日本人の貪欲なクロマグロへの食欲が戦後のトレンドを映し出している。はじめにこれが人気を浴びたのは急速な経済成長が始まった1960年代のことであった(6月19日AsahiShinbun)
この時代日本の食習慣が西洋化した。バブル経済が崩壊すると価格は下落、マグロも一般市民に可能なものとなった。農水省の保有する統計からは以下にマグロの消費が伸びたかを読み取ることが出来る。
1920年までは年間のマグロ漁獲は10,000 ~ 20,000トンであった。それが1926年頃から 60,000~ 80,000トンに増加、昭和時代は1989年までであるが、第2次世界大戦では劇的な減少を見た。
しかしながら、日本オ漁船の出漁規制が解除された1952年以降再び数量は増加した。この年漁獲は100,000トンを超え、1955年には 180,000トンとなり、その10年後には 430,000 トンとなった。この成長ははえ縄漁船によって拍車がかけられた。この漁船は長大な幹縄を数十kmから200kmも海中に入れる。数千本の枝縄が一定の間隔で取り付けられている。その先端には餌のついた釣り針がある。
高度経済成長期に入ると日本オマグロ需要は急上昇した。はえ縄漁船は高価な根だのクロマグロや南マグロを求めて世界の海に展開した。マグロの品質は零下50℃以下でないと劣化する。1960年代の初期までは日本漁船は零下20~30℃までの装備しかしていなかった。このことで日本から何処まで出かけられるかが制約された。
冷凍技術の発達により1960年代中盤には零下50℃の凍結が可能となった。300トン級のマグロはえ縄漁船がこれを装備し、マグロを求める航海の距離が拡大した。主要な貿易会社は静岡市の清水にに型の冷凍庫を設けた。これによりマグロ販売の国内需要に対応した。
1960年代の終盤になると日本の一般家庭が大型の冷蔵庫を備えるようになった。これが脂のあるトロマグロの始まりである。専門家らはトロの人気は日本人の舌の変化であるという。
東京家政大学名誉教授Ayako Eharaは食の歴史について詳しい。海外のファストフードチエーン店の展開は葉1970年代であったという。これにより米の消費が減り西洋食が流入した。「脂肪分の多い、コクがあり、美味なトロは西洋の食味に近い」とEharaはいう。「これこそが日本人がこれを食べ始めた理由だ」と彼女はいう。