暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

峯風庵  雛の茶事 (1)

2010年02月27日 | 思い出の茶事
三月が近づくと雛の茶事が思い出されます。

大阪の峯風庵(ほーぷあん)が昨年三月末で閉鎖されるというので、
峯風庵名残りの茶事へ伺いたく・・・とお願いしました。
平成二十一年三月七日に関東から四名、関西から一名が合流し、
正午の茶事へ伺いました。

マンションのドアを開けると、
そこは仕事場兼茶事処になっていました。

茶室は四畳半、台目床があり、炉が切られています。
板やパネルを吊っているような造りに目を見張りました。
囲いの茶室という感じでしょうか。
吟味された囲いの素材が素晴らしく、無機質の囲いの中に
遊心と落ち着きのある、もう一つの囲いを創り出しています。

ご亭主、森由紀子さんの迎えつけを受け、
腰掛待合から枝折戸を開け、蹲を使い、にじり口に進みました。

にじり口を開けた途端、
茶室に居る雛たちのざわめきが急に止み、
みんな急いですまし顔をしました。

しゃべりかけたいのを我慢しながら
それでも無言の声が聞こえてくるようでした。

「今日のお客様は遠方からいらしたけれど どんな方たちかしら?」
 ・・と、床の間に関西風に仲良く並んだ内裏様。

「始めての方が多いようだけれど ご主人様のお茶を
 楽しく味わってくれたらうれしいなぁ・・・」
 と、心配そうに水指の周りをうろうろ歩き回っている三人官女。

「さっきから歓迎の意を表して 
 踊りだしたいのをこらえているの」
 ・・と、風炉先屏風前の五人囃子。

「ちょうど火加減が良いところなので 
 早く炉の様子を見てほしいなあ」
 ・・と、炉縁に陣取る三人の仕丁。

揺れる釣釜、炉縁に赤く映える炎、ほんの少々の御酒のせいで
そんな錯覚を感じたのかもしれません。

       (つづく)                       

   写真は「お内裏様」(これは関東風の並べ方です)。

鶯の茶事

2010年02月23日 | 茶事
梅の香が満ち、初音が待ち遠しいニ月の或る日、
鶯の茶事へ茶友をお招きしました。

久し振りの我家での茶事です。
四名さまを一人でおもてなしするのは無理と思い、
ご近所のIさんに懐石の助太刀を頼みました。

「懐石は作っておくので、温めと盛り付け、
 一文字用のご飯を鍋で炊く、それから焼魚の調理」
・・主な助太刀の内容でした。
Iさんは煎茶を習っていたそうですが、茶事の経験はありません。

それで、三日前に打ち合わせをしました。
茶事の流れ、懐石の順番と内容、タイムスケジュール、
献立、器や箸など、資料を渡して説明しました。
参考に写真が多く載っている
「お茶事をしてみませんか」(小澤宗誠著 淡交社)の本
をお貸ししました。

・・すると、質問や献立のアドバイスが次々と
飛び出してくるではありませんか!

質問でIさんがどこまで把握しているか解りましたし、
一人で考えていると、ついマンネリになってしまうので
献立のアドバイスはとても新鮮でした。

前日にIさんお薦めの魚屋さんへ連れて行ってもらい、
仕込みもばっちりでした。
二人で額と腕を寄せ合ってお出しした懐石を紹介しますね。

   向付    水蛸(湯引き) レモン汁かけ 粉パセリ
   汁      合せ味噌  蓬麩  辛子
   煮物椀   カニと百合根の真蒸 菜の花 人参 梅麩 柚子
   焼物     メカジキ  幽庵焼き
   和え物   鶯菜  鰹節  焼き海苔
   箸洗い   梅塩仕立て  うるい  百合根(花びら1片)
   八寸    牡蠣 有馬煮   味噌添えフキノトウ 天麩羅
   香の物   柴漬け  小蕪  壬生菜
   酒     月桂冠

         

茶事次第は、廻り炭、懐石、菓子、中立、濃茶、
そして薄茶は結びふくさ花月です。

床に「七事式のげじゅ」を掛け、白梅と紅梅を活けました。
花入は唐華彫花瓶、神奈川焼の井上良斎の作です。

席入の後、廻り炭から始めました。
五事式の会で埋火から火を熾すことが課題になっていたので
早くから炉に火を入れ、灰を温めておきました。

心配しながら埋火を掘り出してみると使えそう?でしたので、
初めて埋火だけで熾してみました。
もし熾らなかったら中立で湯相と火相の両方を整えることを
一瞬覚悟もしました。
香合を引く時に赤い火が確認でき、ヤッタネ!

懐石の終盤には松風が心地好く聴こえ、
お客さまも一緒に喜んでくださって感激でした。
そして、心強い助っ人、Iさんに感謝です。 
                          

         
      

茶室の起し絵

2010年02月21日 | 美術館・博物館
1月に訪ねた五島美術館で茶室の起し絵が展示されていました。

起し絵とは、茶室の絵図面などに用いられたものです。
切り抜いて垂直に立てることで
部屋が立体的に再現されるようになっています。
平面図より実際に近い感じで茶室をイメージすることが出来ました。

覘き込んで、
「にじり口は? 床は? 茶道口は? 点前座は?
 炉は? 窓は? 点前座の窓は?・・・」

客になったり、亭主になったり、面白かったです。
つい夢中になって、のしかかるように見ていたので
警備の方に注意を受けました。
「ガラスケースに手をつかないでください」
「すみません。気をつけます・・・」

千利休の待庵、それから不審庵、今日庵、官休庵、
織田有楽斎の如庵、古田織部や金森宗和の茶室、
小堀遠州の四畳半板入、尾形光琳の三畳半などなど。

特に古田織部作・茶室の、二つの起し絵に興味を持ちました。
一つは、宗貞囲です。
台目床のある二畳台目向切ですが、
点前座と客座の間に二枚襖がありました。
亭主は客から見えない点前座で茶を点て、
襖を開けて客に茶を出していたようです。

もう一つは、一畳半の茶室です。
台目床(巾三尺四寸)のある一畳半向切ですが、
点前座の勝手付きに巾四寸の板タタミが
入っていて点前座が広くなっています。

一応、見取り図はメモしてみたけれど
「えーと、茶道口は? 逆勝手向切かしら?
 この床と炉の間にある板は何?
 ここに確か柱があったような?」
全く??の状態です。

最後に、千宗旦作の不審庵。
三畳台目出炉、一度は座ってみたい茶室です。
「伯庵茶碗」で触れた、高橋箒庵が移築した
嬉森庵(きしんあん)は不審庵の写しだそうです。

点前座の勝手付きに巾四寸の板タタミがあって
点前座の巾が広くなっています。
それは、茶道口が風炉先の方に開き襖(釣襖)になっていて
道具を運び出す時にターンするためです。
昔は襖を引いていましたが、
宗旦が「釣襖も侘(わび)て面白し」と、改めたそうです。

不審庵の名前の通り不思議な茶室です。
そして、点前を想像するとぶるぶるするほど魅力的です。

                            
   写真は「早春のミモザ」
                          


雪国だより  角巻

2010年02月17日 | 閑話休題
ここのところ寒い日が続きますね。
雪国に住む、インターネットの茶友の菫さんから
角巻(かくまき)の写真とメールが届きました。

 「角巻を羽織って(かぶって)みました。
  あまり実用的ではないので、ナカナカ出番がありません。
  2メートル弱の四角な毛布状のものを、
  私の場合は半分(長方形)にして使っています。
  色は濃紺です。

  昔の重い毛布を巻き付ける感じで、すっぽりかぶっていれば、
  風と雪はさえぎれますが、風雪は下からも舞い込むので、
  着物にモンペと長靴が、私がお茶を始めた頃、
  悪天候のときの先輩方のいでたちでした。
  今では年に数回、見かけるかどうかというところです。」

写真の背景は近代的ですが、しっかり雪国ですネ。
濃紺の角巻は、すてきな着物の防寒着にぴったりです。
足元は長靴ではなく、防寒草履でした。

                

「北国の女たちの防寒着だった角巻にノスタルジィを感じます。
 もし手に入るようでしたら角巻をまとってみたい・・」
という私のメールを覚えていてくれたのです。
最初のメール交換から早や二年近い月日が経っていました。

角巻(かくまき)は、北海道、東北、北陸地方で
寒い冬の外出に女たちが身にまとった防寒着でした。
大きめの四角い毛織物で、三角に折って大きさを調整して
羽織ったり、頭からかぶったりして着てました。

昭和三十年代で姿を消しています。
和服の人が少なくなって、洋装に合う暖かく安価なコートや
オーバーが作られ、流通したからでしょうか。
今では着る人はもちろんのこと、持っている人も
ほとんどいないみたいです。

私にとって角巻姿は映画や写真でしか見たことがありません。
 「雪国」の岸恵子さん
 「北の蛍」の岩下志麻さん
  そして菫さん

菫さんの角巻姿を拝見して、久々の大感激でした。
 「角巻のこと、本当にありがとう!
  いつかお会いしたいですね。」

                         

        写真は「角巻」と「防寒草履」です。

如庵の半畳

2010年02月15日 | 茶道楽
大磯にある県立城山公園の「城山庵」(如庵の写し)に座ってみて、
点前座向うの「半畳」と玄関に前にある「鞘の間」について
素朴な疑問が湧いてきました。
詳しくは「東海道を歩く(2)茶室 城山庵」をお読みください。

如庵の「半畳」と「鞘の間」が持つ意味について
名古屋のだちくゎんさまにお尋ねしましたところ、
ご丁寧な返信を頂きました。
ありがとうございます。
以下に紹介させていただきます。

如庵の結界についてご報告。
1、「半畳」の働きについて

小生が如庵写しの席で体験した次第をお伝えしますと、
まず躙り口より矩折れに正客・次客は床付きに、
三名が風炉先まで詰めました。
試みに小生は末客として例の半畳に座りました。
真正面で亭主の所作がよく見えるのですが、
動きが取れず詰めの働きができません。
こんな場合は連客か半東にお願いするとのこと。

やはりこの半畳はつとに語られているように空けておいて、
眼前の「有楽窓」とともに客に視覚的な、あるいは亭主に
心理的なゆとりを与える結界として 考えた方が良いと実感しました。

                    

2、鞘の間(長二畳)の働きについて

”三畳水屋の間を南に出ると廊下がある。
それを東に行けば、杉戸が立ち、その先に土間がある玄関である。
西には書院(旧正伝院書院)に連なる榑縁である。
この廊下は畳に添えて一尺五寸五分幅の地板が入っている。
畳一畳のところに敷居が乗り、杉戸(昔は繁桟の舞良戸)が
引き違いに付いている。
この杉戸の外は畳と地板の玄関(昔は開け放し)にあたるところで、
前に土間があり、左に躙り口がある。右は丸窓の下地窓がある。”
  (「茶室研究」堀口捨己)

この玄関の畳廊下(長二畳)は置刀掛けを据え、
伴待ちの間にあてたらしいです。  
                    だちくゎんより

・・・ますます如庵が気になりだしました。

                    

      写真は、城山庵の床と有楽窓です。