暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

しばらくお休みします

2015年01月19日 | 京都へ家うつりします

               京都ゑびす神社  1月10日

         
        「十日ゑびす大祭」ノックして心願成就のお願いを・・・


・・・そろそろPC周辺を片づけねばならず、このブログも長期休暇に入ります。   

慣れ親しんだ京都の街、友人、灑雪庵とお別れの時が近づいてまいりました。

そんな中、S邸での送別茶会と夕食会(オープンしたてのCenci(チェンチ)というイタリアンのお店にて)へ出かけました。
Sさま、Yさま、T氏、TYさまと愉しく、美味しく、心豊かなひと時を過ごすことができ、
感謝しております。京都での何よりの思い出になりました。

名残惜しくこのまま京都へ住むのもよきかな・・・と一瞬心が揺らぎます。
でも、前へ進まなければ・・・と自分に言い聞かせております。

(遠い目で・・)
東京で8年近くやめていたお茶を再開した時のこと、八十代の先生方から
「あなたなんか、まだまだこれからざんす!」と叱咤激励されました。
社会的年齢とお茶年齢の格差(?)に内心びっくりもし、
仕事を辞め人生の黄昏を感じていた時だったので
「これからざんす」という言葉がとても嬉しかったことを鮮明に覚えています。

・・・そして「終点が見えず、まだまだこれからのお茶の道、大いに学び、楽しみながら歩いていきたい!」と、いつか京都まで来てしまいました。
                                      

京都での茶事修業も一段落し、やっと「お茶を教える適齢期」になったので
横浜へ帰ったら先ずはお茶環境を整えたい・・・と思っています。
それから、お茶に関するボランティア活動の準備をします。

いつブログを再開できるか・・・未定ですが、また元気にお会いしましょう。
「暁庵の茶事クロスロード」をご愛読いただき、ありがとうございました! 

大好きなサムエル・ウルマンの詩「青春」を再掲します。
新しい旅立ちのエールに・・・

 

             
           

    青春      
          サムエル・ウルマン (作山宗久訳)

  青春とは人生のある期間ではなく、
  心の持ち方を言う。
  薔薇の面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、
  たくましい意志、ゆたかな想像力、燃える情熱をさす。
  青春とは人生の深い泉の清新さをいう。


  青春とは臆病さを退ける勇気、
  安きにつく気持ちを振り捨てる冒険心を意味する。
  時には二十歳の青年よりも六十歳の人に青春がある。
  年を重ねただけで人は老いない
  理想を失うとき初めて老いる。
  歳月は皮膚にしわを増すが、情熱は失えば心はしぼむ。
  苦悩・恐怖・失望により気力は地に這い精神は芥にある。


  六十歳であろうと十六歳であろうと人の胸には、
  驚異に惹かれる心、おさなごのような未知への探求心、
  人生への興味の歓喜がある。
  君にも吾にも見えざる駅遍が心にある。
  人から神から美・希望・喜び・勇気・力の
  霊感を受ける限り君は若い。


  霊感が絶え、精神が皮肉の雪に覆われ
  悲嘆の氷に閉ざされるとき、
  二十歳であろうと人は老いる。
  頭を高く上げ希望の波をとらえる限り、
  八十歳であろうと人は青春にして已む。



          「青春とは、心の若さである」角川文庫より



      
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引っ越しの荷造り中でして・・・

2015年01月17日 | 京都へ家うつりします
                
                  京都へ引っ越しの時に頂いた信楽

ついこのあいだ、横浜から京都へ家うつりして
山のような段ボールから荷物を取り出したばかりの気がするのですが、
こんどは京都から元の我が家へ引っ越しします。

段ボールが届けられ、8日から荷づくりが始まりました。
無理はできないので1日1か所と決め、終わると
「本日の作業は終了しました」・・・ゆっくり片づけしています。

最初に片づけたのは押入れの茶道具でした。
京都へ来るとき、茶事をするとは思っていなかったので(この自己認識の甘さ!)
懐石道具や茶道具(釜、棚、水指、軸などの大物)は置いてきたのです。
ところが、「やっぱり京都でも茶事をしたい・・・」と思いはじめたことから、
次々と運んできた懐石道具や茶道具がいつの間にか押入れを占めていました。

