暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

喜寿を祝う三渓園茶会・・・(5)蓮華院薄茶席

2022年11月26日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

 

         (さぁ~ 蓮華院の薄茶席へどうぞ)

つづき)

蓮華院が薄茶席で、土間が待合です。

第4席のお客さまを待合へご案内し、扉を閉めました。出来るだけうす暗い中で蓮華院の土間の雰囲気や素晴らしさを味わってほしい・・・と思いました。

        (大好きな蓮華院の待合の土間)

土間の真ん中にそびえる円柱は宇治平等院の翼廊の古材です。繰り抜かれた柱穴、刻まれたしわや木目、時代を経たものが持つ風格に圧倒されます。

壁にはめ込まれたモダンな格子戸も同様に平等院の古材だそうで、太い円柱や格子戸が土間の空間を引き締めて、寺院にいるような静寂と緊張感を醸し出しています。
もう一つ、太い柱の脇に方形の石造物があり、これは五重塔などの屋根の頂に置かれる露台が使われています。

いずれも三溪翁の好みを色濃く感じるもので、蓮華院は三渓翁がご自分の構想に基づいて作った茶室なのです。

 

   (「喫茶来」の御軸、紫野 太玄老師筆)

六畳の広間が薄茶席で、床には「喫茶来」(きっさこ)の御軸、紫野 太玄老師の御筆です。

「さぁ~お茶でもどうぞ召し上がれ」という意味です。

本床の横に琵琶床があります。原三溪翁が茶会を催した際に奈良東大寺三月堂の不空羂索観音が手に持っていた蓮華を飾ったそうで、蓮華院という名前の由来になっています。

 

     (青磁花入・・・元時代・龍泉窯)

この琵琶床に何を飾るか・・いつも難題でして、今度の茶会でもN氏は最後まで悩んだことと思いますが、青磁花入(元時代・龍泉窯)を選びました。

元時代の竜泉窯で造られたそうですが、細く繊細な首や美しいフォルム、唐花や葉のような浮彫がモダンさを感じさせます。とても上品で格調高く、琵琶床に映えている・・・と思いました(てまえ味噌ですみません)。

 

   (ひさごの掛花籠に秋の草花が溢れて・・・)

床柱のひさごの掛花入に秋の花が生けられていました。

尾花、小菊、竜胆、狐のしっぽ草、山芋の蔓、吾亦紅の6種、どの花もお互いを引き立て合ってステキでした。

お花担当のSさんが前日からあれこれ考えて用意して活けてくださったのですが、とても斬新な美しさを感じました(てまえ味噌ですみません)。

蓮華院薄茶席はKTさん、M氏、Iさん、Sさん、Y氏が担当しています。

 

 (風炉先・・屋久杉組子  風炉・・唐銅平丸 藤井宗喜造
   釜・・・筒姥口糸目釜 橋本辰敏造 )

   (棚・・寿棚  水指・・雲錦色絵 福森阿也造)

    薄器・・・吹雪 四君子 一兆作)

第4席のお点前はM氏、後見はIさんでした。

暁庵は用事があり遅れてお席に入ったのですが、すぐに水屋から薄茶が運ばれて来て、美味しい薄茶をたっぷりと頂戴しました。干菓子は柚子琥珀とハローウィンのおひがしの2種(いずれも永楽屋製)、薄茶は金輪(丸久小山園詰)でした。

あいにく末席からM氏のお点前は見えにくかったのですが、安心してM氏にお任せしてお話の輪に加わりました。

Iさんの丁寧な説明が心地よく、濃茶席とは違って私まですっかりくつろいでしまって、まさに「喫茶来」のひと時でした。

茶碗のこと、横浜に窯を築いた真葛香山のこと、蓮華院の変遷など、いろいろ和やかにお話が弾みました。

主茶碗は、御本雲鶴の歌銘「玉帚(たまははき)」です。遠州流・小堀逢露の箱書があり、箱裏に和歌が書かれていて、外函に遠州流茶道12世・小堀宗慶極めがあります。


               初春の  初子(はつね)の今日(けふ)の玉帚
               手にとるからに ゆらぐ玉乃緒               (大伴家持 万葉集)

 

替茶碗は日之出鶴(永楽妙全作)、御本写し 銘「秋の風」(半泥子作)、古楽山焼、「柿の図」(真葛香斎作、鵬雲斎在判)、乾漆・染付山水(吉田華正作)などで、社中の方のお持ち出しです。

薄器と茶杓が拝見に出され、S先生からお尋ねがあり、薄器は吹雪、輪島の一兆作、独楽の中に四君子蒔絵が描かれています。 

こうして蓮華院薄茶席は終わったのですが、いつまでも名残り惜しく、蓮華院の入口でこれから三渓園を散策するというお客さま方を見送り、春草蘆の社中席へ戻りました・・・

 

 

最後に春草蘆広間で社中の皆様とご挨拶を交わし、無事に茶会終了となりました。

お客さま、社中の皆さま、本当にありがとうございました! (この章終わり)

 

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喜寿を祝う三渓園茶会・・・(4)春草蘆濃茶席・第4席

2022年11月20日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

       (火相も湯相もよろしいようで・・・)

つづき)

濃茶席・第4席のことを書いておきます。

第4席の御正客は暁庵がお習いしているS先生、連客はSA奥様、宗瑞和尚、宗誉氏、宗貴さま、宗留さま(詰)で、全部で6名様でした。

S先生はじめ、お一人お一人とご挨拶を交わすと、一層茶会の喜びがいや増してきました。特にSA奥様とはコロナ禍もあり3年ぶりでしょうか、遠く関西からお出ましいただき、本当に有難かったです。お互いに元気で再会できたことがとても嬉しく感激しました・・・。

第1席に続いて待合で、EKさまが「猩々」の仕舞をお祝いに舞ってくださいました。

皆さま、ありがとうございます!

お点前はN氏、後見は暁庵がつとめました。日頃N氏が「この歳になると、なかなか緊張するということが無くなってしまって・・・」と言っていたので、S先生の前でお点前をして頂こう・・・と思いました。N氏もこのような機会はめったにないことと緊張して(?)臨んだのでは・・・と推察しています。

S先生やお客さまにN氏の綺麗なお点前をゆっくり見て頂きたくって、一碗目が出る直前に席へ入りました。それに濃茶ではお正客様に一碗目を飲んでいただくまでお話を控えた方がよろしいように思いましたので・・・。

 

 (午後になると、点前座に光が入りスポットライトのよう)

       (お点前の写真は社中のF氏です・・

「こんなにたくさん・・・一人でよろしいのでしょうか?」とS先生。

実は、茶会直前に濃茶の量を1人4gから5gへ変更しました。濃茶の各服点なので美味しい濃茶をたっぷりと味わっていただきたいと思ったからです。

「お服加減はいかがでしょうか?」とN氏。

「大変結構でございます」(きっとN氏は心から安堵したことでしょう・・・ヨカッタ!

続いて次客様、三客様からは水屋からお持ち出しし、皆さまに濃茶をゆっくり味わっていただきましたが、お服加減はいかがでしたか?

主茶碗(黒楽、一入作、銘「不老門」)と御本三島の2碗を清めてから拝見に回しました。この2碗は暁庵が京都に一時住んでいた時にご縁があった茶碗ですが、なかなかS先生に飲んで見て頂く機会がなく初めてでした。

それで、私も茶碗も喜んでいます。 

 

      黒楽茶碗(一入作) 銘「不老門」

S先生から待合の掛物や床の御軸のお尋ねがありました。

御軸「暁雪満群山」は坐忘斎お家元にお願いする前にS先生にいろいろとアドバイスをいただいたので、今回お目にかけることが出来て本当に良かったです。

このお軸を掛けると、とても清々しい気持になり、いつも襟を正します。

「頑張るように・・・」というお家元の励ましの声が聞こえ来るようです・・・と申し上げました。

茶入のことを書いておきます。茶入は古備前丸壷、小ぶりで侘びていますがかわいらしい茶入です。2碗を点てるのがやっとの大きさなので、三客さまからお持ち出しにしました。

