暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

「洛南の秋の茶事」を終えて・・・(2)

2022年10月31日 | 社中の茶事(2018年~)

           (桂籠に秋の草花が溢れて・・・)

 

つづき)

昼食を終え、菓子が出されました。

菓子銘は「さわもみじ」、洛南・山崎の地は桂川・宇治川・木津川が合流し淀川になる三川合流地帯で、秋になると赤や黄の紅葉が三川の沢を美しく彩るそうです。Sさんはそんな情景をお伝えして、ご近所の菓子屋「雅炉(がろ)」(横浜市保土ヶ谷区)に特注して創ってもらいました。

          菓子銘「さわもみじ」  

      (天王山・旗立松展望台からの景色)

中立の後、銅鑼で後座の席入りです。

床に秋の草花が溢れています・・・ススキ、照葉、吾亦紅、薔薇の実、シュウメイ菊、菊、リンドウ。

床の花をご覧になってハッとしてため息をつかれた方もいらしたと伺い、ご亭主は嬉しかったことでしょう。

お点前が閑かに始まり、濃茶が2服練られ、正客N氏と次客NYさまに出されました。三客F氏、四客Y氏、詰Iさまは水屋からお出ししました。

「お服加減はいかがでしょうか?」

茶銘は「天王山」(山政小山園)、本能寺の変ののち、豊臣秀吉と明智光秀の天下分け目の合戦の地であった山崎の天王山に因んでいます。

茶事の主眼は濃茶なので、いつもどきどきしながら濃茶を見守り、応援しています・・・。

主茶碗は妙喜庵の銘のある、思い出深い赤楽茶碗です。お替えの4碗は黒楽、白楽(加藤石春造)、吉向焼(吉向松月七世造)、呉器御本(加藤錦雄造)でした。

 

拝見で出された茶入は丹波焼の肩衝(市野信水造)、仕覆は鶴ヶ岡間道です。こちらはSさんの生まれ育った兵庫県を丹波焼に、現住の地への思いを鶴ヶ岡間道に込めたそうです。

茶杓は高桐院・松長剛山和尚の御作で、銘「花の宿」でした。

 

 (干菓子の「藤袴」と「花ごころ」、菓子器は輪島塗溜塗蒔絵の久利喜鉢)

 後炭を省略し、薄茶になりました。

薄茶になってやっと緊張が解けてきたようで、茶席から大きな笑い声が聞こえてきて水屋でホッとしました。

薄茶の茶碗は、主茶碗が赤膚焼( 古瀬尭三作)、替え茶碗は 萩焼(喜村晧司作)、絵唐津(中里清和作)、京焼・栗絵(中村良二作)、京焼・撫子絵(橋本紫雲作)です。

薄茶は「式部の昔」(山政小山園詰)です。

お干菓子は2種、源氏香「藤袴」(会津葵製)と「おぼろ種花ごころ」(京下鴨・宝泉堂製)を輪島塗溜塗蒔絵の久利喜鉢に盛りました。こちらにも花好きのSさんらしいこだわりが感じられます。

薄器は和紙貼大棗(石井鳳凰造)、一見和紙貼で地味なのですが、蓋を開けると秋の草花が見事に描かれていて、とても趣も奥も深い棗でした。

終わりのご挨拶の後、見送りをし、Sさんの心を込めたお茶事が楽しく無事に終了しました。

全部はご紹介できませんでしたが、お道具のほとんどはSさんが時間を掛けて捜したもので、それだけでもこのお茶事に掛ける熱意が伝わってまいりましたが、きっと愉しい時間だったのでは・・・と推察しています。

暁庵は水屋であれこれ想像するだけですが、次回はぜひ席中でSさんのステキなお話を伺いたい・・・と思っています。

どうぞまたお茶事を存分になさってください。楽しみにしておりますし応援できれば嬉しいです・・・

 

 

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「洛南の秋の茶事」を終えて・・・(1)

2022年10月28日 | 社中の茶事(2018年~)

 

10月9日(日)は社中Sさんの正午の茶事が我が家で行われました。

Sさんにとって初めての茶事です。

Sさんはだいぶ前から時間をかけて茶事の内容(茶事の種類、日時、お客様、テーマ、道具組など)を考え、少しずつ具体的にしていきました。

開催は10月半ば、花が大好きなことから「秋の七草」をテーマに考えていましたが、関西(洛南)に住まいしていた頃の思い出に満ちた「洛南の秋」にテーマが変わりました。それは、Sさんが出逢ったお道具とのご縁が大きかったかもしれません・・・。