                

                

「この際、思い切って処分しよう」と勢い込んだのですが、
「横浜でお茶を教えるのなら、茶道具は全部持っていった方が良いのでは・・・。
 お弟子さんにもお軸や茶碗が季節によって変わるのは嬉しいこと・・・」
茶友Yさんから貴重なアドバイスがありました。
(お茶を教えよう・・やっと決心したばかりでした)

「シンプルお茶ライフ」を望んでいたのですが、その一言に納得し、
「処分は何時でもできるから・・・」と一部を除き、持ち帰ることにしました。
                                   
                
                     さようなら!「灑雪庵」           

             
茶道具以外に家具や電化製品など、要らなくなったものがたくさんあります。
引っ越しの時、不用品の処分が一番大変なことがよくわかりました。

リサイクル業者のチラシが郵便受けに入って来るので
その内の1軒に見積もりを依頼すると、
「正直言って買い取れるものはなく(すべて0円)、冷蔵庫・洗濯機はリサイクル法で処理代がかかります。それと手数料など一括して2万円になります」
「えっ!2万円もかかるのですか?」

ちょっとショックでしたが、業者への丸投げはやめた方が良いと気づきました。
まだ時間もあるのでゴミと不用品をわけて、自分たちの手でゴミを処分したり、
不用品を買い取ってきちんとリサイクルしてくれる業者を個別に探すことにしました。
二人で大奮闘した経過を参考(京都の思い出?)に書いておきます・・・。

                

売れたもの(計3600円也)
 ○自転車1台・・近所の自転車屋と交渉、2000円で売れました
 ○本・雑誌・・青空古本市の業者にダンボール2箱分が1600円で売れました

有料で引き取ってもらったもの(計9000円也)
 ○食器戸棚・・リサイクル店が3000円で引き取り。大きいので場所もとり不人気とか
 ○冷蔵庫・洗濯機・・リサイクル店が各3000円で

無料で引き取ってもらったもの
 ○古い木の棚(下駄箱)、木の椅子、鏡など・・・リサイクル店で
 ○鍋・電子レンジなど・・・金物のリサイクル業者

家に残したもの
 ○ガスコンロ・温水洗浄付便座・・・次の借家人に使って頂くことに。

最初2万円の処理経費が差引5400円になりました。 ヤッターネ!

                
              百万遍・知恩寺の手づくり市でつい購入
               (正面向うにレトロなガラス入り)

愛用したものたちが不用品となり、それぞれの処へ引き取られていく経過を体験して、
「断捨離」はエネルギーと時間とお金がかかることを思い知りました。
                                「ふう~っ」  


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南坊流の初釜へ

2015年01月14日 | 献茶式&茶会  京都編
1月10日、その日は「十日えびす」です。
とってもお目出度い日に南坊流の初釜へ参席させていただきました。

京都・南坊流のMさんが灑雪庵近くにお住いで旧暦の七夕の茶事茶友Yさんとお出ましくださったのをご縁に、Mさんのお宅へ伺ったり、親しくさせて頂いていたのです。

              

席入すると、床に「松樹千年翠」と結び柳、
曙椿と蝋梅が高取焼の末広花入に生けられていました。
炉に掛けられた、松樹の文様が浮き出た真形釜は和田美之助作、
竹の総模様の炉縁が初釜の華やかさを一層引き立てています。

京都・南坊流を受け継いでいらっしゃるU先生(二代目、Mさんの母上)と賀詞のご挨拶を交わしました。

「お炭を継がせていただきます。
 昨年から少し膝を痛めましてお見苦しいこともあるかと思いますが、
 どうぞご容赦ください」
と先生自ら炭手前をなさいました。

頭脳明晰で、勉強家のU先生はとてもお若く見えたのですが、
卒寿と伺ってもうびっくり!しました。
でも、その姿は無理して頑張っていない自然体、先生のお人柄そのままの優しく柔かな所作でした・・・「私もいつの日かあのようになれたら・・・」と思います。

               