この古備前丸壷は炎によって生み出された景色が魅力的で、小堀大膳宗中(遠州流八代家元)の箱書があり、古歌(古今集)に因んで「かわな草」という銘が付けられています。仕覆は優美な慶長裂です。

茶杓は、淡々斎の御作で銘「幾千代」です。

香合は「六瓢」、作者は西条一斎、「六瓢(むひょう)」は無病息災に通ずとのことで、有難いです。

大正11年4月19日に原三渓翁が催した春草蘆の茶室披きのことを少しだけお話し、しばしその時代の春草蘆に思いを馳せました。

第4席では残念ながら狸は出てきませんでしたが、S先生をはじめ東京教室で顔を合わせている方が多かったので、いつものお稽古のような和やかな雰囲気があり、私もご一緒にお席を心から楽しみました・・・。

この後、皆さまを蓮華院へご案内し、薄茶席に同席させて頂きました。つづく)

 

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喜寿を祝う三渓園茶会・・・(3)春草蘆濃茶席・第1席

2022年11月16日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

    (床に「曉雪満群山」の御軸を掛けました)

つづき)

春草蘆の濃茶席(第1席)へ7名が席入りしました。

三畳台目席ですが、京畳と窓が全部で9つあるので、思ったより広く感じると思います。それでもとても暗いです。

床(台目)には「暁雪満群山」(ぎょうせつぐんざんにみつ)の御軸、坐忘斎お家元の御筆です。

令和3年4月に教授を拝受した記念に坐忘斎お家元に書いていただいた書です。三渓園茶会でS先生はじめ皆様にお披露目が出来て一安心しました。

暁の陽光が山の頂の雪を茜色に染めはじめ、次第に群山まで普く照らし、どの山も美しく輝き始める・・・雄大な暁の雪山の景が目の前に現われて来る書です。・・・そして、「あなたの茶の道を頑張りなさい」という励ましの声が聞こえるようでした。

 

           (点前座の設え)

点前座にはやつれ風炉、N氏奮闘の藁灰が敷かれ、釜は真形羽落浜松文(喜多庄兵衛)です。水指は古丹波の種壷(大徳寺十代管長・森山歓渓師花押)、そしてその前に茶入(古備前丸壺茶入、小堀大膳宗中箱書 銘「かわな草」)が莊られています。

第1席で心配でしたが、火相も湯相もよろしいようで安堵しました(ふっ~!)

Aさんのお点前が始まりました。落ち着いて袱紗捌きも美しくお点前に集中していらして、嬉しく拝見しました。客一同はきっと自分がお点前をしているような気持で拝見したと思います。

ちょうどその時、一匹の狸が現われて春草蘆の前に座ってこちらを見ているではありませんか。

お点前中でしたが、「狸がそこに座って、ご一緒しています」とご紹介しました。

 

     (狸もうっとりと、お点前に見惚れたのかな?)

濃茶が練られ、黒楽茶碗(一入作、藪内流7代桂陰斎の銘「不老門」)で香り高くよく練られた濃茶を頂戴しました。濃さも丁度好く、まろやかな濃茶が喉を潤し、内心「狸もきっと飲みたいでしょうね」と思いました。

次茶碗(御本三島)で濃茶が練られ、次客ルースさんが頂き、次々と替茶碗で全員が濃茶を味わいました。濃茶は「松花の昔」(坐忘斎家元好み、丸久小山園)です。

10時を過ぎた春草蘆には点前座左横の窓から陽光が差し込んで、畳が走水のように美しく輝いています。そんな光線の妙を楽しみながら、狸も加わった一座建立の春草蘆・濃茶席はとても思い出に残るものとなりました。

