暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

晩秋の横浜三溪園へ・・・茶会の下見と予告

2018年12月24日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

   銀杏がはらはらと降り積もる春草蘆 (2018年12月10日撮影)


12月10日(月)に横浜三溪園を訪れました。
来春4月13日(土)に茶会を予定しているので、N氏とFさんと下見へ出かけたのです。

来年6月にブログ「暁庵の茶事クロスロード」を始めて10周年になります。
ブログを応援してくださった方々をお招きして10周年記念の茶会が出来たら・・・と、先ずは横浜三溪園の茶室をお借りする事から始めました。
幸いにも4月13日(土、大安)に2つの茶室、春草蘆(しゅんそうろ、重要文化財)と蓮華院をお借りすることができ、茶会(小寄せの茶会です)へ向けてスタートを切りました。


   竹林の茶室、蓮華院 (2018年12月10日撮影)

なぜ茶会をしようと思ったのか・・・自問自答してみました。
1.ブログをいつまで続けるのか、続けられるのか不明ですが、10周年を記念する茶会をして、先ずは一区切りしたかったのかもしれません。

2.茶事は亭主一人ではできませんで、いつもお客さま、社中の方や懐石の方と一緒に作り上げていきます。今回の茶会も「一座建立」の心意気で、いろいろな交差点(クロスロード)になればと思います。
出会いのクロスロード、学びや経験(修練?)のクロスロード、そして何より思いやりや愉しさを感じるクロスロードになれば・・・と。 皆様のお力をお借りします。

3.今年は三溪園創始者・原三溪翁の生誕150年・没後80年だそうです。
原三溪翁ゆかりの茶室、春草蘆と蓮華院に坐し、閑かに茶を喫することをお勧めします。
こちらの茶室で心豊かなひと時を過ごして頂けたら・・・嬉しいです。


   蓮華院・土間にそびえる柱 (宇治平等院翼廊の古材)

担当のK氏の案内で最初に蓮華院を見せてもらいました。
「クロスロード茶会(仮称)」で蓮華院は薄茶席の予定です。
一歩土間へ入ると、京都へ行く前に開催した「蓮華院・名残の茶会」が思い出され、胸キュンになり困りました・・・。

蓮華院は三溪翁が特別な思い入れで自ら建立した茶室です。
三溪翁自筆の扁額、宇治平等院の翼廊古材の柱が聳える土間、二畳中板の小間・一槌庵(いっついあん)、広間の琵琶床(三溪翁は東大寺三月堂の不空羂索観音が持っていた蓮華を飾ったという)など、見所やエピソードがいっぱいあります。

蓮華院がどのような薄茶席になるのか、担当のN氏とFさんがいろいろ知恵を絞ってくださることでしょう・・・暁庵までワクワクしてきます。


   蓮華院から春草蘆への道

蓮華院から落葉の降り積もった道を少し上がると春草蘆があります。
坂を登ったところに銀杏の大木があって、黄色い落葉がはらはらと降りそそいで、道も石棺も黄色に染め上げられて、一番好い時季に見学に来たみたい・・・。


周囲には石造物がいっぱい・・・石棺に落葉で埋もれて寝てみたい


春草蘆は大正7年(1918年)に京都宇治の三室戸寺・金蔵院から譲渡されています。
桃山時代の建築と推定され、織田信長の弟・織田有楽の作と言われていますが、確証はありません。
国宝・如庵(有楽作)と同様、春草廬も複雑な変遷の歴史があり、詳しくはこちらをご覧ください。

三畳台目の席ですが窓が九つあり、古くは九窓亭(くそうてい)とも呼ばれています。
2009年11月8日に春草蘆で茶会をしたことがあり、春草蘆の魅力は、刻々と移ろう光と影が織りなす茶席の妙だと思うのです。
濃茶を喫みながら九つの窓から入る光や風を肌で感じ、お楽しみいただければ・・・と思います。
春草蘆は濃茶席で、暁庵が担当させていただきます。   


   春草蘆の横にある腰掛待合


「クロスロード茶会(仮称)」の正式なご案内は1月半ば頃に手紙とブログでいたします。
ブログ愛読者の方々のご参加を心よりお待ち申しております。
(お問い合わせなどありましたら下記メールでお願いいたします)
 メール:akatuki-ane@grace.ocn.ne.jp


訃報に思う・・・

2018年12月22日 | 暮らし

  天瑞寺寿塔覆堂(重要文化財)の天女が舞う扉・・・横浜三溪園

今日は冬至です。

11月頃から
「喪中にて年末年始のご挨拶はご遠慮申し上げます・・・」
という葉書が届きます。
茶友の高齢の母上様や父上様、同学年の知人、中には40代の娘さんを亡くされた友人もいらして、それぞれの方の永のお別れの心中を思い、しばし瞑目します。

12月半ばに一通の手紙がツレに届きました。
それはツレの元職場の先輩の方からの手紙で、次のように書かれていました。


 皆様お変わりなくお過ごしのことと存じます。
 私、○井○子は約7年強の癌との共生生活を過ごした後、2018年10月19日に八十歳にて永眠いたしました。
長年親しくお付き合い頂きましたことを心から感謝申し上げます。

 病院にいる時以外は癌との共生生活を感じたくございませんでしたので、皆様には共生生活中は一切触れずご不快な思いを抱かれたこともあろうかと、お詫び申し上げます。

 おかげ様にて独り身の私ながら淋しい思いをせずに癌との共生生活を終えることができ、本当に有難うございました。
皆様の益々のご活躍とご健康をお祈り申し上げます。

(私は独り身故、死後この書状を投函するよう頼みました。
世話をしてくれた身内の心の負担を少なくするため、誠に勝手ですがご返信はご無用にお願い申し上げます。)






ツレからこの手紙を見せられた時、暁庵もお会いした方だったので胸が塞がれる思いで読まさせて頂きました。
そして・・・なんて、見事な訃報なのだろうか!と。
優秀でやさしい人だったというツレの話しを聞きながら、○井さまの生き様と死に様が心を揺さぶるように迫ってきたのです。
私もできる事なら、このような訃報を自ら書けるよう、きちんと生を全うしたいし、恐れず死を受け入れたい・・・と思いました。

ご冥福をお祈りいたします。
 合掌! 


2018年 師走の教室だより

2018年12月20日 | 暁庵の裏千家茶道教室





師走に入り、銀杏並木や散歩道の落葉が美しく日々の暮らしを彩ってくれます。

12月12日(水)、KTさん、Uさん、Kさんがお稽古にいらっしゃいました。

暁庵では茶事を前提にお稽古をしているので、炭手前を毎回どなたかにして頂いてましたが、茶炭が高騰し手に入りにくくなって頭が痛いです。
今まで頼んでいたT商店へ注文すると
「すみません・・・お送りするのが最後の一箱です。この先は仕入れの見通しが立たず注文をお受けできません」
「えっ~!  」
T商店から良質の茶炭を良心的な値段で購入していたので(但し自分で切炭に切る)、炭代のことをあまり考えずにやって来れたのでした。

今まで通り炭手前の稽古をしてほしいし、水屋料は値上げしたくないし・・・それで、2つの対策を考えてみました。
1つは、なるべくお稽古の人数をまとめて炭手前を1回していただくこと。
もう1つは、炭手前をした時は別の方に炭手前の空稽古(炭は実際に置かないが後は同じ)をして頂く。
炭を置く練習にはなりませんが、空稽古でも順番、位置や所作は身に着くと思うのです(苦肉の策です・・・)。



