暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「丘の上チャリティ茶会」・・・思静荘の濃茶席(2)

2024年11月15日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

      (丘の上記念会堂の礼拝堂)

つづき)

「丘の上チャリティ茶会」へ行きたかったのには訳がありました。

3年前に野原薊さまから「社中の方が出れなくなったので、急ですが「丘の上チャリティ茶会」へ行きませんか?」

とお誘いがありました。用事で行けませんでしたが、その折に主催者の一人・高橋敏夫牧師の講演会「春日部市市民講座(第41回2022年12月7日)「茶会ー茶事と大寄せの茶会ー」)のレジュメを拝読したのです。

中でも高橋牧師が最初に表千家茶道をお習いした「横山悌子師の最後の茶事」の項を読んで、天の鞭に打たれたかのような衝撃と深い感動を覚え、涙が止まりませんでした。そして、いつか高橋牧師のお茶に触れてみたい・・と願ったのです。

暁庵にとっても忘れられない一文を備忘録として、そしてお茶を修練しているお仲間に読んでいただきたくって、掲載させていただきます。

🔶横山悌子師の最後の茶事(高橋敏夫牧師の講演会のレジュメより)

・・・いよいよ「むすび」です。ぼくが今回お話ししたかったのは、最初に学んだ先生の横山悌子先生のことでした。

この方が若かった頃は、たくさんの弟子を引き連れてお家元の処とか、久田宗匠の処とか、美味しいものが食べられる処とか、あちらこちらへ連れて行ってくださいました。先生からは「あなたは牧師だから、こういう処を知っていた方がいいわよ」って言われてね。

そんな横山先生が、ぼくたちを教えている頃に交通事故に遭われてしまい頭を打ったのですね。そのため、お年を召されてからは花の名前をみんな忘れてしまったのです。それは、お点前にも言えることで、お点前がほとんどできなくなってしまったのです。ですから、ぼくたち弟子に教える時も、「これでいいですかね」と確認されるようにすごく謙虚に教えていらっしゃいました。実際には忘れてしまっていて教えられないのに、一生懸命教えようとしてくださいました。

そうした中で、ある日、横山先生がぼくたちをお茶事へ呼びたいとおっしゃって、15人ほどで招かれました。横山先生は、もうほとんどお点前は出来ないのですけれども、亭主としてお座りになって、ぼくたちに聞きながらお濃茶を練ってくださり、お薄も点ててくださいました。料理は柿傳、お菓子も京都から取り寄せてくださったのですが、ぼくたちが知っている茶事の世界とは全く違う茶事でした。だって、亭主がすらすらと進行できず、お茶を点てることさえもできないのですからね。

でもその時に、先生は自分ができないことを恥じていないのです。花の名前さえ言えないことを全然恥ずかしいと思っていなかったのです。それこそ、これが本当のお茶人なんだなという姿をぼくに見せてくれました。

「あるがまま」なのですね。そして、何よりも楽しそうになさっていたのです。茶事が終わった後、先生は何も言わずに頭を下げていらっしゃいました。ただただ頭を下げていらっしゃる先生の姿を見て、「あぁ、ぼくはこんな素晴らしい先生からお茶を習ったんだなぁ」と思いました。

ですから、横山悌子先生のことを思うと、ぼくもお茶事をやらなくっちゃと思いました。その時は何人の方にお声掛けできるか分かりませんが、ぜひ来てください。

   (レジュメの続きは略)

  (庭の不思議なオブジェ・・・丘の上記念会堂にて)

さて、「丘の上チャリティ茶会」に戻ります。茶会前に上記のレジュメを再読して、いまだ感動冷めやらぬ思いでおりましたので、高橋牧師にお会いした時に・・・不遜にも

「横山悌子先生について書かれた講演会のレジュメを読んで、とても感動しました。横山先生のような茶事をなさっていらっしゃいますか?」

すると、とても真剣なお顔で(少し怖いような・・・)「今、それをやっているではありませんか!」

そのお答えを伺って、心から頷くものがありました。

今出来ることを精一杯やっていらっしゃるのだ・・・5年間に3度死にかけながら不死鳥のように回復されて、又、大事な方の死に向かい合いながら、きっと必死の思いでこの茶会に取り組んでくださっているのだ・・・。誰も先のことはわからない、今しかないのだ。今この瞬間を最後だと思って一生懸命やるしかないのだ・・・と。  