炭斗、灰器が運ばれました。
なんせ、はじめての南坊流炭手前なので、間違っていたらごめんなさい。
炭手前は一番流派の違いが鮮明なので興味津々でした。

炭斗から羽箒が炉縁の右横に、香合が炭斗の前へ置かれました。
釜敷が左側に置かれ、炭斗から鐶をとり、先ず右から鐶付きにしっかりと掛け、
次に左を掛け、大きな炉釜を小柄な先生が持ち上げました。

内心「はっ!」としたのですが、上座に座っていらした高弟さんたちもきっと・・。
でも、先生は涼しい顔で釜を持ち上げ、釜を勝手付へ引きました。
この時の一連の釜を清める所作が南坊流独特で目を見張りました。
懐紙で釜の下端まで清めるのですが・・・(釜底の灰を拭くそうです)。

初掃きの後、炉中を拝見すると、五徳の爪が向こう正面、
下火を直したのですが、立っている下火を横へ寝かせるのも初めてでした。
それから、湿し灰が三角に撒かれ、炉縁と爪が羽根で清められました。
唐物炭斗に炭が真の炭手前のように入れられ、但し、上から胴炭、丸管、丸ぎっちょ、点炭など全て丸い炭ばかりで、白い枝炭が2本入っています。

胴炭が向うへ、それから真ん中の寝かせた下火を囲むように炭が置かれていき、枝炭、点炭が継がれ、席へ戻りました。
以前に伺った庸軒流のSさんの茶事で「煙筒」を作るような炭の置き形があったことを思い出したのでした。

              

お香ですが、たしか練香3つが焚かれました。
香合が拝見に出され、釜が掛けられました。
炭斗の上に火箸2本を離して置き、その上に釜敷を乗せ、火箸に鐶を掛けました。
釜敷の上にさらに何か(灰器?)を乗せて、持ち帰ったのですが・・・。
(灰器?・・これは間違いで何も乗せず、持ち出しの時に釜敷の上に香合を乗せるそうです)

炉縁右に羽箒が置かれたままでした。
しばらくすると先生が出てこられ、その羽箒で炉の周りや点前座を丁寧に清めて行きました。
畳一畳ばかり残したところで羽箒は引き上げられ、再び座履きを持って現われ、
残りの畳を座履きで清められました。

その間に香合を拝見しました。
「白い羊」香合は、初代・U先生が稽古に使っていらした思い出のお品とか。
ほっそりとした優雅な羊(清水焼)でした。

その後、懐石、菓子、中立、濃茶、薄茶と続きました。
特にMさんが手づくりされた懐石は味、ボリューム共に満点で、客一同大満足でした。
湯斗に小豆粥が入っていて、これがまた美味しく、満腹なのにお代わりしてしまい、
それでも花びら餅までしっかりと・・・。

              

濃茶は社中の方が二人ずつ点ててくださり、
「何名様でございますか?」
と客からお尋ねがあり、
「2名様でどうぞ」と応ずる挨拶が南坊流らしい・・・と思いました。
小振りの赤楽茶碗で美味しく濃茶を頂戴しました。
楽13代・惺入作、二軒並んだ苫屋の絵のある半筒茶碗です。

点前の所作では柄杓を左膝に立て構えること、清めの所作が一手多く丁寧なこと、
お辞儀は手を控える武家流、拝見は畳の縁内で・・・裏千家流と大きく違います。

              

茶入がずーっと気になっていました。
黄土色に土色の釉薬が雲のように様々な景色を作り出し、超モダンにも見えます。
お尋ねすると
京都に南坊流を伝えた重藤春鷗先生から先代が頂戴した茶入です。
 島ものということで、琉球焼とも天草焼とも・・・」
「モダンで素晴らしい景色の茶入ですね」
お名前だけは伺っていた重藤先生ゆかりの茶入に出会えて感激でした。
                                              
              

U先生、今日の炭手前の素敵なお姿を心に刻んで横浜で精進いたします。

U先生、Mさん、いろいろお世話になり、ありがとうございました!

