暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

行く夏  2014年大文字

2014年08月18日 | 京暮らし 年中行事
                  NTTビル屋上からの「大文字」

「五山の送り火で夏も終わり・・・」
と京都のお人はよく言わはります。

今年のお盆は天候不順でした。
「大雨でもするの?」
「あの雨の中を松明を運び、積み上げたのかしら?」
担当者のご苦労を思いながら、実行されるのか、直前まで心配でした。
前日からの時間雨量数十ミリ(最高83ミリ)の豪雨が夕方までにあがり、
どうやら五山の送り火ができそうです。

  
               東大路の北に初めて「妙」を見ました

今年は吉田山の山頂広場ではなく、NTTビルの屋上から初めての見物です。
毎年、NTTでは五山の送り火を見るために
ご近所さんへビルの屋上を開放していたのですが、諸事情で今年が最後とか・・。

最初こそ見物人が少なかったものの、点火時間の8時頃には
ものすごい人が集まりました。数百人はいたと思います。
NTT職員の方が総出で、安全確認や説明に対応してくださいました。

              
                    「大文字」の火勢が増して

8時に如意ケ嶽の「大文字」が点火されました。
煙が上がって燃えにくそうでしたが、みるみる火勢が増し、
見事な「大」の文字がくっきりと浮かび上がり、思わず手を合わせました。

京都在住のMさんからお盆のことを次のように伺っていたからです。
「子どもの頃からの習わしで、盆の入りには六道の辻にある六道珍皇寺へ行き、
「迎え鐘」を撞いてお精霊さんをお迎えします。
 仏前には蓮の葉を敷き、果物や盆菓子などを並べ、お接待します。
 盆中にお寺さんが来てくださり、お経をあげてくださいます。
 16日夜には「五山の送り火」で京都中が一つになって、お送りするんです」

                            

「五山の送り火」は8時の大文字を先頭に、約5分おきに点火されていきます。

「妙」と「法」の「妙」(松ヶ崎西山・万灯籠山)だけが東大路の北方に見えましたが、
「法」(東山・大黒天山)は建物の陰で残念見えません。

次は「船形」(西賀茂船山)、これも船の上の方が少し見えただけでした。
次に「左大文字」(金閣寺大北山(大文字山))が西の方にくっきりと見え、
合計4つの送り火が見え、盆送りのクライマックスでしょうか。

             
               小さいですが「左大文字」がくっきりと

最後は「鳥居」(嵯峨曼荼羅山)なのですが、これは心の中で見ることにしましょう。

もう一度、「大文字」へ手を合わせ、お精霊さまを見送りました。

             
                   最後はいつもモノ悲しく・・・

京都で過ごす最後の夏が急ぎ足に行こうとしています・・・。

                                    


祇園祭ー2014前祭

2014年07月26日 | 京暮らし 年中行事
           (前祭の宵々山・・・暮れなずむ、この時間が好きです)


暑中お見舞い申し上げます

連日37℃を越え、熱中症が心配されますが、
みなさま、いかがお過ごしでしょうか?

PCを置いている小部屋にクーラーがなく、PC移動もままならず、
ブログをご無沙汰しております。
・・・とここまで書きましたら、以心伝心。
庭にたっぷり水が撒かれ、涼風が小部屋(書斎兼物置)を通り抜けていきます。

           
              イメージ(露を含んだ金毛院の露地)
            

祇園囃子とともに熱い暑い夏がやってきました。
思えば・・・京都へ家うつりしてクローズしていた「暁庵の茶事クロスロード」を
再開したのは「祇園祭」に感動したからでした・・・。

今年も祇園祭を楽しみましたが、暑さに負け、おまけに夏風邪をひき、
前祭は宵々山と宵山、後祭は宵々山と、夜のみの徘徊となりました。

            

            

7月15日、先ず八坂神社へお詣りしました。
境内では白木槿の「祇園守り」が売られていましたが、これから宵々山へ
繰り出すので涙を呑みました。
三基の神輿が鎮座している前で、ばったり権禰宜さんにお会いでき、びっくり!
これもお詣りのお蔭かもしれませんね。

