柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

年末にあたり

2006-12-31 11:01:15 | Weblog
日刊紙におけるコラム(朝日の天声人語、産経の産経抄など)は毎日続くもので、それこそ各紙の威信に係わるものなんでしょうね、限られた字数の中でどれだけの事を言うか。天声人語は大学受験の国語によく引用されるなんてことを朝日が宣伝文句に使ったりしてますよね。大晦日やら元旦やらは中でもコラム子の気合いの入るハレの日でしょうね、話の枕振りにも各紙工夫が見えます。面白いことに二紙に落語の「芝浜」が枕でした。落語は好きなんですがマニアではありません、円生、志ん生、円朝なんて今は亡き名人のCDなんかを買い込むのではありませんが、芝浜は落語家業界においてはあるレベルの一里塚なんでしょうね、これをやれるかどうかがステイタスになるような。ギター弾きにとってのベンチャーズのキャラバン、ジミヘンドリックスのヴードゥーチャイル、ツェッペリンの天国への階段の如く。私はこの演題、談志のもので知っています。素人が聴いても、この長い話、夫婦の演じ分け、中でも女房のドキドキ感やら嘘を言い続ける後ろめたさやらダメ亭主を思い遣る気持ちをどう演じるかがポイントなんだろうなと思うわけですが、やはり最後の坂をグーッともっと行ってどう下げるか、あそこが上手下手の分かれ目なんでしょう、談志ものしか知りませんから残念ながら比較ができませんが、談志ものは十分に聞き入りました。いや、コラムの話でした。グータラ亭主が、年の瀬にたまたま拾った大金を「夢見てたんだよ」と女房に諭され、心入れ替えて働き(ここの描写が肝心なんですが)、何年か先に、暮らし向きも落ち着いた年の瀬、あれは私の嘘であんた本当に拾ってきたんだほらこのとおり、と女房がうち明ける、そこで亭主怒るに怒れず(ここの演じ分けもきっとポイントです)女房に感謝する。で、女房が勧める酒を断って言うわけです「また夢になっちゃぁいけねぇ」。芝浜を枕に持ってくるんです、何を言いたいかは推して知るべしです(コラム読まれるのが一番早いですが)。こういう女房が側にいることに気づいていますか?女房でなくても、あなたのことを考えてくれる人がいることに気づいていますか?そして、そういう忠告に素直になれていますか?芝浜の話にグッと心を掴まれるのは、誰の人の心にもこういうスイッチが備わっているからでしょうね。誰に押してもらうか、いつ気づくか。上手の演ずる古典落語はいいですよ。あ、コラムの話でしたが・・。
 昨夜レコード大賞が決まりました。何年ぶりでしょうか、見てました。いつから大晦日じゃなくなったんでしょうか。昔は大晦日午後7時にTV放送が始まり、9時前に大賞が決まる。そこに出ていた者達が大急ぎで次の紅白歌合戦の会場に向かう。午後9時に始まる紅白の開始に間に合わない。そんな光景でしたよね(それこそ何年前のこと言うとるんじゃ?と突っ込まれそうですが)。今の歌手は氷川きよしとか倖田なんとかくらいしか知りませんし、興味もありませんが、昔の映像を流していたのであれこれ思い出したことでした。私は中学高校時代は歌謡曲大好きのTV少年でしたので、あの頃の歌謡曲事情にはよく通じています。またあの頃が、スターが輩出してこの業界も華やかだった頃でしたからね。何時?昭和40年代です。ブルーコメッツ。グループサウンズ全盛時に、タイガースでもテンプターズでもスパイダースでもなく、このおじさんバンドが選ばれたことが時代を表しています。もう一つ時代を物語るのは、このブルーコメッツにして紅白歌合戦に出られませんでしたからね。「相応しくなかった」のです。今から思えば嘘のような話です。尾崎紀世彦。この人「また逢う日まで」一曲で生きている人ですが、いや次の唄も悪くなかったんです。でもタイミング悪いことにすぐやってきた大きな波に飲み込まれてしまったんです。天地真理、小柳ルミ子、南沙織。