暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

水指の贈り物

2024年02月06日 | 茶道具

 

昨日(2月5日)は思わぬ大雪になり寒さがこたえますが、いかがお過ごしでしょうか?

 

1月24日のこと、思いがけず水指が届きました。 

陶芸家の染谷英明さんからです。暮れに電話を頂き、

「11月4日には遠くから個展(・・・陶芸展ではなく絵画展でした)へ来ていただき、ありがとうございました! コロナ以降、なかなか陶芸作品を作れないのですが、玄関に水指(大中小だそうです)が3つ置いてあります。水指にとっては茶席で使ってもらうのが一番なので、そのうちの1つを差し上げたいと思います・・・」

「せっかくのお申し出なので喜んで頂戴します。立礼の茶事に使うので小さめのを頂きたい」と私。

・・・その後のやり取りでまん中の水指を選んでもらい、1月末に東京でお会いすることになっていました。びっくりしてお電話すると

「あれから体調を崩して東京へ行けるのが先になりました。それで、早めに水指を送りました。気に入ってもらえると嬉しいのですが・・・」

「とても素晴らしい水指をありがとうございます! 中とお聞きしましたが、大のイメージに近い堂々とした信楽の水指で、立礼だけでなく広間の席にも使いたくなりました。釉薬と窯の灰と炎が交じり合って生じた景色の妙が見飽きません。大事な水指を頂戴して、ありがとうございます!」

思えば、韓国旅行をご一緒したご縁で、その後3回ほど染谷英明氏の個展へ出かけましたが、いつも作品のことをキラキラと目を輝かせて語る染谷氏のお話、そして屋敷森に囲まれたギャラリーの佇まいやお食事が楽しみでした。

白楽茶碗「小鷺」茶杓「寧(ねい)」 そして信楽焼の水指・・・どれも染谷英明氏の作品で、暁庵にとって思い出深い茶道具です。大事に使わせて頂きます・・・。

 

  (秋の花が生けられた信楽焼の花入・・・染谷英明氏の作)

               (「若き日の自画像」)

遅くなりましたが、令和5年11月2日~13日に開催された「染谷英明 絵画展」のことを書いておきます。

11月3日に「古希をお祝いする茶事」へ参席した後、足利市で1泊し、翌日に絵画展へ向かいました。 

駅まで染谷氏が迎えに来てくださり、埼玉県伊奈町にある「Viennto Cafe&Gallery」に着くと、そこは屋敷森が残る素敵なギャラリーでした。

 

      (屋敷森の残る「Viennto Cafe&Gallery」(埼玉県伊奈町))

 

「絵はともかく、食事も珈琲も美味しいので楽しんでいってください」

Cafeの中に個室の様な部屋があり、絵を見ながらお食事やお話が出来るようになっています。

染谷氏は高校生のころから絵を描いていたそうで、大きな絵を描けるように大きなアトリエのある家を作ったそうです。「でも、なかなか大きな絵は描けなくって、家の借金返済が大変でした(笑)」

そんなお話を伺いながら、若いころの自画像と今の自画像を興味深く拝見しました。

 

 

静物画や花の絵もありましたが、自画像が興味深く、特に絵画展直前まで没頭したという2枚の自画像が印象に残りました。自画像を描いたことには特に深い意味はなく、モデルを頼むのも大変なので、人物画がたまたま自画像だったのです・・・と淡々と語ってくれました。

描きながら、きっと色々なことを自分自身と語り合ったのではないかしら?

「Viennto」さんの地産地消の野菜を使った、生ハムのランチプレートを一緒に頂いた後に、ご自作の「瀬戸黒茶碗」で珈琲を頂きました。

 

     (珈琲と相性抜群の「瀬戸黒茶碗」)

2杯分はたっぷり入っているので、最初にストレートで、それからミルクを入れて、最後に砂糖を入れて、心ゆくまで珈琲を楽しみましたが、深味のある「瀬戸黒茶碗」が珈琲をより一層美味しく惹き立てています。

「この瀬戸黒、古武士のようで・・閑かで・・いいですね。珈琲が何倍も美味しくなりました」と私。(秘かにお持ち帰りしたい!とも・・・)