 

ここまで書いて(書くべきかどうか、どう書いたらよいか迷いながら・・・)、

やっと「丘の上のチャリティ茶会」へ行ったのだ! ・・・という実感が湧いてきました。

野原薊様、お誘いを心から感謝しております。社中の皆様と美味しく過ごした「ほまれ」のことも忘れられません・・・。

皆様と丘の上チャリティ茶会にて、またの御目文字を楽しみにしています。

 

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「丘の上チャリティ茶会」・・・思静荘の濃茶席(1)

2024年11月05日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

 

(書けずにさんざん迷いましたが、不思議なご縁を感じながら一生懸命書いています・・・)

10月26日(土)に第28回「丘の上チャリティ茶会ー名残の茶の湯の楽しみー」が開催されました。

3年前に野原薊さまからこの茶会へお誘いがあり、それ以来お伺いしたいと思いながらこの度願いが叶い、埼玉県春日部市の春日部福音自由協会・丘の上記念会堂へいそいそと出かけました。

10月になっても暑い日が続き、この日にようやく袷を着ましたが、最寄の東岩槻駅から徒歩10分ほど、丘の上記念会堂への最後の登りではぐっしょり汗をかきました。

 

教会の中とは思えない水墨画の襖絵がある広い座敷が受付と待合になっています。そこで身支度し、最初の濃茶席の会記と消息の解説書(菊月二十二日伊勢侍従あて、解説:小松茂美)をいただきました。

野原薊さまのお社中と8人で思静荘と名付けられた茶室(広間)へ席入りしました。

床には大きな横物の消息「伊勢侍従宛利休手紙」(写、大阪城天守閣蔵)が掛けられています。香合(村上堆朱)が荘られ、フェニキア出土の泪壷(ローマンガラス)に生けられた秋桜が2本、赤い花に白い花がそっと寄り添っているように見えました。

点前座に回ると、十字透紋のあるどっしりした唐銅鬼面風炉に織部好みを思わせる肩衝筋釜が掛けられています。存在感のある風炉釜から幽かに松風が心地よく聞こえてきて、このまま聴いていたい・・・と。

すぐにお点前が始まりました。表千家流の濃茶点前、しかも男性のお点前を拝見するのは初めてなので、良席(次客)でもありじっくり拝見したかったのですが、常盤饅頭が運ばれ、そちらも急ぎ食べねばなりません。

そのころに席主の高橋敏夫牧師が入られて、ご挨拶やお菓子の話が始まり、お点前を拝見するのはまたの機会にしました・・・というのは、高橋牧師の魅力あるお話に引き込まれてお点前どころではなくなったからです。

床に掛けられた利休の消息、冒頭に南坊が都を立ったという一文があり、南坊とは高山南坊(高山右近)のことで利休七哲の一人ですが、無事に金沢へ向かって都を立ったことを伊勢侍従(蒲生氏郷)へ知らせています。高橋牧師は高山右近の研究をされているので、キリスト教禁止令が出され苦境にある高山右近の行動や心境を、この消息から慮っていることでしょう。

 

濃茶が運ばれ、お正客の野原様、三客の野原社中の若武者と3人で一碗をともにしました。

「三人様でどうぞ。茶碗は出土品なのでやさしく一回だけ清めてください」

久しぶりに3人で濃茶をいただきました。飲みやすく優しい濃茶は「楽寿の昔」(柳桜園詰)です。

茶碗はヘブロン出土(紀元前2200~2000)の土器だそうです。漆を塗った茶碗は、とても薄手で縁に何か所か金継があります。ヘブロン出土と伺っただけで、時を経てはるばる旅をして日本の、この教会の茶会で使われ、その茶碗で濃茶をいただくご縁の不思議さを思いました。

毎年、記念茶会を開催しているものの、5年間で3度死にかけたことや、最近大切な人を亡くしたことなど、近況をお話しくださいました。

その後に高橋牧師から鋭い質問がお正客へありました。

「貴女は長く茶の湯を修練していますが、茶の湯に究極に求められているものは何だと思いますか?」

しばらく考えられてから「それは「茶の心」でしょうか」とお正客が答えると、

「「茶の心」も良いけれど、私は「ぬくもり」だと思いますよ」と。

正解はありませんが、茶の湯の有り様や心構えをいろいろ考えさせられる質問でした。

 

