暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

文月のお祝いの茶事に招かれて

2022年07月24日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

       (後座の床・・・・露を含んだ姫檜扇水仙)

     (色紙釜(色紙の和歌と横笛の環付、治良兵衛作)と色紙風炉)

      (風炉先屏風は遠州旅日記の和歌の小色紙張り・・・前のお家元・小堀宗通筆) 

 

令和4年7月17日に小堀遠州流のYさまから茶事へお招きいただきました。

茶室や庭をリニューアルされたのを機に、これからは茶事を大いに楽しみたいというお気持ちが溢れた、茶室披きの茶事でもあります。

この度の茶事では暁庵社中をお招きくださり、正客N氏、次客M氏、三客暁庵、四客Iさま、詰Aさまの5名で嬉しく参上しました。

長年小堀遠州流茶道を研鑽されてきたYさま、昨年最愛のご主人が旅立たれ、お茶をしていてヨカッタ!と言ってらしたYさま、そんなお茶への思いが凝縮され、温かなお人柄が随所に感じられる、素晴らしい茶事でした。

 

       

小堀遠州流の茶事を何度か経験していますが、裏千家流とは異なることが多く、そこがまた魅力でもあり、興味深いところです。特に詰が半東の役を兼ねること、拝見の声掛けなどのタイミングが分かりませんので、同門のKYさまが席中で解説や指南役をしてくださって、とても助かりました。

茶事の全てを記すことはできませんが、Yさまへのお礼の手紙の一部を忘備録として記します。

 

  Yさまへ

 

  茶の道を ただ一途(ひとすじ)に たどりつつ

       同じ想ひの 友知るよろこび

 

過日は茶室披きのお目出たいお茶事に社中の方と共にお招き頂きまして、誠にありがとうございました。

Yさまの長年の思いが凝縮され、花が咲く時期を迎えて満開になったようなお心のこもった素晴らしいお茶事だった・・・渾身のお茶事だった・・・と、この文をしたためながらしみじみ振り返っております。

床のお軸「円相 本来無一物」に宋代の詩人・蘇東坡の詩を想い浮かべ、重厚かつ雅びな色紙釜(色紙の和歌と横笛の環)と色紙風炉に心惹かれ、その先には和歌(遠州旅日記より)が散りばめられた風炉先屏風、取り合わせがステキでした。

 


    (初座の床を拝見・・・「円相 本来無一物」(小堀宗通筆)

   (初座の釜と風炉、風炉先屏風の拝見・・・初炭後に風炉中を拝見しました)

初炭では、大きな釜環の扱いや火箸を持ったまま香合から香を手で取って焚く所作などにびっくりでした。

でも、茶事後に社中の皆が申しておりましたカルチャーショック(流派の違いによる)の一番は、風炉中の湿し灰の灰形と種火を囲むような炭の置き方でした。 

今回特別に風炉中を拝見させて頂き、本当にありがとうございました。

 

   (濡れ茶巾で釜を浄めています・・・裏千家流に比べ、豪快かつ丁寧でした)

 

TIHOさまが腕をふるってくださった懐石も嬉しく美味しく頂戴し、これから懐石も習って・・と考えている若い方々の刺激になったことでしょう。(食べるのが先になり、写真が・・・

 

後座へ入ると、床には銀製の釣瓶に露をふくんだ姫檜扇水仙・・・

私の大好きな夏の花を生けてくださり、おまけに庭の姫檜扇水仙を全て刈り取ったという利休さま同様の心意気を伺って、益々Yさまのお心に触れられて感激いたしました。

点前座には初めて見る細身の棚(転合庵棚)が置かれ、天板に茶巾茶筅茶杓を仕組んだ茶碗がかざられていました。あとでこの茶事のために用意した茶碗をご披露するための茶碗莊(かざり)と知りました。

     (後座の濃茶の点前座・・・転合庵棚と茶碗かざり)

濃茶点前が始まり、小堀遠州流の袱紗捌きや清めの所作、千鳥茶巾の複雑な扱いを拝見していると、魔女がこれから魔法のお茶を点てるまじないの所作のようにも見えてきてワクワクしました。

長年研鑽を積まれたご亭主様の所作の美しさやリズムにうっとりと拝見し、茶碗かざりの鳴海織部の「あやひめ」、朝日焼・「楽」茶碗などのお話も興味深く、各服点の濃茶を皆で美味しく頂戴しました。

朝日焼・「楽」茶碗は小堀宗通80才記念の御品で、和歌の箱書きがステキです。

   たのしみは命のほかに何かあらむ

        ながらえてこそ在明の月

説明役のKYさまがいらして心強かったし、詰のAさまの咳払い(席中の客側からの合図)がどんどん上手になって行くのが楽しかったです。

 

      (後座の薄茶席(鎖の間)掛物)