脇ににしきのあきら、野村真樹。そして郷ひろみ、西条秀樹、野口五郎。平凡やら明星やらが懐かしいですね。当地の中学高校では校則で私服外出を禁じられていましたから、本屋に行くにも買い物に行くにももちろん映画見に行くにも制服で行かねばなりませんでした。そんな空気です、この手の雑誌買うのも大変でした。そういう記憶もあります。ジュリー。森進一、五木ひろし、布施明、ジュリー。この時代の四天王。あ、ジュリーというのは沢田研二。グループサウンズブームの先頭を突っ走ったタイガースで一世を風靡したボーカル。もうすっかり思い出のメロディーです。言うところのナツメロ。ジュリーは長く一番前にいましたよ。タイガース解散して、ピッグというごちゃ混ぜバンドで失敗して(ショーケンやら井上尭之やらのごった煮。このバンドの岸辺おさみ(後の俳優岸辺十徳、この人タイガースのリーダー)と井上尭之、大野克夫(スパイダース)がこの後バンド続けて、あの有名な太陽に吠えろのテーマ曲を作ったんです、井上尭之バンドのクレジットで。皆さんよくご存知のあの曲)、「君を乗せて」でソロデビュー、この曲宮川泰の作曲で非常にメロディアス、歌唱力が付いていかなかったですが、このあと大野克夫の手になる「許されない愛」などの一連で再びスターダムにのし上がりました(詳しいでしょう?)。女友達に強烈なファンがいて、「勝手にしやがれ」で最高の状態にいる頃、広島郵便貯金ホールに見に行ったこと覚えています。高校生だったか、卒業してすぐだったか。でも、なんとか賞の権威が守られていたのは(ブルーコメッツが受賞したことからして崩れの兆しだったのかも知れませんが)この辺りまででしたか、ジュリーの布施明のと続いた頃。この後はあの怪物ピンクレディーが登場します。で、大賞かっさらいます。ピンクレディーがレコード大賞?怪訝な思いでいたのを覚えていますが、あの頃がこういう興味から私自身が離れていく時期でもあったのでしょう。その後は全く興味が失せました。そして現在に至るです。20年以上の空白です。もちろん途中、ヒカルゲンジ(どう表記するのかも知りません、あのローラースケート集団です)やら浜崎なんとかが大賞とったのは知ってはいますが、それだけです。そして昨日、氷川きよし。私が歳をとったのですね。面白くないです。おそらく紅白もそうでしょう。当然ですわね、出てくる顔を知らないんですから。今日の新聞の四コマ漫画にありました、若い者向けの紅白と年寄り向けの紅白を作れと。ナイスアイディア。こうすればきっと視聴率上がりますよ。後者がうんと上がります。といっても、こうやって世代交代が為されていくわけです。押しやる方にいたはずが、何時の間にやら押しやられる側にいるんです。ああ、時は滔々と音を立てて流れていきますよ、諸姉諸兄。
 おかげさまで一年を恙無く閉じることができました。読んでいたただいている方々に、心より感謝申し上げます。マージーボックスの私というクレジットなのですが、ここにあれこれ書いている私も紛れもなく私であります。よく使われる謂に「私は母である前に女でありたい、女である前に一人の人間でありたい」というものがありますね、何だかご大層な印象にうちに丸め込まれていく感じで、だから私は悪くないんだ、悪いのは社会だ世の中だというイデオロギッシュな免罪を言い立てる勝手な言い方ですが、私はこんな小器用には生きられません。父親で、医者で院長で、バンドやってて、偏屈おやじで、その全てが私です。どこに行っても、どこにいてもこの全てが私です。TPOで着替えるなんてそんなことはできません。ナンバーワンよりオンリーワンと同じ謂で、狡いですよね、出来る奴を揶揄非難する態度です。こんな屁理屈に今後も闘いたいと思います。偏屈おやじで居続けたいと思います。よろしければ今後ともよろしくお付き合い下さいませ。皆様、よいお年をお迎え下さい。有り難うございました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする