暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

涼を求めて-保津川下り

2014年07月31日 | 京暮らし 日常編
7月18日に涼を求めて保津川下りへ初めて出かけました。
MさんとTさんがいらしたので、私たちも便乗です。

JR花園駅から山陰本線で亀岡駅まで行き、
そこから保津川下り乗船場へ徒歩10分でした。

乗船前に「お焼き」とお茶を買い込み、浮き浮きと大人の遠足みたい。
10時出発の舟に間に合い、前から2列目に座りました。

梅雨の最中だというのに水量が少なく、船頭さんは3人でした。
「今年は空梅雨で、今が一番水量が多い時なのですが・・・。
 水量が多いと危険も増すので、船頭を増やし、最大5人になります。
 安全第一でいきますが、救命胴衣を腰に付けてください」

          
             奥に見えるのが6月に登った愛宕山

最初はほとんど流れがないような川を下って行くので
若手の船頭さんが棹を使い、舟を押し進めます。
真剣な棹捌き、吹き出す汗が飛び散って、目を見張るような働きぶり、
爽快感すら感じました。

ベテランの船頭さんは手漕ぎの櫂を操りながら、
保津川下りの歴史や見所をを話してくれました。

慶長11年(1606年)豪商・角倉了以が木材や物資を京都を経て
大阪へ輸送するために保津川を整備し、水運として栄えたそうです。
下って行くと、川を見守る神社、川湊の石積の跡、舟を人力で曳いたという山道、
船頭の棹の跡がついた岩穴が数ヶ所あり、400年の歴史を伝えています。

           
              JRの鉄橋と何度も交叉します

昨年9月に襲来し、嵐山の渡月橋付近が浸水の被害を受けた台風18号。
その時の爪痕が今だに見られ、
「あそこまで増水したんです。JRの線路まであと少しでした」」
崖崩れや倒木など、それとわかる場所も多く、水害の恐ろしさを感じました。

           

瀬に差し掛かると、飛沫よけのビニールをかぶり、
大きな岩と岩とのはざまを滑り抜けていきます。
水量が少ないので舟底に石があたる感触が怖いような、愉しいような・・・。
大きな叫び声を出して、思いっきりスリルと涼しさを体感しました。

           
            うらやましいな! ラフテイングの訓練中

実は(遠い目)・・・川下りが大好きでした。
大きな河・・・ミシシッピイ河、テムズ河、長江、ナイル河
       (1週間から数日かけての観光川下りですが・・・)
小さな川・・・天竜川、木曽川、四万十川、吉野川、球磨川
       相模川(カヌー体験)、
       北海道美々川と釧路川(カヌー体験)

そして今回、保津川下りが加わって嬉しい!

「舟は歩かないで楽しめるから楽でいいわねぇ~」
近寄ってきた舟の売店でみたらし団子を買ってみんなでパクつきました。

           
            舟の売店・・イカを焼く匂いが食欲をそそります

1時間40分の保津川下りの終着場は嵐山です。
春の桜、秋の紅葉、雪景色など季節を変えてきたいな・・・と思ったら、
前席の女性は7回目だとか(・・気合いが違いますね)
またみんなで来れるといいなぁ~!

           

            
                 終着の嵐山・渡月橋近辺 

                                        

法金剛院の蓮

2014年07月29日 | 京暮らし 日常編

7月18日の朝、祇園祭にいらしたMさん、Tさんと4人で
JR花園駅近くの法金剛院へ寄りました。
法金剛院は蓮の名所で、以前から気になっていた寺院です。
7月12日~8月3日まで早朝7時から観蓮会が行われています。

            
               待賢門院が建立した法金剛院

鳥羽天皇の中宮・待賢門院璋子(康和三年(1101)-久安元年(1145))が
平安時代初めからあった寺を中興し、大治5年(1130)、
都の西方に極楽浄土を求めて壮麗な伽藍を建て、法金剛院と号しました。

最盛期には九体阿弥陀堂、丈六阿弥陀堂、待賢門院の御所が立ち並んでいたそうです。
度重なる災害により、当時の面影はありませんが、
平安末期の浄土式庭園の遺構が1968年に発掘され、復元されています。

回遊式浄土庭園の池には蓮が高く生い茂り、白い蓮が見ごろでした。

いろいろな蓮(約90品種)があるようですが、私には二種しかわかりません。
純白の白と可憐なピンクと。

ピンクもあるのですが、白が多く、早朝の清々しい気配の中、
白蓮の気高い美しさが心に残りました。

横浜・三溪園の早朝観蓮会を懐かしく思い出しましたが、
三溪園はピンクが多かったので、池一面の白い蓮が珍しく、嬉しいです・・・。


  

            


待賢門院に仕え、中宮と共に落飾した待賢門院堀河の歌碑が庭にありました。
百人一首に選ばれている次の歌です。

   なかゝらむ心もしらす黒髪の
       乱てけさは物をこそおもへ    待賢門院堀河


            

            

本堂へ上がると、広々とした畳敷きの空間で、風が通り抜けていきました。
大の字になって昼寝をしたらさぞや・・・と思ったら、貼り紙が・・・。
「昼寝をしないでください」

本堂の裏の仏殿へ廻り、大きな阿弥陀如来さま、美しい十一面観音さま、
衆生を救ってくださる地蔵菩薩さまを拝観しました。
どの仏さまも私たちを極楽浄土へ導いてくださる、慈悲の心に溢れ、
朝夕、祈りを捧げたであろう、待賢門院璋子の晩年をふと想いました。

さぁ~、これから保津川下りへ出かけます。

                                                   

祇園祭ー2014前祭

2014年07月26日 | 京暮らし 年中行事
           (前祭の宵々山・・・暮れなずむ、この時間が好きです)


暑中お見舞い申し上げます

連日37℃を越え、熱中症が心配されますが、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

PCを置いている小部屋にクーラーがなく、PC移動もままならず、
ブログをご無沙汰しております。
・・・とここまで書きましたら、以心伝心。
庭にたっぷり水が撒かれ、涼風が小部屋(書斎兼物置)を通り抜けていきます。

           
              イメージ(露を含んだ金毛院の露地)
            

祇園囃子とともに熱い暑い夏がやってきました。
思えば・・・京都へ家うつりしてクローズしていた「暁庵の茶事クロスロード」を
再開したのは「祇園祭」に感動したからでした・・・。

今年も祇園祭を楽しみましたが、暑さに負け、おまけに夏風邪をひき、
前祭は宵々山と宵山、後祭は宵々山と、夜のみの徘徊となりました。

            

            

7月15日、先ず八坂神社へお詣りしました。
境内では白木槿の「祇園守り」が売られていましたが、これから宵々山へ
繰り出すので涙を呑みました。
三基の神輿が鎮座している前で、ばったり権禰宜さんにお会いでき、びっくり!
これもお詣りのお蔭かもしれませんね。

            
               芦刈山の前懸・・山口華楊原画の段通「凝視」

            
                 蟷螂山のおみくじに長い列

前祭の宵々山は、保昌山-岩戸山-木賊山-太子山-油天神山-芦刈山
-蟷螂山 と廻りました。
夕闇が迫る中、提灯が次第にその輝きを増し、浴衣を着た人々のシルエット、
かわいらしい子供たちの掛け声が宵山独特の風情をかもしだしています。
会所めぐりをすると、素晴らしい懸想品に見惚れ、新しい発見があります。
熱心に説明してくださる山を守る人たちとの触れ合いも嬉しいことでした。

           
             素晴らしい懸想品ですが、どこの山だったかしら?

7月16日、大学時代の友人MさんとTさんが祇園祭へやってきました。
夕方5時半頃、長刀鉾、函谷鉾、月鉾を見に四条通りへさしかかると、
人の流れがぶつかり合い、進むどころではなく押し倒されそうでした。
地元の方でしょうか?
「魔の30分といって、歩行者天国になる前の30分が一番危険なの・・」
まさしく、一人倒れれば将棋倒しになり、死者が出るような怖さを感じ、
車道の方へみんなで逃げました。

           
            屏風祭・・・町家で秘蔵の屏風や美術品を飾ります

明るいうちに最初の訪問先「杉本家住宅」へ到着、
暮れゆく庭の風情を愛でながら、伝統ある町家の夏座敷、
客間に飾られた「秋草屏風」(俵屋宗達)などを拝見しました。

ご当主夫人が庭に水を撒いてくださいました。
年季の入った水の撒き方に感動して、ついお声を掛けてしまいました。
すると、「灯篭に灯を入れますので、少しお待ちください」
次々と灯籠に灯が入り、そこだけ別の時間が流れていくようでした。

           

           
           船鉾の上から新町通を見る  

大学時代の友人K氏と「エール新町」で合流し、5人で夕食を楽しみ、
学生時代に一瞬戻ったような・・・。
みんなで船鉾見学に1時間並びましたが、最終回に入れてヨカッタ!
船鉾の上へ座ると、思いがけない高さで、囃子方が座る欄干も狭く、
揺れ動く鉾の上の囃子方の苦労を初めて知りました。
天井に華麗な花が描かれ、今年の花は「茶の花」だとか。

鶏鉾の見送、16世紀にベルギ-で造られたという毛氈を堪能し、
函谷鉾の前を通り過ぎると、お囃子が急を告げて、函谷鉾の提灯落しが・・・。
(提灯落しは船鉾に並んだ時に、相模原市から毎年祇園祭に来ているという
 女性から初めて聞きました)
宵山最後のクライマックス、提灯落しを待っていると、あっ!という間でした。
見たのか、見なかったのか・・・提灯が消えると、サッと一斉に落ちました。

            
             函谷鉾の提灯落しの直前(瞬間は撮れず・・)

こうして前祭の宵山を終わり、翌日の巡行はテレビ観戦とあいなりましたが、
友人MさんとTさんは元気よく走り回って巡行を観たそうです。

                                   

京の月釜  雨の金毛院

2014年07月15日 | 献茶式&茶会  京都編
7月13日(日)、法然院塔頭・金毛院の月釜へ出かけました。
文月の供茶「金毛院」とあり、ぜひ伺いたい・・・と思いました。

その日は朝から雨がぱらつき、金毛院の滑りやすい急坂を
  「雨の日は雨の中を  
   風の日は風の中を」  (相田みつを)
の詩を思いだしながら上りました。

待合の掛物は、鈴木基一筆「葡萄に甲虫」。
濃紺地に金色で葡萄が描かれていますが、虫が何処にもいません。
すると、お声が掛かり
「光線の具合でこちらから甲虫がみえますよ」

夜桜棗みたいに光線の具合で鮮明に甲虫が現われ、面白い画でした。
もう一つ、表具の風袋が1本で珍しく、初めてです。

          


苔が露を含んでキラキラ輝いている露地を眺めると、
濡れた敷石の向こうに腰掛待合が手持無沙汰のようす。
いつもは露地草履を履いて露地を進み、蹲を使って席入りするのですが・・・。

若住職の娘さんでしょうか、赤い浴衣を着た可愛いい女の子の案内です。
「お席の準備ができましたので、どうぞお入りください」
席札を女の子が持っている籠へ入れ、廊下伝いに席入りしました。

              

四畳半の茶室は東側に台目床と台目の書院があり、
西側に大きな吉野窓があります。
窓の障子が開けられていて、雨に濡れた樹木の向こうに
少し明るくなった空が見え、気持ちの良い席でした。
11名が譲り合って座り、正客は顔なじみの男性で運よく次客です。

先ほどの女の子が菓子を運びだし、お点前が始まりました。
席主(若住職の母上?)からお話を伺いながら・・先ずはお菓子。

津軽籠に梶の葉を敷いて、ハマグリが3個のっていました。
菓子銘は「浜土産(はまづと)」、亀則克製の夏期限定だとか。
ハマグリを開けると、大徳寺納豆入りの琥珀色の寒天が美しく涼感たっぷり、
貝の蓋をスプーンにして食べるそうです(・・・ナルホド!)。
程よい甘さに塩味と大徳寺納豆が効いていて、絶品でした。

              
                   「浜土産(はまづと)」 亀則克製

団子が先になりましたが、花は白木槿、庭藤、撫子が蝉籠に入れられ、
香合は珍しい泰国産のマンゴスチンです。

風炉先は、淡々斎好み三組銀箔押、裕軒造。
真塗長板、丸っこい雲華の土風炉(半七造)に仙叟好みの夕顔釜、
水指は伊万里の染付、黒塗り蓋に霊子(キノコ)が赤で描かれ、直入画だそうです。

正客に続いて、丁寧に点てて頂いた薄茶をたっぷり美味しく喫みました。
主茶碗は、高麗青磁蓮華文、厚く深みのある青磁は珠光青磁を連想しました。
替茶碗は刷毛目、初代長楽造です。
初代長楽の茶碗で頂くのは初めて(?)なので調べてみました。

小川長楽 
初代 1874~1939
1886年、11代楽吉左衛門(慶入)に弟子入
1904年、12代楽吉左衛門(弘入)の命を受独立
1906年 建仁寺4世竹田黙雷より「長楽」を、
     裏千家13代圓能斎より「長友軒」の号を授かり、
     京都・五条坂、若宮八幡宮近くに長楽窯を築窯
1911年、京都市左京区岡崎天王町に移窯   (今は三代目で移窯)


         

三客は丹波焼、黒の平茶碗で、見込みに土見せと黒丸があり、個性的です。
他にも相馬焼、明石焼、水戸偕楽園焼ありで、
もう一人の席主(若住職)が解説してくださり、お話が盛り上がりました。

薄器は、七宝草花蒔絵透胎棗。
豪華な平棗で、白蝶貝かギャマンがはめ込まれているように見えました。
でも、手に取ってみると軽く、アクリル樹脂で出来ているそうです。
三代・表朔の作だけあって、デザインが斬新で迫力があり、
緑の抹茶が草花蒔絵の間に透けて見え、これからの薄器かもしれませんね。

細身の茶杓(中節)は飴色になっていて、小堀左馬之助作です。
新時代の薄器に古い茶杓の取り合わせを一座でワイワイ楽しみました。

(小堀左馬之助正春(1595年-1672年)は小堀遠州の異母弟、小堀仁右衛門家の初代。小堀仁右衛門家は600石の旗本で、代々京都代官を務め主に禁裏の作事を担っていた。
慶安4年(1651)宗旦四男の玄室(仙叟)は、小堀左馬助正春の肝煎りで、
加賀小松家前田利常に召し抱えられた )


             

最後に(とっておいた?)、軸のお読み上げを若住職にお願いすると、
「雪似鵝毛飛」  宙宝宗宇筆
(雪 鵝毛(がもう)飛ぶに似たり)
鵝毛とはガチョウの毛で、とても軽いそうです。
昔、夏に禁中へ献上された氷室の氷とはいきませんが、
せめて雪の風情を心に描いて一時の涼を・・と掛けてくださったのです。

一同、お軸の話を最後に伺って大感激でした。
葉月はお休みですが、長月の金毛院月釜が楽しみです。

                                     のち 



京仏師 樋口尚鴻展

2014年07月12日 | 京暮らし 日常編
                      「合掌観音」

6月24日、金戒光明寺塔頭・西翁院(さいおういん)で開催された
「京仏師 樋口尚鴻(しょうおう)展」へ出かけました。

ご案内を頂き、横浜行を1日遅らせ、喜んで馳せ参じました。

   京仏師  樋口尚鴻 展
    -平かな気持ちで 仏の心をもとめて-
    
     平成26年6月24日(火)-29日(日)
     午前11時~午後5時
     会場  金戒光明寺塔頭 西翁院 (左京区黒谷33)

           

それには2つ、訳がありました。
京仏師・樋口尚鴻氏とは川口美術で行われた葵祭の祭り釜
初めてお目にかかりました。
「どんな仏像を彫る方なのかしら?」
送られてきた案内の写真「慈母観音像」のお顔がやさしく穏やかで、
どこか作者・樋口氏の面影があり、個展へ誘われるものがありました。

もう1つは、会場の西翁院。
庸軒流の祖・藤村庸軒遺愛の茶室「澱看席」があるところです。
我が家から近いのですが、いつも拝観見学謝絶で、近くて遠い存在でした。
樋口氏と奥様は庸軒流をこちらでお習いしていたそうです。

自転車で主人と西翁院へ着くと、門が開けられ、
樋口氏が書かれた看板の字が目に飛び込んできました。

            

            
                     「不動明王像」           

玄関正面の不動明王像、樋口氏の御好みでしょうか、
韓国骨董のパンダジ(収納箱)が台座に使われ、素敵でした。
どの仏像にも奥様が活けられた花が添っていて、仲の良さを感じます。

            

本堂右に阿弥陀如来像がおわしました。下に次のような言葉がありました。

   この立像八寸阿弥陀如来像は
   二十年前に彫り始めましたが制作を
   中断しておりました。
   尚鴻還暦の本年結願となり
   開眼の時を迎える事になりました。
   台座はこの阿弥陀像に合わせて
   制作したものです。
             京仏師  尚鴻拝

20年かかって開眼の時を迎えた阿弥陀如来像に手を合わせました。
・・・今日の日を迎えた、京仏師 樋口尚鴻氏の思いを熱く受け止め、
胸中を慮って写真は遠慮しました。

でも樋口氏は淡々としてらして
「いつ彫るのですか? 何かサインがあるのですか?」という私の質問に
「仏像を彫るのは午前中、時にはビバルディを聞きながら・・・
 でもこの阿弥陀如来像には20年という時間が必要でした」

           

                        「 菩薩像 」

           
            仏像が置かれた、富岡鐵斎の富士画のある霞床 

本堂左手に葉書の「慈母観音」がおわしました。
さらに奥座敷にも仏像や書画が展示されていて、一つ一つゆっくり拝見しました。
トネリコ材という柔らかい材で彫ったという「合掌観音」がお気に入りです。
杢目が荒いのですが、それが個性的な味わいになっています。
どの仏像も慈悲の心に溢れていて、観るだけで温かく、自然と穏やかな心になります。

           
                 庭伝いに呈茶席の茶室へ

           
     はるか淀、山崎を臨む       淀看席(反古庵、宗貞囲の席とも)
                 

樋口氏が庸軒流の奥様と知り合ったという茶室(広間)で美味しい呈茶を頂戴し、
藤村庸軒によって貞享2、3年(1685、6年)頃に建てられたという
「淀看席(よどみのせき)」(反古庵:ほうぐあん)をちらっと見学もでき、
とても心満ち足りた時間を過ごしました。 
丁寧に対応して頂き、心から感謝申し上げます。