            
               芦刈山の前懸・・山口華楊原画の段通「凝視」

            
                 蟷螂山のおみくじに長い列

前祭の宵々山は、保昌山-岩戸山-木賊山-太子山-油天神山-芦刈山
-蟷螂山 と廻りました。
夕闇が迫る中、提灯が次第にその輝きを増し、浴衣を着た人々のシルエット、
かわいらしい子供たちの掛け声が宵山独特の風情をかもしだしています。
会所めぐりをすると、素晴らしい懸想品に見惚れ、新しい発見があります。
熱心に説明してくださる山を守る人たちとの触れ合いも嬉しいことでした。

           
             素晴らしい懸想品ですが、どこの山だったかしら?

7月16日、大学時代の友人MさんとTさんが祇園祭へやってきました。
夕方5時半頃、長刀鉾、函谷鉾、月鉾を見に四条通りへさしかかると、
人の流れがぶつかり合い、進むどころではなく押し倒されそうでした。
地元の方でしょうか?
「魔の30分といって、歩行者天国になる前の30分が一番危険なの・・」
まさしく、一人倒れれば将棋倒しになり、死者が出るような怖さを感じ、
車道の方へみんなで逃げました。

           
            屏風祭・・・町家で秘蔵の屏風や美術品を飾ります

明るいうちに最初の訪問先「杉本家住宅」へ到着、
暮れゆく庭の風情を愛でながら、伝統ある町家の夏座敷、
客間に飾られた「秋草屏風」(俵屋宗達)などを拝見しました。

ご当主夫人が庭に水を撒いてくださいました。
年季の入った水の撒き方に感動して、ついお声を掛けてしまいました。
すると、「灯篭に灯を入れますので、少しお待ちください」
次々と灯籠に灯が入り、そこだけ別の時間が流れていくようでした。

           

           
           船鉾の上から新町通を見る  

大学時代の友人K氏と「エール新町」で合流し、5人で夕食を楽しみ、
学生時代に一瞬戻ったような・・・。
みんなで船鉾見学に1時間並びましたが、最終回に入れてヨカッタ!
船鉾の上へ座ると、思いがけない高さで、囃子方が座る欄干も狭く、
揺れ動く鉾の上の囃子方の苦労を初めて知りました。
天井に華麗な花が描かれ、今年の花は「茶の花」だとか。

鶏鉾の見送、16世紀にベルギ-で造られたという毛氈を堪能し、
函谷鉾の前を通り過ぎると、お囃子が急を告げて、函谷鉾の提灯落しが・・・。
(提灯落しは船鉾に並んだ時に、相模原市から毎年祇園祭に来ているという
 女性から初めて聞きました)
宵山最後のクライマックス、提灯落しを待っていると、あっ!という間でした。
見たのか、見なかったのか・・・提灯が消えると、サッと一斉に落ちました。

            
             函谷鉾の提灯落しの直前(瞬間は撮れず・・)

こうして前祭の宵山を終わり、翌日の巡行はテレビ観戦とあいなりましたが、
友人MさんとTさんは元気よく走り回って巡行を観たそうです。

                                   

葵祭2014年と祭り釜

2014年05月17日 | 京暮らし 年中行事
                 葵祭の斎王代 (2014年5月15日)

5月15日は葵祭でした。
正式には賀茂祭といい、賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ:上賀茂神社)と
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ:下鴨神社)の例祭です。

茶友Sさまからメールを頂戴しました。
「懇意にしている川口美術さんから葵祭のお誘いがあり、
 祭のあとに添え釜で一服もあります。ご一緒しませんか?」
今までの葵祭と一味違って、なんか面白そう!・・・
「好い思い出になると思うので、是非ご一緒させてください」



当日、葵祭の行列は10時半に御所を出発、
下鴨神社参道にある川口美術の前を11時30分頃に通過の予定です。
参道近くまで行ったのですが、道路規制で思うように通れません。
やっと事情を話して通してもらい辿りつくと、
店の前に見物用のやぐらが作られていました。

