暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

平安神宮献茶式-2014へ

2014年10月24日 | 献茶式&茶会  京都編
10月19日(日)、孝明天皇御鎮座記念祭・平安神宮献茶式へ参席しました。
四流派宗家の輪番で、今年は裏千家坐忘斎・千宗室家元のご奉仕です。
献茶式は昨年7月の祇園祭・八坂神社以来です。

9時に着くように家をでました。
着物は紫の無地紋付、帯は白地に草花が手書きされた塩瀬です。
ゆっくり歩いて15分、お家元のお点前をじっくり拝見したいので、
献茶式の1時間前に着くようにしています。
既に20名ほどいらしてましたが、良席をゲットすることができました。

待つ間、今までの献茶式(東京の諸所、伊勢神宮、東大寺)を思い出したり、
台子の設えや直弟子さんの準備を見ていたり・・・。

             

白木の台子に唐銅の朝鮮風炉と釜、唐銅の杓立、水指が地板に置かれ、
天板には2つの台にのった茶碗(蓋あり)、
その間に白い仕覆に入れられた茶入2つが載った木地長盆がありました。
献茶式の長盆は、神社では木地、寺院では塗になっているそうです。

直弟子さんが何度も炭を改めて火相と湯相を調えています。
留金のようなものが地板に置かれ、あとで火箸を止めるものとわかりました。

神官や雅楽の方々が拝殿に入室され、続いて裏千家御一行がつづきました。
一同、お祓いを受け、神官が供物をささげ、詔をあげます。
儀式の最中に奥殿から不思議な「呼び声?」が響いてきました。
「あ~~~ あ~~~う~~~・・・」
神々を目覚めさせ、神殿へ誘う、そんな呼び声に聴こえたのですが・・・。

             
                      平安神宮・本殿
いよいよ献茶式です。
伊勢神宮八坂神社のようにお家元の炭手前を期待したのですが、
今回はありませんで、最初に濃茶、次に薄茶の2服が点てられました。
流れるような無駄のない、しかも端麗な動きを固唾をのんで見つめます。
お家元のお点前の一挙一動を臨場感を持って拝見することができ、
心の中でお家元と一緒に神殿へ渾身の一碗を捧げました。
これぞ献茶式の醍醐味でしょうか。

献茶式のあと、拝服席(於記念殿 今日庵)、本席(於貴賓館 今日庵)、
副席(於勅使館 淡交会京都支部連合会)、点心席(於会館栖鳳殿 瓢樹)
の4席をまわり、2時半頃帰宅しました。
渾身の(?)献茶式のせいか、疲れ果てて徒歩15分の道のりが遠かったです。

             
                      点心(瓢樹)

本席(於貴賓館 今日庵)について記録しておきます。
本席掛物  以通神明之徳
        以類万物之情
        (玄々斎筆 円能斎箱書)
花   さくら蓼  白桔梗
花入  竹一重切 「八束穂」 淡々斎作
香合  源氏香の図 「榊」  玄々斎好
釜   四方釜  浄味造  (又玄斎名鋳込?)
棚   黒長板 
水指  御本狂言袴一重口
茶器  独楽棗  不見斎好
茶杓  「秋の露」 円能斎作
茶碗  黒  「さざれ石」 得入作
     松本萩「四季の友」 玄々斎箱書
     黒織部
蓋置  竹  又みょう斎在判
建水  唐草彫  浄益作
菓子  「菊の酒」  虎屋製
菓子器 雲鶴青磁        ・・・以上。

御室八十八カ所巡り

2014年10月21日 | 京暮らし 日常編
  
時々、大学時代の友人K氏と京都近郊のハイキングへ出かけます。

9月の貴船神社~鞍馬寺に続いて、10月15日に「御室八十八カ所」巡りへ
K氏夫妻と4人で繰り出しました。
台風18号と19号のため2度中止になり、3度目でやっと快晴に恵まれました。
その日のスケジュールはK氏とまり子夫人にすべてお任せして・・・。