もう一つ、夏に下見に来たときのことを思い出しました。春草蘆は長い事閉め切ったままだったせいか、夏だというのにひんやりと、空気が重苦しく、とても寂しい印象でした。

でも今、喜寿を祝ってくださるお客さまやスタッフを迎えて、なんと!茶席が和やかで温かく、キラキラと輝いているのだろう・・・と。春草蘆が喜んでくれているようでとても嬉しかったです。

 

  (春草蘆)

          夏は 涼しく
   風が 窓から窓へ
   戯れながら吹き抜けて
   季節の匂いを運んだことでしょう。

   冬は 小間ゆえ温かく
   障子に差し込む淡い光は、
   色や影のうつろいを
   朝な夕なに映したことでしょう。

後見のN氏がお道具の説明をしてくださいました。

第1席では替茶碗のことを書いておきます。各服点なので三客様からは水屋からお出ししました。三客様から赤楽・光悦乙御前写し(香野壮明作)、次いで萩焼(十一代三輪休雪作)、黒楽(十一代慶入作、数印)、朝鮮唐津、古唐津(玄々斎の銘「鳴海」)です。

ご挨拶が終わり、床、点前座などをじっくり拝見して頂き、半東NYさんが蓮華院の薄茶席へご案内しました。(つづく)

 

   喜寿を祝う三渓園茶会・・(4)春草蘆濃茶席・第4席へ  (1)へ  (2)へ  (5)へ

 

 


喜寿を祝う三渓園茶会・・・(2)春草蘆広間にて

2022年11月11日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

        

つづき)

春草蘆の入口で半東のNYさんが出迎えてくださり、広間(春草蘆に付随する8畳)へ入りました。

広間の床には古筆の百人一首切が掛けられていました。和歌は三首、二条中納言為相(冷泉為相)の御筆です。

  おほけなく うき世の民に おほふかな わが立つ杣に 墨染めの袖

  花さそふ 嵐の庭の 雪ならで ふりゆくものは わが身なりけり

  来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに やくや藻塩の 身もこがれつつ 

 

           (古筆「百人一首切」)

最後の「来ぬ人を・・・」の和歌は百人一首を選定した藤原定家の作で、定家は筆者の冷泉為相の祖父にあたります。為相の母は「十六夜日記」の作者の阿仏尼です。

また、三渓園に春草蘆を移築した原三渓翁は4歳にして百人一首をそらんじていたというエピソードがあり、きっと三渓翁も喜んでくださったことでしょう。

秋の名残りの花が7種(ススキ、シュウメイ菊、ホトトギス、木槿、秋海棠、水引など)、宗全籠に生けられていました。

      (名残りの花がいっぱい宗全籠に生けられています)

広間で第1席のお客さま(ルースさま、EKさま、宗弥さま、宗里さま、宗敦さま、宗優氏)に正客として同席させて頂きますことをご挨拶しました。

主菓子の銘「山づと」(栗きんとん)を頂戴しました。ご近所さんの石井菓子舗(横浜市旭区都岡)が茶会のために特別に創ってくださったのですが、栗の風味が生かされてとても美味しかったです(アリガトウ!)。

 

 

(主菓子「山づと」(石井製))

その後に金剛流をお習いのEKさまが暁庵の喜寿を祝って「猩々」を舞ってくださいました。それも生のお謡いで・・・。S先生の東京教室でご一緒にお習いしている宗優氏が即興で「猩々」を謡ってくださったのです。

以下にEKさまからのメールの一部を記します。

 EKさまから 

暁庵先生へのお祝いの気持ちを表現するのに、やはりこういった余興もいいかなと思いまして、お見苦しいかもしれませんが、頑張りたいと思います。

「猩々」は祝言の曲なので、京都でも自宅で宴会をするときは(私が子供の頃は一般家庭でも結婚式や葬式、結納、誕生祝などで宴会してました)、よく「猩々」を謡って舞ってました。

 

   (茶会後の旅で出会った能画「猩々」・・・椿寿莊(新潟県田上町))

