暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

工事中

2011年04月29日 | 閑話休題
「暁庵の茶事クロスロード」にお立ち寄りくださり、ありがとうございます。

今日から大型連休ですね。
皆さまはどこかへお出かけでしょうか?
それとも、お家でのんびりとお過ごしでしょうか?

書きたいことが溜まっていますが、
茶事やら旅行やら予定がありまして、当ブログも大型連休をとります。
しばらくお休みしますが、またどうぞお立ち寄りください。

                         

                        

おようのあま絵巻  サントリー美術館

2011年04月25日 | 美術館・博物館
4月23日(土)はあいにくの天気でしたが、
「夢に挑むコレクションの軌跡」開催中のサントリー美術館へ出掛けました。
「おようのあま絵巻」(二巻 室町時代 十六世紀)が4月20日から
展示されていたからです。

「おようのあま絵巻」は、茶道大辞典(淡交社)を広げていた時に偶然知り、
ユーモラスな絵と物語に惹かれ、いつか本物に出会いたいと思っていたのです。

「おようのあま絵巻」にしばしお付き合いください。

御用(およう)の尼は、内裏や貴族・大名の館の女房たちの御用を聞き、
薬や香、扇などの小間物や古着を売り歩く老尼でした。
ある日、北白川の草庵の前を通りかかると、中から念仏の声がします。
いつしか念仏に誘われるように草庵へ入っていくおようの尼。

売り物の入った大きな袋を傍らに置き、
「あら苦しや」と、草庵の縁側で休ませてもらいます。
墨染の衣を着て心穏やかに念仏を唱えていた老僧は事情を聞き
「茶を飲み静かに休み給え」と声をかけます。

挿入された絵には老僧の部屋の押し入れに茶道具が見えます。
曲物の水指に柄杓、風炉釜、朱の足付盆に茶碗か茶入、
それらが長板に載せられています。

老僧は茶を点て尼に振舞ったのです。
茶は当時薬としても飲まれていたのでした。
老僧にやさしく介抱してもらい、茶を振舞われ、
おようの尼はどんなにか嬉しかったことでしょう。
お礼の気持ちを込めて、身の回りの世話をする若い嫁を
紹介すると言ってしまいます。

               

数日後の夜、草庵を訪ねたのは、おようの尼その人でした。
若い女性を装って帷子を深く被った尼に老僧は気づかず
嫁が来たと有頂天になって盃を進めます。
尼は恥ずかしげに二献飲み、
僧も一献飲んで
「茶湯のもとへ立ち寄り大は(葉)を二三服点て飲み」しました。

絵(写真2)には、前と同様な茶道具が別室に置かれています。
夫婦のかための盃ごとをし、おもてなしの心を託して茶を点てたのでしょう。
こうして一夜を共にし、夜が明けて老僧はすべてを悟ります。

                

でも、この物語に強く惹かれたのはここからの展開でした。
若い嫁の話に心を奪われた老僧は御伽草子となって
世間の笑いものになったかもしれませんが、
その後二人は念仏を唱えて心やすらかに暮らしましたとさ。

時は室町時代、応仁の大乱前の京都です。
まさに暗黒の中世(混沌の時代)に暮らすおようの尼と老僧。
念仏(仏教)によって救われる、ほのぼのとした展開に
この絵巻を読んだり見たりした人々はさぞやホッとしたことでしょう。

北白川あたりの草庵で夫婦二人で念仏と茶三昧・・・私のあこがれです。

                         

「夢に挑むコレクションの軌跡」
    サントリー美術館にて 3月26日-5月22日(日)開催
    http://www.suntory.co.jp/sma/index.html



Artist’s Action for JAPAN

2011年04月23日 | 閑話休題
今日、六本木のサントリー美術館へ出かけました。
帰りに東京ミッドタウンをうろうろしていると、
「アトリアム」という広場に人が集まっています。
テーブルごとに絵を書いたり、なんか楽しそう・・・。
「あなたのすきなもじをかきます」という小さな看板が目に留まりました。

