暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

雨の桂離宮

2013年06月29日 | 京暮らし 日常編
                   桂離宮・松琴亭を望む

6月21日、大学時代の友人たちが京都へ遊びに来ました。
それで、どのようにおもてなししたらよいかしら?
桂離宮または修学院離宮へみんなで行けたら好い思い出になりそうです。

1週間前に京都御苑内の宮内庁事務所へ寄ってみると、
外人さんばかり数人が受付に並んでいました。
運よく予約が取れたので、桂離宮へご案内することにしました。
ところが、グループの最大人数は4人とのことです。
2班に分かれ、桂離宮入口の中村軒で待ち合わせることになりました。

              
                住吉の松
               (この松で視界を遮り、逍遥の楽しみを誘います)

今年3月末に見学した時は桜の時季で、
案内人Aさんの弁によると
「桂離宮の桜は数は少ないけれど、どの桜も風情があり、
 今がちょうど見頃です。好い時季にいらっしゃいましたね。
 春の桜、モミジの新緑、ツツジ、秋の紅葉、雪景色などなど
 四季折々に見どころ満載の桂離宮ですが、
 梅雨時の「雨の桂離宮」がお薦めです・・・」

              
               雨に濡れた御幸道    
             (遠近法が使われ、道の幅が徐々に狭くなっています)

梅雨入りしても京都では雨が降らず心配していましたが、
21日は程よい雨交じりの天気でした・・「ヤッッタネ!」 

数日前にたっぷり降ったおかげで、苔の緑も生き生きとしています。
先の班で、友人2人と回りました。
案内人は「雨の・・・」を薦めてくださったAさんで、
今回も楽しく熱弁の案内です。

雨の写真が撮りたくて、今日こそは・・・と張り切ったのですが、
降ったりやんだりで、思うように降ってくれません。

             
               州浜と天橋立をのぞむ

             
              点在する切支丹灯篭の一つ
              (智仁親王と智忠親王父子の切支丹説も興味深い)

             
              松琴亭
              左に見える茶室は三畳台目、
              遠州好みの八窓(やつまど)の囲いと言われています

一番好きなのは田舎家風の笑意軒。
古歌「一枝漏春微笑意」から名づけられたそうです。
ここでは見学者全員が腰を下ろし、ゆっくりできる時間をとってくださるので
いつも嬉しく細部まで堪能できます。


             
              船着き場のある笑意軒をのぞむ

             
              扁額は曼殊院良恕法親王(桂離宮の創始者智仁親王の兄)
              六つの下地窓の意匠が趣き深い

             
              窓の外に広がる長閑な田園風景と、
              腰壁に貼られた南蛮渡来のビロード裂と金箔にうっとり

止んでいた雨が降り出して水面に水輪が・・・(下の写真)。

             
             
             
              今は内部を公開されなくなった書院群
              ぜひ特別公開してほしいですね!

「月の桂」と呼ばれ、桂は古来から月の名所でした。
桂離宮は全体が月見のための舞台となっていて、
最初に月波楼で昇る月を愛で、
中天に昇ったら古書院の月見台へ移動します。
建物を移動しながら月を観賞する造りになっているとか。

やんごとなき方々は舟を浮かべ、池に映る月を愛で、
茶室の蹲踞に月を映して、和歌を詠み、
書院の月見台で楽器を奏でて愉しんだのでしょうか。

そんな愉しみ方は夢のようで憧れではあるけれど、
桂離宮の造営は親子二代、中断を含め約半世紀(1615-1662)にわたりました。
加賀前田家から富(ふう)姫が智忠親王に輿入れし、
前田家の財政的な援助もあり、ついに完成しました。

豊臣から徳川への政権交代に翻弄された八条宮智仁親王、
桂離宮に情熱を注がずにはいられなかった智仁親王と智忠親王の父子、
その複雑な胸の内が垣間見られるようでした。

雨の桂離宮、しっとりと憂いに包まれて、桜の頃とは別人でした。
次はどんな風情の桂離宮に会えるのでしょうか?

