暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

横浜美術館コレクション展「ヨコハマ・ポリフォニー」

2021年02月16日 | 美術館・博物館

           「大ガラス」   吉村益信

(つづき)

横浜美術館コレクション展「ヨコハマ・ポリフォニー」が「トライアローグ」展と併設で展示されています。

創立30年を過ぎた横浜美術館は今回の展示(2021年2月28日まで)を最終として、大掛かりな改修工事に入るため、約2年間休館になるそうです。

休館前に所蔵の名品や優品を是非見ておきたい・・・と、こちらも楽しみに出かけました。

「ポリフォニー」とは、独立した複数の旋律とリズムの声部から成る「多声音楽」を意味するそうで、次のような解説がありました。

1910年代から60年代に横浜で育まれた作家たちの声と創作の響き合いに耳を傾けながら、横浜を磁場としたアートシーンを探訪します。この50年の間に横浜は関東大震災(大正12年、1923年)と第2次世界大戦による空襲(昭和20年、1945年)により2度も壊滅の危機に瀕し、そのたびに不死鳥のごとく復活を果たしています。

 

凄まじい破壊と創造のはざまで横浜に縁があり、育まれた作家たち・・・初めて名前を知る作家、有名な作家、大好きな作家や名前だけ知っていた女流画家もいて、写真を撮りながら楽しくまわりました。

順不同ですが、我が心の「ポリフォニー」に耳を澄ませて、気の向くままに心に残った作品を書き記しておきます。

 

  「大ガラス」 (何を話しているの?)・・・ステキな女性にモデルをお願いした1枚

 

写真に一番多く撮ったのは「大ガラス」(吉村益信)でした。

展示室の入り口近くに巨大なカラスがいて、「う~ん、なんで? ここに「チコちゃんに叱られる!」のキヨエがいるの!?」

・・・でも、明るく広い展示場に「大ガラス」がユーモラスに空間を引き締め、他の作品を引き立て、独特な雰囲気のあるアートシーンを創出していました。「これだからアートって、面白い!」

 

  「岩の上の女神」 ギュスターヴ・モロー  1890年頃

お馴染みの大好きな作品の1つで、今回見れて嬉しい! 女神の魅惑的な美しさ、いろいろ想像を掻き立てられる背景もさることながら、額縁の美しさにも惹かれます。2年後にまたこの画に逢えますように・・・。

 

     「緑陰」  片岡球子  1939年(昭和14)

片岡球子(1905ー2008)は北海道に生まれ、1926年(大正15)から1955年(昭和30)まで横浜市大岡尋常小学校(現・市立大岡小学校)で教師をしながら横浜を拠点に日本画家として活躍した。「緑陰」は教え子を描いて、院展の院友となった記念作。

 

  「三立婦」  江見絹子  1953年(昭和28)

     「土」   江見絹子 

江見絹子、お名前だけ知っていて、どのような作品を描く方か知りませんでした。

江見絹子(1923ー2015)は兵庫県生まれ。1951年(昭和26)に横浜に移り、ほどなく渡米、さらにパリで研鑽を積んだ。1955年(昭和30)に帰国後は、「土」などに見られる壁画にも似た抽象画に転じた。帰国後、横浜の山手にアトリエを構え、そこで終生制作に打ち込んだ。

 

川上澄生(かわかみ・すみお)
1859(明治28)川上澄生は横浜市紅葉坂に生まれました。3歳の時に東京へ移りましたが、異国情緒あふれる横浜の街並みを生涯愛し、文明開化を主題に制作を続けました。 

以前、初恋をうたった「初夏の風」という詩とエキゾチックな版画に出会って以来、川上澄生のファンとなりました。

終生愛した横浜についても次のような詩を残しています。

 「横濱」  川上澄生  (1967年)

   よこはまは わがふるさと・・・

   みなとのふねは まんかんしょく

   たちならぶ いじんかん

   ばしゃみちと いえるところあり

   ばんこくばし は むかしのはし いまはいしのはし

 

    (題がわかりませんが「コロナ禍にふさわしい作品」、村上義男作)

10日(?)のテレビで、コロナウイルスのワクチンを注射する針にデッドスペースがあり、6名分のワクチンが5名しか注射できないと報じられていました。ワクチンが届くのだろうか? いつワクチンを打てるのかしら? と、待ち遠しい思いでいたので、注射針のことが頭の片隅にこびりついていたのかもしれません。

