拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

フィデリオ(ミサソレ通唱会のアンコール)

2020-01-15 11:06:24 | 音楽
通唱会は主宰者が自分がやりたい曲をやる会と言った人いる。私などはまさにそのクチ。そもそも昨年ミサソレ通唱会を初めてやった動機が利己的である。おととい指揮して下さったMさん主宰のA合唱団で一昨年ミサソレを練習しててその内輪の発表会(レパートリー会、略してレパ会と呼んでいる)で私はY先生とクラリネットを吹く予定だった。Y先生はA合唱団の団員ではないが、レパ会は外部の方の飛び入り参加大歓迎なのである(その意味で通唱会と似ている。そうそう、それで私が「通唱会もどきのミサソレがある」とブログに書いたら、それでたくさんの方々が反応して下さったのだった)。ところが、レパ会の会場(某Gの家(ゴジラの家でもコックローチの家でもない))が急に管楽器はダメ、と言い出した。Y先生も私もがっかり。某Gの家のGはコックローチのGでたくさんだと思った。絶対ここでは結婚式は開かないぞ、と思った(そもそも予定がない)。するとY先生が「イージマさん、ミサソレの通唱会をやりましょう!」。私も同じ気持ちである。ピアノのK子先生も賛同してくれて、こうして誕生したミサソレ通唱会。もし、コックローチの家でクラを吹けてたらミサソレ通唱会はなかった。通唱会になったんで、毎年楽しめるようになった。多くの方と楽しさを享有することができることとなった。と考えると、Gの家の管楽器NGのお陰様である。前言撤回。ここで結婚式やります(だから予定がないって)。そして、アンコール。去年はメサイア通唱会のアイディアを借用して第九の第四楽章。ここはK子先生とY先生の夢の共演(連弾)が実現した。が、せっかくの機会だ。通唱会は主宰者がやりたい曲をやる会である。フィデリオをやろう、と思ったのは全くの私の一存。音楽好きは世にあまたあろうとも、ミサソレのアンコールにフィデリオをやろうなどと思う輩は私以外にはいないだろう。K子先生に話すとフィデリオだったらやったことあるからいいよ、と快諾をいただく。これで決まり。このオペラは、当然のことだが私が大好きなオペラで、子供の頃二つ目に買ったオペラのレコードがこれだった(最初はリゴレット)。すぐにスタディスコアも買った……が、当時、この曲を自分が演奏する機会が来るなどとは夢にも思わなかった。が、皆様のおかげで実現した。半世紀かかっての夢の実現である。実は秘めたる自信がありました。あの崇高なゆっくりの三拍子で気分が高揚した後にくる爆発的な歓喜の歌。絶対盛り上がるだろうな、と。実際、盛り上がった。ゆっくりなところのオーボエはIさんがそれはそれは美しく吹いてくれたし、この部分の最後、レオノーレが音階を上がって行ってB♭で伸ばし、そのすぐ後にマルツェリーネが同じく上がっていてB♭を伸ばす。私の真後ろにいったレオノーレ(Kさん)とマルツェリーネ(妹(に昨日なった))のB♭を背中で感じ取った私は桃源郷にいた。その後、アレグロ(そしてプレスト)になってからも力強いレオノーレと可憐なマルツェリーネのからみは素晴らしかった。私の目論見はあたった、いや、皆々様のおかげです。ただ一つだけ。最後の最後のプレストは、私はもっと速くやりたかった。一人でしゃかりきになってテンポを上げようと務めてはみたが、所詮、クラ一本ではどうしようもない。が、初めての人が多かったから、やはりあのテンポで良かったかな、と思う。歌詞(歓喜の声を合わせよう)の通り、歓喜の声が合わさりました!ちょっと余計なことを言うと(感動的に終わらないのが私のブログ)、その歌詞ですけど、誰が歓喜の声を合わせるのかというと、「優しい妻を得た者」である。まあ、女性だったら「妻」を「夫」に置き換えればいいだろう。だが、一人者はどうしてくれるのさ。第九の歌詞だと「輪に入れない者は寂しく去れ」だが、さすがにそこまでは言ってない。そうだ、ベートーヴェン大先生(ご生誕250年!)だって、こんなオペラを書いときながら、ご自身はチョンガーだった!