この瀬戸黒茶碗で、お薦めの「Vienntto ]の珈琲を飲んでもらいたくって、わざわざ持って来てくださったとか。

 

駅まで送ってもらい、再会を約してお別れしました。

「また元気でお会いしましょう・・・早く体調を整えて、次なる個展を目指してくださいね」

 

 


東美アートフェアと青磁花入

2023年10月25日 | 茶道具

   (散歩みちで採取した野の花を桂籠に生けました)

 (薄、力芝、萱つり草、背高泡立ち草、アベリア、狗尾草、もう1種)

  

10月13日(金)~15日(日)まで東京美術倶楽部で「東美アートフェア」が開催されました。

なかなか行けませんでしたが、S先生から入場券を譲って頂いたので久しぶりに出かけることにしました。

初日の11時頃に到着すると、びっくりするほど入場者が溢れていて「コロナも一段落して、やっと美術やお茶の世界も活況を取り戻したのね・・・」と思い、活況ぶりがとても嬉しかったです。

4階へ上がり、先ずは4階から見始めました。内心、何か良い茶道具との出会いを期待していましたが、桁が1つか2つ違う値段のものが並んでいるのを見て、すぐに購入ではなく古美術鑑賞へ気持ちを切り替えました。

ブースによって、素晴らしい書の床飾りや古色のある花入に実ものなど秋の草花が風情よく生けられていて、カメラを持参しなかったのが悔やまれました(もちろん、店によっては撮影禁止もありましたけれど・・・)。

茶道具や古美術の他にも現代作家の絵画、古い日本の人形、竹製品、高麗や李朝の骨董など多彩なアートフェアです。先日出かけた徳川茶会の絵高麗槌形花入(瓢壷)とそっくりな展示品もありました。

4Fのお店で青磁の花入が目に留まりました。形の素晴らしさ、心に沁みいるような青磁色、優美で上品な雰囲気に惹かれて、手に取らせて頂きました。作家は川瀬忍氏、前からとても気になっていた青磁を追及している作家さんです。

「もう1つ、川瀬忍の青磁花入があるのでお見せしましょう。でも、こちらの方が好いと思い、こちらを展示していました」と女性の店主さん。

もう1つの青磁花入も見せてもらいましたが、最初に目にしたものにかないません。お値段を伺うと、なんとか手に届く額だったので、思い切って購入を決めました。

家に帰ってから古いなごみ(2015年7月号)の特集「陶芸家・川瀬忍とたどる あこがれの青磁」を読み直したり、早速、青磁花入へ金木犀を生けたりして楽しんでいます。(いつかお目にかけれるかしら?・・・)

 

 

なごみ(2015年7月号)より川瀬忍氏の一文を転載しました。

 

  青き姿へのあこがれ     文・川瀬 忍  

天青、紛青、藍青、灰青、卵青、浅青、翠青、油青、碧青・・・・、

これらは、清時代の皇帝・乾隆帝が青磁の美しさを

表現するために名付けた青の色である。

それ以前、唐時代には 越州窯の美しい青を「秘色(ひしょく)」と呼んだ。 

・・・中略・・・

そして日本人(茶人)は、青磁の美しさを

砧(きぬた)、天龍寺、七官と作品の持つ位取りで分類していた。

それぞれの青の美しさと形の品格からである。

私の場合、その砧青磁と出会ったのが、

青磁の魅力にのめり込む第一歩であった。

形の厳しい南宋官窯、

柔らかな温かみを感じさせ、

見る人を包み込んでくれる汝官窯(じょかんよう)(伝世汝窯)。

すべて「青」である。

 

雨過天青(うかてんせい)という青磁の青を表わした言葉がある。

私はその言葉に、雨上がりの、

まだ湿潤なうるおいに満ちる大気を通して見た、

空の色を思い浮かべている。

 

               

追伸)

たくさんの美術品を見くたびれて、休憩所のベンチで、豪華かつ躍動的に生けられた生花の大作を見ながら休んでいました・・・。

隣に座っている女の方が立ちあがったので

「すみませんが、時計(携帯)を忘れて時間がわかりません。何時かお教えください・・・」と声を掛けました。すると、その方と顔が合い、もうびっくり! 15年前にお茶事や花月でお世話になったK先生でした。