             
                笑意軒対岸にある雪見灯篭

見学後、桂離宮畔・中村軒で名物・麦代餅(むぎてもち)や水ようかんを
パクつきながら、6人が賑やかに合流しました。

                              


自転車に乗って  法然院・沙羅の宴

2013年06月23日 | 京暮らし 日常編
                       沙羅の花(夏椿)

6月16日(日)16時~、鹿ケ谷・法然院で開催された
「沙羅(さら)の宴」(25回 筑前琵琶 片山旭星)に初めて参加しました。

「沙羅の宴」について、法然院貫主・梶田真章氏が次のように書いています。

   南無阿弥陀仏
   「沙羅の宴」は、邦楽普及団体「えん」の伊東和子さんが
   大切に育ててこられた会です。一昨年より当院が後を引き継ぎ、
   沙羅の花咲く季節に琵琶の魅力を存分に伝えてゆきたく存じます。
   本年は「俊寛」「横笛」「那須与一」の三曲です。
   梅雨のひととき、蛙の声を聞きながら「平家物語」の世界をご堪能ください。
   合掌

庫裏から入って、一番奥の方丈が会場でした。
広い方丈庭園に面していて、開けっぱなしの部屋や廊下を
心地よい風が吹き抜けていきます。

                   
                       
                   
                             雨香満竹林

                 
筑前琵琶の奏者は片山旭星氏、
最初の「俊寛」は、ここ鹿ケ谷・法然院にふさわしい演目で、私たちも
先日、大文字山へ登った折に俊寛の山荘趾(法然院の裏山?)を通ったばかりでした。

語りは、平家物語(巻第三)有王が島下りのこと。 じゃじゃーん!

 あらすじは・・・
   平家打倒の密謀は仲間の裏切りによって平清盛の知るところとなり、
   俊寛、成経、康頼の三人は薩摩の沖、鬼界ヶ島へ流されました。
   1年後に中宮徳子のお産のため特赦があり、成経と康頼は許されますが、
   清盛の俊寛への怒りは激しく、一人赦されず島へ残されます。

   配流から3年経ち、俊寛の召使い・有王は鬼界ヶ島へ渡り、俊寛を探します。
   ある朝、痩せ衰え、見るも憐れな男の姿を見つけ、尋ねると、
   その男こそが俊寛でした。

   わずか3年の間の主人の変わりように驚き、胸を痛めながらも
   北の方と若君が亡くなったことを告げ、姫君からの手紙を渡します。
   再び有王は俊寛に仕えますが、23日後に俊寛は37歳の生涯を閉じました。
   有王は法師となって諸国行脚し、主人の後世を弔ったとか・・・。

柔らかい撥さばきの筑前琵琶の音色は、その時々の情景に合わせて
静かにもの哀しく、ある時は勇ましく、物語の進行を促していきました。

                   
                          諸行無常の響きあり・・

筑前琵琶の平家物語を聴くのにこれ以上の舞台は考えられません。

方丈の庭は浄土庭園だそうで、石橋のこちら側はこの世、
あちらには阿弥陀様がおわす、あの世になっています。

片山旭星がその庭を背景にして琵琶を片手に坐しています。
高すぎも低すぎもせず、片山旭星の声は広い方丈の隅々まで聴こえ、
平家物語の世界へ誘います。

時折、筑前琵琶の音色に和すように、
蛙(モリアオガエル)の鳴き声と添水の響き。

   祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響きあり 
   沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
 

沙羅の花を愛でながら、こんな思いに浸る夕べもよろしいようです。

                   
                          モリアオガエルの卵

                                      




赤松禎英の道成寺

2013年06月20日 | 歌舞伎・能など
                  道成寺ならぬ東大寺の鐘楼

6月15日、藤田美術館のあとに大槻能楽堂へ。
大槻能楽堂改築三十周年記念を謳った
「道成寺フェスティバル」の第三弾、シテ方は観世流・赤松禎英です。

狂言「鐘の音」で、すぐにうつらうつら・・・夢の中。
休憩の間に珈琲を飲んで気合いを入れ直していたら、Rさんと出会いました。
「道成寺なら赤松さんのを是非・・・」と薦めてくださった方です。

いよいよ鐘後見が登場し、大鐘を釣るところから始まるのも興味津々、
前回(第1回)よりスムースに釣れて、
綱が狂言方からシテ方・鐘後見へ無事渡されました。
プロローグとして、出演者と観客の気持を鐘(舞台)へ集中させる、
にくい演出・・・と改めて感心しました。

              

まもなく、笛の音が・・・笛は竹市学(笛方藤田流)です。
なんと形容してよいやら・・・鳥肌がたつような笛でした。
長く抑揚のある音色は、あの世の霊をこの世(能舞台)へ招き入れている、
そんな気持ちになり、緊張感がいやが上にも高まってきました。

