暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

韓国旅行の支度中です

2016年10月13日 | 
   
 井戸茶碗・・・堂々として魅せられます

明日から3泊4日の韓国旅行へ出かけます。
短い旅行ですが、韓国を訪ねるのは8度目(?)になり、15年ぶりかしら?
韓国は時々訪れたい、とても気になる隣国ですが、一緒に行く友人や興味のあるツアーに縁遠く、歳月だけが過ぎて行きました。
このたびは、社中のFさんが同行してくださる上に、面白い企画のツアーのようです。

「高麗・李朝の古窯址を探る韓国紀行~丸山陶李先生と行く✽井戸茶碗の故郷を訪ねる慶尚南道4日間~」がツアーの名称です。

旅行社のキャッチフレーズによると、
陶芸家・丸山陶李先生と共に韓国・慶尚南道を訪れ、高麗・李朝時代の古窯址窯を訪ねながら高麗茶碗や井戸茶碗の魅力を探ります。
実際に李朝時代の高麗茶碗を用いた茶会を現地で開催し、高麗茶碗・井戸茶碗の魅力を多角的に解説していただきます。
陶磁資料館や古陶磁の陶片にも触れ、井戸茶碗の作陶体験をはじめ、韓国の古陶磁の歴史、原材料、窯などを、「見て-触って-使って」確かめ、探る4日間です。


井戸茶碗などの高麗茶碗は大好きでそのルーツについては興味津々ですが、作陶の経験は一度もありません。
そんな暁庵の心を捉えたのは、旅行中に茶会が2つあることでした。
韓国で日本茶道のお点前でお茶を差し上げ、現地の方と交流できるなんて・・・。



1.「井戸茶碗の故郷」の一つ慶尚南道・頭洞里の崔熊鐸(チェ・ウンテク)先生の陶房で、熊川古窯址から発掘された井戸茶碗や粉青沙器などの古陶磁を見学させていただいた後に、崔先生の茶室で小さな茶会を予定しており、崔先生をはじめとする現地の皆さまと茶の湯で交流いたします。

2.最終日には、韓国で唯一「茶道科」のある大学・「釜山女子大学」の茶室で「日韓茶の湯交流茶会」が予定されています。
日本茶道のお点前で日本から一時里帰りする高麗茶碗(協賛:銀座 古美術桃青)を用いて茶を点て、韓国の皆さまと交流いたします。




それで、着物一式と茶箱一式を旅行鞄へ詰め込みました。
茶箱を入れたのは、旅の途中や宿で、四国遍路の時のように出会った人に茶箱・雪点前にて一服差し上げたいと思ったからです。
そうそう、肝心の抹茶とお菓子を入れるのを忘れないようにしなくっちゃ・・・ね! 

どんなお出会いが待っているのでしょうか。
今までに経験した事のない韓国の旅になりそうで、ワクワクしています。  きっと

   
        韓国を訪ねる旅ー1へつづく



訪ねびと・・・

2016年10月10日 | 暁庵の裏千家茶道教室

       玄関に野の花を生けて・・・

10月某日のことです。
「お稽古を見学したいのですが・・・」という電話を頂きました。
「駅からバスに乗って、○○バス停で降りてそこで待っていてください。
 お迎えに行きますから。バスに乗る前に電話をくださいね・・・」と私。

約束の時間前からそわそわしながら待っていたのですが、
時間を過ぎても電話が鳴りません。
ここで大きなミスに気が付きました。
その方の携帯番号を聞き忘れていたのです。
「バス乗り場がわからないのかしら? もしや番号を間違えているのかしら?」
いろいろ思いは巡り、時間はどんどん過ぎていきます。


                    
約束の時間から1時間近く経った頃にチャイムが鳴りました。
玄関からツレの声が聞こえます。
「お客さまがいらしたよ・・・」
飛び上る思いで玄関へ出ると、約束していたMさんでした。
バスを降りてからあっちこっちで「お茶の先生を御存知ですか?」と尋ね歩いて辿り着いたそうです。
電話を何回しても出なかったとかで、携帯番号を間違えて入力していたのです。

