暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

静岡の旅・・・(2)諏訪原城跡

2023年02月27日 | 

      (諏訪原城跡の「二の曲輪北馬出」から望む島田市街)

       (荒々しくも魅力的な三日月堀と丸馬出の遺構)

つづき)

今回の旅で一番印象に残ったのが諏訪原城跡(島田市金谷)でした。

武田氏と徳川氏の攻防のあった城の一つ・・くらいの知識しかありませんでしたが、城跡へ一歩足を踏み込むと、当時の様子がしっかり残っていて、戦国武将たちの戦いの場面が目の前に繰り広げられるようで、とても面白く興奮しました。

「ふじのさと茶の都ミュージアム」から車で約5分で「諏訪原城ビジターセンター」へ到着。職員の方から諏訪原城跡の全体像、見どころやお勧めコースを伺いました。

 

          (諏訪原城跡の全体像)

「曲輪・郭(くるわ)」とか「丸馬出(まるうまだし)」とか、城の専門用語が飛び交って、「一番見て欲しいところは二の曲輪中馬出(三日月堀)です。そこから外堀を見ながら虎口(こぐち)を通って二の曲輪、さらに内堀を越えて本曲輪へ行くコースがお勧めです。」

他にも水の手曲輪などいろいろなコースがあるそうですが、足元が悪いので注意してくださいと言われました。先ずはわかりにくい専門用語について書いておきます。これがわからないと、諏訪原城の魅力が伝わらないと思うので・・・。

〇 曲輪・郭(くるわ)・・・土塁や柵、塀などで囲まれた平坦な区域のこと。かつては館や番小屋などがあったところ。

〇 土塁(どるい)・・・曲輪などを守るために土を突き固めて高く盛り上げた土手状のもの。

〇 虎口(こぐち)・・・城や曲輪への出入口のこと。

〇 丸馬出(まるうまだし)・・・武田流築城術の特徴で、虎口の前に設けられた三日月堀と曲輪がセットになった空間。防御だけでなく出撃する場合の拠点でもある。

大手曲輪(今は一部が茶畑)を左手に見ながら、ツレ、Mさん、私の三人で諏訪原城へいざっ!出陣です。

大手北外堀を越えたあたりに「諏訪原城跡」の石碑が建っていました。このあたりから城の雄大な様子が分かって来て「この城、凄い! こんなに深い堀や城跡がそのまま残っていたなんて・・・」と大声を上げました。

深く横幅の広い外堀が続きます・・・堀の大きさを見ただけで難攻不落な城だったことがわかります。

     (外堀前に立てられた案内板)

  (中央が二の曲輪中馬出、左手が三日月堀、右手が外堀と二の曲輪)

       (二の曲輪中馬出(三日月掘とセット))

二の曲輪中馬出は武田流築城の特徴と言われている「丸馬出」の遺構がしっかり残っていて、さらに135m先に二の曲輪北馬出もあります。「丸馬出」は三日月堀とセットになっていて、土塁や塀に囲まれた曲輪があり、敵と戦ったり、防御したりする最前線の砦です。「丸馬出」が諏訪原城には7カ所もあったそうです。

騎馬軍団や雑兵たちが今にも現れて鬨の声をあげて合戦が繰り広げられているような雰囲気があり、「これぞ諏訪原城跡!」という魅力と迫力を感じる場所です。

    (平成28年に復元された二の曲輪北馬出の門(薬医門))

    (本曲輪です。向う側は断崖絶壁の地形となっています)

  (本曲輪近くのカンカン井戸、他にも井戸が残る水の手曲輪があります)

最後に諏訪原城の歴史を書いておきます(パンフなど参照)。

天正元年(1573)、武田勝頼は遠江侵攻の拠点とするために牧之原台地に城を築きました。城内に諏訪大明神を祀ったことから諏訪原城という名が付いたと言われています。

諏訪原城は、信玄後期から勝頼期に建設された城郭の特徴である、台地の突端部を利用し戦闘正面を限定させる構造となっています。小山城(吉田町)と共に、大井川西岸の防衛線及び高天神城(掛川市)への補給線を確保する重要な拠点となりました。

