出、日の入りを眺めているとそういう気分になります。この感情を再認識するのは悪くないですよ。
 岩国、市長が怒って見せています、約束が違うと。市庁舎建築にかかる補助金が下りなくなったからです。防衛庁予算です。何でも、これは今回の空母艦載機移転関連問題以前に決まっていたことだそうで(基地の迷惑料には違いないのですが)、最近の問題に反対したからといってゼロ回答はないだろう、という不平です。ふむ、わからぬことではないですが、防衛庁の態度もこれまたわからぬことではありません。新聞は(中国新聞)兵糧攻めと書きます、市側は態度を硬化させていると。どうなんですかね。私は近くに住んではいますが直接には影響を知りません、でも大島を車で走っていると空からの轟音にびっくりすることが多いのです、ああいう轟音に日常的に晒されている地域のことは全くの人ごとです、ですから私の意見は勝手なものではあるのですが、今までその手の補助金であれこれ行政処理してきたのもこの地域であるわけです。市庁舎ですか。予算のない時に一番に我慢せねばならぬ部分じゃないんでしょうかねぇ。金のない中、家を建て替えるようなことしませんよね、金の出入りなんてのは額の大小があるだけで原則は一般家庭と一緒でしょうに。額の大きさに平衡感覚をなくして、お上から降ってくる補助金ばかりを目当てにしているその体質には言及しないのです。所詮は人の金、人の所帯だって感覚です。国の言うことを聞かぬ所に金を落とす筈もないこと、今までの補助金は言うことを聞いてきたからこその褒美でしょうに。市長も、大体演技力の足りぬ人ではありますが、もっと一般人に届くアピールなり言葉態度なりが要るのではないんでしょうかね。国が悪いんじゃないでしょう。そう思いますがねぇ。
コメント
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