この作品は、よくみると注射針が画面に貼り付けられているではありませんか。注射針を画材として使う発想にびっくりしたり、違和感なく注射針が溶け込んでいる作品も素晴らしかったです。 これぞ「コロナ禍にふさわしい作品」と思いました。「釘打ちシリーズ」も見てみたいです。

村上善男(1933-2006)は、盛岡、仙台、弘前と土地の文化を内包した作品を発表してきました。村上は1960年代から、注射針を画面に貼り付ける作品で一世を風靡しました。その後、弘前に移り住んでから開始された古文書や染め布を画面に貼り付けた「釘打ちシリーズ」では、民俗と現代美術を融合した新たな表現性を打ち出しました。

 

 

まだまだ紹介したい作品がありますが、2年後の横浜美術館での再会を待ちながら、こんへんでおしまいにします。

13時を過ぎていたので、近くのビルの蕎麦屋で昼食を食べました。冷たい蕎麦が美味しかった!! 

外食も久しぶりでしたが、親子ずれの客がたくさんいらして、緊急事態宣言中とは思えない状況でした・・・。 

 

           横浜美術館「トライアローグ」展へ戻る

 

 


横浜美術館「トライアローグ」展へ

2021年02月12日 | 美術館・博物館

         横浜美術館の正面からパチリ (設計 丹下健三)

 

 

2月某日、念願の横浜美術館「トライアローグ」展へ出かけました。

もっと早く見たかったのですが、緊急事態宣言の解除がさらに延期になってしまったので重い腰を上げました。公共交通機関は使わず車、少人数の入場制限のため予約制です。11時少し前に入館しました。

「トライアローグ」の意味ですが、「3館の語らいが紡ぎだす、アートの革新の世紀」とあり、3館とは、横浜美術館、愛知県美術館、富山県美術館で、それぞれの地方を代表する大型公立美術館です。

それぞれの美術館ご自慢の西洋美術コレクションの中から20世紀に活躍したピカソ、ミロ、ダリ、マティス、クレーなどの作品を厳選して展示しています。

最初にピカソの作品が4つ展示されていました。青の時代のピカソから始まり、解説から作風の変化とピカソの女性関係の変遷が微妙に絡まり合っていることを知り、人間ピカソを感じ、思いを馳せながら鑑賞することができました。

同じ作者かしら?思うほど作風が変わっていき、まさに芸術家の破壊と創造の苦しみと喜びを感じさせられます。

比較的空いていたので1から4まで何度も見直しましたが、「座る女」が一番のお気に入りです。デフォルメされ、いくつにも切り取られた女の表情が悲しみ、苦悩、怒り、冷静沈着など、見る部分や見る者によってイマージネーションが変化する様にも魅せられ、のめり込んで鑑賞しました。

1.「青い肩かけの女」 パブロ・ピカソ  1902年制作 愛知県美術館

2.「肘かけ椅子の女」 パブロ・ピカソ  1023年制作 富山県美術館

3.「肘かけ椅子で眠る女」 パブロ・ピカソ  1927年  横浜美術館

4.「座る女」  パブロ・ピカソ  1960年  富山県美術館

・・・心を揺さぶる作品に出会えることが出来て、これだけでももう満足でした。

        

    「肘かけ椅子で眠る女」 パブロ・ピカソ  横浜美術館

 

好きなのは上記4作の他に「受難」(ルオー)、「待つ」(マチス)、「山羊を抱く男}(シャガール)・・・

3館所蔵のパウル・クレーの作品が5点並んで展示されていたのも見ごたえがありました。近くに寄って見ると、何重にも塗られた油絵の具の色合いが浮かび上がり、微妙なタッチや美しい調和が感じられる繊細な絵でした。ゆっくり近づけるのもラッキーです。

女性の裸体と遠近法(透視図法)が不思議な雰囲気を醸し出している、ポール・デルヴォーの「こだま(街路の神秘)」(愛知県美術館)、「夜の汽車」(富山県美術館)、「階段」(横浜美術館)の3点が並んで展示されていました。

