拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

お向かいは「勝手口さん」

2017-05-29 11:20:26 | 日記
向島電機が倒産した(ひよっこ)。乙女寮の乙女達はさぞや心配なことだろう。それに比べりゃ、歌の場でのあれやこれやはずーっとまし。会社が倒産するよりもっと大変なことといったら何だろう。頭上に槍や鉄砲が飛んできたらそりゃ一大事だ。さて、最近母のところに行くときはiPadを持参して、グーグルマップの航空写真で昔住んでた場所の現在の様子を見せる。これは「妄想予防」だ(妄想は否定してはだめで、話をそらすのがよいという)。効果はてきめん。目を輝かせて食い入るように見る。しかし、シェヘラザードは王に殺されないため千一夜も寝物語を語ったが(実際のアラビア語の写本には282話しかないそうだ)、母のゆかりの地といえば五指で足りてしまう。どうしよう。心配は杞憂に終わった。昨日見せたところは今日忘れてくれるから。いやしかしこのマップ遊びは私にとっても面白い。自分の故郷の現況も興味があるし、私が行ったことがないどころか全く知らなかった母の実家(和歌山)についてもぼちぼち分かってきた。なんと母の実家は和歌山市内の中心部にあった。シティ・ガールだ。それに比べたら私が生まれ育った中山などは横浜市といっても歩いてたところがそのまま四季の森公園になるような場所。白状すると、高校に通うようになるまで横浜線に乗って横浜の中心街に行くといつも頭痛がした。カントリー・ボーイだ。さて、実家が中山の次に引っ越した先が相模原市。しかし、家がどこらへんにあったか母も私もよく分からない。もちろん住所など覚えてない。遠い記憶を呼び起こして、多分このあたりかなと思った場所をストリート・ビューにして見たら、向かいの家の塀に「勝手口」の表札が。おおっ、見つけたぞ。間違いない。向かいの家にはたしかにこの表札がかかっていた(40年くらい経った今でもかかっているとは!)。で、私は、お向かいの名字が「勝手口さん」だとばかり思っていた。馬鹿丸出し。いったいいつの話?って、大学のときでありました。さて、母以上に感動した私、自分ちに戻ったらその家の住所が突然浮かんできた。で、翌日、また母のところに行ったとき大えばりで「相模原の住所、思い出したよ」と言ったらなんと母がその住所をすらすら言うではないか。ボケって良くなる!?ところで、iPadはときどき私の指に反応しなくなる。こないだもいくらスクロールしても地図が移動しない。試しに母に画面を触らせたらありゃ動いたぞなもし。