暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

京の節分(1) お化け

2013年01月30日 | 京暮らし 年中行事
もうじき節分(2月3日)ですね。

「京都市左京区に住んでいます」と言ったら、
「節分のときには忙しい(騒々しい?)処ですね」
とある人に言われました。
調べてみると、近くの神社や寺院で節分行事が目白押しです
吉田神社、熊野神社、聖護院門跡、須賀神社、平安神宮、廬山寺など。
改めて京の人々が節分をどのように迎えているのか、興味を持ちました。

関東でも節分に寺社や家で豆まきをし、「鬼は外 福は内」
鬼(厄)を追い払い、福を家内へ呼び込みます。
そして、歳の数(または一粒多く)の豆を食べ、無病息災を願います。

             
                  豆政の「福の豆}  

節分は春夏秋冬の季節を分け合う時に四回ありますが、
今は冬と春を分けるときだけ節分と呼んでいます。
旧暦では立春が1月1日(立春正月)になることを前提にしているので、
節分は大晦日、目出度く正月を迎えるために厄祓いが盛大に行われます。

なぜなら、方位神が居場所を変えるなど、
古い年から新しい年へと変化する不安定な時季で、この様な時季には、
福をもたらす年神さまが異界からやってくる反面、
危害や厄災をもたらす鬼もやってくると信じられていたのです。

            
                   迫力満点の鬼

節分行事の中には時代に合わなくなって、無くなりつつあるものもあります。
「お化け(オバケ)」もその一つですが、
私にとって思い出深く、興味のある節分行事です。

その昔、女性が日本髪を結っていた頃、節分の夜だけ、
小さな女の子が娘の髪型の桃割れにしたり、娘が人妻が結う丸髷に、
老女が成人女性の島田髷にしたりしました。
少女は早く娘に、娘は奥さんに、老女は若返りを願って・・・。
また、いつもと違う衣裳を着て変装することもあるそうです。
老女が振袖を着たり、女装、男装をすることが許される特別な日でした。
それで、「お化け」と言います。

            
                 歌舞伎 「三人吉三」
   
     「お化け」を少女の昔に、一度だけ見たことがあります。
     お嬢吉三に扮した芸者さんでした。
     大振袖の黒い着物を片袖脱いで、紅い長じゅばんをちらつかせ、
     紅い手柄を振り乱した日本髪(島田髷だと思う)のカツラは
     たしか・・・反対にかぶっていたような・・・チントンシャン

     「月も朧に 白魚の 
      篝(かがり)も霞(かす)む 春の空
      ・・・(中略)・・・
      ほんに今夜は 節分か
      西の海より 川の中
      落ちた夜鷹は 厄落とし
      豆だくさんに 一文の
      銭と違って 金包み
      こいつぁ春から 縁起がいいわえ」

     ・・・なんて口ずさみながら、袂を翻してシナをつくり、
     目を丸くした私の前を通りすぎて行った、粋な「お化け」・・・
     遠い昔の一瞬が何十年ぶりかに鮮やかに蘇えってきました。 
                                      

            
                 熊野神社のムクの大木

「お化け」は「普段と違う姿」をすることによって、
節分の夜に暴れまわる鬼をやり過ごすためです。
江戸時代より昭和にかけて京都を中心に行われていましたが、
太平洋戦争後に急速に衰え、今では京都祇園や大阪北新地など花柳界に
残るだけになってしまいました。

祇園で、2月3日の夜に運が良ければ(幼き日の私のように)
「お化け」に出会えるかも・・・。
私もあの「お化け」さんにもう一度逢いたい!

                                  

          京の節分(2)へつづく

                        
 追伸) 京都おばけ祭り(2013年2月1日~4日)があるそうです。
     興味ある人はクリックしてね。



寒中自主稽古  菓子五種

2013年01月27日 | 自主稽古(京都編)&奥の細道会
ぶるっぶるっ~う、お寒いですね。

寒中のある日、自主稽古をしました。
朝から雪がちらつく中、茶友がすてきな着物でいらして、
寒稽古にお付き合いくださいました。(ありがとう!)

科目は相伝の内、真之行、大円之草です。
最初に真之炭手前をさせて頂こうと用意していると、
湿し灰が足りないことに気が付きました。
湿し灰を撒くところは重要なポイントの一つです。
なるべく省略なしでしたかったので真之炭は次回へ。

               

主科目が大円之草なので、菓子を五種としました。
Yさんが主菓子2種、「花びら餅」と「咲き分け」(きんとん)を買いに
聚洸さんへ足を運んでくれました。
他の3種は自宅にあるもの、海老芋の煮物、蒟蒻ピリカラ煮、干し柿です。
それらを縁高に盛りつけてみました。

挨拶のあと、縁高を持ち出してから、末座でご一緒しました。
聚洸製の花びら餅は、
京都ではじめて出合うことができた花びら餅(川端道喜、末富、老松製)とは
異なる触感と味わいで、うまく表現できませんが、とても美味しかったです。
また、食べてみたいな・・・と思っています。