                                  

2015年乙羊の初釜-2  濃茶席にて

2015年01月09日 | 献茶式&茶会  京都編
             
(つづき)
薄茶席から濃茶席の待合へ進み、床を拝見すると・・・
中国の故事に因む「黄初平の画」が掛けられ、解説書がありました。

   黄初平(こう・しょへい)は晋代中国の仙人。
   浙江丹渓(浙江省金華市)の人。15歳の時に命じられて羊飼いをしたが、
   一人の道士に気に入られて金華山の石室に連れて行かれる。
   兄の初起が40年後に探し当て、初平は白い石を1万頭の羊に変じる術を見せた。
   兄もまた妻子を捨てて初平とともに仙道をきわめ、不老不死となった。

黄初平を全く知らなかったのですが、羊年にはよく登場する仙人だそうです。
「白い石を1万頭の羊に変えた」の意味するところが興味深いですね。

             
             写真が無いので参考です(円山応挙の「黄初平の画」)

三宝に炭、熨斗鮑(のしあわび)、海老、ウラジロ、橙、干し柿が飾られています。
Wさんが熨斗鮑の作り方をお話してくださり、濃い内容の話に一同びっくり!
私なぞはずーっと熨斗鮑を海草の類と思い込んでおりました。

昔々、倭姫命(やまとひめのみこと)が国崎を訪れた際に
海女から差し出された鮑の美味しさに感動し、伊勢神宮に献上するように
命じたのが始まりとされます。
今も鳥羽市国崎町では古来からのしきたりに従って熨斗鮑を作っているそうで、
体験学習されたWさんの貴重な話を伺うことが出来ました。

    鮑の身を外側からかつら剥きにして3~4mのひも状にして干します。
    琥珀色の生乾きになったら、竹筒で押し伸ばし、乾かしを繰り返します。 
    短冊状に切り揃えて、わらひもで編み込み、出来上がりです。

「とても大変な作業でした。鮑は飾るより食べるものですね」
「う~ん・・・Wさんってスゴイ!」
奥の深いWさんの話に一同感心し、三宝の熨斗鮑をじっくり見直した次第です(汗)。

             
                 長々と立派な「熨斗鮑(のしあわび)」 

待合で花びら餅(末富製)を頂き、濃茶席へ席入しました。

  おめでとうございます
  本年もよろしくお願いいたします


先生と交わす新年のご挨拶は、2015年乙羊の何よりのスタートとなりました。
今年もご指導のもと、心新たに茶の湯に精進して参りたいと思います。

床のお軸は和漢朗詠集の「梅」、御筆は青蓮院宮尊朝親王です。

   誰言春色従東到  (誰か言ふ 春の色 東より到るとは)
   露暖南枝花始開  (露 暖かにして 南枝 花 始めて開く)

   いにしとし ねこじてうゑし わがやどの
       わかきのうめは はなさきにけり    安倍広庭(拾遺)
  (昨年 根っこごと植えた我が家の梅の若木は 今年の春 花を咲かせました)

曙椿と鶯神楽が竹一重切の花入に生けられています。
竹花入は玄々斎長男の一如斎の銘「タカ」、三つの内だそうです。

             
                      (薄茶席です)

道庫から茶道具が出され、先生が濃茶を三碗練ってくださいました。
さらっとした舌触り、まろやかな甘みが口中いっぱいに広がりました。
濃茶は「慶知の昔」小山園詰です。

華頂宮尊超法親王さま御手造の黒茶碗で初めて濃茶を頂戴しました。
嘉永二年霜月今日庵御立寄の節玄々斎拝領 共箱 玄々斎甲書有 
鵬雲斎大宗匠外箱 と会記にありました。

小振りの塩筍のような形は掌にすっぽりとおさまり、喫しやすく、
黒釉の胴にある2つの漆抜けがアクセントになっていました。
やんごとなき御方の作なので無銘です。

二碗目の古萩も風格がありましたが、三碗目が当代の赤楽でした。
銘「大雄峰」 坐忘斎御家元箱 吉左衛門造、
慶事の記念に特別注文して作って頂いたという、感激と垂涎の茶碗でした。
改めて手に取ると、程よい大きさ、縦に入った箆目がすっきりと美しく、
赤と黒の釉薬が微妙な景色を生み出して、いつまでも見ていたい・・・と。

              
              寒ぼたん (季節の花300)
 