天正3年(1575)徳川家康によって攻め落とされたのち、牧野城と改名され、今川氏真や松平家忠らが城番になりました。高天神城などの攻略のため、徳川氏は城の大規模な改修を行っており、現在見られる城の遺構はこの時代のものだそうです。

天正9年(1581)高天神城が落城し、翌年武田氏が滅亡するとこの城の必要性が無くなり、徳川家康が関東に移ったことから、天正18年(1590)頃に廃城になりました。

 アップしようと思っていたら、2月26日(日)16時30分からのNHKBSプレミアムで「ニッポン不滅の名城からの解明!戦国大名家康のサバイバル戦術」という番組で、静岡の旅で訪問した諏訪原城や小山城が紹介されてびっくりです。番組を見て諏訪原城跡のことがよく分かり、楽しかったです。

でも是非「ふじのさと茶の都ミュージアム」とセットで、直接現地へ行ってみてください。迫力が違いますので・・・。 

 

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静岡の旅・・・(1)「ふじのさと茶の都ミュージアム」

2023年02月25日 | 

   (「ふじのさと茶の都ミュージアム」からの遠望・・・手前が大井川です)

 

    

時々、旅へ出たくなります。

・・・でも、膝と腰痛のせいで電車や路線バスを乗り継いでの旅は今一つ自信がありません

それで、ツレ運転の愛車の旅が専らの私の希望です。運転者付の旅行は本当に贅沢なことですが、茶友Yさんに「今のうちに二人の旅を楽しんでね!」とエー ルをもらっています。

今回は静岡や焼津方面への1泊旅行で、旅の目的は次のようなものです。

1.1年近く会っていない焼津在住の親友Mさんに会いたい! 一緒に旅を楽しめたら・・

2.前から宿泊したかった焼津観光グランドホテルに泊まって温泉でゆっくりしたい

3.大河ドラマ「どうする家康」の舞台である静岡方面の城跡や博物館をまわってみたい

順不同ですが、思い出すままに書くことにしました。

2日目からです。ホテルからMさん宅へ寄って、Mさん丹精の野菜(大根、里芋、ブロッコリー、浅葱、つまみ菜など)のお土産を車に積み込んでから、小山城(吉田町)を経て「ふじのさと茶の都ミュージアム」(島田市金谷富士見町)へ向かいました。

途中、茶畑がどこまでも続く牧之原台地を通ります。広大な茶畑には先端に扇風機の付いた柱がたくさん立っていて、「牧ヶ原台地にやってきたなぁ~」と思う光景が広がっています。

「葉が焼けないように夏の暑さ対策かしら?」と言うと、その扇風機は「防霜(ぼうそう)ファン」だそうで、新芽の出る頃に遅霜が発生すると、お茶の葉が痛んでしまうので、扇風機を回して畑の空気をかき混ぜ、遅霜の発生を防ぎます。その時期になると、「防霜ファン」が明け方に一斉に回り始めるそうです。

「ふじのさと茶の都ミュージアム」は牧之原台地の一画、大井川を見下ろす高台にあり、雄大な眺めが楽しめます。

今回で4回目でしょうか・・・とてもお気に入りのミュージアムです。名前も経営者も変わり、今は静岡県が運営しています。(以前は「島田市お茶の郷博物館」

日本のお茶の歴史や世界各国で日常的に行われている"喫茶"について分かり易く展示されています。以前には中国茶の実演などが楽しめたのですが、今はだいぶ内容が変わりました。

一番のお目当ては静岡県とゆかりの深い小堀遠州公を記念して造られた庭園と茶室です。

庭園は、徳川幕府が小堀遠州に作事を命じてつくらせたという仙洞御所の東庭を模してつくられた池泉回遊式庭園です。

             (観月台)

茶室は鎖の間と小間ががあります。

鎖の間(広間)の縦目楼(しゅうもくろう)は、遠州が住んでいた伏見奉行屋敷と、松花堂昭乗が住んでいた石清水八幡宮滝本坊を合わせたもので、寛永時代の建築物を図面から起し、復元しています。茶室には書院もいくつかあり、遠州公のお好みを今に伝えています。

