暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

古稀をお祝いする茶事・・・その1 七夕のうた

2019年07月30日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)



7月14日(日)にN氏の古稀をお祝いする茶事をしました。

N氏は暁庵の茶道教室の生徒さんです。
この度目出度く古希を迎えられたので、なにかお祝いをしたいと思いましたが、茶事しか思いつきませんでした・・・。
社中の方や小堀遠州流の友人にお声掛けしたところ、皆様、快く茶事へ参席してくださるとのことで感激しました。

茶事支度をしながら茶事の師匠(勝手ながら秘かに思い込んでいる)のお言葉を急に思いだしました。
「茶事をするからには心を込めることは当たり前、心を込めるということをどのように表現し、相手にわかってもらえるか、自分なりの表現をすることが大切です」・・・と。

「お祝いの気持ちを温かく、さりげなく、されどしっかりと、どのように伝えたらよいかしら?」
あれこれ試行錯誤で考えている時が茶事支度で一番楽しい時かもしれません。
思い詰めている時よりも全く違うことをやっている時にふっとアイディアが浮ぶことが多く、不思議です。
7月なので七夕に因むエピソードや事柄を散りばめながらお祝いの気持ちを表わしたいと思いました。

その日はあいにく朝から雨模様、昨日のうちに腰掛待合や庭の蹲踞はあきらめて、雨仕様に切り替えました。
亭主の迎え付けは省略です。
玄関前の陶器の蹲踞を使い、そちらで心身を清め、茶道口から席入りして頂きました。



待合の掛物は色紙、紀貫之の七夕の和歌(新古今集)が書かれています。
大好きな和歌なので、社中のKさんに頼み込んで書いて頂いたもので、本日一番の御馳走かもしれません。
万葉仮名でしょうか、繊細で美しい仮名文字ですが、読めませんので下に注釈を置かせて頂きました。



    ひとゝせに
  日とよ登於もへと
   七夕の阿能見牟
    秋農可き利那き
          可奈


(読み下し)  ひととせに一夜(ひとよ)と思へど 七夕の
           逢いみむ秋の かぎりなきかな         

歌の意味は、一年にたった一夜と言うけれど、七夕の二人が逢う秋はこれからも限りなく続くのだから、なんと羨ましく、素晴らしいことだろう。
時の流れに色褪せない二人の永遠の愛を謳ったこの和歌は、N氏にぴったりと思いました。

お正客はもちろんN氏ですが、次客と三客は小堀遠州流のYさんとKTさん、四客から六客(詰)は暁庵社中でSさん、Uさん、Kさんです。
本席の御軸は「喜 無量」、前大徳 教堂宗育和尚の御筆です。
古希を迎えたN氏を皆さんと一緒にお祝いする喜び・・・様々な喜びが何重にも重なってはかりしれません。



ご挨拶の後、半東・KTさんと懐石・佐藤愛真さんに同席して頂いて、短冊にN氏へのお祝いの詞と自分の願い事を一つだけ書いてもらいました。
皆様、思い思いの和歌や俳句、お祝いの詞などを筆で短冊に書いています。(ご披露したいところですが・・・)
うたを唱和した後、うんうん唸って書いた和歌と願い事の短冊を笹飾りに結びつけました・・・童心に帰ったような楽しい時間が過ぎていきました。
和気合い合い、照れくさそうに耳を傾けているN氏、願い事にそれぞれの個性やら家庭事情やら諸々が見え隠れし、一段と皆さまとの距離が近くなり親しみが深くなった気がしました。

いつまでも七夕の思い出に浸っていたいところですが、初炭になりN氏に炭所望しました。
「何卒、お炭をお願いいたします」
炭所望は、炭を置いた後の風炉中拝見や水次を持ち出して釜を清める所作もあります。
稽古で何回かやって頂いているので淡々と素敵な所作でした。「ありがとうございます」



床前に七夕飾りがあるので、点前座は丸畳、長板二つ置きです。
風炉は唐銅道安、一之瀬宗和造、釜はお気に入りの糸目桐文車軸釜、長野新造です。
水指は李朝の刷毛目そろばん形(?)、N氏は李朝の物がお好きなので、この水指を選びました。

炭斗は淡々斎好みの鵜籠(竹宝斎作)を使ってみました。
火箸が面白く、岡山城大手門古釘で作られています。
羽根は天の川の星座をイメージして白鳥にしました。
香合は秋草蒔絵琵琶香合、山中塗の中村孝也作です・・・織姫の琴座に因み琴にしたかったのですが、琵琶で七夕の二人の逢瀬を奏でました。


