柳蔭書翰

徒然なるままに、音楽関連の話題に拘らず、常ならんこの世の事々書き散らし諸兄のお耳汚しに供したく思います。

時の移ろい

2006-12-23 10:28:24 | Weblog
今日は私事を書きます。このホームページでご案内してきましたとおり、今夜クリスマスロックンロールパーティーです。今回で9回目(9年目)です。何故こういう会を催すに至ったのか。私の下手の横好きはキャリアが長く、中学二年生時にギター始めて、夢中になって、学校にまで持ち込んで当時同じようにギター始めた連中が多かったですから一緒に弾く、この教本がいいぞとか、今は亡き平凡やら明星やらの付録の歌本(重宝しましたね、コードが書いてありましたから。難しいコードや見慣れぬコードにはこう押さえるのだ!という図までついてました)拡げて唄いながら弾く、ハモる。初心者ですから技術の差が大きい、スムーズに唄える奴がいれば、途中で止まる奴がいる。ここはこうやった方がかっこええとか、ここのコードはおかしいとかね。あの頃のことは忘れぬもので、特に自分より上手だった奴のことは克明に覚えています。連中とは今でも友達であれこれ一緒にやっていますが、初めてフォークギター弾いたときの感激(みんな安物のガットギター、クラシックギター持ってました。ペラペラのナイロン製カバーに入れてね。ガットギターは指板幅が広く弦がナイロン製で太いのです。フォークギターは弦がナイロンじゃなくて針金ですからね、堅くて押さえるに力がいって痛いのです。指板握った感じはフォークギターの方が細いです)、初めてエレキギター持ったときの感激(今度は逆に弦が柔らかくてとっても弾きやすいのにびっくりしました。当時はこの三種類のギターの差として感じるだけでしたが、弾き易さ、押さえ易さの差は実は弦の太さの差なのだと知ってのはずっと後のことでした)そのどれも連中から教えてもらったことでしたし、アルペジオのスリーフィンガーピッキングのと上手に弾く奴を見ながらまぁ飽かず弾いたものです。中学の文化祭でやりましたよ。あの時はドラム叩いてました、親を騙してドラムセットを手に入れて、ベンチャーズが好きだったんです(今でも大好きですが)。あの時がこっち方面へのデビューです。で、時を同じくしてビートルズに頭をガッツ~ンとやられ、おおドラムよりもギター弾いて唄う方が格好いいと気づいたわけです。Fのコードを何とか濁らずに弾けるようになると、ギターコード(ギターに限りません、ピアノも何でも楽器はそうです)は平行移動だと気づく頃で、少々のコード変化についていけるようになります、ビートルズの曲も弾きながら唄えるようになります。おお!いけるぞ!高校二年時にバンド組みました、ビートルズ演るんです。4人構成です、ビートルズと一緒。私は唄いたいんです、で、当時一番うまかった奴をギターで引っ張り込む、そしてやる。抱きしめたい、レットイットビー、ヘイジュードです。後の二つは私、ピアノ弾きました。いやコード叩いているだけです。レットイットビーはC調ですから、白鍵だけで弾けるんですが、ヘイジュードはF調、Bフラットが出てきます。当時の稚拙な技術ではうまく対応できません。いつの間にか左手が鍵盤から離れ、右手だけでコード叩くばかり、これは聞いているみんなに気づかれたようでした、とほほ(今なお言われます。お前のピアノは右手だけ、お前の歌は一番の繰り返し。一番歌詞を繰り返すは今もその通り、よう聞いていらっしゃること・・)。もう一曲はキャロルのルイジアンナでした。前にも書きましたが、これはちょっと自慢。翌年は学年一唄がうまいと評判のボーカル迎えて5人でやりました。She loves you やりました。この時からずっとこの曲歌い続けています、長いこと、もうポールすら唄わないのに・・。段々ギターうまくなってきて、当然のことうぬぼれも強くなって、俺が一番うまい!と思ってました。浪人している間もギターばっかり。他に比べませんからうぬぼれるばかりです。で、大学入って、よーし!ということで片っ端からラジオ局やら音楽雑誌のオーディションに応募して一人で唄いに行きました。しかし全部、まさしく全部だめでした。唄いに行ったところでは他のバンドやらを聞くのですが、びっくり。こんな奴らが素人?尻尾巻いて逃げるように帰るばかりでした。大阪です。当時は河島英伍が出てきた頃です、一人でやるにはああいう感じが要る時代です。全然ダメです。大学でバンド組んで、ローリングストーンズやらイーグルスやりました、女子大の学祭回りが主な目的です。当時はビートルズやりませんでした、というよりやれませんでした、そんな時代じゃなかったのです。当時はフージョン全盛、ラリーカールトン、リーリトナー、日本では高中正義がブルーラグーンでブレイクした頃です。ビートルズ?ベンチャーズ??何だか口にするのも憚られる雰囲気でしたね。こっちもバンドやりたいわけですから譲歩に譲歩を重ねてやってましたね。しかしギターが皆うまいこと。レコードコピーするというのはこういうことかと、大学でのバンドで教わりました。私のコピーはCのFのとドミソで採るだけ、彼らは違います、ニュアンスやら色づけそのままに採ります、Cの6thやら add9 やら11の13のといったテンションコードそのままに。あちゃ~。もうギター弾けません。こんな連中の前で弾けません。どうしたか、ボーカルに立ちました。私は唄いたかったわけですから、仕方ありません。そんなバンドを3年続けて、卒業して(’83)。その後はさすがに暫くこんな事に時間を割けなくなりましたから、ばたばたと時間が過ぎて、広島で再びやり始めたのが90年。断固ビートルズバンドです。やるならこれです。幸いうまく集いました。こっちへ帰るまであれこれ出ました。レパートリー広かったですよ、このバンドでは私はジョンの役でした、黒のリッケンバッカーのあのギター下げてました、キーボードにピアノの女先生連れてきて、オリジナル曲も何曲か持ってました。92年に当地に開業して、さすがに5年は何もできずの状態でしたが、そろそろまた演りたい、ビートルズ唄いたいと虫がうずいてきた98年に凄いギター弾きを見つけて(今一緒にやってもらっている尾元さん)、何とか口説き落として第一回のパーティーに漕ぎ着けたといういきさつです。で、皆様の御陰で、一回一回(こう見えても)工夫をして趣向を変えてやってきて、今年で9回目というわけです。
 このパーティーは、あれこれ理由を付けることはできますが、中心にある、それこそ高校生時代から消えない「聞いてもらいたい」願望が大原動力です。聞いてもらえるからやる気も湧く、だから素人ながらもっともっと上手にならねばならぬと思うんです。上手になれば聞いてももらえましょうしね。所詮素人の手慰みなんですが、だから真剣なんです。私は歳をとってきてこういう思いがどんどん強くなります。まじめに、真剣に遊ぶ。一緒に遊んでもらう。そうですね、こうやって文字にすると、こういう表現が一番気持ちに近いように思います。私は聞いてくれる人がいてくれるだけで幸せになれる、聞いてくれる人達も手を叩いて楽しんでもらいたい。こっちの質を上げ続けることが聞いてくれる人達への礼儀であろう、だから真剣にやらねばならぬと思うわけです。すみません、小理屈を並べました。ああもう一つ、最近はこういう場をあつらえる、設定し続けることが私の仕事なのかなと思い始めています。ずっと playing manager でいたいと思っていますが、やがて producer に移っていくかとも感じています。ま、それが時の移ろいではあります。声が出るうちは唄い続けたいと思いますので、どうぞ皆様よろしくお付き合い下さいませ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする