暁庵の茶事クロスロード

茶事が好きです。茶事の持つ無限の可能性に魅了されて楽しんでいます。2015年2月に京都から終の棲家の横浜へ戻りました。

桜を待ち焦がれての茶事ー2

2014年03月31日 | 茶事  京都編
                「絶景かな!」・・・南禅寺三門より
                 (クリックすると大きくなります)

桜を待ち焦がれての茶事のテーマは能「道成寺」です。

「道成寺」といえば入相桜、桜で床をいっぱいにしたいと思いましたが、
心配になって、先日のお稽古で先生にお尋ねしたところ、
「桜は茶花として使わない・・・」とのことでしたので、
茶席から桜を遠ざけて、それでも桜を感じてもらうには・・・?

そうだ! お客さまに「さくら」になってもらおうと、
「当日、何かさくらいろのものを身に着けていらしてください」
とお願いしました。

さくらの模様、さくら色の着物に紺の袴、さくら色の帯どめや帯揚げ、
散り桜を思わせる着物など、思い思いの「さくらいろ」を身に着けて、
いらしてくださいました。
今になって記念写真を撮っておけばよかった・・・と後悔しています。

                

待合に能「道成寺」の色紙を掛けました。
前回まで白湯に鬱金(うこん)桜の塩漬を入れてお出ししていたのですが、
これも無し、今回は白湯だけです。

床に「無我」(周藤苔仙和尚筆)のお軸を掛け、
雲龍釜(二代畠春斎造)を道成寺の釣鐘に見立て、
赤い綱を小坊主に引かせて、遊んでみました。
小坊主は清水焼の五百羅漢さま、表情がとてもユーモラスです。

            

釜は責紐釜、赤と白の水引をねじりこんだ紐で封印しました。
吉野棚に羽箒を掛け、地板に香合を置き、初炭手前で炭を置きました。

茶道具でただ一つ、桜が登場したのが香合です。
蛤を黒漆で塗り、桜が蓋表に金の漆絵で描かれています。
お茶を始めた頃にお習いした先生から頂いた、
社中の先輩の手造りのお品で、私にとって思い出深い香合です。
岐阜県根尾谷の「薄墨桜」をイメージして「墨染」と名づけて愛用しています。
香は松栄堂の加須美です。

            

後座の最初に花寄せをして春の訪れを楽しんで頂きました。
花台にあふれんばかり載せましたが、思い思いの花がそれぞれの花入に納まって
楽しい時間でした・・・動線も花を入れやすく、茶道口を変えて良かったかな?

「花開天下春」
といった気分の中、精神を集中して濃茶点前をしました。
最近やっとお点前するのが楽しくなってきたような・・・。
たっぷりと濃茶を練って、お出ししました。

茶碗は銘「玉三郎」(渡辺陶生造)、赤楽ですが「さくらいろ」です。
濃茶は雲門の昔(一保堂)です。
前席の主菓子は「吉野」(暁庵製)、
4月半ばに行く吉野山のサクラをイメージして作ってみました。

茶入は薩摩焼の胴締め、十五代沈壽官作です。
小林芙佐子作の仕覆が能衣装裂で作られているので、これにしました。

            

つづき薄茶で「さくらいろ」の主客が薄茶とお話を楽しみました。
いつの間にか、「道成寺」も「さくら」もどうでもよくなって、
道成寺の絵解き、懐石や菓子、茶道具そして介護のことなど、
いろいろな話が飛び交ったような・・・心和む夢のような時間です。

Gさまが住む町の桜の頃の祭りのお話(4月5日に伺う予定)や
和歌山県日高郡の道成寺へ能「道成寺」を観に出かけた・・・
というRさまのお話をとても興味深く伺いました。

薄茶は関の白(一保堂)、
干菓子は黄檗(百万遍・かぎや政秋)と豆楽(鎌倉・豊嶋屋)をお出ししました。
黄檗も豆楽も大好きな干菓子です。
黄檗はうろこ形なので蛇に見立ててみたのですが・・・。

            

最後に薄茶の茶碗を書き留めておきます。
主茶碗は、最近入手した高麗・御本三嶋、今一番のお気に入りです。
替茶碗は上野焼(渡窯)の銘「日高川」と、
神奈川焼(三代・井上良斎造)の銘「うずまき」です。

こうして、21日の桜の茶事は無事(?)終りましたが、
思いがけず2日後に体調を崩しました。
春の気温変化に身体が付いていけないことを思い知らされた次第です・・・。                            
                                               
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桜を待ち焦がれての茶事-1

2014年03月30日 | 茶事  京都編
                (岡崎公園の紅枝垂れ桜…だと思う)
                (2012年4月撮影、クリックすると大きくなります)