仕舞の謡は以下に書きました。酒は菊の水、尽きせぬ命の泉ですから飲めば飲むほど酔うことなく不老長寿となります。喜寿にふさわしいかなと。短いし・・(笑)。以下に謡を書いておきます。

  よも尽きじ。萬代までの竹の葉の酒。酌めども尽きず。飲めども変わらぬ秋の夜の盃。

       影も傾く入り江に枯れ立つ。足もとはよろよろと。酔いに臥したる枕の夢の。

       覚むると思えば泉はそのまま。尽きせぬ宿こそ。めでたけれ

 

第1席のお客さまだけでなく、スタッフの方もご一緒にEKさんと宗優氏のコラボの仕舞に見惚れました。なんか胸の奥が熱くなってきました・・・

仕舞のEKさんも謡の宗優氏も本当に凄い!です。

お祝いの席を盛り上げてくださったお二人のお気持ちがとても嬉しかった!し、これで不老長寿も間違いなし・・・かな?(つづく)

 

     喜寿を祝う三渓園茶会・・・(3)へつづく  (1)へ   (4)へ  (5)へ

 


喜寿を祝う三渓園茶会・・・(1)

2022年11月09日 | 茶事・茶会(2015年~自会記録)

       三渓園の春草蘆(蓮華院と共に大好きな茶席です)

 

10月29日(土)、三渓園(横浜市中区)で「喜寿を祝う三渓園茶会」が開催されました。

この茶会は暁庵の喜寿を祝って社中の方が主催してくださいましたので、暁庵は主賓(?)兼スタッフ遊軍として参席しています。それで、どのように記したらよろしいのか・・・ちょっと難しいのですが・・・まあまあ、深く考えずに書くことにします。

主客一同の祈りの甲斐あってその日は晴天でした(内心、晴れたならば99%大成功間違いなし・・と、もう感謝です)。

三渓園(国指定名勝)の春草蘆(重要文化財)が濃茶席、蓮華院が薄茶席、待春軒が点心席です。

1席約6名さまで4席、総勢24名のお客様がお祝いに馳せ参じてくださいました。他にもう1席、社中席を設けました。

お目だるいことですが、茶会支度から記しておきます。

 

     鎌倉時代の四方仏の蹲 (春草蘆にて)

朝7時30分にN氏の迎えの車に乗り、駅近くでKTさんとY氏をピックアップすると、大きな車ですが茶会用の荷物と人でぎっしりです。

特に風炉2つは灰形(ひとつは藁灰仕様)を壊さないように、他にも主菓子の箱をそれぞれが抱きかかえています。三渓園は茶会準備のための開門は8時30分、9時30分から1席目が始まるので、間に合うように湯を満タンにした電気ポット2つとポット1つを持ち込みました。

8時半に開門し、蓮華院裏手の駐車場へ4台の車が入りました。先ずは濃茶席の道具を全員で春草蘆へ運び込みます。事務所から下火の入った七輪を春草蘆へ運び、火を熾し、風炉の火を調え、湯を沸かします。

広間では掛け軸や花の準備(花は活けたままで運び込みました)、水屋では箱から茶碗を出してならべ、抹茶を濾して茶入に入れ、菓子の準備が進んでいます。

 

       (緋傘が目印の蓮華院の受付)

本席の準備は濃茶席担当(N氏、NYさん、T氏、Aさん、F氏)にお任せして蓮華院入口の受付へ急ぎました

受付担当のY氏と一緒に受付の準備をし、調え終わったところに第1席のお客さまが到着です(ふぅ~!!なんとか間に合った・・・)。

皆さま、溢れる笑顔で口々に「本日はおめでとうございます! お天気で良かったですね」と言ってくださり、嬉しかったです・・・。

Y氏と笑顔でお出迎えし、ご一緒に春草蘆の第1席へ向かいました。

 

      (春草蘆への道・・・春草蘆の広間が待合です)

・・・慌ただしい事でしたが、これからは優雅な(?)茶席になりますので、ご勘弁ください。(つづく)

      

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