あらすじは前回に書いたので省略しますが、同じ演目でも
役者や演出などの違いで、受ける印象が全く違うことが新鮮でした。

面と装束も違い、白拍子(前シテ、赤松禎英)は
(恋に?)やつれた風情で登場しました。
面(増)と、萌黄地蝶文様厚板壷折(江戸時代)と記された装束の
せいかもしれません。
白拍子が鐘の供養のために舞うことを許されて、
扇と烏帽子を着けに後方へ退くと、鐘が再び高く吊り上げられました。

囃子方(大鼓、小鼓、笛、太鼓)が全員、素晴らしかったです。
乱拍子になり、白拍子の抑えた動きは逆に鐘への執念を思わせ、
「ホッ-」
「ヘイ ヤッ-」
「ヨウゥッ」
小鼓の気合いがからまり、緊張感が次第に増していきました。

              

クライマックスは急之舞と鐘入り。
囃子方の気合がほとばしる鳴り物が能舞台を揺るがすように響き渡ると、
我が身も舞台と一体となって、のめりこみました。
白拍子は急之舞を舞い、烏帽子と扇を飛ばして鐘の中へ。
烏帽子と扇を飛ばす直前に「キッ」という感じで鐘を見つめる場面では、
その怨念に思いを馳せる瞬間となりました。

鐘の中で数拍子を踏んで、鐘が落ちました。
数拍子踏んだことでメリハリが付き、
鐘が落ちる間合いとスピードも落ちた音が響くようでした・・・。

             
             鐘法要 (金戒光明寺)

後半、鐘がゆらゆらと動いてから、高く引き上げられると、
中には蛇体となった女(後シテ)が座っています。
面は蛇(室町時代)、髪は赤頭、第1回目の臥せているかたちと違い、
頭を上げ、迫力と存在感がある演出です。

後半は囃子方に太鼓が加わりました。
蛇体の女は僧たちの祈りによって調伏されるのですが、
鐘への執念を見せながら、もだえ苦しむさまが見せ場になっています。
前回よりも後シテの執念やその悲しみが強く伝わってきたように思います。 
特に「柱巻き」の場面は情感が漂い、秀逸でした・・・。

赤松禎英の道成寺と素晴らしい囃子方に出逢えた幸せを噛みしめています。
Rさん、薦めてくれてありがとう!

                                  


(忘備録)
大槻能楽堂改築三十周年記念「道成寺フェスティバル」
      平成25年6月15日(金)  於 大槻能楽堂

  狂言  「鐘の音」   太郎冠者:善竹忠一郎 
                主人:善竹忠重 伯父:善竹隆平

   能  「道成寺  -赤頭之伝・中之段数躙・無躙之崩・五段之舞-」
    
             白拍子・後ニ蛇体  赤松禎英
             道成寺の住僧    宝生欣哉
                 同       舘田善博
                 同       御厨誠吾

             間 道成寺の能力  茂山良暢
                  同      善竹忠亮

             囃子方  笛   竹市 学
                   大鼓  亀井 広忠
                    小鼓  成田 達志
                    太鼓  中田 弘美 
              


自主稽古  皐月と水無月に

2013年06月18日 | 自主稽古(京都編)&奥の細道会
自主稽古はやっているのかしら?

はい、毎月1回、がんばっています。
内容が相伝稽古なので、こと細かに書けないのが残念ですが、
とても充実した半日で、お付き合いくださるお二人に感謝です。

5月は風炉になったばかりなので、四ヶ伝をしました。
床の色紙「薫風」は布絵作家の友人 森下隆子さん作、
花は雪餅草、昨年Oさんから鉢で頂いたのが咲きました(奇跡的!)

              

 
稽古の次第は、
  風炉初炭(Aさん)  正客(Cさん)
  茶通箱 (Bさん)  正客(Aさん)
  唐物  (Cさん)  正客(Bさん)
  盆点  (Cさん)  正客(Bさん)
  台天目 (Aさん)  正客(Cさん)

四ヶ伝の菓子は三種。
季節感に溢れる菓子をAさんが手づくりしてくださいました。
菓子銘は、「青雲」(じょうよう、右下)、「薫風」(きんとん、左下)、
「かきつばた」(押し物)です。

              
                 彩りが爽やかな四ヶ伝の菓子

Aさんに刺激されて、和菓子を作りたくなりました。
材料や道具をぼちぼち揃えたり、本を読んでイメージトレーニングをしています。
きんとんのこし器を調達できたので挑戦してみました。
出来栄えは・・・?  
次はみなづき・・と思ったのですが、木べらがなくて先延ばししてます。