        古稀をお祝いする茶事・・・その2へつづく



横浜美術館の「原三溪の美術」展へ・・・その2

2019年07月25日 | 美術館・博物館


(つづき)
沢山の展示品の中で特に心に残ったものを記念に記しています(順不同)。

森川如春庵が作った信楽茶碗2碗(昭和4年ごろ)
信楽茶碗2碗が並んで展示されていました。
両方とも森川如春庵作、同じ土で作られていることが一目でわかりますが、次のエピソードが興味を引きました。

大きい方の信楽茶碗は、森川如春庵が自作し、中村富次郎(中村好古堂)に贈呈したもので、中村はこの茶碗に仕覆と箱を作り、三溪に箱書きを頼みました。
三溪は「熟柿」と名づけましたが、魅力的な信楽茶碗が大いに気に入り、「是非小生にも一碗御恵投願上度」と書かれた書簡を如春庵に送ったそうです。
後日三溪の元へ贈られたのがもう一つの、一回り小ぶりの信楽茶碗でした。
「熟柿」はどっしりとした形状が素晴らしく、茶事や茶会に映えると思いますが、三溪は贈られた小ぶりの信楽を日常的に愛用したのではないでしょうか。
手持ちの頃合いが良さそうで、上から覗き込むと見込のビードロ釉が美しい茶碗です。


    秋の終わりに春草廬へ


    三溪園の茶室・春草廬(重要文化財)

黒織部茶碗「文覚」
久しぶりに黒織部茶碗のお気に入りにお出合いし、この茶碗でお茶を一服頂けたら・・・とつい想像した。
歪みがあるので、「どこを飲み口にしようかしら?」と迷うのも楽しそう・・・緑色のふっくらとした薄茶が黒織部に映えて美しく、やがてゆっくり喉を潤していく。
飲み終わると、平たい底部に小さな緑の茶溜まりができて、その風情は如何ばかりか・・・想像はどんどん膨らんでとめどない。
胴に描かれた織部独特の大胆な幾何学模様がシンプルで好ましく、茶碗の印象を鋭くモダンなものにしている。
口縁部に白い釉薬が掛かり、その貫入の景色に一入魅せられました。

買入覚や「一槌庵茶会記」にこの作品と特定できる記述はないそうだが、漆塗りの箱の蓋表に「をり部」の紙片があり、蓋裏に朱の漆で「文覚」の銘と、三溪の花押が書かれている。
三つの△が並んだ三溪の花押、始めて拝見した朱漆の花押は生々しく今も脳裏に焼き付いています。


三溪園の茶室・蓮華院(元の場所と違う場所に建てられているが、こちらの小間が「一槌庵」)

高麗根来茶箱  朝鮮時代
「う~ん、何これっ?・・・なんて個性的な茶箱なんだろう!」と少々呆れ顔で三渓が自ら仕組んだ茶箱を長時間睨んでしまった。
説明よりも是非一見を・・・。手帖に書き写してきた解説を記します。

真鍮の鍵付きの李朝の手箱を茶箱としたもの。
S.13年4月の白雲洞の茶事に用いられている(仰木政斎「雲中庵茶会記」)。
当時の茶碗は柿の蔕「木枯」(別に展示中のNo.79)、茶杓は宗旦「何伽」。
薄器と香合は今も収められている。宗旦在判の曲物の中次と、香合は唐招提寺の釘隠しであった。
茶巾置に瓦経(がきょう)断片、釜敷に枯蓮の実が収められている。



   枯れた蓮の実


   9月頃の三溪園の蓮池

伝雪舟等楊 「四季山水図巻」 室町時代 京都国立博物館
三渓は終生この作品を鍾愛し、死去の前々日にこの巻子を枕頭に披いて生涯最後の鑑賞とした・・・と解説にありました。

牛を引いて田畑を耕す農夫、
仕事を終えたのだろうか・・畦道を行く農夫
池のほとりの梅の木の下で語り合う二人の男
川と橋が描かれ、風が松の梢を揺らしている

・・・図巻を見ていると「まるで三溪園みたい・・・」と思いました。
三溪園を造り、三溪園で暮し、三溪園を深く愛した三溪翁が生涯最後に見たという「四季山水図巻」、
その時の三渓の様子を想像すると、胸が張り裂けそうになりながら
「きっと三溪翁はこの図巻を見ながら三溪園を愉しく逍遥していたに違いない・・・」と思ったのでした。


 原三溪 「芙蓉」 (大正14年)

これから展示替えが2回位あるそうで、横山大観の「柳陰」(7/26~8/7)や下村寒山の「弱法師」(8/9~9/1)を鑑賞しに、また「原三溪の美術」展へ行きたいと思っています。 この夏は忙しくなりそうです。


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横浜美術館の「原三溪の美術」展へ・・・その1

2019年07月21日 | 美術館・博物館


7月20日(土)、横浜美術館の「原三溪の美術」展へ行きました。

10時に横浜美術館にN氏の車に便乗して到着。
入口でN氏、KTさん、Hさんと合流し、早速、余分な荷物をロッカーに預けて2階の展示室へ。
14時から レクチャーと鼎談「三溪の古美術収集と美術家支援 ―三溪資料研究の現在(いま)」があり、こちらも今日のお目当ての一つです。詳しくは後ほど書けたら良いのだけれど・・・。
 

 

「原三溪の美術」展は主に4つのテーマ(視点)に分けて展示されていました。
①コレクター三溪、②茶人三渓、③アーティスト三溪、 ④パトロン三溪です。
プロローグとして、原三渓の生い立ち、横浜の生糸商人・原善三郎の孫娘の原やすと結婚し、婿養子となったことなどが紹介されていて、こちらも原三溪の人となりやアーティストとしての天分を知るうえで貴重です。




感動したたくさんの展示品の中からいくつかを記念に書き記しておきます(順不同ですが・・・)。

孔雀明王像 (国宝、東京国立博物館蔵)
コレクターとして原三渓が世間の注目を浴びたのは、明治36年(1906年)「孔雀明王像」(平安時代後期)を井上馨から破格の1万円で購入したのが始まりだったようです。
原三溪が蒐集した美術品は5千点とも言われていますが、その中でもお目に掛かりたかったのが「孔雀明王像」、今回の展示でやっと願いが叶いました。
音声ガイドを借りたので、3回解説を聞きながらゆっくり見学しました(混んでなく、ゆったり鑑賞できるのが嬉しい!)。



孔雀の背に乗っている(?)孔雀明王は、毒蛇を食べその毒を甘露としてしまう孔雀を神格化したもので、病気平癒や無病息災また請雨止雨に効果があるとして信仰されていました。
光背のように孔雀の羽を広げた部分は特に美しいけれど、肉眼では距離もあり細部が見えにくく、双遠鏡で見ている人を羨ましく思いました。
4つの手には柘榴、孔雀の尾羽根、蓮華、俱縁果(レモン?)を持ち、それらには呪術的な意味があるらしい。
深く沈んだ色調の中に朱、緑、金の鮮やかな色彩が孔雀明王をより神秘的、魅力的に輝かせています。

いったいいつの時代に誰がこのような画像を誰に描かせたのだろうか?
(昨年6月24日、山形の鈍翁茶会・呈茶席の床に掛けられていた「春日鹿曼荼羅」が思い出されました・・・)
原三溪は「三溪帖」(関東大震災で焼失、草稿だけが残っている)解説草稿において藤原中期の代表作と評価したそうですが・・・。



「高野切古今集」(国宝 平安時代)
「藍紙本万葉集」(国宝 平安時代 京都国立博物館蔵)
「葦手下絵和漢朗詠集」(国宝 平安時代 京都国立博物館)


さりげなく置かれている貴重な古筆類、あやうく見落としそうに・・・「高野切古今集」「藍紙本万葉集(伝藤原伊行)」「葦手下絵和漢朗詠集(藤原伊行)」はいずれも国宝です。
まったく読めないかしら?と思いきや、なんとなく読める部分があって嬉しく、美しい仮名文字や個性あふれる絵を散りばめた書きぶりに魅了され、これまたわからないなりにワクワクしながら観賞しました。

仮名文字に急に興味を持ったのは、先日茶事があり、社中のKさんが紀貫之の七夕の和歌を繊細な仮名文字で色紙に書いてくださったからです。
仮名文字の美しさや奥深さに触れる機会にまた巡り合うことができました・・・。

日課観音と井戸茶碗「君不知(きみしらず)」
暁庵は茶人三溪のテーマに一番関心があり、どのようなお客様を招いてどのような茶会をし、その茶会に用いた茶道具は何を語ってくれるのかしら・・・と興味津々でした。

昭和12年8月6日、原三溪の長男・善一郎が急逝し、8月15日に三溪は追善の思いを込めた浄土飯の茶会を催しました。
床に日課観音が掛けられ、井戸茶碗「君不知」で薄茶がふるまわれたという。
日課観音は源実朝が日々描いた白衣の観音像で、こちらも長年一目拝みたいと思っていたのでした。
白衣の日課観音は一瞬の清寂の中、何か悲しげに見え、描き手の実朝の生真面目な性格や、ストイックで孤独な日常などが想像されました。
井戸茶碗「君不知」はとても小ぶりな茶碗で、松平不昧旧蔵です。



蒲生氏郷の茶杓
時代を経て、作り手や持ち主のセンスを感じさせる茶杓がどれも素晴らしく、三渓の好みが窺える楽しいひと時でした。
蒲生氏郷、瀬田掃部、杉木普斎、高橋箒庵(の四杓が展示されていましたが、それぞれ個性や見どころが違い、興味深く拝見しました。(展示時期を変えて、佐久間将監や藤村庸軒の茶杓も展示されるとか・・・)

特に蒲生氏郷の茶杓がお気に入りです。(展示が7月24日まで)
蒲生氏郷といえば、織田信長、豊臣秀吉に仕えた武将で、利休七哲の筆頭とも言われている桃山時代の茶人です。
利休切腹の折、少庵をひそかに領地・会津若松に引き取り、徳川家康と共に少庵の赦免帰京を秀吉に嘆願した、気骨も情けもある人物です。、
細身で武人の茶杓らしい緊張感と共に、丸い穏やかな露の形状が氏郷の人柄を髣髴させる。
竹の縞模様がアクセントになって、よく見ると縞模様が絣の格子模様のようにも見え、モダンな印象を与えて、レオン(レオ)の洗礼名を持つキリシタン・氏郷がしのばれます。
原三溪の「一槌庵茶会記」に、大正7年(1918)1月30日の蓮華院の茶会で「宗旦まけもの」の茶入とともに使用したと書かれていて、きっと愛杓の一つだったことでしょう。



   
      「原三溪の美術」展へ・・・その2へつづく


PS)お席がありますので引き続き、「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会のお申し込みをお待ちしています。
   詳しくはこちらをご覧ください。 申し込みは28日(日)までに変更いたします。

   「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会
   日時:令和元年 8月2日(金)と3日(土)の2日間  
   14:00~18:00(時間内フリーです)
   席:拙宅・暁庵  横浜市旭区今宿
   横浜駅より相鉄線二俣川駅下車(2台駐車可能、参加の方にアクセスなど別途お知らせします)
   会費:1000円 (当日お持ちください。薄茶(何服でも・・・)と点心をお出しします)
   メールでお申し込みください。 メール:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp 


PS)8月2日(金)のお席が満席になりました。ありがとうございます。
   8月3日(土)は残りが2席となりました。お早目にお申し込みください。(7月26日記)



原三溪の美術展と粗茶一服いかがですか?・・・応募終了いたしました

2019年07月11日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

   国宝「孔雀明王像」  (原三溪旧蔵 東京国立博物館蔵)


横浜美術館で「原三溪の美術」展
がもうじき開催されます。

横浜美術館開館30周年記念 生誕150年・没後80年記念 
   原三溪の美術 伝説の大コレクション

   会期 2019年7月13日(土)~9月1日(日)
   主催・会場  横浜美術館 
(横浜市西区みなとみらい3丁目4番1号  TEL:045-221-0300(代表) 詳しい案内やアクセスはこちら







原三溪翁を尊敬申し上げている暁庵は胸をときめかせながら、原三溪の至宝、伝説の大コレクションと出逢える日を待っているところです。
関東近郊はもちろんのこと、夏休みを利用して全国から展覧会を見に来る方も多いかと思います。
ささやかながら、横浜美術館の「原三溪の美術」展を応援したく、下記の日程で我が家で気楽な茶会(?)を致します。
「原三溪の美術」展や、横浜や横浜美術館のことなど、楽しくお茶談義しながら、粗茶一服と点心はいかがでしょうか?
茶会の時間帯だけ決めて、どなた様も気軽にお立ち寄りくださると嬉しいです。
また、御一緒にお点前やお運びをお手伝いしてくださる方がいらしたら、宜しくお願いいたします。メールにてご連絡くださいませ。





「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会

日時:令和元年 8月2日(金)と3日(土)の2日間  
   14:00~18:00(時間内フリーです)
席:拙宅・暁庵  横浜市旭区今宿
   横浜駅より相鉄線二俣川駅下車(2台駐車可能、参加の方にアクセスなど別途お知らせします)
会費:1000円 (当日お持ちください)
概要(予定):薄茶と点心をお出しします
お客さま:各日10名様(準備の都合上)
応募方法:メールにてお申込みください(氏名、住所、連絡先電話、簡単な茶歴(流派も)など)
     メールアドレス:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp
応募期間:7月12日(金)~7月31日(水)まで(定員になり次第、応募を終了いたします) 
  応募期間を準備の都合上、7月28日(日)までに変更させて頂きます。

