暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

風薫るベランダ席で・・・

2020年05月29日 | 暁庵の裏千家茶道教室

     (自転車が花に埋もれてしまいました・・・花の名前が? )

 

5月26日に我が神奈川県でも緊急事態宣言が全面解除になりました。

暁庵の裏千家茶道教室は5月末まで2ヶ月間お休みしていますが、アフターコロナを考えるために5月最後の週に希望者のみお一人ずつ、ベランダの薄茶席へお招きしています。先ずはお顔を見たいし、近況や今後の希望を伺いたい・・・と思いました。

 

(2人静のはずですが、4人静?に増えています)

 

トップバッターはN氏でした。

「洋服でお気楽にどうぞ・・・」とメールに書くのを忘れたかしら?

ステキな青味がかったお召しの着物でいらっしゃいました。相変らずダンディでお元気そうな様子に安堵しながら、ご挨拶を交わしました。

仕事の方は多少受注が減ったものの、皆で距離をとったり対策を考えながら仕事を続けているとのこと。きっと大変なご苦労の多い日々だったのでは・・・と推察しながら、技術に裏打ちされた仕事の力強さを感じます。

 

 (大勢さんにも対応できるように2リットル入るポットを用意)

 

久しぶりに骨董鑑賞をしたくなり、「お気に入りの茶道具を1つお持ちください」とお願いしました。

コロナウイルスのため中止になった3月末の茶事・・・その時に使うつもりだったという、水指、茶入、棗を持って来てくださいました。

どれも垂涎の茶道具ですが、茶入と水指が飛び上がるほど素晴らしく、おまけにステキなご趣向があったようで・・・茶事の中止が誠に残念!

でも、いつかきっとリベンジの茶事をしてくださることでしょう。(詳しくは茶事の後に書きたいと思います)

茶道具拝見でお話がすっかり盛り上がり、ベランダ席へ移ってからも、これからのお茶の稽古や茶事のことを熱心に語り合いました。そうそう、N氏も「FLOWER GARDEN」の薔薇を見に行ったそうです・・・。

 

ベランダ席の掛物は、色紙「喫茶去」 西垣大道師の御筆です。

ちょうど咲き始めた「紅額」をタコ壷の花入に生けました。

お点前は茶箱の雪点前、お菓子は「青梅」と「黄味しぐれ」をお出しし、薄茶2服を召し上がって頂きました。薄茶は金輪(丸久小山園)です。

 

  (2種のお菓子・・・「青梅」と「黄味しぐれ」 石井製)

 

雨上がりの庭に爽やかな風が一陣、通り過ぎていきました。

風薫るベランダ席の午後のひと時・・・。

 

 

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散歩道・・・追分・矢指市民の森へ

2020年05月27日 | 暮らし

    (追分・矢指市民の森のお花畑・・・今は端境期です)

       (早春の追分・矢指市民の森)

 

近隣の公園で金襴と銀欄に出合ってから金襴銀欄・探検隊を結成し、散歩のたびに出合いそうな公園や里山を探検し始めました・・・そんなある日の記録です。

5月某日、横浜市旭区にある追分・矢指市民の森を目指しました。矢指谷戸には四季折々に、菜の花、ひまわり、コスモス、ダリアなどが植えられ、素晴らしいお花畑が楽しめるのですが、今は端境期です。

その代わり人が少なく、森林浴をしながら野の花や鳥のさえずりが楽しめ、一瞬深い森の中へ迷い込んだような錯覚に陥ります。今日も金襴と銀欄が見つかると好いのだけれど・・・。

 

  (横浜ランドマークタワーが見える「見晴らしポケットパーク」の眺め)

我が家から約30分歩くと、旧中原街道添いの「見晴らしポケットパーク」に到着。

今宿地域の住宅地が一望できる眺めが素晴らしく、遠くに横浜ランドマークタワーを見ることができます。旧中原街道には江戸時代の街道の面影を伝える「一里塚跡」や「岩舟地蔵尊」があって、この近くから追分・矢指市民の森へ抜ける新ルートを発見したばかりです。

 

(旧中原街道の旧跡・・・一里塚跡)

    (岩船地蔵尊が今も大切に祀られています)

その日も新ルートを通リ、市民の森を散策しました。新ルートはほとんど人に会うことがないのと、落葉が降り積もった森の道は心地好いクッションになっていて膝に優しく、とても気に入っています。「けやき通リ」など樹木の名前が付いた小径をたどりながら、「太陽の広場」を通リ抜けて、金襴・銀欄を探しながら進みます。

 

       (矢指市民の森へ向かう新ルートを行く)

   (太陽の広場を中心に道が四方に分かれています)

ホウチャクソウ、テンナンショウ、アマドコロ、二人静などの野草はたくさん見つかったのですが・・・肝心の金襴がなかなかみつかりません。それでも木漏れ陽が美しい矢指市民の森を歩き回りました。

「ここには無いかもしれないね・・・」とあきらめかけた時、思いがけないところにツレが金襴を発見しました。たった1輪でしたが大満足でした。ヤッタね!