川口美術は朝鮮家具を中心に韓国骨董を扱うお店です。
前を通るたびに、密かにあこがれていた店内へ初めて入りました。
小盤(一人用足付膳)やパンダジ(収納箱)、陶器や民具などが置かれ、
土器や李朝の壷にさりげなく季節の花(リョウブ、都忘れ)が生けられています。
なんて素敵なお店なんだろう・・・骨董屋の女主人を思い出していると、
川口美術のご主人が店の中を案内してくださいました。

招待されたお客さまは総勢8名、やぐらの席へ移り、葵祭の行列を見物しました。
王侯貴族のボックス席みたいで、可愛いお稚児さんと手を振ったりしました。
最初の騎馬武者に見覚えがあります。
5月5日、上賀茂神社の「競べ馬」で、先頭をきって駆け抜けた二人でした。

             

             

平安時代そのままの衣裳や牛馬が多いのも葵祭の特色でしょうか。
藤や山吹の花で飾られた牛車がギイギイと通っていきました。
行列中一番人気の斎王代、今年の斎王代は和菓子の老舗「老松」のお嬢さんです。

             

             

無事、行列が通りすぎ、店の二階席で昼食を囲みました。
菱岩のお弁当が嬉しく、会話が弾みます、
主菓子は出町ふたばの柏餅、生姜入り味噌餡に感動です(御馳走様!)。
その後、庭の奥にある風流な片庇(かたひさし)の薄茶席へ。

             
                      5月の鴨川

突上げ窓の向うに高野川の流れと緑の土手が見える、気持のよい野点席です。
「薫風自南来」の短冊、双葉葵のかわいらしい花が添えられ、
風炉は白磁の大鉢、炭を入れ、雲龍釜が掛けられています。

半田のような大鉢(風炉)と、点前座の古材テーブルが垂涎ものでした。
Sさまお気に入りの建水は大きな甕(キムチ用??)、豪快かつ愉快!
10個ほど並べられた茶碗から好きなものを選び、
あおい着物がお似合いのSさまのお点前で、美味しく頂戴しました。

             
                    双葉葵(大田神社でパチリ)

最後の席で、雨がぽっつんと降っていましたが、
Sさま、大阪のK氏、Yさまと過ごした祭り釜、
風流の極みの贅沢なひと時でした・・・。       
                            その日は  のち 




2014年節分の日に-2

2014年02月05日 | 京暮らし 年中行事
節分(3日)の午後11時から火炉祭が行われるというので、
10時前に吉田神社へ出かけました。

正面の屋台村を避けて近衛坂を登って、先ず元宮へ詣でました。
元宮は全国津々浦々の神社の総元締めなので、
元宮にお詣りすれば、全国の神社へお詣りするのと同じだとか。

            

            

いつもは閉ざされている元宮ですが、この夜はお詣りの人が溢れ、
遅くまで賑やかです。
Kさんに頼まれていた福枡を買いました。
福枡は煙草盆、菓子器などいろいろ使えて、重宝しています。
昨年は売り切れだったのが、今年はまだたくさんあったような・・・。

            
                 吉田神社・福枡の煙草盆

京都の節分は吉田神社と言われているほど、
たくさんの老若男女が厄落としのお詣りをします。
それに屋台の数がものすごく、食べ物の匂いが複雑にからみあって、
参道を歩いているだけで満腹感を覚えるほどです。

            

火炉祭のための古い護符が高く積み上げられているのですが、
梯子をかけて、護符の包みを更にてっぺんへ運んでいます。
厄災から身を守るため、人々は神仏に祈りをささげ、
霊験あらたかな護符を受け、
節分の日に、感謝の祈りとともに、焚きあげられるのです。

10時45分頃から火炉祭の神事がはじまりました。
先ず、神職が護符の山に玉串を奉げ、お祓いをします。
次いで、火炉祭に集まった人たちもお祓いを受けました。

            
            ころがすような鈴の音が・・・

一人の巫女が鈴を鳴らしながら、護符の山をひと回りしました。
鈴の音がなんともいえず玲瓏で、清々しく辺りを祓います。

白い式服の神職が祝詞を奉げると、2本の松明に火が点けられ、
神職が護符の山の数ヶ所へ火をつけていきました。

            