女性の裸体は陰毛が強調され、違和感を感じながらも目が離せず、強烈な印象と、この世とは違う静寂を感じる中、幻想的な空間が広がっています。不思議な絵でした・・・機会があったら、他の作品も見てみたいです。

他にもご紹介したい作品があるのですが、撮影禁止なので記憶に残っているものが正確かどうか、今一つ自信がありません。

 

「王様の美術館」    ルネ・マグリット  横浜美術館

 

それから強烈な個性を放つ、ルネ・マグリットの「王様の美術館」は横浜美術館の人気の看板作品で、面白い企画があったことを知りました。

「トライアローグ」展開催に向けて、「王様の美術館」の絵に因む物語(400字程度)を募集したそうです。1000を超える応募作品から入選作3点が選ばれ、映像化され上映されていました。

福士 音羽作の「誰も知ることのない物語」という作品を見ました。・・・透明感や透明人間のような神秘的な美しい映像が頭の中で次々と連想される、素敵な物語です。俳優でありダンサーでもある森山未来の朗読とパントマイム(踊り?)も良かったです。短いので、その物語を紹介しましょう。

 

誰も知ることのない話       福士 音羽

王様は今日もひとり、バルコニーへと向かいました。
そこには、黒衣に身を包んだ男が静かに佇んでいます。鬱蒼とした森の中にあるこの城を訪れる者はこの男だけ。最初こそ驚いた王様ですが、今は慣れたものです。

王様が「今日も頼む」と声を掛けました。すると周囲の暗色に同化していた男の姿が透けて、代わりに夜が明けてきた空と、森の中にある美しいお城が浮かんだのです。王様はそれをうっとりと見つめると、満足気にほう、と息をつきます。
「やはり何よりも美しかった、我が城は」
そう言うと今度は悲しそうに溜息をついて、あたりを見回しました。

かつて国一番の美しさを誇った城はもう何百年も人は住んでおらず、今は廃墟となり、灯りの消えた城は常に真っ暗です。王様ももう王様ではなくなっていました。
一人この城にいつまでも残り続ける王様はこうして、男の姿を通して二度と訪れることはない城の夜明けを毎日臨みます。

美しい情景を映すその男を、王様だった幽霊は「王様の美術館」と名付けました。

誰も知ることのない話です。

 

      横浜美術館内のエントランスの広場

 

併設の横浜美術館コレクション展「ヨコハマ・ポリフォニー」もとても楽しみでした。これについては写真がありますので次回にします。(つづく)

 

          横浜美術館コレクション展2020年へつづく

 

 


ヨコハマトリエンナーレ2020・・・(2)アートに触れる

2020年08月18日 | 美術館・博物館

                              「からみあい」

 

(つづき)

見る順番があるのかもしれませんが、思いつくまま記します。

1.エヴァ・ファブレガスの作品「からみあい(Pumping)」

「なに! これ?」と思うポップな巨大アートです。赤、白、ピンク、黄の明るい色調と作品の持つ力強いエネルギーがコロナ禍の抑圧された心に安堵感をもたらします。アルコールで手を消毒して触ってみると、意外としっかりとした素材で出来ていて、空気でパンパンになったゴムまりのような弾力がありました。見る角度によって違う印象のオブジェになり、つい写真をたくさん撮りたくなる作品です(写真自由なのも好いですね)。

できることなら、作品にダイビングして作品とからみあいたい、この中で癒されまどろみたい・・・と。

 

2.映像を使った作品がたくさんありました。

    レボハング・ハンイェ  「今もここにいる」

白と黒のコントラストの映像が不連続に映し出されます。モノクロの活動写真を見ているようなノスタルジックな映像ですが、ある黒人家庭の日常生活を描いているように思いました。記念に・・・と思ってシャッターを押した写真がこれでした。

 

      チェン・ズの作品(作品名 ?)

