暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

夏期講習会

2010年08月18日 | 稽古忘備録
朝から蝉時雨の中
・・・一人稽古をしています。
8月末に京都・今日庵で行われる夏期講習会へ参加するためです。

現在の先生にお習いしてから1年数ヶ月ですが、入門してすぐに
「お家元で行われる夏期または冬期講習会へ参加してください」
と言われました。
社中の先輩たちはほとんどの方が参加しているそうで、
先生の勧めもあり、私も茶友のKさんも何となくその気になっていました。

「二人で行けると好いわね」
と話し合っていましたが、そうは話が上手くいきませんでした。
家元の講習会へ参加するには所属支部の推薦が必要で
各支部に人数の割り当てがあるそうです。

Kさんは支部が違うため私だけが今回参加となりました。
今まで長期お休みがあり、習得していない課目もあって
「これは無理だわ・・!」と思いました。

「先生、折角のお話しですが、とても自信がありませんので
 今回はやめにしたいと思います」
と、先生に申し出ました。今年3月のことです。

すると
「あなたがそんなことを言うとは思ってもみませんでした。
 もう支部の方へお話してありますし・・・
 今のあなたに必要だと思ったからお勧めしたのですよ。
 お家元の夏期講習会へいくことは勿論意義のあることですが、
 その過程がとても大事なのです。
 私も出来る限りのことはしますので、ぜひ参加してください」

先生にそのように言われて、やっとやっと覚悟を決めました。
「その過程が大事」という言葉に納得して、良い機会と捉えて
出来る限り努力をしてみよう・・と思いました。
「ご心配をおかけして申し訳ございません。
 覚悟を決めましたので、ご指導宜しくお願いいたします」

              

こうして4月から意識を変えて稽古を始めました。
先生から41課目が書かれた一覧表をいただき、
「平常心是道」で毎日三課目を目標に続けています。
先生も月1回特別稽古を増やしてご指導してくださり、心強く感謝しています。

正式な申込みは6月始めで、7月に入り参加受諾のお知らせをいただきました。
今年から4日間(今までは7日間)、内容も基本点前、小習、四ケ伝
(今までは真之行台子まで)となり、少しだけ気が楽になりました。

肝心な稽古ですが、年のせいか(?)やるそばから忘れてしまいます。
賽の河原で小石を積むように、崩れては積み、積んでは崩れを繰り返しながら、
少しでも小石を高く積むことが出来れば・・・と思います。

前に拙ブログで書いた「何百回の稽古」を思い出しながら、
せめて身体が動くようになれば・・と、汗をかいています。

でも、もう時間がありません!
あせらず、あわてず、あきらめず、自分を信じて
京都へ出発するまで今のままです・・・。

                         
      (夏期講習会 次へ)

  写真は、「初秋の雲」と「西洋風蝶草 (せいようふうちょうそう)」



茶事入門教室のお知らせ

2010年08月15日 | 茶事教室
残暑お見舞い申し上げます

今年は暑さが一段と厳しいようですが、
油蝉の大合唱の中に蜩のソロが混じるようになりました。
皆様、お盆をいかがお過ごしでしょうか?

茶事を楽しみながら基本を学ぶ茶事入門教室
開催させていただいておりましたが、
次回の茶事入門教室(10月2日と12月の2回)は
行事や私事が重なりまして残念ながら中止とさせていただきます。

参加を予定されていた皆様には大変申し訳ございません。
心よりお詫び申し上げます。

なお、当茶事入門教室のお問い合わせは翆晶庵ではなく
暁庵宛へメール(maru-akko@mail.goo.ne.jp )で直接お願いいたします。
どうぞ宜しくお願い申し上げます。

まだまだ残暑厳しき折、お体をご自愛ください。

                       

   写真は、「白粉花 (おしろいばな)」です。
        お茶では別名の「夕化粧(ゆうげしょう)」をよく使います。


                      


お盆のおもてなし

2010年08月12日 | 閑話休題
毎年お盆になると、亡き人を思いながら詠ったという
蓮月尼の歌を思い出します・・・。

    死手の山盆の月夜に越えつらむ
        尾花秋萩 かつしをりつつ   蓮月

   (冥土にある山を盆の月夜に越えて行くのだろうか
    尾花や秋萩を折って帰りの道しるべとしながら )

今年は母の新盆です。
亡くなった人の霊が四日間だけ里帰りできるそうで、
8月13日の迎え火から16日の送り火まで母の霊を
家へ迎え供養します。
どのようなおもてなしをしたらよいのか、あれこれ迷いました。