Artist’s Action for JAPAN
  1枚の絵からはじめよう。
  東日本大震災の被災地をアートの力で応援したい。
 

というイベント会場で、
来場者にアーティスト達が制作した作品から好きなものを選んで持ち帰って頂き、
1点につき1000円(+お気持ち)の寄付をお願いして、
収益のすべてを日本赤十字社を通じて被災地に送ります・・・とありました。

アーティストに弱い私はすぐに若い女性の書家へ
その時書いてほしいと思ったフレーズを依頼してみました。
「字体はどんなのがよろしいですか?」
「どんな字体があるのかわからないので
 貴女がこのフレーズに合うと思った字体でお願いします」

  海があり
  水があり
  空があり
  愛がある  

昨日見た「グランブルー」という映画(ビデオ)から湧いてきたフレーズです。
字体はわかりませんが、とても伸びやかな字でさらさらと書いてくださいました。

                

墨が乾くまでの待ち時間に他のテーブルを覗くと
似顔絵を描いている人、自分の作品を描いている人、絵の方がほとんどでした。
それで、「グランブルー」という題で、若い女性のアーティストへ絵を依頼しました。
急な依頼で、しかも十分な時間もなかったのですが、
夢のような「グランブルー」を抽象画に描いてくださって、とても素敵です。

実は、映画「グランブルー」が大好きで、「グランブルー」をテーマに
夏の茶事が出来ないものだろうか・・・
と構想を練っていた(夢想して遊んでいた)最中のことでした。

思いがけない被災地への支援や作品との出会いが嬉しい一日でした。

Artist’s Action for JAPAN
の今後の日程は次の通りです。よろしかったら行ってみてください。

第5回 4月23日(土)&24日(日)11時-17時 東京ミッドタウン 「アトリウム」
第6回 4月29日(金)&5月1日(日)11時-17時 ワード資生堂(東京銀座資生堂ビル9階)

                          

茶入・安国寺肩衝と仕覆 

2011年04月22日 | 茶道具
               

あんなに咲き誇っていた桜があわただしく去ってしまって、
寂しいような、落ち着いたような、今日この頃です。
四月も残り少なくなってきました。

毎日見ている畠山記念館の四月のカレンダー(写真)に
唐物肩衝茶入 銘「日野」と二つの仕覆が載っています。
肩がしっかりとした端正で優美な唐物茶入にも惹かれますが、
仕覆づくりを習いだしたせいで、添えられた仕覆がとても気になります。
仕覆は、紺地花兎文古金襴と弥三右衛門間道、盆は、端彫四方盆です。

               

先日、仕覆教室へ行ったとき、茶入の仕覆の数の多さが話題に上りました。
「名物茶入の仕覆の数や使われている裂地に
 持ち主の愛情をひしひしと感じるわねぇ~」
十以上の仕覆を持つ茶入もあるそうで、それにもびっくり!

調べてみると、「安国寺肩衝」に仕覆が十一添えられていました。

唐物肩衝茶入 銘「安国寺肩衝」(大名物・漢作 南宗時代)は、
戦国時代の僧侶・安国寺恵瓊(あんこくじえけい)の所持でその名が付けられています。
別に細川三斎(忠興 1563-1645)の命銘で、「中山肩衝」ともいいます。

三斎から安国寺恵瓊へ譲られ、関ヶ原の役後に徳川家康から津田秀政へ下賜されます。
秀政の茶会でこの茶入をみた三斎は手放したことを悔いて、
「佐夜の中山」と言い残し、ひそかに茶入を持ち帰ってしまいます。
あとで金二百枚を秀政へ届けたというエピソードが伝えられています。

「佐夜の中山」とは、西行法師の歌
  「年たけて又こゆへしと思ひきや
       命なりけり佐夜の中山」
を引いて、「もはや二度とこのような名器には逢えぬ・・・という気持ちで
この茶入を持ち帰る」という意味でした。それで「中山肩衝」とも呼ばれています。

さらに、寛永2年(1625)の飢饉の際、三斎は領民救済のため
この茶入を酒井忠勝へ譲渡したそうです。
「安国寺肩衝」は幾多の変遷を経て現在、五島美術館蔵です。  
  
この茶入は、姿形、釉薬の景色が好いことはもちろん、付属物の多さでも知られています。
最初、蓋二つ、仕覆五つが添えられていたそうですが、
その後、所有者によって仕覆六つが加えられ、十一になりました。