窓のある壁に映像が映し出されています。壁の向こうにいる観客のシルエットが作品を生き生きと変化のあるものにしています。

 

    サルカ―・ブロティク  「光線」       」

「からみあい」の近くの廊下の壁にスクリーンがあり、気が付かないで通り過ぎてしまう作品です。

黒いスクリーンは何もない空間のようでしたが、光がもたらす映像が次々と映し出され、このような光の捉え方があるのか・・・と思わず見入りました。花火のように消えては現れる映像は儚い、つかの間の生命や物体の輝きを伝えているのでしょうか。

 

3.仕切りのもたらす空間の美

大きな会場は壁、スクリーン、蚊帳のような囲いなどで仕切られていて、その空間が「光と影をとらえて」魅力的な作品となっていました。

 

(作品とそれを見る人々が新たな魅力的な空間(作品)を生み出しています)

 

4.フィギュア/203

2Fの回廊のような廊下にある作品「フィギュア/203」、作者は金地徹平。

壁面いっぱいの抽象画とアクリルケースの中のフィギュアたち。フィギュアには白い石膏が塗られ、わからないなりに惹きつけられました。

実存の否定なのか、次なる変化の過程なのか・・・きっと重苦しいテーマなのだろうと思いながら、フィギュアの軽みが救いとユーモアさえもたらしている。

この作品をお気に入りの1つにしようっと。

 

 

5.作品に込められたメッセージ

終わり近くなり、頭も足も疲れてきた頃、回廊の壁面に砂時計と鍵束が展示されていた。

「砂時計とガラスの鍵束? これも展示品なのかしら?」

 タイスィール・バトニジ  「無題」(上) 「停止した時間」(下)

解説を読んで作品に込められたメッセージを知り、襟を正して、再度作品を拝見しました。

作品解説から・・・

砂はこぼれて、土地を分ける危険な境界線を越える。わたしたちはバリケードを超え、検問所を通過する。鍵を使っていくつもの壁を通り抜ける。

この鍵の束は、バトニジがアンマンから故郷ガザに帰ろうとしてかなわず、パリにたどり着いたときに持っていた11本のカギを複製したものだ。

鍵を持っていても、それを使って空間を獲得したり、その空間内を移動したりできないなら時間は静止する。

砂時計の中を見てごらん。 沈黙してしまった。

 

「ヨコハマトリエンナーレ2020」(現代アートの国際展)は、作品を通して作者のメッセージを伝える場でもあります。

そのメッセージをきちんと受け取るのも、同じ地球に今を生きる者としてとても大切なこと・・・と思いました。

あまりの暑さに「プロット48」(徒歩7分かかる別会場」は残念ながらパスして帰途につきました。  

 

    ヨコハマトリエンナーレ2020・・・(1)へ戻る

 


ヨコハマトリエンナーレ2020・・・(1)エントランス

2020年08月15日 | 美術館・博物館

 「ヨコハマトリエンナーレ2020  AFTERGLOW  光の破片をつかまえる」 

   (2020 7.17ー10.11  横浜美術館、プロット48)

 

家に居て何もしなくても汗が吹き出します。倒れるような暑さ、横浜でも連日猛暑日です

そんなある日、横浜美術館で開催中の「ヨコハマトリエンナーレ2020」へ行きました。

ヨコハマトリエンナーレは3年に1度開催される現代アートの国際展です。

今回のアーティスティック・ディレクターは、ラスク・メディア・コレクティヴ(以下ラスク)と称する、インド出身の3人組のアーティスト(ジーベシュ・バクチ、モニカ・ナルラ、ジュッダブラ・セングプダ)です。

ラスクが発信するたくさんのメッセージの中から次のメッセージを紹介します。

「わからないを楽しむ」 (ガイドのパンフより)

壁には作品解説(注:ラスクの解説、作者のメッセージ、美術館からの鑑賞ヒント?の三部構成)があります。しかし詩のような謎めいた文章で、作品の見方を簡単には教えてくれません。

ラスクはこの「わからない」状態を楽しんでほしいと願っています。この作品はこういうことを言いたいのかな・・・と想像し、連想を広げる--このわくわくをぜひ味わってください。

 

一昨年直島のベネッセ・ミュージアム家プロジェクトで現代アートに遭遇して以来、わからないなりに面白さを楽しむ、自分の中に眠っている感性や五感を刺激したい・・・と関心を持つようになりました。

それに、社中のIさんがこの展示に関わっていることもあって、どのような現代アート国際展が繰り広げられるのか・・・興味津々でした。

コロナ禍なので電車ではなく車でツレと出かけました。

「先生、駐車場から入り口直行ではなく、美術館の正面に廻って大きな作品を先ず見てくださいね」

言われた通り正面の広場へ廻ると、美術館全体が工事中のようにグレイ(黒?)の幕に覆われていました。どうやらこれが作品らしいです。

 

(気が付かなかったけれど・・・写真を見ると、羽を広げた妖(あやかし)みたい!)