3月21日と27日に茶事をしました。
弥生三月も終わりに近く、桜の花を待ち焦がれての茶事でした。
それでいろいろありまして・・・ボツボツ書いておこうと思います。

茶事当日は前にも書いたように、身体中の全細胞をたたき起こして
それはもう大変・・・なのですが、
趣向を考え、茶事の支度をしている時は心躍り、楽しいです。

水汲みは自転車で梨の木神社へ。
2リットルのペットボトル6本、料理用5リットルをタンクに汲んできます。
梨の木神社の境内にマンション建設が決められていて、
埋蔵文化財の調査中の看板が建てられています。
銀杏や欅の大木がありますが、まもなく切られてしまうのでしょうね。
そんなことには全く関係ないように、
名水「染井」はいつ行っても地元の方が並んでいます。

抹茶ですが、最近は一保堂さんが多いです。
寺町通二条の一保堂さんへ自転車で乗りつけ、
「雲門の昔」と「関の白」を買いました。
それから、すぐ近くの柳桜園さんへも寄り、「錦上の昔」を買いました。

寺町通を下り、鳩居堂さんへ寄り、巻紙3本をお買い上げ、
古今集・素性法師の歌を添えてご案内のお手紙をさしあげました。

    いざけふは春の山辺にまじりなむ
         暮れなば なげの花の陰かは

    (さぁ~、今日は春の山辺へ一緒に出かけましょう。
     日が暮れたら 他には何もない桜の花陰で過ごしましょう) 


               
               疏水のサクラ・・冷泉通りにて
              (クリックすると大きくなります)

3月21日のお客さまは4名でした。
お正客のGさまは二度もお茶事へお招き頂いているので、
是非一度、灑雪庵へ来ていただきたいと思っていました。
仕事と母上の介護もあり、遠出が難しい中をいらしてくださって嬉しいです。

               
                      「灑雪庵」の書

次客はRさま、三客はYさま、詰はSさま、
Rさまは私のお能のステキな先達でもありますが、
茶の湯に忙しい私はなかなかついて行けず、残念な思いをしています。
YさまとSさまは茶事や稽古に切磋琢磨している茶友です。

                
                (古箪笥を再生した額です)

茶事の2日前に、茶室につかっている四畳半の茶道口を変えてみました。
花寄せを予定していたので、お客さまから床の花がよく見えるように
と思ってのことでした。
当日になって解ったのですが、これが大失敗でした・・・・。
その日は、さっと時雨が来るような京都独特の3月の天気で、
湿度が高く、長いこと締め切りだった襖がスムースに開きません。
「ガタピシ・・・ガタッ、ガタピシ!」

・・・う~ん! こんなつもりでは・・・。
(襖までお正客さまを歓迎していたのかな??)
                                

           桜を待ち焦がれての茶事-2へつづく


鳥羽-2 鳥羽路をぶらぶら

2014年03月25日 | 京暮らし 日常編
                  椿の墓守  鳥羽天皇陵にて
(つづき)
(ルート)
京都駅(城南宮行エクスプレスバス、季節限定?)~(バス15分)~
城南宮~(徒歩5分)~鳥羽離宮跡公園(昼食・弁当)~(徒歩10分)~
白河天皇陵~(徒歩5分)~鳥羽天皇陵~安楽寿院~近衛天皇陵~
(徒歩30分)~墨染桜寺~京阪・墨染駅 (時間はおおよそです)

城南宮から鳥羽離宮跡公園へ行き、池のほとりのベンチに腰掛けて、
お弁当を広げました。

広い公園は鳥羽離宮の南殿跡です。
こんもりとした土盛りの山は、庭園の築山の遺構「秋の山」とされ、
築山の上に「鳥羽伏見の戦い顕彰碑」、南側には「鳥羽伏見戦闘図」(布陣図)
のモニュメントがありました。

   
      「秋の山」と顕彰碑                「鳥羽伏見戦闘図」

城南宮のパンフ「城南宮周辺史跡案内図」を見ると、
近くに三つの天皇陵があることに気がつきました。
白河天皇陵、白河天皇の孫の鳥羽天皇陵と、曾孫の近衛天皇陵です。     

白河天皇・成菩提院陵(じょうぼだいいんのみささぎ)には
かつて三重塔があったそうですが、既に失われ、
遺骨が埋められたという方円丘も緑に覆われていて閑静な佇まいでした。

道路の向こうに鳥羽天皇陵らしき森が見え、そちらへ廻ると、
椿の大木があり、ぎっしりと紅い花をつけています。
こちらも静かな御陵ですが、椿の墓守が昔の栄華を物語っているようでした。
鳥羽天皇陵にも三重塔があったそうですが、今は法華堂が建てられています。

  
(クリックして!)            鳥羽天皇・安楽寿院陵

安楽寿院境内にある石仏に心惹かれました。
平安時代の遺仏といわれる三尊石仏(薬師三尊、釈迦三尊、阿弥陀三尊)
の三体が江戸時代に成菩提院跡から出土したと伝えられています。
うち二体がここに祀られていました。
長い年月のうちに風化が進んでいて、胸に迫るものがあります。
いつか土に還っていくのでしょうね・・・。



                安楽寿院境内の石仏

鳥羽離宮の周囲にたくさんの御堂や庭園が造られたそうですが、
院政の終焉後に衰退し、姿を消していきました。
今は離宮の東殿に建立された安楽寿院(真言宗)が残っているだけです。
豊臣秀頼により復興され、鳥羽伏見の戦いでは新政府軍の本営となりました。
鳥羽天皇の持仏と伝えられる阿弥陀如来坐像(重要文化財)が安置されています。