Sさんの想いをどのように表現しお客さまへ伝えるのか、一見難しそうですが、とても丁寧にお伝えできたように思います。

そして、何よりもお客さま一人一人をおもてなししたいという気持ちのこもった茶事になりました。

お客さまは、正客N氏、次客NYさま、三客Y氏、四客F氏、詰Iさまで、全員が社中の方です。

半東はAYさんが大活躍、暁庵は水屋でうろうろし一応手伝ったつもりでいます・・・

 

席入は11時半。板木が打たれ、半東Aさんが白湯をお持ち出ししました。

待合の掛物は短冊、近衛信尹筆の和歌が書かれています。

  永らえば 又この秋も めづらめと 思えば空の月もなつかし  

 

 

久しぶりの秋晴れになり、腰掛待合でしばしお待ちいただき、蹲をつかって席入りです。

亭主が迎え付けの間に、半東Aさんが濡れ釜を風炉に掛けました。

点前座には、唐銅道安風炉(一ノ瀬宗和造)に糸目桐文車軸釜(長野 新造)が掛けられ、竹風炉先屏風(竹峰作)が設えています。竹風炉先屏風は、かつて住んだ洛南・山崎の地には竹林が多く、その雰囲気を出したかったそうです。

棚は寿棚、高取焼の水指(十三代高取八仙造)、天板に羽帚と香合が莊られています。

 

お客様お一人お一人と親しく挨拶が交わされました。

Sさんはとても緊張したと思いますが、お客さまもきっとご亭主の緊張を自分のものとし、やさしく受け止めてくださったことでしょう。

床の掛物は、紫野 三玄院の長谷川寛州和尚の御筆で

   弄花香満衣 (花を弄すれば かおり衣に満つ)

 

初炭が始まりました。

香合は、待庵古材四方香合(不賢斎造)です。香は沈香(松栄堂)です。

或る茶道具展示会でこの香合と出逢ったことが今回の茶事のテーマ「洛南の秋」へ結びついたそうです。Sさんにとって洛南・山崎での暮らしぶりや四季の思い出が待庵の古材を使った香合から鮮やかに蘇ってきたことでしょう。

待庵(国宝)は、羽柴(豊臣)秀吉が山崎城築城に際し、堺から呼び寄せた利休が、大山崎在住中に建てたといわれる小間の茶室です。

羽柴(豊臣)秀吉は明智光秀との天下分け目の天王山の合戦(山崎合戦)に勝利した後、天王山に山崎城を築き、本拠地として半年間ほど住み、千利休を招いて城下に二畳の茶室を作らせたと言われています。
茶室はその後解体され、慶長年代(1596~1615)に妙喜庵(みょうきあん、京都府乙訓郡大山崎町)に移されたそうです。

 

      京都府乙訓郡大山崎町にある妙喜庵(みょうきあん)

待庵

       妙喜庵にある国宝の茶室「待庵(たいあん)」

初炭が終わり、先ほどの待合へ動座して頂き、そちらで昼食をお出ししました。

昼食は懐石ではなく、松花堂弁当(温石製)、汁、吸物、お酒をお出ししました。

選んだお酒は京都伏見の「澤屋まつもと 守破離」(松本酒造)、「とても美味しいお酒でした・・・」と好評でした。(つづく)

      

     「洛南の秋の茶事」を終えて・・・(2)へつづく

 

 


追分・矢指市民の森の花畑

2022年10月23日 | 暮らし

         (突然、視界が開け、お花畑が・・・)

 

10月に入り、天候不順でなかなか天気の日がありません。

10月29日(土)の茶会の日が晴れますように・・・と毎日お祈りしています。

10月22日(金)はとても良い天気になり、久しぶりに追分・矢指市民の森まで遠出の散歩へ出掛けました。追分・矢指市民の森は「金蘭&銀蘭探検隊」以来、半年ぶりです。

 

   (トンビ凧が稲架(はさ)掛けに群がる鳥を追い払っています)   

  (クヌギ通りの散歩道・・・矢指市民の森にて)

クヌギ通りの林間を歩いていると、突然に視界が開け、花畑が現われました。

「この森には花が無いわねぇ~」と話していたところだったので、もうびっくり。

 

そういえば、追分・矢指市民の森のコスモスは秋の風物詩でしたが、コロナの蔓延でここ数年花畑はお休みだったのです。

とても嬉しいコスモス満開の花畑との再会でした。

谷戸の奥にあるベンチに陣取り、途中のコンビニで買い込んだおにぎり、スパイシーチキン、野菜ジュースでランチしました。

これから当分散歩ランチが楽しめそうです。 

 

 


 飯台の茶事・・・(2)

2022年10月17日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

     (飯台に運び出された箸をのせた両碗、上から利休箸、飯椀、汁椀)

 