15年ぶりの思いがけない再会に手を取り合って喜び合いました。

今つくづくと、K先生との再会が東美アートフェア最大の掘り出し物(宝物)だったと思うのです。

お茶の神さまとS先生に感謝でございます。

 

 


夏休み中ですが・・・壺屋焼の茶碗

2022年07月15日 | 茶道具

     「蓮の花」 (しまなみ海道の生口島、耕三寺にて撮影)

 

お暑うございます。

・・・夏休み中ではありますが、押入れの奥にしまい込んで忘れないうちに茶碗のことを書いておきます。どうぞお付き合いください。

7月3日(日)に社中Iさんの「海想の茶事」が無事に終わりました(とても素晴らしい茶事でした・・・ため息)。

Iさんはスキューバダイビングを趣味にされていて、毎年夏になると沖縄の海へ行って潜っていましたが、コロナウイルスの蔓延以来、行きたくってもいけない状況が続いています。

遥か南の海で繰り広げられる、この世のものではないような不思議で美しい海中の一期一会を想いながら、お茶事の薄茶席で壺屋焼茶碗が2碗使われました(各服点なのでその他に3碗)。 

小橋川仁王氏と新垣栄三郎氏の作品で、それぞれ個性が違う形状や色、特に緑色の色彩の奥深さに心惹かれました。

・・・そんな刺激を受けたせいで壺屋焼の茶碗が欲しくなりました。

 

 壺屋焼(つぼややき)を調べてみると、

壺屋焼は沖縄県那覇市壺屋で主に生産されている陶器です。

今年は沖縄の本土復帰50周年にあたりますが、壺屋焼の歴史を調べていると、戦後の那覇の解放と復興は、壺屋から始まったことを知りました。

1945年の沖縄戦で旧那覇市街は灰燼に帰しましたが、郊外の壺屋地区は比較的被害を免れました。当時、住民は民間人収容所に収容され、日々の生活は困窮を究めていましたが、「壺屋は業者が移住できればすぐに生産が開始できる」と米軍政府関係者に懇願し、粘り強く交渉を重ね、ついに移住の許可を取り付けました。

1945年11月、各収容所から壺屋出身の職人や建築作業班が集められ、140名がまず壺屋に入り整備作業が始まりました。その陶工の中には小橋川仁王や金城次郎らがいました。

その年の12月、最初のやきものが焼かれ、1ヶ月で壺屋の人口は8,000人に増えたそうです。1946年1月3日に糸満地区管内壺屋区役所が設置され、那覇市の戦後の回復と発展は壺屋と壺屋焼から力強く始まりました。

 

      (沖縄ではなく高知県の海ですが・・・叶崎にて)

私はいまだ沖縄へ行ったことがありませんし、何故か沖縄を避けていた気がします・・・それは頭あるいは体に刷り込まれた、生まれる前の空襲体験のせいかもしれません。

やっと沖縄のエメラルドの海ややきものに逢いたい気持ちになりましたが、「再び車で四国遍路」へ行ったばかりですし、コロナウイルスBA.5株の急な襲来(第7派)もあり、まして暑中の茶碗探しの外出は無理・・・

それでネット検索していると、とても気になる茶碗に出合いました。

添付の写真を見ていると、沖縄の特産物である芭蕉布の味わいを感じましたが、問題は径が15センチ近くで大きいことです。

  

 (沖縄特産の芭蕉布・・・目が飛び出るくらい高価です)

大きくても薄茶で使う茶碗だし、これを逃すと、このような茶碗に出合うことはないかもしれない・・・という思いが頭をよぎり、購入を決めました。

一度逃すと、いくら探しても出合えないことを幾度か経験しているので、今は「私の所へ来てくれてアリガトウ!」と思っています。

     (私の所へ来てくれてアリガトウ!)

古箱には「琉球 茶碗」とだけ書かれていて、道具屋さんによると江戸中期の作だそうで、形状や釉はげに素朴な魅力を感じ、古作を思わせます。アバタもエクボかもしれませんが・・・気に入っています。

岡田製糖所の「和三盆」を賞味しながら、愛称「芭蕉布」茶碗で薄茶一服を楽しみました。

 

     (購入した壺屋焼の茶碗で一服・・・稽古の後に)

 

「芭蕉布」茶碗はやはり夏がお似合いです。

お暑いですが、立礼席、洗い茶巾で一服いかがでしょうか? 

