拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ミサ「パンジェ・リングァ」(中世音楽合唱団の演奏会)

2017-05-28 11:28:57 | 音楽
中世音楽合唱団の演奏会でジョスカン・デ・プレのミサ「パンジェ・リングァ」他を聴く。皆川達夫先生(私の先生ではないが、この合唱団のメンバーで他のいろんな合唱団でご一緒の某さんがいつも「皆川先生」と言うので、それに倣った)は、卒寿(って何歳?えーっ?90歳!)でいらっしゃるそうだが、指揮をするときはずーっと立ってらっしゃるし、お話も相変わらず面白い。この合唱団を作られた65年前、当時の「偉い」音楽家や評論家は「バッハの前の音楽は『むすんでひらいて』のようなもの」だとか「バッハの曲をチェンバロのみたいな『おもちゃのような楽器』で演奏するなどけしからん。バッハはピアノで弾くべし」とか言っていたそうだ。偉い人なんてそんなもんだ。天動説を唱えたんだって「偉い人」だし、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を「悪臭のする音楽」と評したのも「偉い人」だ。そんな「偉い人」だらけの中での古楽発掘の船出。ご苦労のほどは想像に難くない。で、この日の「パンジェ・リングァ」は、どこまでも安らかな「明鏡止水」な演奏。ミサの通常文が体に沁みる(一つだけあれ?と思ったのは、「ポンツィオ・ピラノのもとで十字架に架けられ」ときて、「et sepultus est」(葬られた)で急に元気になったこと。元気になるのは、次の「et resurrexit」(復活した)からじゃないのかな。なんだかフライングな感じ)。この曲を最初に歌ったのは大学んとき、ちょうど私が学生指揮者だったときで、先生(鈴木仁先生が留学されたので、宇佐美桂一先生にみていただいていた)が、結構演奏会直前になって「暗譜」とおっしゃって、で、団員は「無理」と反発。間に挟まれた私(学生指揮者=中間管理職)は途方にくれたがなんとか団員を説き伏せ、本番は暗譜で。歌いながら泣きそうになるほど感動した(反発してた仲間もそう言っていた)。特に終曲(二つめのアニュス・デイ)。半端でなく盛り上がった。どこまでも静かな今回の演奏を聴いて、自分達の血湧き肉躍る「パンジェ・リングァ」を思い出した。いや、「若気の至り」と卑下する必要はない。どちらも「あり」だと思う。おまけの話その1。ゲスト出演のリュートのつのだたかしさんが「歳をとるのは皆川先生だけかと思ったら回りも歳をとっていた」とおっしゃったが、つのださんのおぐしも真っ白。誰もが自分だけは歳をとらないと思うものだ。その2。お決まりの、最後に聴衆が参加しての「夏がきた」のカノンはカウンターテナーで女声の音域で歌った。だって、いつもアルトなんだからここでだけ男になるのも変でしょ?その2の2。「夏がきた」の原題(Sumer is icumen)を見るたび、英語とドイツ語は兄弟言語だなぁと思う。その2の2の2。あれ?「夏は育メン」?その3。「みながわ」とキーボートを打ったら、パソコンが変換候補としてまっさきに「皆川猿時」を出してきた。「あまちゃん」の高校の先生役のあの人だ。