「飯台の茶事」とは、懐石で折敷の代わりに「飯台」という机を使うことから名付けられています。

禅寺の僧侶が食事を頂く形式(食礼)を基にしていることから、料理は精進、お替わりの飯器や汁替えはなく、従来の懐石に比べ簡素になっています。

書き忘れましたが、膝が悪い暁庵のために茶室には最初から台と椅子が3組置かれていて、この台が飯台として使われました。

ご亭主が晒ふきんで飯台を浄め、箸をのせた両碗を盆にのせて運び出します。

箸をのせた両碗とは、飯椀に物相の飯をたっぷり盛って蓋をします。蓋を裏返してかぶせた汁椀の上に飯椀を重ね、飯椀の蓋の上に湿らせた利休箸をのせます。お代わりの飯器を出さないので、飯はたっぷり盛ります。(正客M氏のために特別にお代わりを用意してくださいました・・・)

両碗が運び出されると、「どうぞお箸のお取り上げを」の挨拶がありました。

たっぷりの汁が入った鉄瓶(金色に代わり)と練り辛子の入った小鉢が出され、正客に預けます。客が順次、汁椀に汁を盛ると、下座に小さな台を置き、そこに鉄瓶と小鉢が置かれました。汁のお代わりは何度でもよく、セルフサービスです。

それからが大変、亭主の労を軽減する簡素な茶事と伺っていたのですが、料理上手のご亭主は美味しい料理を次々と出してくださり、客一同は感激しながら頂きました。

日が経って記憶はおぼろとなり、詳しく書けず残念!ですが、小向、煮物椀、焼物、炊き合せなどを美味しく頂き、八寸とお酒(盃とガラスの酒杯で2度も)も頂戴しました。最後に、蓋に香の物をのせた湯斗が出て、湯漬けを頂き、器を浄めます。

感想として、朝茶事や暁の茶事に「飯台の茶事」の形式で、小向、煮物椀、炊き合せ(または和え物)までとし、簡素にやってみたらどうかしら? と思いました。

ご亭主Yさまも初めての「飯台の茶事」だったそうで、料理を含めいろいろな工夫や試行錯誤が楽しかった・・・と言ってくださいました。

縁高でお菓子が出されました。菊でしょうか? とても凝った作りの美味しいお菓子です。

「もしかしたらYさまのご自作かもしれませんよ」と言ったら、M氏もKTさまもびっくりしていましたが、後でご自作の練切で銘「千代見草」(菊の異名)と知りました。

           (菓子銘は「千代見草」です)

中立し、銅鑼の合図で後座の席入です。

床には、秋の草花が虫籠に生けられていました。矢筈薄、白い槿、秋海棠、風船カズラ、もう一種ピンクの花、どれもご自宅に咲いていた花だそうで、さりげないご趣向がステキです・・・。

 

火相も湯相もよく、座が静まり、濃茶点前が始まりました。

茶入から茶碗に緑の濃茶が掬い出された途端、良い薫りが漂い、濃茶が待ち遠しかったです。

二服目、黒楽茶椀で美しく練られた濃茶を頂戴しました。一口含むと、甘くまろやかな濃茶が喉を潤して、とても幸せな気分になりました。濃さも量も程よく美味しい濃茶をありがとうございます。客3人とも大満足でした。濃茶は星野園の「星授」です。

黒釉と飴釉が複雑な色合いを醸し出している主茶碗は十代大樋長左衛門作です。暁庵の黒楽茶椀は八事窯・初代中村道年作、詰KTさまは御所丸写しでした。

        (後座の点前座 水指は李朝白磁)

細身のすっきりとした茶入は高取焼、仕覆は角倉金襴でした。

茶杓が素晴らしく、いろいろな景色が楽しめましたが、特に「月読(つくよみ)」という銘が心に残っています。「月読(つくよみ)」とは古事記や日本書紀に登場し、ツクヨミは伊邪那岐命(いざなぎ)によって生み出され、月の神だそうです。

待合の短冊、お軸の「風白月清」に続いて3つ目の月ですが、月の出方がステキでため息です・・・

後炭をしてくださり、茶事で後炭はめったにない事なので客一同大感激でした。

風炉中の拝見があり、炭の風情は元より灰形、炭斗一式、富士釜を嬉しく、間近でしっかり拝見しました。

 

 

薄茶になり、手作りの干菓子でたっぷりの薄茶を頂戴しました。濃茶の後の薄茶はほんわかと緊張をやわらげて、いつも嬉しい一服です。

正客M氏は青磁茶碗(三浦小平治作)、暁庵は青磁の極薄手の平茶碗、詰KTさまは京焼・葡萄絵の茶碗です。

楽しく茶碗の感想や作り手のお話が弾みましたが、薄器がどうしても思い出せないのです・・・トホホ

 

     (干菓子はうさぎさんと吹き寄せで、ご亭主の手作りでした)