 

    (あきらめかけた頃に金襴1輪を発見!)

追分・矢指市民の森を入れて、なんと!近隣の里山5カ所から金襴が発見され、銀欄はそのうちの2ヶ所だけでした。いずれも金襴や銀欄が咲いているとは思わずに普段散歩していた場所ばかりなのでびっくりです。

コロナウイルスのお陰で(?)散歩の機会が増え、草花との新たな出会いにつながり、来年も春になったら金襴・銀欄を探し歩く楽しみができました。

 

      (ときどき寄る野菜直売所)
 

帰りに野菜直売所に寄り、サヤエンドウ1袋(どっさり入って100円也)を買いました。ここの野菜直売所は季節の花を1束100円~200円で売っているので、とても重宝しています。

                    

 


「薔薇の詩」

2020年05月25日 | 薔薇の茶会・・2021年5月

      (「FLOWER GARDEN]にて・・・5月21日撮影)

 

薔薇のことばかり続きますが・・・

「五百生のお茶のご縁」で紹介した「心に響く100の言葉」(特別保存版 PHPアーカイブス)の中に、「薔薇の詩」がありました。

 

    薔薇ノ木ニ

   薔薇ノ花サク。 

   ナニゴトノ不思議ナケレド。

            ・・・・白秋

 

「まるで何事の不思議も無いように、天地の摂理・営みは、私たちの目に見えないところで、瞬時のひまもなく進みつづけているのでしょう。

この詩は、摂理・営みのままに生かされ、生きている私たち生物の息吹を伝えてくれます。生きる命を感じさせます。

私は何時も、こんな風に自然に生きてゆきたいと希(ねが)っています。

種々の花々が夫々に咲いて、光こぼれる美しさを、羨ましく目の前に浮かべながら・・・自分の営みを探っています。           加藤道子 」

 

加藤道子さん(俳優、1919-2004)の座右の銘で、白秋の「薔薇の詩」にエール(先人のことば)を書いています。

何度読んでも、なんて!さりげなく、生きることを後押ししてくれる「薔薇の詩」なのでしょうか。

   ナニゴトノ不思議ナケレド。

 この詩句とともに、先日の美しく咲く薔薇たちに今の世を生き抜くエールをたくさんもらった気がしています。 

本日中(5月25日)に首都圏・北海道で緊急事態宣言が解除されるとのことですが、まだまだ困難な日々が続きます。

それでも、しっかり前を向いて自然のままに生きていきたい。

 

 

 


「FLOWER GARDEN」 の薔薇が満開です

2020年05月22日 | 薔薇の茶会・・2021年5月

 (「FLOWER GARDEN」の看板、2018年の開園でした・・・)

 

   (薔薇のアーチがたくさん連なっています・・・エントランスの1つ)

 

5月21日に、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う緊急事態宣言が続く8都道府県のうち、大阪府、京都府、兵庫県が解除されました。

首都圏(東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県)と北海道は見送りになりました。我が神奈川県は医療関係などのクラスターがまだおさまらず、残念ですが仕方ありませんね・・・。もうしばらく自粛を頑張ることにしましょう。

 

     (アーチの奥にはテラスもあります)

 

そんな折ですが、散歩の途中で見つけた「FLOWER GARDEN」(保土ヶ谷バイパス・下川井インター近く)へ薔薇を見に行きました。3度目ですが、我が家から徒歩20分くらいです。

こんなに近くにこんなに素敵な「FLOWER GARDEN」があったことに驚き、訪ねるたびに感動しています。

今まさに満開の薔薇たちは息を呑むほど美しく、チャーミングです。

   (薔薇はピンク・・・誰かさんが言っていたけれど私もそう思う・・・)

(トーテムポールのような高いアーチにもピンクの薔薇が・・・)

 

でも相変わらず、誰もいらっしゃらないのが不思議??? 

どんな方が薔薇の世話をしていらっしゃるのでしょうか?  色とりどりの薔薇の花を見ると、たっぷりの愛情が注がれていることがわかります。

ゲートは開いているので写真を撮らせて頂きました。薔薇の名前がわからないのですが、ご一緒に楽しんでくださると嬉しいです。

 

 

  (ステキなテラスを発見! 鉄製(?)のベンチやテーブルがお似合いです)

実は一番紹介したかったのはこのテラスです。一目見るなり、薔薇に囲まれたテラスで薄茶一服差し上げたい!と思いました。紅茶やコーヒーも好いのですが、薄茶一服にこだわりたいです。

今年は無理かもしれませんが、来年以降、ここでミニ茶会が出来たら・・・皆で楽しく集えたら・・・なんて!ステキなことだろう。 夢は勝手に広がりますが、先ずはオーナーにお会いしてみたいものです。