三碗目の濃茶は「沙毘恵留(ザビエル)」という銘の赤楽茶碗(十五代楽直入作)で出されました。この茶碗はハート形をしていて、直入氏が奥様のことを思いながら制作し、奥様へ贈られた茶碗だそうです。直入氏の心がこもった茶碗を奥様は高橋牧師に使ってほしいと贈られたそうです。そのお話を伺って、思わず・・・

直入氏の大ファンでして、楽美術館茶会で直入氏のステキなお話を伺った思い出がございます。そのお茶碗をぜひ拝見させてください」と声にしていました。

すると、「そうですか・・・それではこのお茶碗で薄茶を差し上げますので、ぜひ喫んでください」と高橋牧師。

直入氏のあたたかなお気持ちが伝わってくるような赤楽茶碗、ハートのお形やへら遣い、釉薬の複雑な景色に感激しながら熱い薄茶を美味しくいただきました。感激も一入ながら、すぐにこのような粋な計らいをしてくださった高橋牧師にお茶を愛する茶人としての柔軟な心構えや対応力を教わった気がしました。

ごちそうさまでした。そして、ありがとうございます。  つづく)

 

      「丘の上チャリティ茶会」・・・思静荘の濃茶席(2)へ続く

 

 


芙蓉を愛でるランチ茶会へ

2024年10月27日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

      (芙蓉の大樹にピンクの花が咲いていました)

 

10月の或る日のこと・・・

「急ですが、芙蓉の花が咲いているうちに我が家へいらっしゃいませんか?

簡単なランチと薄茶一服のランチ茶会をします・・・洋服でどうぞ!」

もちろん大喜びで、Yさまと連れ立ってSさま宅へ伺いました。KさまとFさまもいらしていて、お二人は慣れた様子でSさまのランチ支度を手伝っています。

玄関入った所に御軸らしきものが掛けられていましたが、全く読めませんで・・・汗!

 

「一期一會」(いちごいちえ)と伺ってから再度拝見すると、「なるほど・・」そのように見えて来ました。不思議な絵のような個性あふれる書の筆者のお名前が・・・?? 

キッチンからニンニクの香りが満ちて来てお腹が鳴ってきました。ランチはSさまお得意のイタリアンのようです。

テーブルに着くと、最初に温かなスープが素敵なテーブルウエアで出され、海外出張が多いSさまのセンスが溢れていました。どれも垂涎の器です。

オリーブオイルが掛けられていて好い薫りです。とても優しいお味でクリ―ミィだけれど何のスープかしら?

蕪のスープとのことで、初めて頂きましたがとても美味しく作ってみたくなりました。

メインはスパゲッティ、香草とカラスミがアクセントになっていて美味しゅうございました。

更に、次々とSさまの魔法の手によるお料理が・・・ムール貝のスープ煮、2種のバケット(生ハムと玉ねぎ、無花果)、果物入りのグリーンサラダが出され、どれも一味違う工夫とセンスが満載で舌鼓を打ちながら完食しました。

特に久しぶりに食したムール貝が癖になりそうなお味で、ついつい沢山いただきました。

最後に冷たい無花果のデザート、無花果をシャンパンで煮たそうで甘みが控えめで柔らかく、優しいお味でした。

ご馳走さま!!・・・こんな風にさり気なくランチのおもてなしが出来たら・・・と憧れます。

ランチの後のおしゃべりも楽しい時間でしたが、近くの松本記念音楽迎賓館に付属する茶室を見せてくださるとのことで、急遽そちらへ伺って時雨庵などの茶室を見学させていただきました。深山のような広い庭には楓や桜がたくさんあり、桜が美しい春の茶会がお勧めとのことでした。

戻ってから芙蓉の花が見えるSさまの茶室で薄茶を頂きました。F様とY様が薄茶を点ててくださり、一息出来てとっても落ち着きました。

    (点前座・・・帰雁絵の細水指は虫明焼です)

床の短冊は、先代の小堀遠州流家元の御筆で、

   茶の道は思ふにふかき武蔵野の
       月の出しほを差して行くかな   宗通

 

 

床には秋の野の花が篭花入に生けられています。シュウメイ菊、リンドウ、藤袴、霜柱・・・

点前座に回ると、切り掛け風炉と水指が置かれ、水指は帰雁絵の虫明焼でした。暁庵が虫明焼が大好きなことをご存じのようで・・・うれしいお出会いです。

蕎麦柄の四方薄器(永楽作)が味わい深く、名残りのお席を華やかに惹きたてています。

干菓子「菊寿糖」と熱い薄茶が乾いた喉を潤し、なんとも美味しい一服でした。

茶碗は小ぶりの織部、作者を教えていただいたのですが既に忘却の彼方です・・・トホホッ

お洒落なランチと熱い薄茶と尽きない語らいが今も忘れられません・・・

ありがとうございました! 