Mさんの必死だった様子が伝わり、おもわず涙が・・・
「よくぞお訪ねくださいました!
 ・・・どうぞどうぞお上がりください」
こんなに感激したのは久しぶりです。


 山茶花が咲きだしました

この話には後日談があって、数日後に
「今日、Tさんから電話があってね・・・・」とツレ。
Tさんはツレの友人で、MさんがTさんにお茶の先生を尋ね、Tさんがこの近辺に詳しい人を紹介して、我が家へ辿り着いたらしいのです。
あとでTさんも「どうもお茶の先生とはツレの家らしい」と気が付き、電話してきたのでした。
「Tさんはとても好い方で、その方の導きで訪ねて来たのだから、きっとよいご縁がMさんと繋がっていると思うよ」とツレ。
・・・そうね! 本当に、よくぞ訪ねてくださいました。  


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スウェーデンからのお茶だより・・・・瑞暉亭の今昔-4

2016年10月08日 | スウエーデンの茶友から
                 
                       掲載された本 「瑞暉亭(ずいきてい)}

私達の祖母イーダ・トロツィグ

    Gavy Stenberg Koch  ゲイビー ステンバリ- コック
    Ume Stenberg Radbuch  ウメ ステンバリ- ラドブッシュ 
    訳者  オーネル敏子


祖母について何が素晴らしいかと言えば、祖母の運命と、その中での人生、高い教養、勇気とパイオニア精神です。 
24歳の若さで30歳年上のヘルマン・トロツィグと1888年に結婚。
ヘルマン・トロツィグはもともと船員で日本にはすでに30年滞在していて当時は神戸居留地局長でした。 
このヘルマンと結婚したイーダは未知の国日本へ旅発ちました。

まず日本語を学び、最初からとても趣深い日本文化に触れ、居留地社会の中より日本人や日本文化に興味があったのです。 

絵画を学びそして 特に厳しい規則があり美しく伝統的な茶の湯に没頭します。
基本から茶を学び茶の先生(tea master)になるのに10年かかりました。
お稽古は口頭で行われ茶の湯で使われる言葉は日常会話とは異なり特別なので、イーダにとってお稽古は容易なことではありませんでした。 
シモタニ(Shiotani)先生から学んだ茶道については全て手書きで記録しました。
肥前鍋島家の流れをひく侍の娘、シモカワShimokawaは茶の湯で使用される特別な用語やヨーロッパ人には未知な哲学等を英語でイーダへ説明してくれました。

お稽古中にイーダの目に留まったのは床の間に生けられたちいさな花でした。 この花にも茶の湯の持つ特徴を見いだし、お花のお稽古に没頭するのは自然な成り行きでした。

京都の大覚寺で3年間学んだ後に3段階の資格を得、華道名 I Ho Ko Bai Sai (?訳不能)を取得。この意味するところは「心は広大な自然へ向く」。

日本文化を熱心に研究し、多くの事を知り、1921年イーダはスウエーデンへ戻って来ます。そして当時の民族博物館長Gerhard・Linblom 博士と出会います。 
一番喜んだのは1935年イーダが嘆願し、熱望していた日本の茶室・瑞暉亭が民族博物館の庭へ実現した時でした。

                  
                         1990年に再建された瑞暉亭

「スウェーデンで出版されたイーダの本」
   日本の童話、民話 1911年
   日本の茶の湯、人気のある民族記録 1911年
   日本の生け花文化 1990年

彼女は日本の民話や童話を紹介するだけでなく、茶の湯での正式な茶の飲み方、日本人の花、草花、木の枝などに対する繊細な心づかい、また日本人の考え方等を紹介しています。
日本文化の多くの事柄には隠された深い意味があり、これは私達の文化には未知な世界であり理解出来る人は限られているとイーダは紹介しています。
でもその理解不可能な深い意味を少しでも理解できる感覚を得ることが出来たらと思います。 

祖母イーダは私達の子供時代に大きな影響を与えてくれました。 
その頃はイーダの人生や勇気のある性格が私達に影響を与えてくれたとは当然理解できませんしたが、後になってやっと理解したようなものです。
姉のうめは祖母の芸術的な性格を受け継ぎ海外へ住み、ゲイビーは祖母の努力して自分の意思を貫いていく性格を受け継いでいる様な気がします。

晩年のイーダは1943年に亡くなるまで私達の家へ同居していたので、祖母の人生経験を直接聞くことができました。
祖母は外交的で、子供に対しても大人に対しても同じように接し、生まれ育ったスウエーデンの南部の、1864年に学校を卒業したカルマ―地方のことや、大人になって30年以上住んだ日本について話してくれました。
カルマー地方のアクセントは亡くなるまで変わりませんでした。 
カルマ―のアクセントが日本語にどのようなアクセントとして影響したかはわかりませんが・・・。

