暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

スウェーデンからのお茶だより・・・・瑞暉亭の今昔-4

2016年10月08日 | 茶友
                 
                       掲載された本 「瑞暉亭(ずいきてい)}

私達の祖母イーダ・トロツィグ

    Gavy Stenberg Koch  ゲイビー ステンバリ- コック
    Ume Stenberg Radbuch  ウメ ステンバリ- ラドブッシュ 
    訳者  オーネル敏子


祖母について何が素晴らしいかと言えば、祖母の運命と、その中での人生、高い教養、勇気とパイオニア精神です。 
24歳の若さで30歳年上のヘルマン・トロツィグと1888年に結婚。
ヘルマン・トロツィグはもともと船員で日本にはすでに30年滞在していて当時は神戸居留地局長でした。 
このヘルマンと結婚したイーダは未知の国日本へ旅発ちました。

まず日本語を学び、最初からとても趣深い日本文化に触れ、居留地社会の中より日本人や日本文化に興味があったのです。 

絵画を学びそして 特に厳しい規則があり美しく伝統的な茶の湯に没頭します。
基本から茶を学び茶の先生(tea master)になるのに10年かかりました。
お稽古は口頭で行われ茶の湯で使われる言葉は日常会話とは異なり特別なので、イーダにとってお稽古は容易なことではありませんでした。 
シモタニ(Shiotani)先生から学んだ茶道については全て手書きで記録しました。
肥前鍋島家の流れをひく侍の娘、シモカワShimokawaは茶の湯で使用される特別な用語やヨーロッパ人には未知な哲学等を英語でイーダへ説明してくれました。

お稽古中にイーダの目に留まったのは床の間に生けられたちいさな花でした。 この花にも茶の湯の持つ特徴を見いだし、お花のお稽古に没頭するのは自然な成り行きでした。

京都の大覚寺で3年間学んだ後に3段階の資格を得、華道名 I Ho Ko Bai Sai (?訳不能)を取得。この意味するところは「心は広大な自然へ向く」。

日本文化を熱心に研究し、多くの事を知り、1921年イーダはスウエーデンへ戻って来ます。そして当時の民族博物館長Gerhard・Linblom 博士と出会います。 
一番喜んだのは1935年イーダが嘆願し、熱望していた日本の茶室・瑞暉亭が民族博物館の庭へ実現した時でした。

                  
                         1990年に再建された瑞暉亭

「スウェーデンで出版されたイーダの本」
   日本の童話、民話 1911年
   日本の茶の湯、人気のある民族記録 1911年
   日本の生け花文化 1990年

彼女は日本の民話や童話を紹介するだけでなく、茶の湯での正式な茶の飲み方、日本人の花、草花、木の枝などに対する繊細な心づかい、また日本人の考え方等を紹介しています。
日本文化の多くの事柄には隠された深い意味があり、これは私達の文化には未知な世界であり理解出来る人は限られているとイーダは紹介しています。
でもその理解不可能な深い意味を少しでも理解できる感覚を得ることが出来たらと思います。 

祖母イーダは私達の子供時代に大きな影響を与えてくれました。 
その頃はイーダの人生や勇気のある性格が私達に影響を与えてくれたとは当然理解できませんしたが、後になってやっと理解したようなものです。
姉のうめは祖母の芸術的な性格を受け継ぎ海外へ住み、ゲイビーは祖母の努力して自分の意思を貫いていく性格を受け継いでいる様な気がします。

晩年のイーダは1943年に亡くなるまで私達の家へ同居していたので、祖母の人生経験を直接聞くことができました。
祖母は外交的で、子供に対しても大人に対しても同じように接し、生まれ育ったスウエーデンの南部の、1864年に学校を卒業したカルマ―地方のことや、大人になって30年以上住んだ日本について話してくれました。
カルマー地方のアクセントは亡くなるまで変わりませんでした。 
カルマ―のアクセントが日本語にどのようなアクセントとして影響したかはわかりませんが・・・。

ちょっといたずらっぽい目は優しく聡明なブルーカラー、はっきりしたあごのラインは頑固さを語る様でした。顔は大きな笑い声と同時に明るくほころび、髪は後ろで結ばれていました。 
力強い手はお菓子を焼いたりパンを焼いたりする様な、典型的なおばあさんの手ではありませんでしたが、私達を抱擁する優しい手でした。
もちろんお茶の葉を急須にいれたり、日本の生け花の為に花をアレンジする祖母でした。
祖母と母のイーネズ(Inez)は盆石(石と砂で造る芸術)を浅鉢で造り、私達はそれを見る事がありました。


                
                   盆石の作品例 (最近、日本でも珍しくなった・・・)

長い日本滞在中に特別な日本文化を勉強した祖母は、この時代の日本を知る知識人の代表者でした。講演会をやったりしてスウエーデンに日本文化を広め紹介しました。 
ゴーテンブルグの製茶会社James Lundgren & Coに勤め、スウエーデンにお茶を飲む習慣を広めました。長年にわたり小さな村や町へも出かけて講演をし、日本の茶道の紹介をしました。 
その頃は紹介するのに今のような便利なものはなく大きな機械を使ってイラストで説明する様な時代でした。 
スットックホルムの中央駅までその荷物を運ぶのを手伝ったりしましたが、後は祖母一人でやっていました。

祖母は忍耐力があり、エネルギシュで自分でなんでも出来る私達の尊敬する人です。(おわり)


 暁庵から追伸です。
文中の下記の部分が意味不明でよくわかりません。
もし、わかる方がいらしたら、コメントまたはメールにてお教えくださいませんか?

京都の大覚寺で3年間学んだ後に3段階の資格を得、華道名 I Ho Ko Bai Sai (?訳不能)を取得。この意味するところは「心は広大な自然へ向く」。


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