    (鎖の間(広間)の縦目楼(しゅうもくろう)) 

鎖の間・縦目楼でお茶体験をしました。2つのコースがあって、一つはお点前指導をしてもらい自分で抹茶を点ててみる、もう一つはお点前を拝見しながら点ててくださった抹茶をいただくです。後者のコースをお願いし、3人で茶席へ入り、Mさんとツレに勧められて正客席へ座りました。

 (三友棚にどっしりとした志戸呂焼の水指がステキでした)

一礼の後、お点前が始まり、お菓子が出されました。お菓子は練切の銘「初音」(だったと思う?)、薄茶銘は「新舟の風」(静岡県・岡部産)です。

帛紗が右着けでなく、すぐに裏千家流のお点前とわかり、期待していた遠州流ではなかったので少しがっかりですが、仕方がありませんね。でも、きれいなお点前で薄茶を点てていただき、幸せな時間でした。

お菓子も薄茶も美味しかった!です。

紅い釉薬の茶碗が珍しく手に取ってじっくり拝見していると、「こちらのお茶碗は森町に窯のある「森山焼」です。こちらの茶席では静岡県産のものを使うようにしておりまして、次客さま(ツレ)のは遠州七釜の一つ「志戸呂焼」、三客さま(Mさん)のは「賎機焼」(静岡市)でございます」・・・などと、窯の名前や場所、歴史などをお話してくれました。

     (小間・友賢庵、長四畳台目席です)

その後に小間・友賢庵(ゆうけんあん)を拝見しました。長四畳台目の茶室で窓が11もあり、窓が多いのも遠州好みだそうです・・・こちらは「観月茶会」の時の本席だったところ、Mさんとその時のことを話しながらとても懐かしかったです。2011年10月1日ですからもう11年も経っているのですね・・・。

次は戦国時代に武田氏と徳川氏の城として攻防のあった「諏訪原城」へ向かいました。(つづく)

 

        静岡の旅・・・(2)「諏訪原城跡」へ

 

 


駒場・和楽庵の「如月の茶事」に招かれて

2023年02月21日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

 

令和5年2月12日(日)に前田宗令さまの駒場・和楽庵の「如月の茶事」にお招きいただきました。
前田さまは小堀遠州流、東京駒場の「和楽庵」の庵主として、内外の方のおもてなしをされ、茶道教室を主宰されています。

昨年1月に「初春の茶事」にお招き頂きましたが、今年は「如月の茶事」へお招き頂き、社中の皆さまと一緒にいそいそと出かけました。小堀遠州流Yさまがオブザーバーとして同行してくださいました。

素晴らしかった茶事の全てを記すことはできませんが、和楽庵・前田宗令さまへの御礼の手紙の一部を忘備録として記します。

 

寒暖の差が激しい日々ですが 春の足音が近づいて来るのを感じます

この度は「如月の茶事」へ暁庵社中の皆さまとお招き頂きまして ありがとうございました 

初めて和楽庵へ伺う方もいましたが 温かなおもてなしと小堀遠州流のお点前にとても感動したと申しております 私もお連れしてヨカッタと喜んでおります

 

  (初座の床にユーモラスな御軸が・・・李朝の香炉が垂涎)

ご亭主さまの迎え付けで席入りした茶室の床に何やら難しい御軸が掛けられていましたが 後で「鬼は外 福は内」とも読めると知り びっくりするやら先の茶人のユーモアに思わず微笑みました このような素敵な御軸(小堀遠州流十五代・小堀宗通氏の御筆)を掛けてくださり ありがとうございます

初炭手前が始まり 炭斗の炭の形や大きさ 炭道具や炭の置き方など全てに目を見張り 胴炭から順序よく炭を置いていくSさまの端正なお点前に見惚れました 

黒い枝炭や薄切の輪胴 輪胴の上に香が置かれ 小堀遠州流の炭手前に目を丸くしながらも惹きこまれ 最後の座掃きも見事でございました

   (裏千家流とは全く違う炭の大きさ、黒い枝炭や継ぎ方に魅了されました)