最後に詰KTさまのお点前でご亭主Yさまに一服差し上げました。

とっても喜んで飲んでくださって、このような和敬のお茶事もよろしいですね。

なごやかなおもてなしに身も心も癒されて、お招きくださったご亭主Yさまに心から感謝いたします。

皆さま、ありがとうございました。 

 

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飯台の茶事・・・(1)「月白風清」

2022年10月13日 | 茶事・茶会(2015年~他会記録)

 

10月初めの或る日、茶友Yさまから正午の茶事にお招き頂きました。

御正客は暁庵社中のM氏、M氏が「転勤族・水無月の茶事」へYさまをお招きしたので、そのお礼にこの度「飯台の茶事」をしてくださり、私は次客で嬉しいお相伴です。詰は暁庵社中のKTさまです。

待合の掛物は短冊、枝ぶりの良い松、帆掛け船、そして月が描かれていました。暁庵は月を見逃していましたが、正客M氏が月のことをちゃんと伺っています。

・・・そういえば10月10日が中秋の名月です。

 

白湯を頂き、ベランダを上手に工夫した蹲で身を浄め、席入りしました。

 

     

 

茶席は6畳、広々とした1間の床に秋の爽やかさを感じるお軸が掛けられていますが、なんとお読みするのでしょうか・・・。

「月白風清」(つきしろく かぜきよらかに)

北宋の詩人・蘇軾(号:蘇東坡)の壮大な詩「後赤壁腑」の一節だそうで、御筆は前大徳 玄道師です。その一部をご紹介すると、

   已而嘆曰      已にして嘆じて曰く
   有客無酒      客有れども酒無し
   有酒無肴      酒有れども肴無し
   月白風清      月白く風清らかに
   如此良夜何     此の良夜を如何せん

(元豊五年の旧暦十月十五日の夜、蘇軾は再び赤壁を訪ねた。この時は、二人の客人と雪堂から臨皋亭に帰る途中、風雅な話をしているうちに、酒と肴を調達して、赤壁まで月見に出かけた時のことを詩に読んだそうです)

         ( 月白風清  如此良夜何 )

・・・そんなお話を伺いながらご挨拶を交わしましたが、さらにとても素敵なお話を伺いました。

それは、淡交タイムス9月号の坐忘斎お家元の「ないものはない」という巻頭言でした。

お家元が6月に初めて隠岐へ行った時のこと、船から降りた途端「ないものはない」という町のキャッチフレーズが目に留まったそうです。ひっくり返せば、あるもので楽しんでくださいということでしょう。・・・その後も心に響くお家元の文章が続くのですが、詳しくは9月号の全文を是非ご覧ください。

ご亭主Yさまは「ないものはない」と覚悟を決められて、今回の茶事に臨んでくださったとか。

茶事をやろうとすると「これが無いから・・・」「これが無いと・・・」と、つい思いがちになりますが「自分の中の余計なものを捨て去り、あるもので精いっぱいのおもてなしをしよう!」と決心されたそうです。

 

    (席入の時の灰形と濡れ釜の美しさにうっとりです・・・)

初炭が始まりました。

大板は常据え、眉風炉に富士釜が掛けられていますが、ご亭主の工夫がいろいろ伺えて楽しかったです。

富士釜は浜松文があり、羽に鐶が付いている珍しいものですが、作者はわかりません。

袱紗をさばいて釜に付いている鐶に帛紗を掛け渡す所作を拝見するのは本当に久しぶり、それだけでもご馳走でした。捌いた袱紗を鐶に掛け、釜が下ろされ、客付へ引かれました。

ハッとするほど紅い帛紗が富士釜を惹きたてています。その所作を見て頂きたくて大板を中置でなく常据えにしたそうで、大きく頷きました。

 

         (後炭の時に写した釜と炭斗一式ですが・・・)

「透木風炉がないので五徳を少し上げて空気を入るようにし、眉風炉に富士釜を掛けてみました。富士釜をどうしても使いたくって・・」・・・風炉では火が上手に熾らないことがあるので、こちらも大いに納得です。

お香が焚かれ、すぐに好い薫りが漂ってきました。正客M氏がお尋ねしています。

「竹でしょうか。時代を感じる素晴らしい香合ですね。蓋裏の花押はどなたのでしょうか?」

とても侘びた風情のある竹香合は川上不白好みだそうで、不白の花押を初めて拝見しました。

「先ほどからとても良い薫りを楽しんでいますが、お香は?」

「真那盤で、香道をたしなむ友人から頂いたものでございます」

「それでは飯台にて粗食を差し上げます。飯台の茶事は初めてと伺っていますので、いろいろ説明しながら進めさせて頂きますね」

「とても楽しみです。よろしくお願い致します」(つづく)

 

              飯台の茶事・・・(2)へつづく