床に「心清寿年長」(前大徳 宗興筆)を掛けました。
クリスマスが近いので、ツリーをイメージして桑の三重棚を出してみました。
三重棚の下段に四君子の染付水指、水指の上の段につぼつぼ蒔絵の黒中棗、天板に花を荘りました。赤い実(名前?)と浜菊を高取焼・徳利にいけました。
(三重棚・・・元来は仕掛棚といって棚が五重の水屋用であったが、利休が桐木地で三重に好み直して席中に用いた。再好みとして、宗旦好みは一閑張、表千家7代如心斎好みは桑木地などがある・・・茶道大辞典より)

天板の下の棚に羽箒と香合を荘り付け、KTさんの初炭から始まりました。
香合はクリスマス仕様の見立で、天使の絵が描かれた陶器のオルゴールです。
曲は「白鳥の湖」、蓋を仰向けにするとオルゴールが鳴りだすという仕掛けです。
香は黒方(松栄堂)、とても好い薫りがしていたのですが、火に近すぎたようで煙が出はじめ、残念!・・・それ以外はとてもスムースでした。


    クリスマス仕様の香合

次はUさんの濃茶です。
1月9日の初釜で濃茶を担当して頂くので、稽古にも熱が入ります。
濃茶を3人分練って、中仕舞をしてから詰に入って自服してもらいました。
「美味しい・・・」と嬉しそうなUさん。
濃茶を練るのがみるみる上達しているので、初釜の濃茶が今から楽しみです。
濃茶は金輪(小山園)、菓子は初雪(石井製)でした。


   三重棚で濃茶点前の稽古中です

三重棚を使ってKさんの薄茶、KTさんの貴人清次薄茶と続きます。
貴人清次薄茶では、Uさんが貴人、Kさんがお供、客側にもいろいろ覚えてもらうことが多く、役を変えてまたお稽古して頂きたいと思いました。


   薄茶では煙草盆と干菓子をお出しします


   三重棚で貴人清次薄茶の稽古中です

三重棚を片づけて後炭手前(空手前)をUさんに、最後はKさんの台天目です。
炉に入り、今年度の重点科目は四ヶ伝としました。
11月~12月は四ヶ伝の唐物と台天目をしっかりお稽古してもらい、1月~4月に残りの盆点、茶通箱、和巾を予定しています。


     台天目の稽古中です

おまけ(?)に、今度の花ゆう会で「軸荘付花月」があるので、Uさんに初めて軸荘をやって頂きました。
いろいろ盛り沢山だったので、皆さま、お疲れ様でした・・・。  


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畠山記念館・・・原三渓 -茶と美術へのまなざし-

2018年12月12日 | 美術館・博物館



11月24日(土)の口切の茶事が終わり、クールダウンを兼ねて2つの美術館へ行きました。

根津美術館の「新・桃山の茶陶」(11月27日)と畠山美術館の「原三渓 -茶と美術へのまなざし-」(11月29日)です。
どちらも見ごたえがありましたが、11月29日(木)に訪れた畠山記念館は学芸員さんの解説付きだった上に、尊敬する横浜三溪園の創設者・原三渓翁がテーマだったので特に印象に残りました。


   都営浅草線「高輪台」駅への道


   途中で見た面白いオブジェ

高輪台駅から徒歩8分くらいでしょうか、小さな公園、面白いオブジェ、住宅の緑のテラスを眺めながら歩いて行くと、いかめしい門構えの畠山記念館の入り口が見えてきました。
大木が聳え立つ畠山記念館の庭園は薄暗く静まり返っているのですが、紅葉がちょうど見頃で華やかな景でした。


   畠山記念館・・・紅葉が真っ盛りでした

10時過ぎに入館し、10時30分から始まる列品解説の前に一通り展示を見ておくようにしています。
その方が解説がよりわかりやすく、解説の後ですと先入観が入り、初対面の感動や印象が薄れてしまう気がするからです。
30分あればお気に入りの展示品が見つけられる畠山記念館のスケール感が居心地好いです。