    (後座の薄茶席(鎖の間)の点前座・・・かぼちゃの葉蓋が露に濡れて)

 

鎖の間を想定した薄茶席への展開は小堀遠州流ならではのご趣向で楽しみでございました。

洒脱で温かみのある俳句と俳画のお軸がご亭主様のお人柄とお好みをあらわしていました。

ガラス水指に入った大きな氷が涼やかで、氷点前でいただいた薄茶が喉をひんやりと通り過ぎ、とても美味しゅうございました。

KYさまとTIHOさまが薄茶席へ入られて皆で愉しく薄茶と茶談義が弾み、とても良い時間が過ぎていきました。

    (大きな氷が入ったガラス水指・・・氷点前の薄茶が最高!です)

説明時間などで長時間の滞在になり、ご亭主さまはさぞやお疲れのことと推察いたします。

くれぐれも御自愛くださいませ。

これからも仲良く楽しくそしてお互いに切磋琢磨するお付き合いができますよう、宜しくお願い申し上げます。末筆になりましたが、TIHOさま、KYさまによろしくお伝えください。

本当にありがとうございました!      かしこ    暁庵   

 

 


夏休み中ですが・・・2014年夏の京都の2つの茶事

2022年07月17日 | お茶と私

     (涼やかな青楓の手水場に憩う・・・四国遍路37番岩本寺にて)

 

夏休み中ですが、思いつくままに・・・

今日は7月17日、祇園祭の山鉾巡行の日です。

昨日の宵山のテレビ中継を見ていると、もの凄い人出にもうびっくり! 祇園祭が3年ぶりに再開されて、どんなに待ち遠しく待っていたかが伺えます。祇園祭にはいろいろな思い出がいっぱい・・・。

 

再び車で四国遍路から帰ってから、ステキな茶事が続いています(6月19日に社中Uさんが「再び・・春はあけぼの茶事」、7月3日に社中Iさんが「海想の茶事」をなさいました)。 

暁庵は専ら後方支援に徹し、お客さまにご満足頂けるよう、ご亭主の思うようにスムースに進行するよう、水屋でウロウロしています。

暑さによる消耗もあり、なかなか自分の茶事をするエネルギーが溜まりませんが、過去のブログを見て久々に刺激シャワーを浴びました。

巻末に「このブログの人気記事」というコーナーがあります。

表題を見て、「どんな記事だったかしら?」と読んでみると、その時の茶事の様子やお客さまが走馬灯のように次々と思い出され、涙したり、勉強したり、刺激を受けたりしています・・・。

暑い、熱い京都の夏、灑雪庵で行った2つの茶事・・・よろしかったらお読みください。

  旧暦の七夕の茶事(2014年7月30日の茶事)

  秋待つ撫子の茶事(2014年8月20日の茶事)

 

    (2022年の七夕飾り・・・飾りが少なめですが

遅くなりましたが、7月6日にツレと近くの竹林に笹を切りに行き、七夕の笹飾りをしました。毎年しているわけではありませんが、暑い中を稽古に駆けつけてくださる生徒さんに一服の清涼剤になれば・・・と思います。

短冊に願い事や七夕に因む古歌を書きました。

   久方の天の川原の渡し守り 
        君渡りなば 梶かくしてよ    (詠み人しらず) 

   天の河 もみぢを橋に渡せばや 
        たなばたつめの 秋をしも待つ  (詠み人しらず)

   ひととせに 一夜限りの七夕の
        逢いみん秋の 限りなきかな    (紀貫之)

 

 (奥伝のお稽古に皆で汗しています・・・7月は行之行台子

 

御軸は「 直下三千丈」(紫野黄梅院の太玄和尚の御筆)です。

「瀧 直下三千丈」に因む、唐の詩人・李白の「廬山(ろざん)の瀑布を望む」という大好きな詩を読み上げるつもりが・・・全く出てきません! 「旧暦の七夕の茶事」にも書いていますが、再掲します。

   

    望廬山瀑布     李白 

      日照香爐生紫煙
      遙看瀑布挂前川
      飛流直下三千尺
      疑是銀河落九天  

    (読み下し)
      廬山の瀑布を望む    
                       
      日は 香爐を 照らし  紫煙 生ず
      遙かに看る 瀑布の 前川に 挂くるを
      飛流 直下 三千尺
      疑ふらくは 是れ 銀河の 九天より 落つるかと

 

 


夏休み中ですが・・・壺屋焼の茶碗

2022年07月15日 | 茶道具

     「蓮の花」 (しまなみ海道の生口島、耕三寺にて撮影)

 