8月中なら、どなた様でも大歓迎です・・・。  

 

 


仕覆が届きました・・・

2019年04月20日 | 茶道具

       季節が進み、八重桜が満開です


三溪園「春のクロスロード茶会」が終わり、はや1週間。
そろそろ疲れも癒え(歳のせいか、なかなかでした・・・ショボン)、片づけも一段落したので茶会のことを書いておこうと思います。
先ずは茶入の仕覆から始めたいと思います。

茶会4日前の早朝、NYさまから仕覆と古帛紗が届きました。
ちょうどその日は最後の”出稽古”だったので、新調の仕覆を着た茶入で本番を想定した濃茶のお稽古が出来て、グッドタイミングでした。



去年の暮れにNYさまに薩摩焼(帖佐焼)の茶入の写真を送り、恐る恐る・・・仕覆を作っていただけないかしら? とメールしました。
すると、
その1
お仕覆の件、画像を拝見いたしました。
袋を掛けてあげたくなる茶入ですね。
1月に手術のため入院し、その後1ヶ月くらいは会社をお休みする予定があります。どうぞ、ご心配は不要です。
お渡しは、ぎりぎりになるかも知れませんが、お預かりしたいと思います。
確かに間道が合いそうですね。
実際に、裂を当ててお茶入に相談してみないとわかりませんが、楽しみにしています。      NYより



        薩摩焼(帖佐焼)の茶入

その2
昨夜、お茶入確かにお受け取りいたしました。
お茶入には、我が家で年越しをしていただき、春までゆっくりして頂こうとおねがいしてみました。
どうか、よき年をお迎えくださいませ      NY



・・・と言うわけで、手術の無事をお祈りしながら、茶入をお預けし春を迎えました。
ぶらり訪れたNYさまのブログに「初心に帰る」と題して仕覆づくりのことが書かれていました。
すぐに我が薩摩焼(帖佐焼)茶入の仕覆づくり・・・とわかり、毎回楽しみに仕覆づくりの工程(1~6まで)を拝見しました。
暁庵も以前仕覆を作ったことがあるので、NYさまと一緒に(気持ちだけ手伝って・・・)作っているような不思議な体験でした。
そして・・・何にも言わなかったけれど、術後で腕の動きが不自由だったことをこれもブログで知り、茶会に間に合うように作ってくださったNYさまの御気持に感謝でいっぱいになりました(・・・


      「シマモール」の仕覆を着た茶入

古裂コレクターでもあるNYさまが茶入と相談して選んでくださった裂地は、表地が「19世紀頃の東南アジア(明確な産地は不明)のシマモール(木綿)」、裏地は海気です。
「シマモール」がよくわかりませんでお尋ねすると、次のようなメールを頂き、なんとか茶会でもお話しできそうです。





その3
シマモールについてご説明致します。
実際に仕覆に使ったのは、モール部分ではありませんが、布端などはモールの構成になっています。モール+シマ+無地の構成です。
格子なのにシマ?と思われるかも知れませんが、格子模様も縞模様も総じて縞物と呼びます。格子は縞の一部なのです。
またこの縞物のシマは、島物のシマでもあります。
島とは、東南アジアの島から伝来したという気持ちが込められております。
そのため、シマモールと申し上げました。
これで、大丈夫でしょうか?
ぎりぎりになってしまって、申し訳ありませんでした。
本番がうまく運びますこと、こっそりお祈り致しております。    NY


NYさま
素敵な仕覆を作ってくださって、ありがとうございました!
天気にも恵まれ、皆様のお蔭で無事「クロスロード茶会」を終えることが出来ましたことをご報告し、感謝申し上げます。



茶道具こわい・・・茶碗「玉帚」

2019年01月03日 | 茶道具



  謹賀新年

いつも「暁庵の茶事クロスロード」をお読みいただき、ありがとうございます
今年もどうぞ宜しくお願いいたします




  初春の
   初子(はつね)の
    今日(けふ)の玉帚(たまははき)
  手にとるからに
    ゆらぐ玉乃緒

                  (大伴家持  万葉集 巻二十)