 

 

正面から入口へ近づいていくと、それはしっかりとした金属の網のようなもので作られていました。丁度風が強い日だったので、金網のような強く聳え立つカーテンがしなり、風に揺れてかすかな音をたてました。なぜか巨大なハーブを小人のような私が弾いているような錯覚を覚えました。

ヨコハマ名物の浜風にしなって、様々な縞や波模様が浮き出てきて、音をかき鳴らし、妖のように千変万化の不思議なアート作品です。見上げると網状の構造物が幾重にも重なり、光の破片をつかまえて、天へ導くような荘厳な空間を生み出しています。

この壮大なアートの作者はイヴァナ・フランケ、作品名はわかりませんが、勝手に「浜風と妖(あやかし)のエチュード」と名付けました。

この作品は同行のツレにはまったく駄目だったみたいです。遠近感がなくなって気持ちが悪くなってパスしたとか・・・。このように人によって感想が異なるのも面白いところです。

 

 

美術館へ入ると、思わず「綺麗!」と心の中で叫びました。中央の大広場にステキな作品がきらめいていて、どうやら異次元空間に迷い込んだみたい・・・。

作品はニック・ケイヴの「回転する森」。

天井から無数の「ガーデン・ウインド・スピナー」(アメリカの家庭で好まれる庭用の飾り物)が吊るされ、回転したり、留まったり、互いに光を反射したり共鳴し合ったり・・・。初めて体験する夢のような煌めきの世界に圧倒され魅せられました。鏡のような床に光やスピナーが映り込んで、点滅する光には何かを伝えたいという意志を感じます。

 

 「ウ~ン? 涙?」  作者の思いを伝えるオーナメントがあるそうですが・・・

「ガーデン・ウインド・スピナー」の中には作者の思いを伝えるオーナメントがあるそうですが、多すぎてすぐに探すのを諦めました。現世の意識を超えたこの空間にしばし身をゆだね、「ガーデン・ウインド・スピナー」の1展示物のように溶け込んでいたい・・・。

 

作者・ニック・ケイヴのメッセージから

「・・・前略・・・こころ奪われ、目を見張りながら何百というオーナメントの間を歩いていくと、私たちの意識の端に、他にもなにかうつろいやすいものが立ち現れてくる。銃、涙、弾丸、標的。

私たちは、人種隔離、公民権運動、国家による暴力など、数百年に及ぶ衝突の歴史の空間にいる。

現実とは何かを生み出しながら、同時に何かを覆い隠すものなのだ。」

 

    (2Fからみた「回転する森」)

 

エントランスの強烈なシャワーを浴びてから、やっとチケットを渡して入場し、2Fへ向かいました。そこには紹介したい、見てもらいたい作品が次々と展示されています。その時の印象や感想を反芻しながら書いておきたいと思っています。 (つづく)

 

    ヨコハマトリエンナーレ2020・・・(2)へ続く

 


「利休のかたち」展におもふ

2020年01月19日 | 美術館・博物館

     京都の永観堂にて (1月6日撮影)

 

1月10日に、松屋銀座の「利休のかたちー継承されるデザインと心ー」展へツレを誘い出かけました。2人で出かける久しぶりの銀座です。

「東銀座」駅で降りると、来月の歌舞伎座のチケット予約を・・・とすぐに決まり、売り場へ寄ると、なんと上演中の寿・初春大歌舞伎の良席が空いていたのです。早速、某日昼の部のチケットを購入し、松屋銀座へ向かいました。

 

 