 

         (写真撮影は2020年5月21日です)

 

 


古代のロマンに浸る・・・わが愛の磐之媛

2020年05月20日 | 暮らし

      (散歩道のガーデンにて・・・ピンクの薔薇は磐之媛)

 

古事記の世界にタイムスリップしました。

奈良市にお住まいらしいhougetukaiさまのブログの中に書かれていた次のような一節がきっかけでした(掲載させて頂きます)。

  ・・・(前略)・・・

  たどり着いたヒシアゲ古墳・仁徳天皇皇后『磐之姫陵』
  磐之姫は、仁徳天皇の4人の皇后のうちのひとり、
  仁徳天皇陵は堺、どうして皇后である磐之姫陵は
  遠く離れた奈良なのでしょう?
  と疑問に思いながら歩いた歩数は8251歩、目標達成!

 

早速、「磐之媛陵」とされているヒシアゲ古墳を奈良市の地図で確認すると、法華寺の北方にある佐紀盾列古墳群の1つであることがわかりました。

田辺聖子著「わが愛の磐之媛」(お勧めです!)をもう一度読みたくなり、だいぶ前に処分した「田辺聖子 文車日記」(新潮文庫)をヤフオクで探し、購入しました。

さらに古事記や日本書紀、磐之媛や仁徳天皇を検索し、「わが愛の磐之媛」に書かれている古代へしばしタイムスリップ。なんせ時間だけはあるのですから、思う存分古代のロマンに浸ることができました・・・

 

古事記や日本書紀によると、磐之媛は仁徳天皇の4人の皇后のうちのひとりで、仁徳天皇2年(314年)に立后。父は葛城襲津彦、武内宿禰の孫にあたり、皇族外から初めて皇后になったといわれている。仁徳天皇との間に男御子4人と女御子1人をもうけた。とても嫉妬深く、仁徳天皇30年に磐之媛が熊野に出かけた隙に仁徳天皇が八田皇女(仁徳の異母妹。磐之媛命崩御後、仁徳天皇の皇后となる)を宮中に入れたことに激怒し、山城の筒城宮(現在の京田辺市)に移り、仁徳35年6月に同地で没した。

 

      (散歩道のガーデンにて・・・黄色の薔薇は仁徳天皇)

 

磐之媛は夫の仁徳天皇を深く愛していたので、留守中に八田皇女を宮中に入れたことをどうしても許せなかったのです。仁徳天皇も皇后であり、5人の子供の母である磐之媛を彼なりに深く愛していました。筒城宮にこもってしまった磐之媛、家臣を何度も迎えにいかせたり、気持ちをなだめる歌を持たせたりするのですが、磐之媛は戻ってきませんでした。

ついに仁徳天皇自ら筒城宮まで迎えに行きますが、磐之媛は頑として会おうとしません。その時の2人の胸中を察すると、男のメンツを捨てて皇后を迎えに来た仁徳帝がとてもステキで魅力的に思えます。

・・・帝に会ったら宮中に戻りたくなることでしょう。しかし、どうして八田皇女のことを許すことが出来ましょう。戻ったらまた仁徳帝の止むことのない浮気に悩まされることでしょう・・・帝への激しい愛で張り裂けそうになりながら、自らの命が尽きるまで帝を愛し続けたい、そのためには会わない方が良い・・・と磐之媛は決意します。

そのような形で、仁徳天皇への愛を貫いた磐之媛。 とても純粋で、強く、美しい女性に思えるのは私だけではないと思います。

5年間の別居後、筒城宮で仁徳35年6月に崩御しました。磐之媛陵として奈良市佐紀町のヒシアゲ古墳が比定されています。(調べると、ヒシアゲ古墳のすぐ近くのコナベ古墳が八田皇女陵とされていて不思議?です)

仁徳天皇は仁徳87年に崩御、堺市にある百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)・仁徳天皇陵古墳に葬られました。

 

      (散歩道のガーデンにて・・・この薔薇は八田皇女かしら)

 

磐之媛の仁徳天皇への深い思いを伝える哀切な歌が4首、万葉集に収録されています。

皇后の天皇をしのばしてよみませる御歌四首

君が行き日 長くなりぬ 山たづね 迎へか行かむ 待ちにか待たむ (万2-85)

かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の 磐根いはねきて 死なましものを (万2-86)

ありつつも 君をば待たむ うち靡く が黒髪に 霜の置くまでに (万2-87)

秋の田の 穂のらふ 朝霞 いつへの方に 我が恋やまむ  (万2-88)

 

今日ではこれら4首は当時の伝承歌であったと解されています。そして、万葉人は、激しくも純粋な愛を貫いた磐之媛を慕って、オマージュとしてこの4首を磐之媛の歌としたのだと・・・言われています。

今度奈良へ行ったら、ヒシアゲ古墳とコナベ古墳を是非訪れたい!と思います。