拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

因果は巡る

2020-01-25 10:01:52 | 音楽
私の音楽活動は多くのお友達に支えられて成り立っているが、なかでもK子先生には私が主催する歌う会のすべてでピアノをお願いしているからK子先生なしに私の活動は考えられない。そのK子先生とお知り合いになったのはA合唱団。A合唱団に入ったきっかけはSさん。Sさんと知り合ったのは大学時代の室内合唱団。室内合唱団に入ったのは、入学してすぐ入った大学オケ(ヴァイオリンで入った)が超ブルジョアで水が合わず2週間でやめたから。その大学に入ったのは別の大学を落ちたから。こう考えると、人生でつまづきと思えたどの瞬間も今かくあるための必然であり、それがなければ、スターウォーズの舞台が「別の銀河系」であるように、まったく別の「今の自分」があったことを思い知る。刑法の因果関係は「あれがなければこれがない」という関係である。まさしく、人生のどの瞬間がなくても今がないわけだから、われわれはそうした因果関係の中で生きているわけだ。さて、もちっと因果を遡ってみよう。志望大学を落ちたのは高校のとき勉強をしなかったから(勉強してても落ちたかもしれないが、まあ、そういうことにしておこう)。吹奏楽部の練習は毎日あったし、私はオケの曲を吹奏楽用に編曲していて、そのため高校のときの私独自の時間割は1時間目から6時間目まで音楽。一番後ろの席でひたすら楽譜を書いていた(今と違って当時は手書きだった)。あるとき、はっと気がつくと、化学のタカナシ先生が私の横に立っている。私は体が凍り付いたが、タカナシ先生は見て見ぬ振りをして通り過ぎていった(石橋山の戦いに敗れて洞窟に隠れていた源頼朝を見逃した梶原景時のごとし)。この生徒は「こういう生徒」と見限っていたのだろう。しかし、吹奏楽部への入団は必然ではなかった。高校入学時、放課後の過ごし方については三つの選択肢があった。一つ目は知ってる先輩のいた吹奏楽部。二つ目は弦楽合奏団。三つ目は陸上部。だが、弦楽合奏団は部活動ではなく同好会だったので物足りない。陸上部は、中学のときこそそこそこ活躍できたが体が大きくならなかったから高校ではダメだろうと思ってパス。ということで吹奏楽部に入ったのだが、入ってそうそうそれまで毎日走ってたのをやめたため体がなまってしょうがない、やっぱ陸上部に入ろう、吹奏楽部は退部しようと思ったまさにその日、可愛い女子が入って来た。退部はどこ吹く風。そして今に至る、である(その女子はじきに退部した)。もしあの子が入ってこなかったら、私は別の銀河系にいた。今頃通唱会でY先生とクラリネットでご一緒することもなかった。それどころか、陸上部に入って、案の定、成績がふるわず途中でやめて、失意の中ぐれて、彼女を作って、子供を産ませて、結婚するはめになって高校を中退したかもしれない(妄想タイムに入ってます)。それからどうなったろう。不本意な結婚をしたもんだから、毎日酒浸りでちゃぶ台返しで若くして肝臓をやられて今頃鬼籍に入っていたかもしれないし、いやいや女房子供を食わせるために板前見習いになってそこで目が出て今をときめく三つ星レストランの有名シェフになっていたかもしれない。パーン(妄想が膨らみすぎて爆発した音)。忘れてはならないのは、今、まだ人生途中ということである。この後、どんな出会いと別れがあるかもしれない。そうして、新たな因果の旅が始まると思うと、楽しくもあり恐ろしくもある。