お暑うございます。

・・・夏休み中ではありますが、押入れの奥にしまい込んで忘れないうちに茶碗のことを書いておきます。どうぞお付き合いください。

7月3日(日)に社中Iさんの「海想の茶事」が無事に終わりました(とても素晴らしい茶事でした・・・ため息)。

Iさんはスキューバダイビングを趣味にされていて、毎年夏になると沖縄の海へ行って潜っていましたが、コロナウイルスの蔓延以来、行きたくってもいけない状況が続いています。

遥か南の海で繰り広げられる、この世のものではないような不思議で美しい海中の一期一会を想いながら、お茶事の薄茶席で壺屋焼茶碗が2碗使われました(各服点なのでその他に3碗)。 

小橋川仁王氏と新垣栄三郎氏の作品で、それぞれ個性が違う形状や色、特に緑色の色彩の奥深さに心惹かれました。

・・・そんな刺激を受けたせいで壺屋焼の茶碗が欲しくなりました。

 

 壺屋焼(つぼややき)を調べてみると、

壺屋焼は沖縄県那覇市壺屋で主に生産されている陶器です。

今年は沖縄の本土復帰50周年にあたりますが、壺屋焼の歴史を調べていると、戦後の那覇の解放と復興は、壺屋から始まったことを知りました。

1945年の沖縄戦で旧那覇市街は灰燼に帰しましたが、郊外の壺屋地区は比較的被害を免れました。当時、住民は民間人収容所に収容され、日々の生活は困窮を究めていましたが、「壺屋は業者が移住できればすぐに生産が開始できる」と米軍政府関係者に懇願し、粘り強く交渉を重ね、ついに移住の許可を取り付けました。

1945年11月、各収容所から壺屋出身の職人や建築作業班が集められ、140名がまず壺屋に入り整備作業が始まりました。その陶工の中には小橋川仁王や金城次郎らがいました。

その年の12月、最初のやきものが焼かれ、1ヶ月で壺屋の人口は8,000人に増えたそうです。1946年1月3日に糸満地区管内壺屋区役所が設置され、那覇市の戦後の回復と発展は壺屋と壺屋焼から力強く始まりました。

 

      (沖縄ではなく高知県の海ですが・・・叶崎にて)

私はいまだ沖縄へ行ったことがありませんし、何故か沖縄を避けていた気がします・・・それは頭あるいは体に刷り込まれた、生まれる前の空襲体験のせいかもしれません。

やっと沖縄のエメラルドの海ややきものに逢いたい気持ちになりましたが、「再び車で四国遍路」へ行ったばかりですし、コロナウイルスBA.5株の急な襲来(第7派)もあり、まして暑中の茶碗探しの外出は無理・・・

それでネット検索していると、とても気になる茶碗に出合いました。

添付の写真を見ていると、沖縄の特産物である芭蕉布の味わいを感じましたが、問題は径が15センチ近くで大きいことです。

  

 (沖縄特産の芭蕉布・・・目が飛び出るくらい高価です)

大きくても薄茶で使う茶碗だし、これを逃すと、このような茶碗に出合うことはないかもしれない・・・という思いが頭をよぎり、購入を決めました。

一度逃すと、いくら探しても出合えないことを幾度か経験しているので、今は「私の所へ来てくれてアリガトウ!」と思っています。

     (私の所へ来てくれてアリガトウ!)

古箱には「琉球 茶碗」とだけ書かれていて、道具屋さんによると江戸中期の作だそうで、形状や釉はげに素朴な魅力を感じ、古作を思わせます。アバタもエクボかもしれませんが・・・気に入っています。

岡田製糖所の「和三盆」を賞味しながら、愛称「芭蕉布」茶碗で薄茶一服を楽しみました。

 

     (購入した壺屋焼の茶碗で一服・・・稽古の後に)

 

「芭蕉布」茶碗はやはり夏がお似合いです。

お暑いですが、立礼席、洗い茶巾で一服いかがでしょうか? 

8月中なら、どなた様でも大歓迎です・・・。  

 

 


暑中お見舞い申し上げます

2022年07月07日 | 暮らし

     「蓮の花」 (しまなみ海道の生口島、耕三寺にて撮影)

 

暑中 お見舞い申し上げます

 

厳しい暑さが急にやってきて、はぁはぁしながらなんとか過ごしていたら、今度は台風がやってきました。

これで、四国の水不足は解消されたのでしょうか?