その他:満席になりましたら、この欄の追伸にてお知らせいたします。
    皆様のお越しを心からお待ち申しております・・・

     


追伸)8月2日(金)のお席が満席になりました。ありがとうございます。
   8月3日(土)は残りが2席となりました。お早目にお申し込みください。(7月26日記)


追伸)7月28日をもちまして「原三溪の美術展」応援のお気楽茶会の応募終了といたしました。
   いろいろご検討いただき、ありがとうございます。
   「原三溪の美術展」は9月1日まで横浜美術館で開催されております。
   暑い最中ではございますが、お一人でも多くの方が”原三渓の幻の秘宝”をご覧くださいますよう願っております。(7月29日記)



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車で四国遍路・・・(4)初めての車中泊

2019年07月10日 | 車で四国遍路


初めての車中泊は道の駅「ひなの里かつうら」(徳島県勝浦郡勝浦町)でした。

慈眼寺(別格第3番)から道の駅「ひなの里かつうら」へ到着したのは17時の閉店間際でした。
「えっ!17時で食堂が閉店なのですか? 近くに食堂があったら教えてくれませんか?」
「喫茶オレンジ」の店員さんがとても親切にお接待してくださって、飲食店やらお風呂の情報を教えてもらい助かりました。
道の駅は17時閉店が多く、食堂や産地直売のモールがあっても車中泊の人にはほとんど役に立たないことがわかりました。
その代りといっては何ですが、駐車はフリー、閉店中なので静かで、トイレが夜間でも使用可能なので有難いです。


       勝浦町の「ガーデンタイムこのむ」で夕食

お勧めのレストランは「ガーデンタイムこのむ」、19時閉店なので最初に行くことにします。
イングリッシュガーデン風の広い庭があり、300種類以上の木や花が植えられているそうです。
早速食事前に散策しました。
白、ピンク、紫の花々が咲き乱れ、庭を見ながら食事できるスペースもあって、素敵で個性的なレストランでした。
こちらで夕食(ツレはピラフ、私はパンが食べたくってオーブンサンドのプレート)を食べました。
お遍路さんなので、なるべく倹約して夕食の予算は一人千円以内です。


     第8番熊谷寺の山門脇の田んぼ

風呂は「清流荘」というデイサービスの施設内に「天然温泉かけ流し・喜楽の湯」があり、入浴料300円で入れるとのことでした。歩くと30分以上かかりそうなので車で行きました。こちらは20時まで。
途中のコインランドリーで3日分の洗濯と乾燥をすませ、21時頃に道の駅へ戻りました。

私たちの他にも車中泊の車が10台ほど居たように思いますが、広い駐車場だったし、手作りのカーテンで窓を覆ったので、外のことはあまり気になりませんでした。
後部座席を倒して設えたベッド部分から段ボール2個(食料、調理器具、食器、雑貨、茶箱などを収納)とリュック2個(衣類が入っている)を運転席側に移すと、そこは快適な(?)寝室空間に早変わりです。


    昼咲月見草と古い道しるべ・・・第9番法輪寺で

いつもなら本を読んだり、パソコンに向かったり、テレビを見たりの気ままな時間帯ですが、電気もなく何もやることがありません。明日のスケジュールを確認して、早々に寝袋へもぐり込みました。
ベッド部分は敷布団2枚を重ねているので、背中も腰も痛くなく快適でしたが、敷布団一枚に大人2人が寝るのですから横幅が狭く、寝返りをうつのが大変でした。

それでも疲れていたし、「天然温泉かけ流し・喜楽の湯」のおかげでポカポカ温かく、いつの間にか寝入っていました。
夜中に寒くって目が覚めました。ツレも寒くって目が覚めたみたいです。
怖いので一緒にトイレへ行ってもらいました。
ふたりとも持って来た衣類を重ね着して、また寝袋にもぐり込み、朝までぐっすりでした。

翌朝、6時に起床。道の駅のトイレが大活躍。
トイレはもちろんのこと、歯磨き、洗顔、飲料水の調達までお世話になりました。
持参の薬缶とコンロで湯を沸し、備え付けの木のテーブルで朝のコーヒーを飲んだのですが、朝食に何を食べたのか・・・う~ん、思い出せません。
今日(5月22日)も車中泊の予定ですが、どこに泊ることになりますやら?


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