さて、お気に入りを3つ選んでみました。
1.絵瀬戸割高台筒茶碗 元鬢(げんびん)  江戸時代(17世紀)

御深井焼の指導者・陳元鬢に因んで原三溪が「元鬢(げんびん)」と命名しました。
内箱蓋裏に原三溪自筆の「元鬢」と書かれた張り紙があります。
陳元鬢(1587~1671)は明の亡命者で、尾張徳川家藩主・徳川義直に厚遇され、瀬戸焼、特に徳川家のお庭焼である御深井焼を指導しました。

大ぶりの筒型茶碗で、国宝「不二」を思わせる端整な形もさることながら、御深井釉の透明感のある釉薬がかかり、上品な味わいに一目で魅せられました。
見込に御深井釉がたまって水底のような青味を帯びているのも見どころの一つらしい。
それを水底に見立て、外側の胴まわりを泳ぐ魚や水草が鉄絵で素朴に描かれ、これも見どころであり、この茶碗を一層魅力的にしています。
この茶碗を愛し、「元鬢(げんびん)」と命名した三溪翁の確かなまなざしを感じます。



2.備前火襷水指 銘玉柏    桃山時代(16世紀)

根津美術館「新・桃山の茶陶」でも古備前の名器をたくさん賞玩する機会に恵まれましたが、一番心に残っているのは「三角花入」(備前焼、江戸時代17世紀、個人蔵)と、畠山記念館展示の「備前火襷水指 銘玉柏」です。

備前焼特有の緋襷(ひたすき)は、なにか作為が感じられて今一つ好きではなかったのですが、「玉柏」の佇まいに緋襷への偏見はうそのように消え、もう一目惚れでした。
すっきりとした端整な形も大きさも地肌の色もステキですが、緋襷の火色が織りなす模様が上品で、なんとも味わい深く、何度も去ってはまた戻って魅入りました。
こんな水指を使って茶事をしたい!・・・です。
三溪翁はこの水指をどのような道具と取り合わせ、どのようなお客さまをお迎えしたのかしら?



3.根来茶桶形茶器   江戸時代(17世紀)

地味な茶器ですが、きっと他の水指や茶碗などの邪魔をせず、己の領分を心得ているなぁ~と見ていたのですが・・・。
よく見ると、胴に何やら漢詩のようなものが書かれています。
解説によると、清巌宗渭の筆で
   天陰則不点   客多則不点
   非其人不点   龍宝  自笑(花押)


列品解説をしてくださった学芸員さんにお尋ねすると、
龍宝(龍宝山大徳寺のこと)の自笑(清巌宗渭は自笑子と号した)の「茶への思い」が書かれているそうで、その解釈についてお話が弾みました
(  )の中は暁庵の解釈なので自笑さまの思いと違っているかもしれません・・・。
   
「天陰則不点」(天が陰って世の中がおかしくなってしまったら茶は点てない)  
「客多則不点」(客が多い時は茶は点てない)
「非其人不点」(人となりが意に反する人であれば茶は点てない)
       または(自分が待ち望んでいた人でなければ茶は点てない)

自笑さまって、気骨のあるのか? それとも単なる我儘なのか? きっと自分に厳しい方なのでしょうね。
「茶の思い」はあれど道半ば・・・悟りの境地には程遠い暁庵ですが、自笑さまの「茶への思い」を心に深く受け止めましてございます。



出品作品はすべて畠山記念館の館蔵のものだそうで、50点ほど原三溪ゆかりの作品が展示されています。(12月16日(日)まで)
国宝「禅機図断簡」などすでに展示期間が終わっていて見れないものもあり残念!