ちょっといたずらっぽい目は優しく聡明なブルーカラー、はっきりしたあごのラインは頑固さを語る様でした。顔は大きな笑い声と同時に明るくほころび、髪は後ろで結ばれていました。 
力強い手はお菓子を焼いたりパンを焼いたりする様な、典型的なおばあさんの手ではありませんでしたが、私達を抱擁する優しい手でした。
もちろんお茶の葉を急須にいれたり、日本の生け花の為に花をアレンジする祖母でした。
祖母と母のイーネズ(Inez)は盆石(石と砂で造る芸術)を浅鉢で造り、私達はそれを見る事がありました。


                
                   盆石の作品例 (最近、日本でも珍しくなった・・・)

長い日本滞在中に特別な日本文化を勉強した祖母は、この時代の日本を知る知識人の代表者でした。講演会をやったりしてスウエーデンに日本文化を広め紹介しました。 
ゴーテンブルグの製茶会社James Lundgren & Coに勤め、スウエーデンにお茶を飲む習慣を広めました。長年にわたり小さな村や町へも出かけて講演をし、日本の茶道の紹介をしました。 
その頃は紹介するのに今のような便利なものはなく大きな機械を使ってイラストで説明する様な時代でした。 
スットックホルムの中央駅までその荷物を運ぶのを手伝ったりしましたが、後は祖母一人でやっていました。

祖母は忍耐力があり、エネルギシュで自分でなんでも出来る私達の尊敬する人です。(おわり)


 暁庵から追伸です。
文中の下記の部分が意味不明でよくわかりません。
もし、わかる方がいらしたら、コメントまたはメールにてお教えくださいませんか?

京都の大覚寺で3年間学んだ後に3段階の資格を得、華道名 I Ho Ko Bai Sai (?訳不能)を取得。この意味するところは「心は広大な自然へ向く」。


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スウェーデンからのお茶だより・・・・Oさんのメール(その2)

2016年10月06日 | スウエーデンの茶友から
                 
                          「茶の湯」と「瑞暉亭」の本

9月28日にOさんことオーネル敏子さんから嬉しいメールと訳文が届いていたのですが、アップが遅くなりました・・・ 
私がとても知りたかったイーダ・トロツィグ(Ida Trotzig) についていろいろ調べてくださって、
「瑞暉亭」の本の中からイーダのお孫さんの記・「私達の祖母イーダ・トロツィグ」を翻訳してくださいました。
この訳文は次回の瑞暉亭の今昔-4に掲載します。乞う、ご期待!

                 
 暁庵先生へ
お茶サロン楽しそうですね。お茶サロンのブログをとても楽しみにしています。
今日は「瑞暉亭」という本に書かれたイーダのお孫さんの訳文と本の写真を送ります。

お尋ねのイーダの娘さんのことですが、イーダの娘イーネズ(Inez)は記録だけを見ると実の子で養子ではないようです。

イーダの娘イーネズは1894年に神戸で生まれました。
1917年にその頃日本へ住んでいたスベン・ステンべり(Sven Stenberg)と結婚。
スベン・ステンべりはガデリウス社で仕事をしていたそうです。
今回の訳文の筆者の1人である、イーダの孫のゲイビーが1歳の頃にスウェーデンへ帰国したので、娘のイーネスは29歳まで日本に住んでいたのですね。

スウェーデンで出版されたイーダの本は3冊あります。
   日本の童話、民話 1911年
   日本の茶の湯、人気のある民族記録 1911年
   日本の生け花文化 1990年

イーダ・トロツィグ(Ida Trotzig) 著・「茶の湯」の本の写真も送ります。
「茶の湯」の本は何年か前に買ったのですが、じっくり読んでいなかったのでこれから読んでみます。
連れ合いも興味を持ったらしく読んでみたいといってます。 
私が読んでから紹介したい部分を抜粋となると、時間がかかるかも知れませんが、「茶の湯」に書かれたことを紹介してほしいという先生の要望に応えたいと思っています。
 
                 
                      着物姿のOさんとお孫ちゃんたち

私事ですが、月に1回のお稽古だけで、なかなか思うようなお稽古は出来ません。 
でも先生がおっしゃった様にこの環境で出来ることをしようと思っています。 
近所にいる日本人の友達とご主人が太極拳の先生で、私がお茶を、彼女達が太極拳をと、お互いに教えあうようにしました。 
畳が3畳あるだけで道具も少ししか持ってないのですが、何とか頑張ります。
友達のご主人と私の連れ合いも一緒にやっと1回だけお茶のお稽古しました。 
二人は畳に座るのがちょっと大変ですが、茶の湯にはとても興味がありそうです。