「再び車で四国遍路・・・」の途中ではありますが、しばらくブログをお休みします。

もう少し暑さに慣れて来たら、また元気にお会いしたいと思います。   

 

     

冒頭の「蓮の花」の写真を見ていたら、「蓮見の朝茶事」(2008年7月26日に開催)を急に思い出しました。

その茶事でお正客Kさまが歌ってくださった「蓮の花」、清らかな歌声と何かを思い起こさせる詩が心に残っています・・・。

混声合唱組曲『この地上』

 「蓮の花」(詩:高野喜久雄 曲:高田三郎)

 

  蓮の花が咲いている             
  泥の中にさえこれだけの             
  きよらかな色と形が    
  ひそんでいるというように             
 
  蓮の花が咲いている             
  忘れたものの遥けさを              
  遥けさと大きさを                  
  思い起こせというように            

  蓮の花が咲いている
  葉の上にいま落ちた雨
  白銀の玉となれに
  なお輝けというように

  蓮の花が咲いている
  問われた問いは大きくて
  問われつつ身をゆだね
  咲くほかないというように

 

ほんとに蓮の花って、なにかを気づかせてくれる花ですよね・・。
不思議な花だな~って思ってしまいます。 Kより  

 


再び車で四国遍路・・・嵐の「星ふるヴィレッジTENGU」

2022年07月02日 | 再び車で四国遍路

 

6月5日(6日目)、愛媛県宇和島市のホテルを出発し、高知県梼原(ゆすはら)という町を通リ、一路、愛媛県と高知県の県境にある四国カルストを目指しました。

四国カルストは日本三大カルストの一つで、標高1485mの天狗の森を最高峰に天狗高原や姫鶴平などのなだらかな山が連なり、白い石灰岩群とあいまって、独特の景観を楽しめます。

当初、41番龍光寺42番仏木寺43番明石寺を詣でてから四国カルスト・天狗高原へ行く予定でしたが、午後は雨の予報だったので何回もお詣りしている札所はパスし、初めて訪れる高原へ早めに着くように予定変更しました。

11時には天狗高原に到着したので、姫鶴平へドライブすると、四国カルストの白い石灰岩が緑の草原で草を食む羊の群れのように見えました。まるで「アルプスのハイジ」の世界みたい・・・ハイジとお爺さんが今にも現われそうです。

     (白い石灰岩は羊の群れのようにも見え、黒いのは牛です)

・・・すると、たくさんの黒い群れが現われて、これは本物の牛でした。放牧されて悠然と草を食んだり散歩したりしています。雨が降りだしても草原にいましたが、あとで台風のようになったのでどうしたのかしら・・・と気がかりです。

快適なドライブでしたが、急なカーブも多く、車酔いしそうになり運転を交代して、大野ヶ原から韮ヶ峠を目指しました。

        (坂本龍馬脱藩の地「韮ケ峠」)

韮ケ峠は、幕末に坂本龍馬が土佐藩から脱藩した道として有名だそうで、峠に記念碑がありました。

脱藩の道を歩くコース案内があり、なんと!案内板にかねてから興味があった「茶や谷の茶堂」を発見!  車は通れない道添いなので今回は断念しましたが、いつか訪れてみたい「茶堂」です。

「茶堂」とは、旅人にお茶のお接待をするお堂で、江戸時代からあり、愛媛県と高知県の一部に現存しています。

 高知県梼原(ゆすはら)町には現在13棟の茶堂が保存されています。広さは2間四方くらいでカヤ葺き屋根、木造平屋、板敷きという素朴な建物(お堂)です。木仏または石仏などを安置しお祀りしています。

 お遍路さんや行商の旅人などに茶菓子の接待を地区住民が輪番で行い、信仰とお接待、また地域の社交の場としての役割を果たしてきました。現在も「茶堂」の活動を行っているところがあるそうです。

   (「梼原町 脱藩の道」案内板に⑨「茶や谷の茶堂」を発見!)

 

「韮ケ峠」で雨がぽつぽつ降りはじめました。だんだん雨脚が早くなり、2時半ころ早めにホテルに入りました。

       (ホテルの看板「星ふるヴィレッジTENGU」)

    (ホテル「星ふるヴィレッジTENGU」・・・右側がプラネタリウム)

その日のホテル「星ふるヴィレッジTENGU」は四国カルストの天狗高原にあり、名前の如く、星ふる満天の夜空を期待して泊まったのですが、あいにく夕方から前線が通過し、台風のようになってしまいました。

このような日を想定してホテルにはプラネタリウムが併設されていて、その夜見えたであろう星空や星座にまつわる神話の世界をプラネタリウムで寝ながら楽しむことが出来ました。

その夜、雨がたたきつける窓から暗い外の様子を窺うと、山上にある「星ふるビレッジTENGU」はまるで荒れ狂う大海に漂う小船のようで、心細い思いがしました。今回の旅で雨にあったのがここだけなのも、台風だったのもお大師様の思し召しかもしれません・・・。

翌朝、雨は上がりましたが、雲でしょうか、霧でしょうか、幻想的な風景が広がっています。もやの中を慎重に下界へ車を走らせました。

 

この日(6月6日、7日目)は44番大寶寺45番岩屋寺をお詣りし、松山市の砥部焼窯元に寄ってから今治市方面へ向かいました。

 

      再び車で四国遍路・・・ 次へ   前へ   この項トップへ