以後、感想などというものではなく、勝手な独り言です。

利休形(好み)と称される展示品を見ながら、私の数少ない茶道具の中に多くの「利休形」が含まれていることに改めて気づきました。

例えば、最初に購入した楽茶碗は長次郎「喝喰」の写しです。端正な形、カセタ黒釉薬、ヤットコの跡などがあるお気に入りです。

他にも桐木地丸卓、角棚、木地釣瓶水指、旅箪笥、角不切折敷、黒塗小丸碗、朱塗引き杯、黒塗縁高、黒塗手燭などなど。

どれも木地や漆で黒く塗られたシンプルな印象のものばかりです。

展示もしかり、とても地味で控えめで・・・けれど長い年月を経て伝えらえてきた物の持つ、静謐な美しさに惹きつけられました。

茶道具における「利休形」とは「標準形」という意味ではないだろうか・・・という意見に頷きながらも、それとは違う感情、感覚が身体を駆け抜けていくのを感じます。

・・・それはまるで、道具たちからひそやかに発せられるささやきのようでした。その日はすいていて、ゆっくり展示品を鑑賞できたからかもしれません。

 

〇 赤楽茶碗 銘「白鷺」

  長次郎作 安土桃山時代 16世紀  裏千家今日庵

 2年前の東博でこの茶碗に出逢ってから2度目の出逢いですが、その時の繊細で素朴な印象とは一味違っていました。白鷺を思わせる白い繊細な縦線が前より濃く荒々しく(ライトの当て方のせいか?)、指跡でつけられたという解説を読み、長次郎の息づかいを間近に感じる思いでした。

この茶碗に魅せられて、茶碗の面影を慕って「小鷺」と名付けた白楽茶碗(染谷英明作)を愛用しています。

 

〇 黒楽茶碗 銘「万代屋黒」

  長次郎作 安土桃山時代 16世紀  楽美術館

 長次郎作の黒楽茶碗の中でも好きな茶碗の一つで、この茶碗に逢うと、京都の楽美術館を思い出します。ほの暗く静かな展示室で何度も何度もお逢いしました。

端正な形、静かで厳しい美しさを感じます。時代を経てカセタ黒釉薬がこの茶碗をより美しく魅力的にし、何度見ても見飽きません。主張があるようでもあり、無いようでもあり、使ってみたいです。

〇 湯の釜 

  与次郎作 安土桃山時代 16世紀  武者小路千家官休庵

 釜好きなので、宗易の釜コーナーで釘付けに・・・・。

「湯の釜」は初めてのお出逢いでしたが、大きさと言い、魅力あふれる肩の形と言い、なんておおらかで素敵な釜なのだろう・・・と感動しました。最初に「湯の釜」を観たせいか、「阿弥陀堂釜」や「芦屋霰地真形(尾垂)釜」などがかすんでしまうほどでした。「湯の釜」という、これといった気の利いた名前がないのもゆかしいです。

〇 本手利休斗々屋茶碗

  朝鮮 朝鮮時代 16世紀  藤田美術館

 韓国で山清窯のミン・ヨンギ作の斗々屋茶碗を入手して以来、斗々屋茶碗の古作を見てみたいと思っていました。

この斗々屋茶碗は利休所持と伝わっているそうで、興味深く拝見しました。

斗々屋茶碗にはいろいろ特色があり、見込みが深いものは「本手ととや」、浅いものは「平ととや」と呼ばれています。「本手ととや」には高台がきっちりと削り出されている、釉薬の灰色部分と枇杷色部分がいろいろな景色を織りなすなどの特色があります。

しかし、「本手利休斗々屋茶碗」は釉薬の窯変はほとんど無く枇杷色が強く、高台が低いなど、おおらかで自由な作りになっている。それ故、静かで落ち着いた佇まいであることが利休の目にかなったのではないか・・・と解説にありました。

〇 利休形茶器 十二

  三代中村宗哲作 江戸時代・18世紀  中村家

 表千家七代如心斎が利休形茶器として制定し、三代中村宗哲が作った十二器が展示されていました。薬器、白粉解、下張、スンキリの形と名前が一致せず、茶桶(さつう)と面中次の違いなど、わかっていないことだらけに愕然とし、勉強不足を実感です。

〇 唐物丸壷茶入 利休丸壷

  中国南宋~元時代・13~14世紀  香雪美術館

 今回展示されていませんが、利休所持の大好きな茶入です。香雪美術館で不思議な出逢いがありました。ぜひ、丸壷茶入を見てほしいです。

 

 

「利休のかたち」展を拝見して、道具たちのひそやかなささやきに耳を傾けながら

「利休さんのデザインや心を深く考えながら、お茶事をしてみたい!」・・・とおもふ、懲りない茶事バカがいました(お道具もないのにねぇ~・・・影の声)