「御室八十八カ所」は御室(おむろ)仁和寺の裏山にあります。

180年前、仁和寺門跡・済仁法親王は久住遠江守に四国八十八カ所を巡拝させ、
各霊場の本堂下の御砂を持ち帰らせ、「諸願成就」より成就山と名付けて
「御室八十八カ所」の霊場をひらきました。
所用時間2時間で手軽に参拝できるので、信仰と体力づくりを兼ねて、
今も人気のコースです。

         

仁和寺の境内を通り西門を抜けると、「お山めぐり」のスタート、第一番霊山寺です。
賽銭の小銭を用意しておくように云われていたので
1ヶ月かけてコイン(1円、5円、10円)を貯めました。
それでも金額も数も足りませんでしたが、各霊場を心をこめてお詣りしました。

私たちにとって、あの辛くもあり、楽しくもあった「四国八十八カ所遍路」
まざまざと思い出させる懐かしい場所でした。
それで、一緒に行ったわけではないけれど、いろいろな思い出を語り合いながら
霊場巡りをしました。

          

          

驚いたのは、各霊場のお堂が立派だったことです。
コースもアップダウンがあって変化に富み、鬱蒼とした四国の遍路道を彷彿させる
趣きがありました。
「この先で展望が開ける場所があるので休憩します」
休憩場所により、東山や京都市内、6月に登った愛宕山、双ヶ丘(ならびがおか、古墳群)が見えて、一息つきながらそれぞれの景色を楽しみました。


               中央に仁和寺、右上が双ヶ丘(ならびがおか)

四十八番西林寺が「成就山頂上(236M)」、これから下りです。
さらに進むと五十三番西明寺は岩の上にあり、なんと鎖場まであります。
御堂の右側の狭い道が次への遍路道でした。

             
             鎖場を登って五十三番へ

最後の方はコースが複雑で、右往左往したり、バックありでしたが、
無事、八十八番「結願所・大窪寺」へ到着。
ここには茶所と書かれたお接待所もあります。

             
                   「結願所」へ着きました

10時にK氏宅を出発して、12時30分頃に戻り、13時予約のステーキ屋さんへ。
古風な町家ですが、奥に庭が見える5名ほど座れるカウンター席があり、
私のお気に入りの場所です。
店主に焼いてもらうステーキの匂いと味をじっくり楽しみ、4人で頬張りました。

「御室八十八カ所巡り」の御利益はまだ続きました・・・。
K氏宅で一休みした後、「天山の湯」という温泉(スーパー銭湯?)へ。
こちらで約1時間半、いろいろな湯舟を巡って汗を流し、気分爽快です。
帰りは、まり子夫人お手製の焼豚、ロールケーキ、栗饅のお土産と共に
車で家まで送って頂きました。

K氏夫妻の厚いお接待にもう~感謝いっぱいです。
「またハイキングクへ行こうね! 今日はありがとう・・・」

                               
                           

野の里の名残りの茶事-3

2014年10月17日 | 思い出の茶事  京都編
(つづき)
後座は花所望からはじまりました。
名残りの花を花台に溢れんばかり用意してくださいました。
私は吾亦紅、秋海棠、白杜鵑を手付き籠に生け、
Yさまはヤブミョウガの実と白秋明菊を揖保川焼の花入へ。

いよいよ濃茶です。
古備前の水指の前に荘られている濃茶器が気になっていました。
笹蔓緞子の仕覆が脱がされると、藤村庸軒好の凡鳥棗が現われました。「凄い!」
その形と桐の蒔絵に心惹かれ、あとで棗のことをお伺いできるのが楽しみです。

濃茶はもちろんSさま好みの成瀬松寿苑の「松寿」です。
お茶を掬いだしたとたん、薫りが立ち、よく練られた濃茶を頂戴すると、
香り佳く、ふっくらと丸味のある、甘い濃茶でした。

茶碗は高麗三嶋刷毛目。
ゆがみのある茶碗には2カ所金継があるので名残りに使ったそうですが、
探すとひそやかな美しい金模様でした。
形も三嶋模様も魅力的なのですが、美しい波文を画いている刷毛目に見惚れました。
緑の抹茶が映える茶碗なので、名残りだけではもったいない・・・です。

             