主人の実家(愛媛県)ではお盆の慣わしがきっちりと決まっていて、
お盆の間、御精霊棚(おしょうろうだな)を作り、
仏壇から位牌を移し、盆花、お膳、供え物をします。

昔、義母の新盆のとき、主人の実家で御精霊棚作りに立ち会いました。
山から切って来た笹を数本を束ねて棚の四方に立て、
注連縄を張りめぐらし、結界を作りました。

棚を作り終わり、家族がまわりに集まった時のことです。
風も無いのに急に笹鳴りがしだしたのです。
霊が降りてきたのでしょうか?
みんな、びっくりし、私も鳥肌が立ちました。
「子供や孫が帰ってきて母さんをこうして迎えてくれるのを
 喜んでいるんだよ」と、義父は言っていましたが・・・。

             

母の新盆は関東風に簡素に・・と考えています。
8月13日の迎え火は門前から玄関まで灯りをたくさん並べて
母が迷子にならないように・・・。

御精霊棚は作らず、仏壇の前に喫架を置き白布を敷いて
お膳、花、果物、菓子をお供えします。
お膳は精進料理で、ご飯、汁物、高野豆腐、椎茸、カボチャ、茄子、
隠元などの煮物をお供えして少しでも食べてもらいます。

14日は久しぶりに我家に全員集合するので賑やかになることでしょう。
16日の送り火は13日と同様に帰り道を灯りで照らし、見送ります。
きっと蓮月尼の歌を思い出しながら・・・私一人で。

生きている人にとって気持ちを形に表わすお盆の儀式は大切ですが、
亡き母が一番喜んでくれるのは、家族が元気で一同に会して
母を偲ぶこと・・でしょうね。

 
       写真は、「白蓮」と「尾花(ススキ)」(季節の花300提供)

正受庵と阿弥陀堂だより

2010年08月10日 | 2010年の旅
新潟・長野の旅の終りに正受庵(しょうじゅあん)を訪ねました。

正受庵は長野県飯山市大字飯山上倉にある臨済宗の寺です。
2002年に製作された映画「阿弥陀堂だより」(小泉尭史監督)で
主人公の孝夫(寺尾聡)の恩師夫妻(田村高廣、香川京子)の住まいとして
ロケに使われた場所で、落ち着いた佇まいが印象的でした。

さらに、映画の中で正受庵開山の慧端(えたん)の遺偈(ゆいげ)が
恩師の臨終の床の間に掛けられていたことを後年知り、
前から正受庵を訪ねてみたいと思っていたのです。

オカトラノオが咲き乱れる石の階段を上っていくと、
藁葺き屋根が美しい正受庵本堂があり、
「在釜(ざいふ)第一日曜日」の木札が掛けられていました。
その日は第三日曜日だったので残念・・。

                 

慧端(正受老人)(1642~1721)は
松代藩主真田信之(幸村の兄)の庶子と伝えられ、飯山城で生まれました。
19歳の時江戸へ出て至道無難禅師に師事し奥義を極めますが、
信州飯山に正受庵を立てて隠棲し、世俗的な栄達に目を向けることなく、
禅に精進する日々を正受庵で過ごしました。

老年になっても気力少しも衰えず、病もなく、朝早く遺偈を書かれ、
和歌を読み、坐禅をされたまま坐死されたと、伝えられています( 享年80歳)。
正受老人の遺偈とは

坐して死す

末後の一句
死,急にして,道(い)い難し
無言の言を言とす.
道(い)わじ道わじ

(とつぜん死がやってきたので、末期の一句を言おうと思ったが、
 何もない。無言の言を言とした。道(い)わじ道(い)わじ)

正受庵本堂で、一人旅の男の方にカメラのシャッターを頼まれました。
彼も映画「阿弥陀堂だより」を見て以来こちらへ来たくなったそうです。
阿弥陀堂は映画のセットですが、そのまま残されているらしい
と教えてくれました。これから行って見るそうです。

              

本堂の縁先に座り、四季の移ろいの景色を想像しながら
涼やかな風に吹かれていましたが、
午後の陽射しの影は色濃く、帰る刻限を告げています。
やっと重い腰を上げました・・。

映画も良かったのですが、先に南木佳士の小説を読んだせいか、
そちらの印象の方が強いです。
家に帰って、「阿弥陀堂だより」を読み返しながら
今回の旅を想いだしています。
堂守のおうめばあさんの言葉を綴った「阿弥陀堂だより」が秀逸です。

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