memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

人々は領海問題での中国との武力紛争を恐れる   フィリッピン世論調査 (1)

2015-07-07 00:16:27 | 海事

フィリッピン人10人のうちの8人までが南シナ海の領海問題がこじれて世界最大の人口の中国との武力衝突に発展することを恐れていることが中立機関の世論調査で判明したことが金曜発表された(6月19日AFP)

マニラに所在する社会天気局(Social Weather Stations)は 2012年の豊富な漁場であるスカボロー岩礁での中国との緊張から引き下がって以降、人々はこの感情が心に重圧を受けるようになったという。この調査によれば1,200人の回答者の85%が中国との武力衝突を恐れているという。そのうちの半数は”非常に心配である”とし、3分の一以上が”心配だ”と応えているという。

この様な調査は2012年以降毎年行われているが、毎年の結果から回答者の80%以上がフィリピインの強大な隣国(中国)との全面対決にエスカレートすることを懸念している。「武力紛争は誰の利益にもならないことは明らかであり懸念はきわめて当然のことである」と大統領府報道官のAbigail Valte がこの調査結果についてAFPに論評した。

「これが私たちの政府が紛争の解決に平和的手段を追求してきた正確な理由である」と。スカボロー岩礁の問題の行き詰まりは、フィリッピンの本島であるルソン島から220kmにある漁場を中国が実効支配したことで終了した。この岩礁は中国海南島から650kmにある。


地中海難民で稼ぐビジネス  (2)

2015-07-07 00:15:53 | 海事

彼らはバックパックを作り、一年以上それを持ち続けた。「その中にはライフジャケット、水、スニッカー、チョコレートのGalaxy barにナツメヤシの実(dates)を詰めた。州に一度食品は詰め替えた。

最近電話がまたかかってきた、そこで子供たちを送り出した。しかしすぐに戻ってきた。ボートに向かって水の中を歩いたが、密輸業者らはエジプトの沿岸警備隊をみて慎重になり、行動を中止した。

この家族は密輸市場の需要側の中身を見せたが、あるエジプト人密輸業者は 供給側の内幕をNPRにのぞかせた。彼はエジプト北部海岸のBaltimに住む漁民であった。彼は夜間に人々を密輸する。それは違法行為だから彼はAbu Aymanという名前を使っている。Abu Aymanはスーダンからリビアまで繫がる大規模な密輸組織の小さな歯車に過ぎない。彼の仕事は難民をエジプト水域から運び出し沖合いにいる大型船のに届けることである、このボートが数百人を載せて欧州に向かう。逮捕される恐れもあるのに、彼はこの仕事をする。「いい金になる」と彼はいう。

一日二日の料では運がよければ彼は65ドル稼げる。しかし、密輸の仕事に関れば一人650ドルになる。2ヶ月前の最後の仕事では彼とその仲間は20人をはこび13,000ドル稼いだ。 Abu Aymanは彼が難民を送り出す場所の砂丘と椰子の木の並ぶ海岸を指差した。しばしば難民はボートからボートへと泳がねばならないという。彼は休日用の小さな小屋をみせた、そこに難民は集まり漁師らが運んで行くのだという。

次の密輸が何時できるかはわからないという。沿岸警備隊が取締りを強化している。難民の溺死のニュースに接するたびに彼の罪悪感が増している。「いつの日か審判にかけられるのではないかと恐れている」という。

 


台湾漁民がゴミを投棄している     フィリッピン沿岸警備隊

2015-07-07 00:15:21 | 海事

MANILA, Philippines発:台湾漁民が文字通りBatanesのAmianan島でゴミを投棄している。フィリッピン沿岸警備隊PCGはこの島におよそ4分の1とのゴミをこの島に遺棄して行った物を発したと報じた。(6月21日Phillippine Star)

 PCG 司令官 Angel Viliranは台湾の密漁漁船がゴミや調理器具などを山のように息しているのを発見したという。Viliran は監視・管理・偵察活動(MCS)の司令官でその船舶3004で台湾に最も近いフィリッピン最北のAmiananに到着、ここはBatans本島から5時間の距離にある。「我々が6月10日にAmianan島の監視活動を行った際にゴミを発見した。これらは台湾漁民によるものと見られた。フライパン、衣類、タバコなど台湾のもであった」とViliran はいう。PCGに同行した漁民によるとゴミの山は長年にわたり堆積しているという。「一部のごみはすでに嵐などによって流されただろうと」Vilan。沿岸警備隊は報告の証拠として写真撮影を行った。

台湾とフィリッピンの漁師はこの島を荒天の際の避難所として利用している。