初炭からすぐに濃茶なので「熱い濃茶を差し上げたい」・・・と 釜を水屋に引いて熱い湯に変えてくださり 濃茶がそれはそれは楽しみでした

織部の大皿に紅梅の主菓子が美しく映え 柔らかく上品な甘さでとても美味しかったです

ご亭主様が茶碗を持ち出し 濃茶点前が始まりましたが 茶入を置き忘れたのかしら?と思っていると 棚の小襖を開けて茶入が取り出され 濃茶点前が始まりました 

(小堀遠州流は武家茶道なので帛紗は右 茶碗には千鳥茶巾の上に茶筅が逆に置かれ 袱紗捌きや清め方など・・・色々違いますが 点茶の魔法のようで いつも拝見するのが楽しみです) 

遠州七窯の一つ 古格のある朝日焼茶碗で丁寧に練ってくださった濃茶(天王山 山政小山園)は熱くまろやかで美味しゅうございました 

個性豊かな5つの茶碗で濃茶をそれぞれ頂きましたが どの茶碗も各服点がぴったりの大きさで 茶碗を選ぶご亭主のセンスと愛情を感じました 一つ一つ特徴や見どころをお話していただき とても嬉しく楽しい時間でございました 

茶入を拝見すると 縄文土器を茶入に見立て 蓋と仕覆を誂えたとのこと また 趣のある景色の茶杓がご自作と伺って もうびっくりでした 

 

中立となり 待合席で雪谷「寿田」の松花堂弁当や煮物椀に舌鼓し 一献(千寿)を美味しく舐めました 特に松花堂弁当はどの品も手が掛けられていて やわらかで繊細なお味でした

煮物椀の白魚と胡麻豆腐も絶品で ご馳走さまでした

      (春を感じる食材に感激し、完食です)

     (手入れされた露地を進みます・・・)

銅鑼が打たれ後座の席入りをすると 思わず声を上げてしまいました お床も点前座も炉も初座とはガラリと変わっていたからです

 (「四酔」は小堀遠州流十五代・小堀宗通氏の御筆です)

その昔 遠州公は小間の濃茶の後に 鎖の間へ動座し薄茶をふるまったという仕方を思い出しました 見事な展開で これぞ小堀遠州流(前田様流?)と思いました 

風流な「四酔」(春は花に酔い 夏は風に酔い 秋は月に酔い 冬は雪に酔うの御軸と黄色いラッパ水仙の取り合わせ 点前座には優美な棚に白磁の水指 そして炉に目を見張りました

あとで七宝釜と知りましたが 初座とは違う 初めて見る釜に目が釘づけでした

華やかな竹蒔絵の真塗炉縁が七宝釜をさらに引き立てていて これぞ「綺麗さび」の遠州流!・・と感激です 

   (初めて拝見する七宝釜と華やかな炉縁に目が釘づけとなりました・・・)

若武者Iさまが緊張した面持ちで丁寧な所作で点ててくださった薄茶を美味しく頂戴し 小堀遠州流という武家茶道と出合ったお話が印象に残りました

きっと暁庵社中の皆さまも刺激やら勉強やら・・・良い経験になったことでしょう そして何よりもご亭主前田様の茶事ワールドを存分に楽しまれたことでしょう 

末筆になりましたが 和楽庵社中SさまとIさまへくれぐれもよろしくお伝えください

お心こもるおもてなしをしていただきまして 心から御礼申し上げます

ありがとうございました!             かしこ

    令和五年 梅見月吉日          暁庵

 

 


令和5年 節分の茶事へ招かれて

2023年02月07日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

     (節分近く・・・ウグイスならぬメジロが来てくれました)

 

1月半ばに茶友Yさまからお手紙をいただきました。

 さて、来たる2月3日 夕去り風?!の茶事をさせて頂こうかと考えております

   厳寒の頃ではございますが 御茶一服差し上げたく

   ご来駕の程お待ち申し上げております・・・

正客の指名を頂き、連客のOさまとRさまはS先生の東京教室で仲良く切磋琢磨している茶友です。

昨秋、Yさまから飯台の茶事にお招き頂き、とてもお心のこもった刺激的な茶事を楽しませてもらったばかりですが、この度のお招きがとても嬉しく、すぐにご返事をだしました。 