 

 


「世界の旅から」茶事へ招かれて

2024年09月17日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

令和6年9月2日にSKさまから「世界の旅から」茶事へお招きいただきました

すぐに後礼の手紙を差し上げるはずが、奥伝稽古が続いて頭と体のゆとりがなく、1週間以上遅れて投函しました。

心に残る素敵な茶事の思い出として後礼の手紙をこちらへ書き留めます。よろしかったらご一読ください。茶事の写真は全て次客Yさまにご提供頂きました。ありがとうございます!

 

 秋きぬと 荻の葉風のつげしより
       思ひしことのただならぬ暮
                      式子内親王の和歌

台風10号が迷走し天候を心配していましたが、その日は青空が広がり、安心して世界の旅へ出立することが出来ました。

玄関の掛物、円の中に書かれた「」の墨書、風に乗って颯爽と世界を旅する・・・なんとも雄大で、今日の茶事にぴったりでございました。
居間(待合)へ通るとすぐに庭の芙蓉の大樹を見ました。満開の花を想像していましたが・・・後で芙蓉の花が遅いと伺い、内心がっかりしましたの・・

待合の煙草盆の灰皿やマッチや煙草入れが楽しく、後でお伺いするのが楽しみでした。スダチと炭酸水のスカッとする汲み出しで喉を潤し、味わいのある茶碗に見惚れていると、後で大野鈍阿作と伺いました。

二階の茶室へ席入りすると、「 相見呵々」の御軸、いつもは力強い太玄和尚の御筆がその日は優しい笑みに溢れているように見えました。最近、茶事で「笑い」の大事なことを痛感したことがあり、この御軸にご亭主の「笑いのある楽しい茶事」への想いを感じて、とても嬉しゅうございました。

床には小さな赤い実をつけたジュズサンゴが柄付籠のような花入に生けられていました。花入がアイヌの柄杓と伺って珍しいけれど素朴な花入に野性的なジュズサンゴが好くお似合い・・・と感心しました。

 (ジュズサンゴの花がアイヌの柄杓に)

ロシアの細密画の香合、漆絵の細密画にイコンを重ね、香合を惹きたてている美しい綺羅の仕覆(印度)が相客のUさまのお仕立てと聞いて嬉しかったです。「忘れずにお尋ねできて良かった!」と正客として安堵し、裂地のお話しするUさまのお顔が輝いて見えました。

点前座の水指(ジノリ イタリア)を拝見した途端、雲間を飛び交う飛行機の楽しい絵柄とユニークな形に「あっ!これが世界の旅の茶事で使いたかったものね」とすぐに思いました。

(点前座・・・水指はジノリ(イタリア) (↑クリックしてね)

そして、遠州旅日記が貼られた風炉先屏風、遠州公がそこにいらして茶室と空間を引き締めていたようにも思いますが、茶室の様子を心配しながら(又はニコニコしながら?)見ていたのかもしれませんね。

小堀遠州流のお点前を拝見する度に、濃茶を美味しく点てるための魔法のようなお点前と思いながら、裏千家流とは違う所作の一つ一つに魅入りました。特に帛紗や茶巾のたたみ方、茶入や茶杓の清め方が全く違うので興味津々でした。

ガレを連想する葡萄模様のガラス茶入(新倉晴比古造)から竹の節が多い茶杓(そのように見えました 寛州老師の銘「華栄」)で濃茶が掬われました。
やがて馥郁とした香りと共に濃茶が出し袱紗と共に出され、自分の古袱紗を使って裏千家流の仕方で濃茶を頂きました。
まろやかに練られた濃茶は甘味が残り、美味しゅうございました。茶銘を伺うと、「蓬莱山」(松尾園)とのこと、初めて頂いたように思います。
満月のような主菓子「水月」(末富製)も珍しくつるりと頂戴しました。

