柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

日本人の心根

2006-12-11 08:39:35 | Weblog
もう12月も十日が過ぎました。なんと時の流れの速いことですね。年々歳々この感覚は強まるばかりです。昔若かりし頃には、そういう年寄りの言葉なぞ耳に入りませんでしたがね。ああ、歳をとると言うことはこういうことなんでありましょう。年寄りが自分を年寄りと認めるんではありません、若い連中が自分より年上の者達を排除するために線を引くだけのことです。年輩者は自分を年寄りなんて思っていません。このことには早くから気づいていました、これは職業柄痛感することが多いからでしょう。元気な年輩者は自分のことを年寄りで退かねばならぬなんて思っていません、それはそうでしょう例えば59歳から60歳になったところで何にも変わりませんよ。昨日のままです。定年のある人は社会的地位が変わるだけのことです(もっとも、それが大きいのですけれど)、定年のない人は昨日と同じ今日を過ごすばかりです。でも、こうやって気づくんでしょうね。人に言われて反抗抵抗して突っ張って生きていても、ひょいと気づく。そういえばあれもそう、これもそうじゃのう、なんてね。この滔々と流れ続ける時の奔流に乗るしかないのですから、ぼやぼやしてはいられませぬ。何度も書きますが諸姉諸兄、きっとあなたが考えておられるほどに時間はたっぷりとは残っていませんよ。
 硫黄島からの手紙、観ました。硫黄島、英語表記すると IOUJIMA でなくてIWOJIMA なんですね、面白くスクロール見てました。で、内容ですが、私には今一つでした。「5日で落ちると米軍が考えていたところを35日抵抗した」なんて帯がついての前振りでしたから、こっちも栗林中将の精神性とか信念とか作戦の綿密さとかそういう描写に多くを期待しているわけです、そこが見事に肩すかし。玉砕は許さないということばかり。いかにもアメリカ人の好きそうな地位に似合わないフランクさが強調されたり、本当かいなと眉唾物の捕虜厚遇シーン、やはりアメリカ人が作る日本映画とはかくありなんではあります。父親達の星条旗とはトーンが違いすぎるように思いました。勝つべくして大勝した米軍と負けると分かって抵抗した日本軍、無用に多くの兵士を失ったという米側の思いと、要らぬ抵抗した敵。強い抵抗に称賛などは要りませんが、戦争そのものの馬鹿馬鹿しさはどうぞ主張したらいいし表だった第一アピールはこういうことに違いないのですが、やはり当時はもちろん現代の米人にとっても日本人の精神性というのは理解に遠いものなんでしょう。「こんな無茶をして・・」という色です。ここは日本人監督しか描けないことなんでしょうね(誰ですかね、反戦の臭いをつけすぎることが予想される人は適当ではありません、例えば井筒さんとか山田洋次とか。いえ、これは私の勝手な感想です)。どうしてあれだけ抵抗できたのか、栗林中将の心の内をもっともっと描いて欲しかったと思います。あの圧倒的な物量差、追いつめられる恐怖、目の前に迫り来る死。これ以上ない絶望感の中、どうしてあれだけの気持ち(精神)を保ち得たのか。皆、それぞれに思い考えたのでしょうが、映画の中には出てきませんでした。イーストウッドには描けなかったか、いや理解ができなかったか。私は後者と思います。日本人の精神性。こういう抽象的な単語に変えると安易に流れ勝ちですが、何千年の文化と表裏一体に存在する気持ちの芯、全ての日本人に埋め込まれている(であろう)心根。是非ここに迫る映画を見たいものです。気持ち悪いですか?いいえ、決して全体主義への回帰指向などではありませぬよ。
コメント
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