             
                 暮に頂戴した、川端道喜の「試餅」

最初に、真之行台子点前をさせて頂きました。
・・・大失敗(中仕舞を忘れてやり直し)もありましたが、
茶友に助けられて、今年初の自主稽古で真之行を修することができました。
いつもすっきりしないふくみ帛紗ですが、
きれいな畳み方を教えてくださって・・・うれしいです。

             

続いて、YさんとSさんが大円之草をいたしました。
実は、暁庵は大円之草が苦手かも・・・
というほど回数多く稽古していませんが。
大円之草は唐物茶入、和物茶入、天目茶碗、天目台、大円盆など
すべての扱いが入っているため、複雑で、修練として奥深いのですが、
なんせ、長い!・・・集中力が続かず、敬遠気味でした。

お二人の大円之草を拝見して、順番や違いを整理でき、
きれいな所作に刺激を頂いたので、
「次回はすらすらできるようになりたい・・・」
と今は思っています。

                              

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初弘法さん

2013年01月25日 | 京暮らし 年中行事
1月21日は初弘法さん、
6日のガラクタ・手づくり市に続いて東寺(教王護国寺)へ繰り出しました。

弘法大師空海の命日(旧3月21日)に因んで毎月21日に
東寺で行われる縁日の中、年頭の縁日(市)を初弘法と言います。
その昔、お詣りに集まる人々を目当てに市が立ったのでしょうが、
昨今は逆転気味と思うのは私だけでしょうか?

              

11時ごろバス停へ着くと、そこから凄い人でした。
観光バスが何台も止まっていて、遠くからも1年の無事息災を願い、
お大師様へお詣りにいらしてました。
境内に入ると、お遍路さん、お坊さま、遍路用品を売る店に会い、
弘法さんの本来の意味や四国遍路の日々を懐かしく思い出させてくれます。
見物の途中、二人揃って本堂でお詣りしました。

初弘法の出店は数も多く、いつも以上に賑やかで活気に溢れています。
特にお目当ての物がないので、どんな出会いが待っているのか、
それも楽しみです。

骨董品、古道具、着物や古裂、アクセサリー・縮緬細工の手づくり品、
植木、竹製品、陶器、漬物・乾物の食料品、うどん・たこ焼・・・など。
他の市では見れない店を探して飛び込んだり・・・。

              

衝立、小箪笥など指物細工の出店がありました。
製品だけでなく木切れもいろいろ並べてあって、そこで足が止まりました。
古い板木の出物を長年探していたのですが、ご縁がありませんでした。

「この木、板木にどうかしら?」
「欅なので重いですが、堅いので良い音がでますよ」
「少し重いけれど・・・これをくださいな」
「初弘法さんなのでおまけしましょう (アリガトウ!)」
見始めてすぐの買い物だったので、帰りまで預かってもらいました。

その場で名前を彫ってくれるというので、若狭塗のお対の箸を買いました。
金粉を塗りこんだ箸は縁起が良さそうです。

              

茶道具や骨董品の店にはついつい寄ってしまいます。
古伊万里風の皿が目に留まりました。
いったん、あきらめて隣りの店を覗いていたら、
外国人のご夫婦がその皿を手に取って見定めています。
そのご夫婦は購入を見合わせて(たぶん値段を聞かずに)店を離れました。

それで、思い切って値段を尋ねると、
「○○円です。手書きなのでお買い得ですよ」
値段が手ごろなことと、何故か、その皿を外国へ行かせたくなくって、
私の手元に置くことになりました。

ささやかな買い物に満足し、幸せな気持ちで帰途につきました。
「早速、2月のお茶事にどうかしら?
 何を乗せたら映えるかな?」
手書きの皿を眺めたり、欅の板を打ちながら、至福のひととき・・・。

                               


上田宗箇流(和風堂)の初釜-2

2013年01月22日 | 献茶式&茶会  京都編
「建渓」(鎖の間)へ入ると、一瞬、懐かしさを覚えました。
昨年1月の「上田宗箇 武将茶人の世界展」の会場に復元され、
興味を掻き立てられた「鎖の間」が再び目の前に現れたのです。

                                         
                     「建渓」(鎖の間)

あの時のように釣り釜が掛けられていました。
釜は四方筒形、すっきりした形が好ましく、西村九兵衛造です。
鐶、弦、鎖がいずれも繊細で美しく、
釣り釜とともに鎖の間の空間を見事に演出しています。

細鐶は上田家伝来で、桃山から江戸初期に作られたもの、
銀象嵌の弦は大西浄久造、、
象嵌石帯の鎖は江戸時代(十七世紀)のものとか・・・。
上段の間の書院棚に飾られた文具類(唐物)もステキでした。

次の間の床には双幅の鶴の絵が掛けられ、
ダイナミックに葉をくねらせた万年青(おもと)が生けられていました。
お目出度い席に万年青を生けることはよくあるそうですが、
初めて拝見しました。

              
             (万年青・・・帰りに広島駅コーナーで)

白木の袋棚(志野棚とも)に銅蟲(どうちゅう)の水指が置かれ、
同じく銅蟲の菓子器に入った干菓子を頂戴しました。

薄茶は大福茶です。
興味津々、拝見すると、
白木の台(三宝?)の上に皿と箸が置かれ、
皿には梅干(小梅)、黒豆、山椒の粉が乗っています。
薄茶を点てたのち、梅干、山椒の粉をつけた黒豆が入れられました。

梅干は「しわしわになるまで」から「長寿」
黒豆は「まめまめしく」から「勤勉」、
山椒の粉は「苦味健胃薬で身体によい」ことから「健康」、
この三つを祈念した大福茶とのことでした。
たっぷり頂戴しましたので、今年は佳いことがありそうな・・・。

             
             (目出度い! めでたい!)

