「四国八十八ヶ所札所御宝印」の掛軸を掛けました
(つづき)
手づくりの懐石をお出ししましたが、何度も火を入れたので柔らかくなりすぎたり、冷たいままの方がよろしいかと煮込みが足りなかったり・・・頭も身体も働かず、失敗ばかりでした。
「あっ!八寸を作るのを忘れていた・・・ど、どうしましょう?」
言い訳をすれば、台所の蒸し暑さは頂点に達し、頭が朦朧としていました。
茹でた枝豆(山の物)と、山芋を短冊に切りサーモンを巻いて海の物を急いで作り、何とか・・・ふぅ~。
・・・と言うわけで、思い出すのも怖ろしく汗びっしょりの懐石でした。
それでもお客さまは文句も言わずに召し上がってくださって、ただ感謝でございます。
主菓子は蓮根餅「西湖(せいこ)」(老松製)をお出ししました。
中立の露地の灯火
中立になりました。
19時をとっくに過ぎて、真っ暗闇の中、灯火が露地を美しく照らしています。
夕去りの茶事のハイライト、手燭交換をして後座の席入りです。
吹き戻しの風が強かったので、半東N氏がお正客さまの手燭を電池式蝋燭に交換してくれました。
亭主の手燭は電池式がなく、蝋燭に火をつけたのですが、風ですぐに消えてしまいました。
もう一度火をつけ直しましたが、蹲踞の所で消えてしまい、そのまま手燭の交換をしました。
とても残念ですが、これも仕方の無いこと・・・良きも悪しきも淡々と受け入れるのが茶事の心得でしょうか。
後座の床に、10年前に結願した記念の「四国八十八ヶ所札所御宝印」の掛軸を掛けました。
5月に車で四国遍路をしたせいもあり、今年のお盆に久しぶりに掛けました。
短罫のあかりと点前座
点前座の棚は桑の三重棚、水指は備前、薄器は夕顔大棗です。
茶道口で身なりを正し、心を鎮めて、席入りの衣擦れに耳を澄ませます。
襖を開けると、短罫と燭台だけの茶室はほの暗く、お客さまが何処かのお堂の仏様の様にも思われます。
茶碗を持ち、すっくと(気持ちだけ)立って、ゆっくり歩き(緊張で少しよろめきながら)点前座に座りました。
水屋に戻り、建水と手燭を持って入り襖を閉め、再び点前座に座りました。
(ふうっ~、たったこれだけの初期動作が大変でした )。
お客さまが静かに見つめる中、濃茶点前が始まりました。
暗さを味わいながら帛紗を捌き、茶入、茶杓、茶碗を清めていきました。
床(亭主床)に影が映り、もう一人の自分が一緒に点前しているような不思議な光景です。
茶碗は白楽茶碗(染谷英明作)、銘「小鷺」です。
5人分の濃茶を回し出し、湯を1杓半汲み入れて心を込めて練りました。。
さらに湯を足して薄めに練り上げ、5人様一碗でお出ししました。
「お服加減いかがでしょうか?」
濃茶は「慶知の昔」(鵬雲斎大宗匠好、小山園)です。
白楽茶碗 銘「小鷺」 染谷英明作
続き薄茶で点前は半東N氏にお願いしました。
干菓子は煎餅(老松製)と「暑気ばらい」(豊島屋製)を蛍籠炭斗に、薄茶は金輪(小山園)です。
亭主も席中に入り、皆様といろいろお話をしながら楽しい時間を過ごさせて頂きました。
薄茶の茶碗は、半東N氏と相談して横浜に因む作家さんの2碗をお出ししました。
主茶碗は絵唐津、横浜市日吉に窯を構えた加藤土師萌(はじめ)作です。
替茶碗は銘「うずまき」(十五世市村羽左衛門追憶) 横浜市南区に窯を構えた神奈川焼・三代井上良斎作です。
絵唐津 加藤土師萌作
銘「うずまき」(十五世市村羽左衛門追憶) 井上良斎作
陰翳礼讃の世界 夕顔棗
茶入は薩摩(帖佐)焼、銘「翁」、仕服はシマモールです。
茶杓は大徳寺聚光院先住の雪山(随応戒仙)作、銘「雲錦」です。
以前にH氏の茶事で、雪山和尚の茶杓「幾千代」を拝見し、その時のお話で雪山和尚の人となりに惹かれ、茶事の3か月後に縁あって入手した茶杓であることをお話ししました。
「そのお話を伺って、もう一度茶杓を拝見したくなりました」とH氏。
H氏に今日の茶事のきっかけになったメールのことをお尋ねすると、某茶人の魅力ある茶杓にご縁があったとのこと。
座が騒然となり、ぜひ拝見の機会を・・・と異口同音です。
筒に穴があるそうで、「三溪の美術」展で展示されていた佐久間将監作の茶杓が頭を過ります。筒の左側に寸松庵作とあり、右側に瓢みたいな穴が開いていました。
茶事の楽しさの一つは、こうしたご縁が繋がっていろいろな広がりになって行く事にあるので、拝見できる機会を大いに期待しています。
・・・こうして素敵なお客さまに見守られ、半東N氏とツレに支えられながら大文字・夕去りの茶事が無事(?)に終わりました。
心から感謝でございます。ありがとうございました!
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