拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

やりてじじー

2020-01-19 10:53:50 | 音楽
恋バナは楽しい。さらに、誰と誰をくっつけたらどうか、という話は野次馬を通り越してより能動的である。私はたまにそれを実践する(働きかけを行う)。こういうのを「やりてばばー」と言うんだそうだ。いや、私は男だから「やりてじじー」か。「じじー」と言われるのは心外だが(言われてない。自分で言ってる)、年寄りの意味ではないから許してやろう(誰を?)。学生時代の室内合唱団で同期のU譲を学生時代から「Uばー」と仇名したのと同じである。この仇名に「さん」を付けたら「Uばーさん」で、尊称を付けたつもりが逆効果。「さま」も同様である。ひとは「じーさん」「ばーさん」とは言われなくないもの。ある女優は、お孫さんに自分のことを「おばあちゃん」とは言わせないそうだ。じゃなんと言わせるかというと「グランマ」だって。カタカナならいいのか?因みにドイツ語では「Oma」である。さて、昨日のシュッツを歌う会のアフターでは、その「やりてじじー」的な話で盛り上がった。会に参加した某嬢のお相手に誰がいいか、って話で(余計なお世話)、誰それは山登りの趣味が共通だからよいとか、その人は古楽の趣味が共通だからよいとか、いやいや誰それは公務員で地位が安定していて生活に困らなそうだからいいとか、そう言えば、誰それも独身だったねとか。このとき気がつかなかったが、今朝目がさめて思った。私だって独身である。私がまったく俎上に登らなかったのはなぜか。不当である。「じじー」であるせいか。失敬なっ。君たちは「還暦」の意味を知っているか(私もこないだまで知らなかった)。ぐるっと回って元に戻る、だから「還暦」である。ってことは子供に戻ったから若いのだ。それに私だって山に登る。筑波山は私の庭である……なーんてウソばっかりつくからだめなのかしらん。いや、「庭」はウソだが、たまに筑波山に登るのはホントだ。かように、私の話(ブログも)は、事実(Tatsache)は真実(wahr)だが、ニュアンスをちょっといじっているので印象がまったく逆になったりする。その(どの?)シュッツを歌う会だが、私はヴァイオリンで声部をなぞっていたのだが、後半、声部が増えたのでアルトに転じた……ところ、よくない。ヴァイオリンで弾いていた方が全体の響きがよかった。やっぱり歌やめようかしらん。