2月3日は節分、どのようなご趣向かしら?・・・とわくわくしながら伺いました。

素晴らしかった茶事の全てを記すことはできませんが、Yさまへのお礼の手紙の一部を忘備録として記します(茶事の写真がなく、写真は我が家のものです・・・ 

 

♪ 春は名のみの風の寒さよ~ ♪ 

の日々ですが 春への期待感が胸をふくらませます

節分に夕去りの茶事へお招き頂き 誠にありがとうございました

 

熱く生姜風味が効いた甘酒でほんわか温まり 席入りすると

床のマンサクとボクハン椿の花が夕去りを思わせてくれました

脇床に升に豆が盛られていて 後で豆まきで客と亭主のどちらが鬼になって豆をぶつけられるのかしら?

初炭では霰真形釜の大きさに驚き 軽々と扱う半東Iさまの所作をうらやましく思いながら見惚れました

大樋焼の辻堂香合は炉の時期ならではの温かみと落ち着きを添え 若松(鳩居堂)のお香が嬉しゅうございました

 

 

一品一品にご亭主のお心入れを深く感じながら 懐石を美味しく賞味しましたが 

なんと!贅沢で幸せな時間だったことでしょう

失敗作と言っていましたが 雲丹豆腐の煮物椀は雪降る景色を想いながら舌つづみでした

紅いほっぺが愛らしい「お福さん」の主菓子は「何かバターミルク系の隠し味が入っているのかしら?」と賑やかに話し合いながら美味しく頂戴し 後座の濃茶を期待しました

中立で後入りを知らせる鳴り物・・・喚鐘がステキでした

辺りを祓い清めるような玲瓏とした響きがどこかの寺院にいるような厳粛な気持になり いつまでも聴いていたい・・・と

 

 

襖を開けて後入りすると そこには灯りの別世界が広がっていて 思わず息を呑みました

床の御軸は「紅炉一點雪」

一片の雪に凝縮される厳しくも清らかな精神を感じる 私の大好きな御軸が掛けられていました

三つの灯り・・床の手燭と小灯し そして炉辺には短罫に代わり行灯が置かれていました

 

 

知人の作家さんに特注されたという行灯がステンドグラスと伺って驚きましたが さらに小灯しにもびっくり!

清少納言の枕草子からヒントを得て 高坏をひっくり返して燭台にし 富士山形の蝋燭が赤々と・・・ご亭主様の深い教養とご趣向を感じる嬉しいおもてなしでございました 

そんな灯りに包まれて 黒楽茶碗(八事窯)に練ってくださった濃茶のなんと!美味しかったこと・・・

程よい濃さと量の濃茶(「雲門の昔」一保堂 ➡訂正、「嘉辰の昔」上林でした)が乾いた喉をなめらかに潤していきました 

この一碗のためのお心づかいを想いながら・・・

「大変おいしゅうございます ありがとうございます」

 

 

釜の鳴りが静かになり 後炭をしてくださって 再び皆で仲良く炉を囲み 後炭手前を拝見しました 

炉中残火にはかない美しさや時の移ろいを感じ 輪胴の豪快な継ぎ方に座が賑わいます

そして半東Iさまの薄茶点前(御本立鶴の筒茶碗)で 薄茶をいただきながら和やかな時間が過ぎていきました

鬼は客で いつか豆をぶつけられるのでは・・・と案じていましたが お道具に鬼が登場し一安心です 

堂々と存在感のある信楽「鬼桶」の水指そして趣深い茶杓の御銘が「鬼やらい」でした

「茶杓の銘のように 諸々の厄災を振り払って 今年が良い年でありますように」という御亭主さまの願いに一同深く頷きました

最後の薄茶までご亭主さま 半東Iさま 連客のOさま Rさまと 一期一会の素晴らしい時間を過ごさせて頂き 本当にありがとうございました

ご亭主さまにおかれましては どうぞお疲れが出ませんように・・・と願っております

末筆になりましたが 半東Iさまにくれぐれもよろしくお伝えください   かしこ

    