大福茶の後は長い廊橋を渡って、御社としだれ桜に面した座敷で
祝膳と一献を頂戴しました。
春日大社のかわいい鹿のおみくじ、恒例の福引など、楽しい行事が満載で、
おみくじは「小吉」、福引は「はずれ」でしたが、愉しゅうございました。

Sさま、いろいろお世話になり、ありがとうございました!
大福茶は我が家・灑雪庵でも応用してみたい・・・と思っています。

    初春を寿ぐ席の大福茶
       小梅 黒豆 サンショウの粉     暁庵

                                

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上田宗箇流(和風堂)の初釜-1

2013年01月20日 | 献茶式&茶会  京都編
              和風堂 (手前が冠木門、向こうが長屋門)

1月15日、広島の上田宗箇流お家元の初釜へ伺いました。

京都から朝8時30分発の新幹線へ乗り、広島駅へ着くと、
上田宗箇流社中のSさまが笑顔で出迎えてくださいました。
西広島まで電車に乗り、そこからはタクシーでした。

ちょうど1年前、銀座松屋会場で開催された
「上田宗箇 武将茶人の世界展」を回覧して以来、
宗箇が茶の湯を極めたという広島の地・和風堂を訪ねてみたい・・・
と思い、Sさまに初釜相伴をお願いしました。

和風堂は、浅野家から1万7千石で召し抱えられた宗箇にふさわしい、
城郭を思わせる佇まいです。
冠木門をくぐり、ぞうりに履き替えて、受付の長屋門へ進みました。
11時の席入でした。
順次、脇の潜り戸から外腰掛のある露地へ入ると、
敷松葉が敷かれ、石組と織りなす見事な造形を愉しみながら
中潜り、内露地へと足を運ぶと、茅葺屋根の風流な茶室がありました。

              
               四畳大目の茶室「遠鐘」
 

丸い扁額に「遠鐘(えんしょう)」と書かれています。
三玄院の藤井誠堂和尚筆だそうです。
にじり口のある側の片屋根が大きく軒のようになって、風雨を凌げそう、
嬉しいことに風情のある突き上げ窓も見て取れました。
あの茶室で宗箇さまはどんな茶事をなさったのかしら?

「遠鐘」を見過ごして、奥の敬慎斎へ席入しました。
床の掛物は、
「遥題和風楼(遥ニ和風楼ニ題ス)
 西海蒼々処、翼・・・」と続き、九条尚実の書です。
九条家、藩主浅野家、上田家7代当主は縁戚関係にあったため・・・
と、あとでSさまが教えてくださいました。

点前座隅の柱には、柳と紅白の椿が竹花入に生けられています。
真塗の台子、呉須が鮮やかな染付の水指(明朝、芙蓉手)、
湯気が立ち上る釜は上田家伝来・野溝釜(浄味造)です。
温かく包み込むような存在感、手長猿が鋳込まれた胴、熨斗のカン、
古武士を思わせる蓋と掻き立て、思わず胸がときめきました・・・。

              
                     広間「敬慎斎」

足付縁高に入った主菓子「猩々」が運ばれ、
16代家元・上田宗冏 (そうけい )氏のお点前が始まりました。

武家流なので帛紗は右につけ、槍を立てるように柄杓を構える所作は、
槍の名手であった流祖・上田宗箇を彷彿させます。
点前を拝見するのは二度目ですが、右ひざ上の袱紗捌き、畳につく手など
独特の所作があり、惹きこまれるように拝見しました。
お家元は泰然自若、とてもおだやかな気を感じる濃茶席でした。

主茶碗は熊川、替は白鹿が描かれている赤膚焼、
茶入は織部肩衝、仕覆は江戸時代の裂地で仕立て直されたとか。
書院棚には蟻腰の高い宗箇作・茶杓「ほまれ」が荘られていました。

上田家伝来だけでなく新旧の茶道具も魅力的でしたが、
正客と次客は浅野家ゆかりの寺院の和尚様方というのも
和風堂らしい緊張と寛解が相和す初釜・濃茶席だったように思います。
そして何よりも、お家元自ら濃茶を練り、客は一碗をともにし、歓談する
・・・という光景が好ましく、うらやましく思いました。

次に、薄茶席の「建渓」(鎖の間)へ移動し、大福茶です。

                                     

        上田宗箇流(和風堂)の初釜-2 へ続く