                 
                       瑞暉亭 (スウェーデン民族博物館)

                 
                       瑞暉亭のお茶のデモンストレーション

今度の日曜日はシーズン最後の瑞暉亭のお茶のデモンストレーションです。
裏千家スウェーデン淡交会の仲間3人で説明、お点前、水屋と交代でやります。 
2回の席はすでに予約がいっぱいで、スウェーデンの人たちのお茶への興味の高さをとても嬉しく思います。 

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第3回お茶サロン「お茶とハーブティーを楽しむ会」-4

2016年10月05日 | お茶サロン&ご近所さんと茶会
                       


昼食後、ハーブティーを楽しむ会が始まり、相田康子さんにバトンタッチです。
相田さんはお茶の稽古も熱心ですが、(社)日本ティーコンシェルジュ協会・1級認定講師でもあります。
その日は3つのテーマでハーブティーを楽しみました。

一番目は、「水色の美しいハーブティー」です。
マローブルー(和名うすべにあおい)は粘液質を含み、喉の痛みや咳など呼吸器系や胃炎などの消化器系の症状に役立ちます。

最初から顔を出してはお邪魔かしら・・・水屋でもたもたしていると
「あらっ! 紫色になるはずが水色に・・・」と相田さんの声が聞こえました。
色を逆に書いてしまい、以下訂正しました・・・)。
お茶用の湧水(富士山の恵み)を使ったので、含まれていたバナジウムの影響で水色(アルカリ性)になったみたいです。
水道水の湯に替えるときれいな紫色(中性)になり、一安心。

                       
                          「あらっ! 水色に・・・」

                       
                          水道水の湯で紫色になりました

酸やアルカリに反応する特徴があり、カボス汁を入れるとピンク(酸性)に変わりました。
紫色からピンクに変わる瞬間のグラーデーションに見惚れていると、その様子から「夜明けのハーブティー」と呼ばれているとか。
モナコのグレース・ケリー王妃が愛したハーブと聞いて、全員の目がキラリ!輝いたように思ったのは錯覚でしょうか?

      
      紫色からピンクのグラーデーション    グレース・ケリー(女優時代)

二番目は、「香り高いハーブティー」です。
ローズはオールドローズ(原種)の花びらで、「花の女王」と呼ぶにふさわしい上品な甘い香りが特徴です。
ホルモン分泌のバランスを整える女性のためのハーブと言われ、他にも鎮静・強壮・強肝などに効くそうです。
効能だけでなく、いつ飲んだら効果的か、料理と合わせるなら・・・実践的なアドバイスが役立ちます。

                      
                         上品な甘い香りが特徴のローズ

三番目は、「栄養豊富なハーブティー」
ローズヒップ、暁庵も勧められて飲んでいるハーブです。
「ビタミンの爆弾」と呼ばれるほどビタミンが豊富で、中でもビタミンCはレモンの20倍以上、ビタミンA、B,Eなども含みます。
美肌効果、便秘・利尿、疲労回復、眼精疲労、月経痛緩和、妊娠中の栄養補給などに有効で、ローズヒップは相田さんの一押しのハーブティーです。

程よい酸味と甘い香りを楽しんでいると、
「あらっ! ローズヒップってピンク色じゃないの?」
数人の方がハーブティーを出す店でローズヒップを頼んだところ、強烈なピンク色だったそうです。
でも、相田さんが淹れてくださったローズヒップは穏やかな黄色系です。
品質の違いか、わざと色素で色を付けているのかわかりませんが
「これが本当のローズヒップの色なんですね・・・」と皆さま納得して大笑いでした。

                       
                            程よい酸味と甘い香りのローズヒップ

ハーブは欧州やアメリカでは人気が高く、有効に利用されているそうですが、日本は少し遅れをとっている・・・という話を興味深く聞きました。

・・・楽しい時間はあっという間に過ぎてしまいますね。
名残を惜しみながら第3回お茶サロンを終了しました。
お客様、相田康子さん、半東Kさんに心から一座建立の御礼を申し上げます。
ありがとうございました。 また、きっとお会いできますように・・・  
 ( 素敵な写真は相田康子さんの提供です)


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