凡鳥棗と茶杓の拝見をお願いして、いろいろな話を伺いました。
凡鳥棗は漆芸工芸士・岩渕祐二氏に写しを特別注文した、思い入れのあるものでした。
甲に金蒔絵で桐、蓋裏に「凡鳥」と朱漆書があり、その字がまた・・・。

凡鳥棗(本歌)は、藤村庸軒好で初代宗哲が作っています。
外は黒の刷毛目塗、東山時代の塗師・羽田五郎が得意としたので五郎塗と呼ばれ、
甲に桐文を金蒔絵、銘は棗の盆付に「凡鳥」と庸軒の朱漆書があります。
せっかくの機会なので凡鳥棗の由来を調べてみました。

元禄7年(1694)の庸軒の漢詩に「鳳凰」があります。
この漢詩は、中国の「世説新語」にある「はるばる親友を訪ねてきたが会えず、
門上に「鳳」字を書いて去った」という話に基づいています。

    鳳凰
   彩羽金毛下世難    高翔千仭可伴鸞
   棲桐食竹亦余事    更識文明天下安

凡鳥とは鳳のことで、鳳の字を二つに分けると凡鳥(平凡な鳥、とるに足らぬ俗人)
というような意味で、「世俗新語」では親友に会えぬ無念さを物語っているとか。
庸軒はストレートに「鳳」とせずに、凡鳥と言って「鳳」を暗示し、
さらに甲の桐の蒔絵で、桐に棲む鳳を暗示しています。

・・・鳳凰の蒔絵がずばり描かれた平棗を愛用していますが、庸軒さんって
シャイだったか、シニカルだったか・・・でも、その捻り味に惹かれます。

             

茶杓は銘「ぶかん(豊干)」足立泰道和尚作です。
豊干は、中国唐代の詩僧で天台山国清寺に住み、寒山拾得を養育した人と伝えら、
虎に乗って僧たちを驚かすという奇行で知られています。

薄茶になり、カスガイのある楽茶碗と案山子絵の茶碗で愉しくお話しながら
2服ずつ頂きました。
棗は拭き漆の武蔵野(司峰作)・・ここで最後の月に出合いました。
茶杓は銘「寅(虎)」、先の茶杓「ぶかん(豊干)」と見事に対を成し、
Sさまの「吾心似秋月」の心意気や庸軒流への深い思いに触れて、
こちらまで熱くなりました。
これからも素敵な茶事を続けてくださいね・・・またきっとご縁がありますように。

姫路駅でYさまと天を仰ぐと、早や満月が欠け始めています。
10月8日、名残りの茶事のその日は十五夜、皆既月食、寒露でした。  
                                   

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野の里の名残りの茶事-2

2014年10月16日 | 思い出の茶事  京都編
懐石はご亭主の手づくりです。
向付はたっぷりの胡麻豆腐(山葵)、家庭茶事のお仲間の話題に上る一品です。
プリプリとした粘り、滑らかな口当り、風味豊かな胡麻豆腐は絶品で、
作り方を教えて頂きたい・・と思いました。
煮物碗は蓮餅、椎茸、海老、三つ葉だった・・と、これも参考にしたいです。

Yさまと会話を楽しみながらゆっくり供される懐石を美味しく頂きました。
酒豪(?)のYさまに味わいの違う2種の酒(山田錦と無)が用意され、お相伴で少々・・。
お酒に弱い私のためにウメッシュを用意してくださいました。
庸軒流の懐石の特徴として、ご飯の盛り方はふんわりした俵形、八寸は3点盛で、
この日は明太子入りのイカ、渋皮煮、キュウリ合え味噌のせの3種です。

              

次は待望の炭手前です。
前回は炉、今回は風炉で、庸軒流の炭手前を2回も目の当たりに出来て幸せでした。
どっしりした鉄の道安風炉に少庵好み霰巴釜が掛けられ、
鉄風炉に丸灰掻上がよくお似合いで、名残りにふさわしい風情です。
丸灰や掻上に挑戦してみたい・・・と良い刺激を頂戴しました。