茶碗だけでなく、瀬戸・破風窯 翁手の茶入 銘「玉津島」(仕覆は青木間道)
と嬉しい再会をしました。
それから象牙に漆を塗った茶杓、S先生からいつも伺っていたのですが、
意識を以て拝見するのは最初かも・・・茶杓は利休好象牙、塗は三代宗哲です。

初釜最終の濃茶席は、私にとってこちらで過ごす最後のお席でした。
いつものお稽古のように楽しいお席で、S先生の話に耳を傾け、濃茶を味わい、
熨斗鮑の話に感心し、大笑いしながら、夢のようなひと時を過ごしました。

皆さま、いろいろお世話になりました。

ありがとうございます!            


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2015年乙羊の初釜-1 花箙(はなえびら)

2015年01月07日 | 献茶式&茶会  京都編
              梅の蕾はまだ固けれど・・(季節の花300提供)

2015年1月5日、乙羊(きのとひつじ)年の初釜へお招き頂きました。
有馬温泉・雅中庵で行われ、三度目の参席ですが、毎年とても楽しみに伺っています。
京都から新大阪へ、そこからバスで有馬温泉へ向かいました。

               
                      

ホテルの喫茶室でTさん、Yさん、Wさんに逢い、ご一緒に雅中庵の点心席へ。
奥様のお接待にて愉しく談笑しながら遅めの昼食を頂きました。

点心席のガラス越しに冬枯れの庭が広がっています。
「あらっ! あれは梅かしら?」
節のある梅の古木が数本植えられていて、枝垂れ梅もありました。
冬の寒さにじっと耐え、春に先駆けて咲く梅・・1ヶ月もすれば蕾もほころぶことでしょう。
ガラスの向こうで一斉に開花している姿を想像し、また来れたら・・と思います。

               
                    雅中庵の庭
 
               
                寒牡丹 (季節の花300提供)

薄茶席へ席入りすると、心地佳いお香の薫りに包まれました。
床には「和敬清寂」(又みょう斎筆 坐忘斎御家元箱)、
利休居士の茶の湯の真髄を示す四規、拝見するといつも背筋が伸びる思いがします。
春牡丹がインパクトのある飴釉・大鶴首(九代長左衛門作)に生けられ、
書院には羊の伏見人形が荘られ、乙羊の初釜を迎える歓びに溢れていました。

               

薄茶席は同門社中の方々が交代に担当していて、今年はS会です。
S会へはよく見学に伺ったので、Yさんのお点前で頂く薄茶は一入嬉しく、
S先生お心入れのお道具の話をNさんから伺え、これも良き思い出となりました。

青漆、青海波の彫文様が個性的な大棗(近左作)も印象に残っていますが、
特筆したいのは玄々斎手づくりの茶杓です。
茶杓は、生田神社「箙(えびら)の梅」の一枝を以て作られたそうで、十二の内の一つとか。
箙とは、矢を挿しいれて背中に背負う武具で、「箙の梅」には地元神戸の歴史を伝えるエピソードがありました。

       
                      生田神社の「箙(えびら)の梅」

源平盛衰記には、源平一の谷合戦の折、梶原景時・景季父子が生田森で平家方の多勢に囲まれて奮戦した時の様子を次のように記しています。

   中にも景季は、心の剛も人に勝り、数寄にたる道も優なりけり
   咲き乱れたる梅が枝を箙に副へてぞ挿したりける
   かかれば花は散りけれども匂いは袖にぞ残るらん

    吹く風を何いといけむ梅の花
         散り来る時ぞ香はまさりけり


   という古き言までも思い出でければ
   平家の公達は花箙とて優なり、やさしと口々にぞ感じ給いける

また、謡曲「箙」は、梶原景季が箙に梅を挿して奮戦した様子を描いています。

「箙の梅」で作られた茶杓は、武家の出の玄々斎の一面を思わせる、荒々しさが魅力的な豪快な削りです。
櫂のような上部は茶事で拝見したことのある「幾千代」(玄々斎が写す)を思い出しました。
茶杓にまたご縁があったことが嬉しく、風流な銘「花箙(はなえびら)」に梅の香りが漂って来るようです。

                                         

             2015年乙羊の初釜-2へつづく