柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

坊主と袈裟

2006-12-02 08:39:39 | Weblog
岡島、えらいもんですねレッドソックスです。巨人馘になって日本ハムで蘇って調子に乗って一気に、です。運命というか、人の運気はどこでどう変わるか分かりません。諦めちゃいかんのです、どこにチャンスが転がっているか分かりませんよ。星野仙一が五輪監督ですって。長嶋、王の次はこの人ですかね、妥当なところ。でも次の五輪でなくなりますからね野球、サッカーなどには及びも付かないあくまでもローカルな競技であるというわけです。柔道の方がうんと world-wide であるということ、痛し痒しですか。
 朝日の噛みつきは続きます、そういう話題が続いているからでもあるのですが、今度は残留孤児訴訟(国家賠償請求)での原告勝訴に対して「歴史への責任 指弾」と見出しです。確かに敗戦濃厚となり、彼の地(満州、中国、朝鮮)での身の危険が高じていたあの時点で、有名なのは民間人を置いて一等先に関東軍が逃げ出したという話、命からがらに引き上げる際の惨い話、ソ連軍や朝鮮人、中国人の無体。戦争下のことです、一方的に日本人の被害ばかりは言えますまい、日本が攻勢の際には同様の無体が彼の地の人々に対して行われてきたことでありましょうから。日本人が、その全員が規律正しいはずがありません、それは絶え間なく引き起こされる在日米軍兵士達の不祥事の数々が証明してくれています。人間などは雑多雑駁、やる方にも回ればやられる側にもおかれるのです。そういう環境下で、読み知る知識によれば逃げ出すために幼子を殺めるケースも数多かったという状況で、殺すに忍びなくどういう交渉であったにせよ(好意憐憫からのものもありましょうし、単純な売買だったこともありましょう)彼の地の人に幼子を託する選択を、誰がどう咎めることができるのでしょうか。こういう戦争をしたのが悪い、ですか。そうですかね。あのまま日本に生きていたらこんな辛い思いをしなくてすんだのに、という訴えでしょうねおそらく。でも、これも違うんじゃないでしょうか、幼子を、我が子を手放したのは日本に帰る事の危険があればこそなのです。思い切って言えば、この歳まで生きながらえてこられたのは、あの時の両親の、身を切るような決断があればこそなんじゃないんでしょうか。あの人達は両親を恨んでいるのでしょうか。両親は仕方なく決断したのだ、そういう事態に陥らせた国こそが悪い、という理屈なんでしょうね。でもあの時代がそうだったのです、で、あの時代に日本人として生まれてきた人ですからその定めに従うしかないじゃありませんか。日本人として扱われなかった、という訴えもあるのでしょう、日本語も忘れてしまってという恨みも含めて、また日本の繁栄を横目で見ながらという僻みもありましょう、そこは理解します。理想を言えば敗戦後に全員探し出して連れ帰ったらよかったんでしょうが、日本自体があんな状況であったところとても無理な話です。私はこの判決は無茶だと思います。弁護士達は政治的決着をと迫ります、つまり上告するな、原告が高齢なのだと。水俣問題と同様の手法です。なし崩しになりそうですね。でも、気の毒可哀想だけで判断できない問題と思います。違いますか。
コメント
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