歌の意は、「初春の初子の今日、玉帚を手に取ると、玉が揺れて音をたてます」



昨年(2018年)12月初めのことです。
東京美術倶楽部の正札市へ出かけ、久しぶりに「茶道具こわい!」に遭遇してしまいました(汗)。
「見るだけでも勉強させて頂こう・・・」と、2階の展示室へ行った時のことでした。
その茶碗は、展示室のさらに奥の展示室にひっそりと置かれていました。
きっと気づかなかった人も多いのでは・・と思いますが、その茶碗(雲鶴青磁)が何故か気になってしまったのです。

茶道具との出会いは恋人と出逢うような運命的なもので、その機会を逃すとその後も面影を求めて探し続ける・・・そんな経験を茶道具で何度かしたので、思い切って購入を決めました。
小堀権十郎(江戸前期の茶人、徳川幕府の旗本で名は政尹、号は篷雪。小堀遠州の三男)の書付があり、蓋裏に和歌(冒頭の和歌と写真)が書かれています。外函に遠州流茶道12世・小堀宗慶の極めがありました。

残念ながら蓋裏の和歌が読めませんで、知人に解読をお願いしました。
この和歌を完全に読み解きたいと、暮れからいろいろ調べていると、
万葉集巻二十に収録されている大伴家持の歌であることがわかりました。


 コウヤボウキ(高野箒)の花   (季節の花300)

さらに「玉帚(たまははき、たまばはきとも)」は、コウヤボウキの枝を束ね、繭玉やガラス玉を飾り付けた箒で、古代の特別な儀式に使われていたそうです。
初子(はつね)の日(正月最初の子の日)に新年の言祝ぎを占う「目利箒(めどきほうき)」として、大切な朝廷の行事「初子の儀」に使われていました。

  儀式では、天皇が手辛鋤(てからすき)で田を耕す仕種をして、豊穣と祖先を祭り、
  皇后は「玉帚」を手にして左右に揺らせながら蚕室を掃き浄めて、蚕神を祭ります。
  「玉帚」を揺らした時に、枝先の玉と玉が触れ合って、カチカチと澄んだ音をたて、
  その音の響きによって新たなる年の養蚕の吉凶を占います。

                  (参照・・・万葉植物から伝統文化を学ぶ)


天平寶宇(西暦758年)1月3日に孝謙天皇が「玉帚」を東大寺から献納され、宴が催されました。冒頭の和歌は天皇の勅を受けて官人たちが詠んだ歌の一つで、大伴家持の歌でした。
その「玉帚」は正倉院御物「子日目利箒(ねのひのめどきほうき)」として伝承され、正倉院南倉に収蔵されています。「正倉院御物図録十四」によると、箒の先に小さなガラス玉が数個残っているとか。


「子日目利箒(ねのひのめどきほうき)」
(参照・・・万葉植物から伝統文化を学ぶ)


・・・購入した雲鶴青磁茶碗ですが、小堀権十郎の書付の和歌から「玉帚(たまははき)」と呼ぶことにしました。

雲鶴(手)は高麗茶碗の一種で、高麗時代後期に作られた古格のあるものを古雲鶴、朝鮮王朝(李朝)中期以降の注文茶碗を後(のち)雲鶴と呼び分けられているそうです。
雲鶴青磁ですが、高麗青磁の後期に見られる象嵌青磁です。

茶碗は椀形、高台まわりに黄土色の土が見えます。
雲鶴青磁のかもしだす高貴な気品、落ち着いた色合いや繊細な貫入に心惹かれています。
口縁外下周りに雲鶴が黒土と白土で象嵌されていて、飛翔したり、よちよち歩いていたり、ダンス(?)している鶴たちが愛らしく見ていて飽きません・・・。
昔の茶人たちがこの茶碗を愛玩した気持ちがわかるような気がします。
今年はこの茶碗を使うぞっ~! と楽しみ・・・ 

(参考)
 茶道具こわい    2010年12月29日
 茶道具こわい in Kyoto     2014年12月18日
 楽茶碗に恋して・・・茶道具こわい in Kyoto Ⅱ    2014年12月27日