         

火勢はすぐに強まり、バリバリという竹の音、轟轟という火風の音、
燃え上がる火の踊り、上昇する火の粉、熱風・・・これでもかと云わんばかりに
荒ぶる神は火の勢いをどんどん増していき、怖いくらいでした。

            

            

「周りに水を撒け!」
「火の粉に水を掛けろ!」
怒号のような声が飛び交い、消防士が放水し、火と水のせめぎ合い。
火の粉を消すために真上に上がった水が見物人に降りそそぎ、
今度は見物人から悲鳴が上がります。

               

・・・なんて気持ちの良い火炉祭なんでしょう!
熱風で顔や手足は熱く火照り、
体の中の悪魔や厄災まで火が焼き尽くしてくれるような、爽快感を味わいました。
節分にふさわしい火の祭典のリセットです。

            

あまりの熱さに耐えかねて、護符の山が半分ほどに低くなったのを見定め、
満足して帰路に着きました。
                              

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2014年節分の日に-1

2014年02月04日 | 京暮らし 年中行事
                    節分の壬生寺
今日は立春、
日足もだいぶ伸びて春の訪れが近いことを感じます。
京都を留守にしてまして、久しぶりの書き込みです・・・。

節分の日に1年ぶりの京都の節分名所めぐりをしました。
コースは、壬生寺~須賀神社~聖護院~(自宅)~吉田神社・火炉祭です。
火炉祭は古い護符をお焚き上げする神事で、夜11時の開始です。

            

            

先ずは壬生寺へお詣りし、壬生狂言「節分」を鑑賞しました。
45分間の無言劇の中に京の節分習俗が伝えられていて、
今では見られなくなった「厄払い」が登場するのも興味深いです。
唯一の音曲は、独特のリズム「カンデン、カンデンデン、カンデンデンデン」
の繰り返しで、銅鑼(かね)、太鼓、笛で奏でられます。

 あらすじは、
   節分の日、後家は升に豆をたくさん用意し、
   柊に鰯の頭を挿して門口に付けます。
   節分の用意が調ったところへ厄払いがやってきたので
   厄を払うまじないを頼みます。
   後家はお礼に厄払いに豆を包んだものをあげて一安心。

   次に蓑笠を付けた鬼がやってきます。
   後家は鬼を見てびっくりして逃げてしまいます。
   後家に気に入られたい鬼は、「打出の小槌」で着物をとり出して
   人間に変装し、後家を呼び出します。
   「打出の小槌」で着物を出して後家に与え、酒宴が始まりました。

   鬼が酔いつぶれたのを待って、後家が着物を脱がせていくと、
   その正体がわかり、思わず悲鳴をあげてしまいます。
   鬼はその声に目覚め、正体がばれ、着物も打出の小槌も
   とられたことに気づき、怒って後家につかみかかろうとしますが、
   後家は豆をまいて鬼を追い払って、メデタシ、メデタシ。

            

二回目ですが、「厄払い」のひょうきんなしぐさに注意を払ったり、
後家が鬼めがけて勢いよく豆をまくところに痛快さを感じたり、
鬼のいじらしさを感じた前回と印象が違うところが面白いですね。
まめ」は魔()を滅(っ)するという語呂合わせからだとか・・・。

焙烙に厄払いの願いを書き入れる人たちを横目で見ながら
近くの鶴屋さんへ。

        

                

ここは新撰組屯所遺跡で、旧壬生屯所であった八木家が現存しています。
新撰組・初代局長の芹沢鴨と愛人お梅、平山五郎の3人が暗殺された座敷、
刀傷の残る鴨居や柱を見学しました。
案内人のご婦人が語る新撰組の運命、芹沢鴨の粛清、旗「誠」のお話は
まこと熱演でございました
見学後、鶴屋の手あぶりが置かれた縁台でお薄と「屯所餅」を賞味しました。
壬生菜が入った「屯所餅」は粒あんの甘みが程よく、お勧めの一品です。

            
                  「屯所餅」で一服

「炮烙銅鑼」と「鶏卵素麺」を買って、次の須賀神社へ向かいました。

                                 
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