水無月の菓子の内、きんとんは銘「詩仙」、暁庵製です。
先日行った詩仙堂の皐月が見ごろだったので、名付けました。
他に「しののめ」(梅味のゼリー、叶 匠壽庵製)と生姜糖を用意しました。
行之行台子なので本来は五種ですが、省略です)

              
               禁花(?)の十薬を入れてみました

              
                水無月の菓子(三種に省略ですが・・)

水無月の稽古は14日でした。
30℃を越す連日の暑さのためバテ気味で、洋服にしようかしら?
と迷いましたが、着物にして好かった!
お二人がステキな夏衣でいらっしゃいました。
稽古は所作を身につけることが大切なので、なるべく着物で・・・
と一同がんばって(?)いますの。

科目は行之行台子。
自主稽古で何度かやっているので順番は問題ありませんが、
それでもいくつか宿題がでています。

わからないところ、疑問に思ったところ・・などがわかるようになると、
それの解決に向けていろいろ考えることが勉強になります。
師や諸先輩の助けを借りながら、自分の考えを形成していくことが
重要な稽古だと思うこの頃です。

                                 

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雨の藤田美術館  田村文琳

2013年06月16日 | 美術館・博物館
                     雨の藤田美術館の窓から

6月15日、京都では久しぶりの本格的な雨です。
雨乞い(龍のレイアウト)のおかげかしら?

大槻能楽堂の道成寺フェスティバルの前に藤田美術館を訪ねました。
平成25年春季展「茶道具いろは」の終了(6月16日)が迫っていました。

前回、訪れたときは大雨で、ほとんど参観者が居ない中で
国宝・窯変天目茶碗を独り占めにしたことを思い出しながら・・・
今回も嬉しい雨になりました。      

            

お目当ては「田村文琳」(宋~明時代、13~15世紀、名物)、
小振りで姿が美しく、褐色と黄褐色の釉薬の混じり合いが好ましい、
お気に入りの茶入です。

稽古で伝来を尋ねられると、
「田村左京太夫所持の田村文琳でございます」
とか
「田村家伝来の田村文琳でございます」と言っていますが、
藤田伝三郎(香雪)が所持する前の持ち主は馬越恭平(化生)だったことも
この茶入に惹かれている理由の一つでした。
伝来は、田村左京太夫-竹中丹後守重門-松平上野介-河村伝衛
-馬越恭平-藤田家-藤田美術館 

               

ガラス越しですが、「田村文琳」と再会しました。
今回の展示では、挽家、箱、付属品(仕覆4、牙蓋2、盆、軸2本)、
付属品を入れる箱などが全て展示され、
「田村文琳」を所有してきた人たちの深い思い入れを感じます。

盆は、堆朱孔雀彫丸型盆(張成作)、
軸(添幅)2本は、小堀遠州書状と舟越伊予守永景書状です。

藤田家では、茶入と付属品すべてを収蔵する大箱を新たに誂えたとか。
それは黒漆塗、金色の面取り部分に藤と鳥の蒔絵があるもので、
その大きさと大箱にも袋が付いているのにびっくり。

「田村文琳」の仕覆は四つ、花色輪違宗薫緞子、萌黄地菱龍細川緞子、
日野間道、段織雲珠緞子です。
時代を感じさせない美しい仕覆で、どの裂地も垂涎でした。
保管の良さと共に、名器ゆえにあまり使われていないのでは・・と思います。

             
                 東大寺東塔・伽藍石の蹲踞

「田村文琳」の新たなエピソードを学芸員の方から伺うことができました。

藤田伝三郎は何度も懇願してやっと馬越恭平から「田村文琳」を
譲り受けたのですが、その披露の茶会をなかなかしませんでした。
それで、馬越恭平や茶友から催促されたとき
「田村文琳との取り合わせで一つだけ足りないものがある」・・・と。

その足りないものとは、あの有名な交趾「大亀香合」でした。
死の10日前に「大亀香合」を落札できたことを聞いて、満足して
藤田伝三郎はあの世へ旅立って行ったそうです。

             
                 奈良・山田寺の伽藍石

ガラス越しでも名器「田村文琳」を見られることは嬉しいけれど、
茶会に使わることこそが「田村文琳」にとって本望ではないかしら?
・・・と勝手ながら思っています。

                              その日は