     令和五年 梅見月吉日           暁庵より

 

    (節分の頃には梅がだいぶ咲き出しました・・・散歩道にて)

 

 


令和5年の初釜・・・(4)終章

2023年02月04日 | 暁庵の裏千家茶道教室

       (厳冬の富士・・・孤高にして秀麗な!その姿   右側は大山です)

 

つづき)

濃茶同様に薄茶席も2席です。煙草盆と干菓子が運ばれ、台子の薄茶点前が始まりました。

1席目の点前はY氏です。

台子の稽古は他に習練する科目が多いためなかなか出来ず、いつも12月になってあわててお稽古するのですが、皆さま、自主稽古をされて初釜に臨んでくださるようで、とても嬉しいです。

台子の薄茶では必ず柄杓をかまえて釜の蓋を開けたり閉めたりしますが、台子の濃茶では「柄杓をかまえて蓋」はありません。

濃茶では蓋を開けてから柄杓を杓立から取る、または杓立に柄杓を入れてから釜の蓋を閉めます。

Y氏が基本をきちんと押さえた端正なお点前で薄茶を⒉服点ててくれました。

主茶碗は京焼の祥瑞、次茶碗は京焼の人形手で、三客様からは水屋からお持ち出しです。

薄茶は金輪(丸久小山園)、干菓子は初なすびと兎の和三盆でした。

正客から棗と茶杓の拝見が掛かりました。

棗はあけぼの棗、茶杓は大徳寺・藤井誠堂師の銘「丹頂」です。

 

   (台子薄茶点前・・・火箸を扱っています)

     (初なすびと兎の和三盆)

あけぼの棗のことを書いておきます。

あけぼの棗は裏千家11代玄々斎精中が長男の一如斎の点前始めの披露として好んだ棗です。

利休好みの香次棗の形をとり、華やかな洗朱塗の甲には黒漆で立鶴が一羽、胴には松と亀が描かれ、蓬莱文様を意匠とし、八代中村宗哲の作です。表面・盆付(ぼんつき:棗の底のこと)は朱塗、内側に黒塗りで、蓋裏に玄々斎の在判があります。

当初は二十八個好まれ、大変評判になったため、多くの写しを宗哲に作らせていますが、区別するためか、写しの盆付を黒塗りにしています。

玄々斎が後妻・照(認得斎の次女)との間に37才の時に初めて男子・千代松(一如斎)が生まれ、その喜びが伝わってくるような曙棗です。

将来を大いに期待され、その期待に応える多くの働きを今に伝える一如斎ですが、文久2年8月に17才で突然逝去してしまいます。

53才にして最愛の一人息子を失った玄々斎の悲しみは如何ばかりであったか・・・・想像するのも辛いことです。

玄々斎は悲しみは悲しみとして受け入れ、10代認得斎に託された裏千家茶道の道燈を守っていくのでした・・・。

   (あけぼの棗・・・玄々斎お好みです)

 

薄茶2席目の点前は若武者F氏の予定でしたが、前夜に体調不良の電話があり、急遽欠席となってF氏も私も残念無念!でした。

Sさんがピンチピッターを引き受けてくださって助かりましたし、頼もしいです。

主茶碗は白楽で銘「小鷺」、次茶碗は上野焼で銘「荒磯海(あらそみ)」でした。

     (白楽茶碗で薄茶を点てています)

 

これにて初釜は終了ですが、最後に初釜引き出物の扇子をお渡しし、くじ引きをしました。

外れくじはなし、鶴と亀のくじを引いた人のみ景品手渡しで茶杓と香合を用意しました。

その他のくじには景品(軸、茶碗、蓋置など)が書かれていて、後で差し上げることにしました。

当たった人を思い浮かべながらあれこれ考えるのがとても楽しかったです。新品でも高価なものでもありませんが気に入って使ってもらえると嬉しいですね・・・。

 

     (くじ引き・・・何が当たるかな??)

 

こうして令和5年の初釜が無事に楽しく終わりました・・・ 

どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

 

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