拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

天は猫の上に猫を作らず

2017-05-04 21:37:38 | 
皇太子ご夫妻のお嬢様が猫を膝に抱かれた写真を見て、しかし、当の猫殿は自分がその膝の上に乗っかってるお方がやんごとなきお方であるなどとはつゆにも思わないだろう。左様に猫の社会は平等なりけり。同じく、岩合光昭さんが撮るパリの猫だってあたくしパリジェンヌよ、おっほっほとは思ってないだろうし、日本の地方の猫だっておら田舎もんだっぺと卑屈になったりはしないだろう。左様に猫の社会は平等なりけり。とはいうものの、漱石の「猫」では「英語教師のうちの猫」「金持ちんちの猫」「車屋の猫」といった色分けがなされている。みじかに目を転じても、噂できくところの某お姐さまのところのお猫様と、うちんとこの悪猫どもは様子がまるで違う。うちんとこの猫ほどがさつで食べ物に意地汚い猫は聞いたことがない。ひとえに飼主のせい。猫をみてわが生き方を顧みる。反省しきり。

蝶のよう(堀江志磨ピアノリサイタル)

2017-05-04 08:51:48 | 音楽

堀江志磨さんのピアノ・リサイタルを聴きに行った。プログラム前半はメンデルスゾーンとブラームス。無言歌(メンデルスゾーン)とはよく言った。歌が聞こえてきたという人もいた。私は合唱曲のように聞こえた。「春の歌」はうんと小さい頃、SP盤(!)で毎日のように聴いていた曲でもある。しかし、この日は、ブラームスの「三つの間奏曲」(Op117)に深い感銘を受けた(特に変ホ長調の曲)。後半、うって変わってドビュッシーとヒナステラ。その色彩感は、まるで「はらぺこあおむし」が羽化した蝶のよう。堀江志磨さんのピアノの音は、どんなに大きい音でもいつも丸くて柔らかい。いい演奏を聴かせてもらって、例のようにワインがすすんだ(飲み過ぎた)一日であった。