濃茶の茶碗は李朝でしょうか。繊細な金継ぎに風にゆれる尾花を想いながら頂戴しました。各服点で次々と古格のある茶碗が出て来て眼福でした。

古曽部焼、古萩、李朝刷毛目、出雲焼が印象に残っていますが、次々と出されたので全部は覚えきれません・・・。

 

階下のガラス張りのリビングでの懐石の時間も美味しく楽しかったです。いろいろお話が弾み、次々と、笑顔と共に手際よく供されるお料理の数々に、一同びっくりするやら、舌鼓を打つやらでした。

最初の膳のトマトの汁が斬新で、ひろうす・小カブ・オクラの炊き合せ、松茸御飯、柔らかいステーキが美味で特に印象に残っています。

 

きっとご亭主様は汗を拭く暇がないほど忙しかったと思うのですが、そんなことを感じさせない素敵な笑顔にSKさま流おもてなしの真髄を見た思いがしました。
本当に美味しく、ご馳走様でございました!

 

中立のあと、再び二階の茶室へ席入りすると、襖を開けた途端、
あっ!!」と大きな叫び声が出ました。正面点前座には長板に背の高いガラスの水指が置かれ、ボールのような氷が浮いていました。

床には、中国奥地の少数民族のパッチワークの額が掛けられ、何と形容して良いやら、細長いオブジェに青い蜜柑が一つ枝もたわわに生けられていました。

後でお伺いすると、圧倒的な存在感を放っているガラス水指はバカラ(ステキ! 垂涎でした)、そして花器は帝国ホテルを設計したロイドフライト作の鉄製オブジェと嬉しくお聞きしました。

小堀遠州流の氷点前で頂戴した薄茶がとても美味しく、喉を潤し、お代わりをしてしまいました。代点されたIさま夫妻も各服点やお代わりいっぱいで大変だったと思いますが、美味しいおもてなしをありがとうございました。

また、詰Fさまには随所でお世話になり、とても頼もしい詰(半東?)でございました。
どうぞよろしくお伝えくださいませ。
最後に、皆様の世界旅行の物語りをお伺いできたことも「世界の旅から」茶事の好き思い出になっています。

笑顔が溢れる温かなSKさま流おもてなしが忘れられません・・・そして気の置けないご連客の皆さまとの素敵な一座建立も今なお心に残っております。

本当にありがとうございました!
拙い正客でございましたが、これに懲りずにお付き合いくださいますよう、よろしくお願い申し上げます。        かしこ

令和六年 菊月吉日          暁庵

 


ステキな招待状

2024年09月02日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

 (春は花 夏ほととぎす 秋は月 冬雪さえて冷しかりけり・・・道元禅師)

 

台風10号が日本列島を迷走しています。

台風情報に注意を払っていた最中のこと、茶事へのステキな招待状が届きました。

 

 (芙蓉の花・・・季節の花300提供)

 

 こんにちは 毎日お暑いですネ

 「世界の旅から」お茶事、快諾頂きありがとうございます

 また大役 お正客を宜しくお願いいたします

 

   SK100便 2.9.2024

   9月2日  10:30 搭乗口(寄付)

         11:00 出発 (席入)

   フライトチケット代(会費)  〇〇 円

   ドレスコード  アロハ ムームー チマチョゴリ 麻の着物 

           浴衣(半襟、足袋)etc  皆様のアイデァで

   「Bon  Voyage!」 

         See  you  soon!!

 (芙蓉の花・・・季節の花300提供)

 

なんて!ユーモアたっぷりのお便りなんでしょう!

読みながらお茶事へ伺う楽しさにワクワクしてきました。

短い文面からSKさまが茶事の支度を楽しんでいる様子が目に浮かび、思わず笑みがこぼれ、たとえ台風でも行く気でおりまするぅ~。

一番の悩み(楽しみ?)はドレスコードでしょうか。

アロハ、ムームー、チマチョゴリは手持ちがないし、浴衣しか思い浮かびません。

長いこと着ていない浴衣を探すこと数回、やっと綿絽の浴衣を見つけ出し、帯や下着、帯揚げや帯締めを揃え、SKさまのお気持ちに応えられて先ずは安堵です・・・。

折しも台風10号のため空の便の欠航が相次いでいますが、SK100便は予定通リ出発するそうです。 

それでは、行ってまいります        つづき)