羽根で風炉を清め、炉と同様に湿し灰が撒かれました。
ここでたまらず・・・「あのう~、そちらで拝見してよろしいでしょうか」
「どうぞ・・・」とご亭主。
炭の置き方をじっくりと拝見させて頂きました。
ジョウを取ってから胴炭を向正面に横向きに、胴炭から左回りに下火を囲んで
炭が丸く置かれ、黒い枝炭が置かれました。
黒い枝炭を間近に見るのは初めてです。
一度では覚えきれませんが、流儀の違いが興味深く、心躍る時間でした。

ここで席へ戻り、香合の拝見をお願いしました。
香合は大好きな二季鳥の平丸、司峰作です。
蓋裏に月と葦池の蒔絵があり、「月を慕って・・」はるばるやってきたのでしょう。
お香がステキでした・・・(紅葉に沈香をつけて)。

              

芳しき薫りが漂う中、主菓子(棹もの「秋の山(?)」)を頂き 中立しました。

後座の迎え付けは喚鐘、五点打たれました。
この音色と響きが美しく、いつまでも聞いていたいような・・・。


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野の里の名残りの茶事-1

2014年10月14日 | 思い出の茶事  京都編
Sさまの名残りの茶事へ招かれました。
9月に入って届いた巻紙のご案内に西行法師の和歌が添えられていて、
Sさまの住む野の里へお伺いするのが楽しみでした。
     秋の夜に聲も惜しまず鳴く虫を
         露まどろまず聞きあかすかな   西行

10月8日、京都駅から西へ向かい、窓側の席へ座りました。
神戸を過ぎると海が見えはじめ、淡路島や明石海峡大橋を眺めながら
明石、加古川を通り、小旅行の気分です。
京都へ来てから通い慣れた風景、茶友の住む駅・・・見納めかもしれません。
そんな感傷に浸りながら、相客のYさまと合流し、Sさま宅へ到着です。

Sさまは庸軒流をお習いしています。
私が藤村庸軒(反古庵とも)ゆかりの西翁院や庸軒の墓を訪ねたり、
庸軒流の点前(特に炭手前)に関心があるのを知って、
昨年12月の茶事に次いで名残の茶事へお招きくださったのです。
待合に入って掛物を拝見した途端、なんかご亭主の気迫のようなものを感じました。

                        
                     西翁院玄関
            

掛物は寒山拾得の画と寒山詩の画賛です。賛は妙心寺和尚筆にて
「吾心似秋月 碧潭清皎潔 無物堪比倫 教我如何説」
(私の心は秋の名月に似て、青々とした深い水のように透明で汚れがない。
これにならぶことのできるものは他に無いく、どのように説明したらよいのだろう)

また、妙心寺の塔頭・桂春院と庸軒流はご縁が深く、庸軒流の茶室と伝えられている
「既白庵(きはくあん)」があることをはじめて伺いました。
それで、このお軸だったのですね・・・。

白湯で喉を潤し、肌色の小さな茶碗(玉露用?)を見ると、蓮月焼でした。
大好きな蓮月に因む茶碗と嬉しいお出合いです。
茶碗ごとに歌が釘彫りされてて、私のは次の歌でした。
    のにやまに うかれうかれて かえるさを
       やどまでおくる あきのよのつき

大小の石や石灯籠が巧みに配置された庭の腰掛で、迎え付けをYさまと待ちました。
Yさまとは7月の「旧暦の七夕の茶事」以来ですが、
南坊流をお習いしているYさまは庸軒流のSさまを心から尊敬してらして、
その気持ちが快く伝わってきます。流派が違っても何か共通するものがあるようです。
立ち使いの蹲で身心を浄め、席入りしました。

         
         西翁院から大阪・淀方面を見る

床の横軸は藤村庸軒の消息文、最後に反古庵とありました。
閑路夕雨(さびしい路を行くと、日が暮れ雨が降ってきた)とあり、
漢詩が続きますが、あとは全く読めませんで、最後に和歌も・・・。
あとで読み下しを見せてくださいましたが、メモもなく・・ごめんくださいませ。

このお軸を入手された時、先に拝見していた堀内宗完師匠が
「これは・・・なかなか好いお軸ですなぁ~」と言ったそうです。
そのお軸が宗完師匠でなく庸軒流のSさまの元へ来たことに深いご縁を感じ、
Sさまの心意気に心の中で拍手しました。
                             

          野の里の名残りの茶事-2へつづく