十一の仕覆は、
  宝尽紋錦、伊予簾緞子、青木間道、富田金襴、菱万字地紋龍紋錦
  紅地錦、細川緞子、蜀江錦、龍鳳凰紋錦、紅毛裂、紅地梅花紋錦

               

「茶入の仕覆は使用に応えることよりも茶入の権威を示すものである」
と、本(茶道具の世界5 茶入 淡交社)に書かれていましたが、
私は、権威づけよりも所有者が茶会で使うたびに、書院へ飾って眺めるたびに、
仕覆を変えてみたくなる、茶入への愛情やこだわりを感じます。

細川三斎(忠興)の茶入との出会いと別れを知って
「安国寺肩衝」と仕覆たちに急に逢いたくなりました(残念!五島美術館は休館中)。
そして、私も所持の茶入に新しい仕覆を作ってあげたくなりました・・・。

                              

五事式のお客様 

2011年04月19日 | 茶事

     いざけふは 春の山辺に まじりなむ
        暮れなば なげの 花の陰かは      素性法師

平成23年4月17日は五事式でした。

炉の名残りの時期に五事式を・・・と考えたとき
お客様は既に頭の中で決まっていました。
或る「茶事の会」で共に五事式を学んだメンバーをお呼びしたかったのです。

2月になって、「茶事の会」五事式で正客を務めた先輩Yさんへ電話しました。
「どんなにか、貴女からのお招きを待っていたことか・・・」
と言ってくださり、早や胸が一杯になりました。
お正客さまを快諾してくださいました。
次客のMさんと詰のKさんはその時のメンバーであり、
今年の五事式の会で研鑽しているお仲間でもあります。

もう一人、「茶事の会」のメンバーに野田さんがいらしたのですが、
不慮の事故で2年前にお亡くなりになりました。
野田さんは長屋門公園・正午の茶事の折、半東として新米亭主を
支えてくださった、やさしく頼もしい先輩でした。

                    

それで、お客様がもう一人未定でした。
そんな時に思いがけなくNさんからメールが届きました。
「いろいろの会でお人が急に足りませんようでしたら、
 私も精進させていただけないかと・・・」
Nさんのお気持ちがとても嬉しく、
「早速ですが、4月17日の五事式へいらっしゃいませんか?」
とお声掛けしました。

その時はわかりませんでしたが、あとで考えると、
とても不思議なご縁のように思いました。

Nさんは、野田さんが半東をしてくださった長屋門公園・正午の茶事へ
参加されていたのです。
タイミング良く届いたメールといい、
あれこれ考えていくうちにNさんと野田さんがだんだん重なってきました。

野田さんが代わりにNさんとのご縁を導いてくださった・・・と思っています。
Nさんのお話では4月17日は誕生日だったので(オメデトウございます!)、
「そういうこともあるのね・・・」と、すぐに参加を決められたそうです。

                      

東日本大震災で亡くなられた方のご冥福をお祈りするとともに
野田さんを偲んで・・・という気持ちが入り混じった茶事となりましたが、
魅力あふれるお客様に支えられて、明るく楽しい五事式でした。
きっと野田さんも席中のどこかで楽しまれたのでは?

廻り花之式では野田さんと一番仲が良かったYさんが経筒に
かわいらしいピンクの椿を入れました。
花台に乗っているその椿を見た瞬間、
この椿の色を野田さんが好きだったことを想い出し、
「野田さんがそこにいるような気がして、一瞬ぞくっとしたの・・・」
と、あとで伺いました。

                   
                             

香は、半東のIさんが香道のように香炉の灰を美しく調えてくださいました。
折据を廻し、春なので花を引いたMさんに香を焚いて頂きました。

ベテラン揃いなので、その場でどのような仕様になっても
さらさらと和やかに応じてくださって、あっ!という間に時は過ぎていきました。
どう書いたらよいかわからないほど、最高に楽しい五事式でした。

半東のIさん曰く、
「お客様が決まった時から、いえ、もっと前から
 このような五事式になることが決められていた」・・・そうです。