暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて茶事を楽しんでいます。2015年2月に京都から横浜へ戻りました。

韓国を訪ねる旅ー1  粉青沙器(ふんせいさき)って?

2016年10月19日 | 
                       
                          美しく精密な文様の高麗青磁の壷(釜山青磁窯址)
                          ・・・最初に訪問した東亜細亜文化財研究院にて

10月10日から3泊4日で韓国・慶尚南道(キョンサンナムド)を旅してきました。
慶尚南道は韓半島(朝鮮半島)の東南側、釜山広域市の西側に位置しています。
            
                          慶尚南道(キョンサンナムド)のマップ     

高麗茶碗のふるさとの古窯址を訪ね、井戸茶碗や魚屋(ととや)茶碗に取り組んでいる陶芸家たちと出合い、さらに釜山女子大学を訪ね、「日韓茶の湯交流茶会」で茶の湯を愛する方々と交流した旅でした。
中身の濃い、他では経験できない旅だったので何から書いたら・・・と迷いますが、最初に一番わからなかった粉青沙器(ふんせいさき)について書くことにします。

粉青沙器の古窯址を訪ねたのですが、井戸茶碗など高麗茶碗の故郷らしい・・・くらいの知識しかなく、粉青沙器という言葉も初めて聞いたのでした。

今回のツアーで訪ねた粉青沙器の古窯址   
   昌原市鎮海区 ★頭洞里窯址(熊川古窯址)15-16C★
   熊川陶磁資料館
   山清郡丹城面 ★放牧里窯址 15-17C★
   河東郡辰橋面 ★白蓮里窯址 15-16C★★

                      
                      今年初めて発見された金海粉青磁器窯址の出土品の説明を受ける
                        (最初に訪問した東亜細亜文化財研究院にて)

それで帰ってから、韓国やきもの史をにわか勉強してみました。その概要を記します。

韓国やきもの史
☆紀元前後
中国から轆轤(ろくろ)と窯の技術が伝わり、瓦のような瓦質(がしつ)土器が作られました。

☆三国時代
高句麗・百済・新羅・伽耶(かや)では、瓦質土器を元に陶質(とうしつ)土器と呼ばれる灰黒色の土器が作られました。
土器の時代を経て、7世紀の百済では緑釉を施した陶器が、9世紀の新羅時代に中国の越州窯青磁の影響を受けて、朝鮮でも青磁が作られ始めます。

☆高麗王朝時代(918-1392
12世紀になると中国の青磁の影響を離れ、「翡色(ひしょく)」と呼ばれる深い青みを帯びた美しい高麗青磁が作られ、透かし彫りなどの装飾が加えられるようになります。
12世紀後半には白や黒に発色する土をはめ込んで装飾する象嵌技法が発達し、高麗青磁の中心的な装飾技法となりました。
銅を含んだ顔料で紅色を発色する辰砂の技法、鉄絵具で文様を描く青磁鉄絵も盛んに作られました。
13世紀にモンゴル人の侵入が始まり、高麗王朝の衰退とともに高麗青磁は姿を消します。

                       
                          青磁茶碗 高麗時代(釜山女子大・茶道博物館)

☆李氏朝鮮時代(1392-1910)
李朝になると青磁に代わって粉青沙器が中心になり、高麗時代と比べて産地は大きく拡散します。

粉青沙器・・・この名称は古いものではなく、1930年頃に韓国の美術史家・高裕變(こうゆうへん)が「粉粧灰青沙器」という名称を提唱し、略して「粉青沙器」という名称が定着したそうです。

日本では、この種の器が高麗茶碗の一種として珍重され、作調によって「三島」「刷毛目」「粉引」などと呼ばれました。
粉青沙器の素地は、青磁に用いられるのと同種の灰色または灰黒色の土で、これに白の化粧土を掛け、さらに透明釉を施して焼成したものです。

                       
                           粉青沙器「刷毛目」茶碗 (熊川陶磁址展示館)
   
                       
                        粉青茶碗 李氏朝鮮時代 (釜山女子大・茶道博物館)

15世紀には象嵌や菊花文のスタンプを一面に押し、そこに白土を埋めた「印花」という技法が盛んに行われました。
その後、刷毛目を用いて白土を塗った刷毛目や、器表全面に塗られた白土を削り取って模様を表わす掻落しの「彫三島」などが作られました。
15世紀から16世紀にかけて鉄絵具で文様を描く「鉄絵」が盛んになり、特に忠清南道公州郡鶏龍山の周辺で焼かれたことから「鶏龍山」とも呼ばれた粉青鉄絵が作られました。
16世紀後半になると、ほとんどの窯が白磁窯に転向していき、粉青沙器は姿を消してしまいます。

                       
                          高麗雲鶴茶碗の一種・「狂言袴」筒茶碗 (N氏蔵)

一方で、15世紀前半には雪のように白い上質の白磁が完成され、本格的に作られていました。
15世紀後半からコバルト顔料を用いた青花(染付)磁器が生産され、17世紀になると中国からのコバルト顔料の輸入が困難になると、褐色に発色する鉄絵具で文様を描く鉄砂(てっしゃ)が流行します。

16世紀末、豊臣秀吉の侵略によって国全体が戦火にまみれ、各地の窯は大きな打撃を受けました。
多数の陶工が日本へ連行され、陶磁器の生産は著しく停滞しました。

1639年から1717年まで釜山にある窯で、「高麗茶碗」と呼ばれる日本の茶人向け(輸出用)の茶器が焼かれました。

                       
                              暁庵愛用の茶碗、「高麗御本三島」 

1752年に広州分院里に官窯ができると、青花、鉄砂、赤色に発色する辰砂などを用いた作品や、文人好みの文房具や酒器も作られました。

19世紀後半になると外国勢力の侵入によって社会や経済は混乱し、国力は衰退して、朝鮮陶磁器の伝統は衰退していきました。

         
          韓国を訪ねる旅ー2へつづく     前へ(韓国旅行の支度中です)
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