暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

南坊流の初釜へ

2015年01月14日 | 献茶式&茶会  京都編
1月10日、その日は「十日えびす」です。
とってもお目出度い日に南坊流の初釜へ参席させていただきました。

京都・南坊流のMさんが灑雪庵近くにお住いで旧暦の七夕の茶事茶友Yさんとお出ましくださったのをご縁に、Mさんのお宅へ伺ったり、親しくさせて頂いていたのです。

              

席入すると、床に「松樹千年翠」と結び柳、
曙椿と蝋梅が高取焼の末広花入に生けられていました。
炉に掛けられた、松樹の文様が浮き出た真形釜は和田美之助作、
竹の総模様の炉縁が初釜の華やかさを一層引き立てています。

京都・南坊流を受け継いでいらっしゃるU先生(二代目、Mさんの母上)と賀詞のご挨拶を交わしました。

「お炭を継がせていただきます。
 昨年から少し膝を痛めましてお見苦しいこともあるかと思いますが、
 どうぞご容赦ください」
と先生自ら炭手前をなさいました。

頭脳明晰で、勉強家のU先生はとてもお若く見えたのですが、
卒寿と伺ってもうびっくり!しました。
でも、その姿は無理して頑張っていない自然体、先生のお人柄そのままの優しく柔かな所作でした・・・「私もいつの日かあのようになれたら・・・」と思います。

               

炭斗、灰器が運ばれました。
なんせ、はじめての南坊流炭手前なので、間違っていたらごめんなさい。
炭手前は一番流派の違いが鮮明なので興味津々でした。

炭斗から羽箒が炉縁の右横に、香合が炭斗の前へ置かれました。
釜敷が左側に置かれ、炭斗から鐶をとり、先ず右から鐶付きにしっかりと掛け、
次に左を掛け、大きな炉釜を小柄な先生が持ち上げました。

内心「はっ!」としたのですが、上座に座っていらした高弟さんたちもきっと・・。
でも、先生は涼しい顔で釜を持ち上げ、釜を勝手付へ引きました。
この時の一連の釜を清める所作が南坊流独特で目を見張りました。
懐紙で釜の下端まで清めるのですが・・・(釜底の灰を拭くそうです)。

初掃きの後、炉中を拝見すると、五徳の爪が向こう正面、
下火を直したのですが、立っている下火を横へ寝かせるのも初めてでした。
それから、湿し灰が三角に撒かれ、炉縁と爪が羽根で清められました。
唐物炭斗に炭が真の炭手前のように入れられ、但し、上から胴炭、丸管、丸ぎっちょ、点炭など全て丸い炭ばかりで、白い枝炭が2本入っています。

胴炭が向うへ、それから真ん中の寝かせた下火を囲むように炭が置かれていき、枝炭、点炭が継がれ、席へ戻りました。
以前に伺った庸軒流のSさんの茶事で「煙筒」を作るような炭の置き形があったことを思い出したのでした。

              

お香ですが、たしか練香3つが焚かれました。
香合が拝見に出され、釜が掛けられました。
炭斗の上に火箸2本を離して置き、その上に釜敷を乗せ、火箸に鐶を掛けました。
釜敷の上にさらに何か(灰器?)を乗せて、持ち帰ったのですが・・・。
(灰器?・・これは間違いで何も乗せず、持ち出しの時に釜敷の上に香合を乗せるそうです)

炉縁右に羽箒が置かれたままでした。
しばらくすると先生が出てこられ、その羽箒で炉の周りや点前座を丁寧に清めて行きました。
畳一畳ばかり残したところで羽箒は引き上げられ、再び座履きを持って現われ、
残りの畳を座履きで清められました。

その間に香合を拝見しました。
「白い羊」香合は、初代・U先生が稽古に使っていらした思い出のお品とか。
ほっそりとした優雅な羊(清水焼)でした。

その後、懐石、菓子、中立、濃茶、薄茶と続きました。
特にMさんが手づくりされた懐石は味、ボリューム共に満点で、客一同大満足でした。
湯斗に小豆粥が入っていて、これがまた美味しく、満腹なのにお代わりしてしまい、
それでも花びら餅までしっかりと・・・。

              

濃茶は社中の方が二人ずつ点ててくださり、
「何名様でございますか?」
と客からお尋ねがあり、
「2名様でどうぞ」と応ずる挨拶が南坊流らしい・・・と思いました。
小振りの赤楽茶碗で美味しく濃茶を頂戴しました。
楽13代・惺入作、二軒並んだ苫屋の絵のある半筒茶碗です。

点前の所作では柄杓を左膝に立て構えること、清めの所作が一手多く丁寧なこと、
お辞儀は手を控える武家流、拝見は畳の縁内で・・・裏千家流と大きく違います。

              

茶入がずーっと気になっていました。
黄土色に土色の釉薬が雲のように様々な景色を作り出し、超モダンにも見えます。
お尋ねすると
京都に南坊流を伝えた重藤春鷗先生から先代が頂戴した茶入です。
 島ものということで、琉球焼とも天草焼とも・・・」
「モダンで素晴らしい景色の茶入ですね」
お名前だけは伺っていた重藤先生ゆかりの茶入に出会えて感激でした。
                                              
              

U先生、今日の炭手前の素敵なお姿を心に刻んで横浜で精進いたします。

U先生、Mさん、いろいろお世話になり、ありがとうございました!

                                  

2015年乙羊の初釜-2  濃茶席にて

2015年01月09日 | 献茶式&茶会  京都編
             
(つづき)
薄茶席から濃茶席の待合へ進み、床を拝見すると・・・
中国の故事に因む「黄初平の画」が掛けられ、解説書がありました。

   黄初平(こう・しょへい)は晋代中国の仙人。
   浙江丹渓(浙江省金華市)の人。15歳の時に命じられて羊飼いをしたが、
   一人の道士に気に入られて金華山の石室に連れて行かれる。
   兄の初起が40年後に探し当て、初平は白い石を1万頭の羊に変じる術を見せた。
   兄もまた妻子を捨てて初平とともに仙道をきわめ、不老不死となった。

黄初平を全く知らなかったのですが、羊年にはよく登場する仙人だそうです。
「白い石を1万頭の羊に変えた」の意味するところが興味深いですね。

             
             写真が無いので参考です(円山応挙の「黄初平の画」)

三宝に炭、熨斗鮑(のしあわび)、海老、ウラジロ、橙、干し柿が飾られています。
Wさんが熨斗鮑の作り方をお話してくださり、濃い内容の話に一同びっくり!
私なぞはずーっと熨斗鮑を海草の類と思い込んでおりました。

昔々、倭姫命(やまとひめのみこと)が国崎を訪れた際に
海女から差し出された鮑の美味しさに感動し、伊勢神宮に献上するように
命じたのが始まりとされます。
今も鳥羽市国崎町では古来からのしきたりに従って熨斗鮑を作っているそうで、
体験学習されたWさんの貴重な話を伺うことが出来ました。

    鮑の身を外側からかつら剥きにして3~4mのひも状にして干します。
    琥珀色の生乾きになったら、竹筒で押し伸ばし、乾かしを繰り返します。 
    短冊状に切り揃えて、わらひもで編み込み、出来上がりです。

「とても大変な作業でした。鮑は飾るより食べるものですね」
「う~ん・・・Wさんってスゴイ!」
奥の深いWさんの話に一同感心し、三宝の熨斗鮑をじっくり見直した次第です(汗)。

             
                 長々と立派な「熨斗鮑(のしあわび)」 

待合で花びら餅(末富製)を頂き、濃茶席へ席入しました。

  おめでとうございます
  本年もよろしくお願いいたします


先生と交わす新年のご挨拶は、2015年乙羊の何よりのスタートとなりました。
今年もご指導のもと、心新たに茶の湯に精進して参りたいと思います。

床のお軸は和漢朗詠集の「梅」、御筆は青蓮院宮尊朝親王です。

   誰言春色従東到  (誰か言ふ 春の色 東より到るとは)
   露暖南枝花始開  (露 暖かにして 南枝 花 始めて開く)

   いにしとし ねこじてうゑし わがやどの
       わかきのうめは はなさきにけり    安倍広庭(拾遺)
  (昨年 根っこごと植えた我が家の梅の若木は 今年の春 花を咲かせました)

曙椿と鶯神楽が竹一重切の花入に生けられています。
竹花入は玄々斎長男の一如斎の銘「タカ」、三つの内だそうです。

             
                      (薄茶席です)

道庫から茶道具が出され、先生が濃茶を三碗練ってくださいました。
さらっとした舌触り、まろやかな甘みが口中いっぱいに広がりました。
濃茶は「慶知の昔」小山園詰です。

華頂宮尊超法親王さま御手造の黒茶碗で初めて濃茶を頂戴しました。
嘉永二年霜月今日庵御立寄の節玄々斎拝領 共箱 玄々斎甲書有 
鵬雲斎大宗匠外箱 と会記にありました。

小振りの塩筍のような形は掌にすっぽりとおさまり、喫しやすく、
黒釉の胴にある2つの漆抜けがアクセントになっていました。
やんごとなき御方の作なので無銘です。

二碗目の古萩も風格がありましたが、三碗目が当代の赤楽でした。
銘「大雄峰」 坐忘斎御家元箱 吉左衛門造、
慶事の記念に特別注文して作って頂いたという、感激と垂涎の茶碗でした。
改めて手に取ると、程よい大きさ、縦に入った箆目がすっきりと美しく、
赤と黒の釉薬が微妙な景色を生み出して、いつまでも見ていたい・・・と。

              
              寒ぼたん (季節の花300)
 

茶碗だけでなく、瀬戸・破風窯 翁手の茶入 銘「玉津島」(仕覆は青木間道)
と嬉しい再会をしました。
それから象牙に漆を塗った茶杓、S先生からいつも伺っていたのですが、
意識を以て拝見するのは最初かも・・・茶杓は利休好象牙、塗は三代宗哲です。

初釜最終の濃茶席は、私にとってこちらで過ごす最後のお席でした。
いつものお稽古のように楽しいお席で、S先生の話に耳を傾け、濃茶を味わい、
熨斗鮑の話に感心し、大笑いしながら、夢のようなひと時を過ごしました。

皆さま、いろいろお世話になりました。

ありがとうございます!            


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2015年乙羊の初釜-1 花箙(はなえびら)

2015年01月07日 | 献茶式&茶会  京都編
              梅の蕾はまだ固けれど・・(季節の花300提供)

2015年1月5日、乙羊(きのとひつじ)年の初釜へお招き頂きました。
有馬温泉・雅中庵で行われ、三度目の参席ですが、毎年とても楽しみに伺っています。
京都から新大阪へ、そこからバスで有馬温泉へ向かいました。

               
                      

ホテルの喫茶室でTさん、Yさん、Wさんに逢い、ご一緒に雅中庵の点心席へ。
奥様のお接待にて愉しく談笑しながら遅めの昼食を頂きました。

点心席のガラス越しに冬枯れの庭が広がっています。
「あらっ! あれは梅かしら?」
節のある梅の古木が数本植えられていて、枝垂れ梅もありました。
冬の寒さにじっと耐え、春に先駆けて咲く梅・・1ヶ月もすれば蕾もほころぶことでしょう。
ガラスの向こうで一斉に開花している姿を想像し、また来れたら・・と思います。

               
                    雅中庵の庭
 
               
                寒牡丹 (季節の花300提供)

薄茶席へ席入りすると、心地佳いお香の薫りに包まれました。
床には「和敬清寂」(又みょう斎筆 坐忘斎御家元箱)、
利休居士の茶の湯の真髄を示す四規、拝見するといつも背筋が伸びる思いがします。
春牡丹がインパクトのある飴釉・大鶴首(九代長左衛門作)に生けられ、
書院には羊の伏見人形が荘られ、乙羊の初釜を迎える歓びに溢れていました。

               

薄茶席は同門社中の方々が交代に担当していて、今年はS会です。
S会へはよく見学に伺ったので、Yさんのお点前で頂く薄茶は一入嬉しく、
S先生お心入れのお道具の話をNさんから伺え、これも良き思い出となりました。

青漆、青海波の彫文様が個性的な大棗(近左作)も印象に残っていますが、
特筆したいのは玄々斎手づくりの茶杓です。
茶杓は、生田神社「箙(えびら)の梅」の一枝を以て作られたそうで、十二の内の一つとか。
箙とは、矢を挿しいれて背中に背負う武具で、「箙の梅」には地元神戸の歴史を伝えるエピソードがありました。

       
                      生田神社の「箙(えびら)の梅」

源平盛衰記には、源平一の谷合戦の折、梶原景時・景季父子が生田森で平家方の多勢に囲まれて奮戦した時の様子を次のように記しています。

   中にも景季は、心の剛も人に勝り、数寄にたる道も優なりけり
   咲き乱れたる梅が枝を箙に副へてぞ挿したりける
   かかれば花は散りけれども匂いは袖にぞ残るらん

    吹く風を何いといけむ梅の花
         散り来る時ぞ香はまさりけり


   という古き言までも思い出でければ
   平家の公達は花箙とて優なり、やさしと口々にぞ感じ給いける

また、謡曲「箙」は、梶原景季が箙に梅を挿して奮戦した様子を描いています。

「箙の梅」で作られた茶杓は、武家の出の玄々斎の一面を思わせる、荒々しさが魅力的な豪快な削りです。
櫂のような上部は茶事で拝見したことのある「幾千代」(玄々斎が写す)を思い出しました。
茶杓にまたご縁があったことが嬉しく、風流な銘「花箙(はなえびら)」に梅の香りが漂って来るようです。

                                         

             2015年乙羊の初釜-2へつづく


除夜釜・・・無事是貴人

2014年12月31日 | 献茶式&茶会  京都編
                    知恩院の試し撞き

今日は大晦日。

12月27日、先生宅の除夜釜にお招き頂きました。
京都へ来て3回目になりますが、これでもう除夜釜へ伺うことはないかしら?
と思い、胸に込み上げるものがありました。          

玄関すぐにかわらけ売りの絵が掛かり、年末らしい風情です。
寄付の小間には和漢朗詠集の「歳暮」、漢詩と和歌が右三分の一に書かれ、
紙を足して茶筅と紐が画かれていました。
読み下しが置かれていたのですが・・・・。

  歳暮

  寒流帯月澄如鏡。夕風和霜利似刀。
  江楼宴別   白居易
  風雲易向人前暮。歳月難従老底還。
  花下春    良岑春道
  古今
  ゆくとしのをしくもあるかなますかがみ
     みるかげさへにくれぬとおもへば    紀貫之

身支度を整えて、待合へ入ると、そこは灯火だけの世界、
ほの暗い中で床を拝見すると、圓能斎賛と淡々斎画、父と子の微笑ましい合筆で
「是喰 茶味深  鉄中」とあり、画は蕪と慈姑(くわい)です。
火鉢を囲み、甘酒を頂いて、すっかり温まりました。

             

すっーと本席への手掛りが開いて、席入しました。
八畳の広間には手燭と短罫が置かれ、床、点前座を順次拝見しました。
床に「無事是貴人」
前大徳・大徹和尚筆の身が引き締まる墨蹟に今年もまた出会うことができました。

先生のお話では夜咄の床の掛物は大字か小字(消息など)のどちらかだそうです。
端正で力強い大字の横物で、白風袋、揉紙の簡素な大徳寺表装が好ましく、
大徳寺棒は八代宗哲の塗でした。

短罫の灯りが点前座を照らしています。
薄暗い部屋の中で炉の炭火、煙草盆の火入、手あぶりの透かしから覗く火・・・
こんなに火がひそやかで美しく、雄弁だったなんて・・・火に魅せられるひと時。

S先生が入席されたので、一同、除夜釜にお招き頂いた御礼のご挨拶をしました。
早速にいろいろなお話をしてくださり、除夜釜を始められた経緯、掛物のこと、
行灯や燭台は長年掛けて好みのものを集められた話など、興味深く聞き入りました。

先生の薄茶点前が始まりました。
先月の炉開きの時は濃茶点前でしたが、薄茶点前を一同目を凝らして見つめます。
客は12名、一人一人違う茶碗で薄茶を点てて下さいました。

             

私は玉水焼の初代・一元作の茶碗で頂戴しました。
赤楽の筒茶碗で、箆目がすっきりと美しく、光悦を思わせる明るく柔和な印象です。
不見斎(?)の銘で「網代守」と箱書にありました。
一元は四代一入の庶子ですが、養子の宗入が五代を次ぐことになり、
楽家を離れて玉水焼を興しました。
初代・一元の茶碗で頂くのは初めてで、とても嬉しい思い出になりました。

        

「2服目は水屋からで失礼します・・・」
結局、2服も美味しく頂戴しました。
その間も12個の茶碗やお道具の詳しいお話が伺えて、夢のようなひと時でした。
特に印象にのこっていることは
武者小路千家・九代好々斎在判(裏千家・九代不見斎の三男)の松絵竹薄器と、
三浦宗巴作(表千家四代江岑宗佐の庶子)の華奢なつくりの茶杓(歌銘あり)。
灯火の元では黒漆のものはなるべく避けた方がベターなこと、
花ではなくセキショウの鉢植または盆石を床の間に荘ること(この日は盆石でした)、
除夜釜では必ず来年の干支のものを一つ荘り、来年への橋渡しをすること・・・。

昼食(懐石弁当)を美味しく完食し、書院に荘られた羊の伏見人形に来年の夢を託してお暇しました。
先生、奥様、水屋の皆さま、除夜釜のおもてなしを ありがとうございました!