原三溪翁が所持していた茶道具や美術品は散逸しているので、今回のようにまとめて展示されると、翁の好みやまなざしが感じられて素晴らしい企画だと思いました。
いつものように省庵で美味しい薄茶とお菓子を頂いてステキな一日でした。 



2018年口切の茶事を終えて・・・3

2018年12月09日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)


(つづき)
銅鑼を7点打って、後入りの合図としました。
  大・・・小・・・大・・・小・・中・中・・・大
銅鑼は何かい打っても難しいです。心を静めて平常心で打つように心懸けていますが・・・。

後座の床に紐飾りをした茶壺をかざり、照葉と白い椿を竹花入にいけました。



半東Fさんが温めてくださった茶碗を膝前に置き、席が静まるのを待って襖を開けます。
ふらつかないように気を付けながらゆっくり点前座へ進みました。
し~んと静まる中で帛紗を捌き、茶入、茶杓、茶碗と清めながら気を調えていく時間はなんとも言えない緊張感と充実感を感じます。

黒楽茶碗に「無上」(柳桜園詰)を茶杓で掬いだすと、茶香が美味しそうに薫り立ってきました。
湯相も好く、熱い湯を汲み入れ、心を込めて練り上げ一碗目をお出しします。
正客Aさまへ「どうぞ3名様で・・・」

続いて二碗目をお出しすると、中正客のHさまが取りに来られました。
一口召し上がったところで
「お服加減は如何でしょうか」
「大変結構でございます」
一碗目も二碗目も一生懸命練ったつもりですが、このお言葉で安堵しました。

黒楽茶碗は楽4代一入作の銘「不老門」、毎年口切の茶事に使うことにしています。
二碗目はいろいろ変えて楽しんでいますが、今年はお気に入りの白楽茶碗「小鷺」染谷英明作を選びました。
茶入は、初使いの瀬戸肩衝、加藤日出造、仕覆の裂地は「二人静金襴」です。
茶杓は、紫野 藤井誠堂作、銘「丹頂」でした。


 お気に入りの白楽茶碗「小鷺」、染谷英明作

後炭となり、釜を上げると、胴炭が半分黒々と残っていました。
(あらっ!細めの胴炭にしたのに割れるかしら?)
初炭と同じで、初掃きでお客さまが炉縁へ寄って炉中を拝見します。
「胴炭が割れると良いのですが・・・・」
と言いながら、火箸を黒い部分を上にして突き刺すと、どうやら割れたのでヨカッタ!

なるべく枝炭の風情を残しながら炉中を調えると、嘆声が上がりました。
「わぁ~~綺麗!」
炭の残り火が暗い炉中できらきら光り輝き、何とも言えぬ美しさです。
後炭でこの様な光景は初めてで、暁庵もうっとり眺めながら 
「真っ暗闇の街の中に、マッチ売りの少女がたくさんいて、一斉にマッチを擦ってくれたみたい・・・」
へんな感想なのですが、とっさにそんなメルヘンチックな想像が頭を横切りました。
数日後、社中の詰KTさんに口切の茶事の感想を伺ったところ、このシーンが一番心に残ったとのことで、とても嬉しいです・・・。




薄茶は、お客さまにお許しをいただいて半東Fさんに交代して頂きました。
大分良くなったとはいえ、膝と腰が限界に近づいていて無理は禁物です。
お客さまとゆっくりお話しする薄茶タイムにもなり、何よりFさんの点てる薄茶がとても美味しくお勧めなのです。
煙草盆と干菓子(イチョウ琥珀と初霜、佐藤愛真製)をお出し、Fさんの薄茶点前が始まりました。
茶碗は祥瑞の染付と黄瀬戸・銘「山柿」です。
黄瀬戸の茶碗は京都へ行く前に我が家へ来たのですが、この日が初登場かもしれません。

いつもS先生の東京教室で切磋琢磨しているお仲間なので、楽しく茶談義が弾みました。
名残は尽きませんが早やお別れの時になり、亭主、半東、佐藤愛真さんの3人でご挨拶させて頂きお開きとなりました。

これからも末永くお付き合いくださいますように。 


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