             
              除夜鐘を撞く 金戒光明寺にて
              (今年もまた撞くことが出来ました)

「無事是貴人  目出度千秋楽」
 
皆さま、どうぞ佳い年をお迎えくださいませ。
来年も元気にお目にかかりましょう!    
                            



鷹峰・光悦会-2

2014年11月28日 | 献茶式&茶会  京都編
             鷹峯三山(鷹ヶ峯、鷲ヶ峯、天ヶ峯)の一つ、鷹ヶ峯

(つづき)
光悦会の第三席目は大阪席、藪内燕庵の席主でした。
あとで光悦会の席主は今年が初めて・・と伺いましたが、一番心に残るお席でした。

寄付の本阿弥庵の床には「うらやましの文」、利休筆の剣仲宛の消息です。
書院には「東籬御茶箱」(白菊の絵、茶通箱)が飾られ、
香合は燕庵名物「織部 袂」(古織より到来)でした。
続いて飾られている炭道具にも惹かれましたが、
中でも羽箒「伝来形 青鸞 三ツ羽」が今でも目に鮮やかです。

待合は自得軒、床には竹心筆
「茶井 留得先生一片心」
莨盆一式があり、火入(伝来形 鐵銀象嵌入り三ツ足)の灰形が藪内流独特らしく、
藁家を思わせる屋根型に香道のように灰筋が入って、風情がありました・・・。

              
                   本阿弥庵(濃茶寄付・大阪席)

              

本席は騎牛庵、こちらの席へ少人数に分かれて入りました。
床には「無傳」の二字横物、薮内剣仲筆です、
最晩年の筆だそうですが、無駄なものが削ぎ落とされたような清々しさを感じます。
何か後世に茶の道を伝えるものは?という問いに
「無傳」
伝えるものなど何もないよ、各人が己の茶の道を拓けばよい・・ということでしょうか。
心に残る「無傳」の二字です。

「わぁー! 薮内燕庵って太っ腹!」
はしたなくも心の中で歓声をあげたのは
燕庵名物の古萩茶碗・銘「是界坊」(古織より到来)を全員に回して
手に取って拝見させてくれたことでした。
井戸茶碗のように大振りの古萩は手に取ると軽やかで、一段と味わい深く、
割高台の力強さも目の当たりに鑑賞し、感激しました・・・。
名物茶道具を手に取って見せてくださったのは如庵茶会以来です

              

第四席は京都席、最後の席になってだいぶ疲れ、お腹もすいて集中力が・・・。
濃茶席の寄付の床には尾形光琳筆「蔦・雪絵 団扇」 桂洲道倫賛がありました。
この賛について詳しい説明がなかったのがちょっと残念です。
脇は本阿弥光悦 宗達下絵「三十六歌仙色紙帖」、光悦会らしい設えです。

本席は徳友庵、床には「熊野懐紙 寂蓮」(重要文化財)の二首。
  山川水鳥
    いはたがた こほりをくだくすゑまでも
      あはれとおもへ をしのひとこゑ
  旅宿埋火
    くさまくら あたりもゆきのうづみ火は
      きえのこるらむ ほとぞしらるる

熊野懐紙は、後鳥羽上皇が熊野御行の際に歌会を催し、和歌が書かれた懐紙です。
寂蓮法師の和歌もさることながら、近々熊野詣を予定しているので
正治2年(1200)の法楽歌会の二首和歌懐紙に改めて興味を持ちました。

ニシキギ、ツルウメモドキ、曙椿が入れられた花入は古伊賀・唐犬耳(双軒庵旧什)、
古伊賀の深い趣きは「カラタチ」(畠山美術館)を彷彿させます。
大井戸・銘「平野屋」、嵯峨桐茶地金襴の帛紗など未だ目に焼き付いています。

               

四席をまわり、お菓子と抹茶ですでに満腹ですが、仕上げの点心席へ。
鷹峯三山を眺めながら外の席で、偶然お会いしたSさんの知人Nさんも加わり、
4人で瓢亭弁当を味わいながらゆっくりしました。4人の感想は
「紅葉を愛でながら各席をまわる光悦会って好いわねぇ~。また来年も来たい・・・」

天気も良く、寒くもなく、参加人数が比較的少なかったのでゆったりと、
4人で愉しく各席をまわることができ、恵まれた一日でした。
素晴らしい機会を与えてくださった方々に感謝いたします。  


              
                軒下の吊るし柿・・・光悦寺近くの民家にて


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