安楽寿院の南に近衛天皇の御陵がありました。
今日参拝した三陵のうちで一番立派で、多宝塔が聳えています。
多宝塔のある御陵は近衛天皇陵だけだそうで、多宝塔は豊臣秀頼の
寄進により1606年に再建されたものです。

  
         安楽寿院                近衞天皇・安楽寿院南陵

                     
近衛天皇陵から京阪電鉄の墨染駅を目指しました。
昔の街道を思わせる蔵のある建物、新鮮な卵屋さん、近藤勇の顕彰碑など、
思いがけない出合いがあり、ぶらぶら歩きは楽しいです。

              

  

京阪・墨染駅の手前に「墨染桜寺(ぼくせんおうじ)」がありました。
ここにある「墨染桜」と出逢えたら・・・と願っていたのですが、
桜にはまだ早く、三代目の「墨染桜」と対面だけしてきました。

実は岐阜県本巣市(旧・本巣郡根尾村)の「淡墨桜」をイメージした
「墨染」と名づけた香合を持っていて、伏見の「墨染桜」が気になっていました。
花が咲いている時にもう一度会いたい・・・と思っています。

                                     
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鳥羽ー1 城南宮の枝垂れ梅

2014年03月24日 | 京暮らし 日常編
               城南宮(じょうなんぐう)の枝垂れ梅
                 鳥羽離宮遺構の築山「春の山」

京都では桜もそうですが、梅も枝垂れが多く、
3月16日に枝垂れ梅が満開という城南宮(京都市伏見区)へ出かけました。

行き当たりばったりでしたが、充実した遠足だったのでルートを記しておきます。

京都駅(城南宮行エクスプレスバス、季節限定?)~(バス15分)~
城南宮~(徒歩5分)~鳥羽離宮跡公園(昼食・弁当)~(徒歩10分)~
白河天皇陵~(徒歩5分)~鳥羽天皇陵~安楽寿院~近衛天皇陵~
(徒歩30分)~墨染桜寺~京阪・墨染駅(時間はおおよそです)


            

城南宮は、遷都の際に平安京の南に祀られたお宮で1200年の歴史があり、
方除けや厄除けの神として信仰され、平安貴族の方違の宿となっていました。
鴨川に近いこの地は西国から都へ入る交通の要所でもありました。

応徳3年(1086年)、白河上皇は鳥羽離宮を造営し、院政を執行しました。
当時の遺構として「春の山」「秋の山」の築山が残されています。
白河天皇、鳥羽天皇、近衛天皇の御陵が近接してあるので、
それらを訪れると、時の流れを感じるかもしれません。

また、下って慶応4年(1868年)正月三日、鴨川に架かる小枝橋にて
鳥羽・伏見の戦いが始まり、城南宮一帯は激戦地になりました。
新政府軍と旧幕府軍の布陣図を示す「鳥羽・伏見方面戦闘図」が
鳥羽離宮跡公園にモニュメントとして建てられています。

            

            
              城南宮の菊水(若水、延命水ともいう)

城南宮へ着くとお詣りし、早速、神苑(楽水苑)へ足を踏み入れました。
ちょうど椿も満開で、種類も多く、名前を辿りながら行くと、
一面に枝垂れ梅が咲く「春の山」と呼ばれる築山がありました。
城南宮一帯は、平安時代末期、白河・鳥羽上皇によって造営された
鳥羽離宮があったところで、「春の山」は数少ない遺構の一つだそうです。

            

青空から枝垂れ梅の優しい雨が降りそそぎ、奥へと誘います。
その数は約150本とか。
枝垂れ梅はピンクと白、あたり一面がその色に染まっていて、
まるで「紅天女」(愛読の漫画)の梅の里にいるような不思議な別世界です。

            

          

神苑は城南宮の社殿をぐるっと回るように構成されています。
枝垂れ梅のシャワーを存分に浴び、散り椿を愛でながら進むと、
源氏物語ゆかりの花木が植えられている平安の庭、
王朝の雅を偲び、4月29日と11月3日に「曲水の宴」が催されます。

            
                   「曲水の宴」の舞台

馬酔木が可愛らしい白房をつけている室町の庭、
楽水軒という茶室のある桃山の庭、さらに城南離宮の庭と続き、
あやめ、山吹、つつじ、かきつばた、秋の七草など四季折々の花が
楽しめるようになっていました。

            

            
                  落椿の風情を愛でながら

            
                    茶室・楽水軒

            
                  馬酔木の花に酔って・・・

京都駅でお弁当を買ってきたのですが、城南宮は飲食禁止とのことで、
近くの鳥羽離宮跡公園へ向かいました。
                                   

            鳥羽-2 鳥羽路をぶらぶら へつづく



西行庵・西行忌茶会-2 皆如庵席

2014年03月17日 | 献茶式&茶会  京都編
                 平安神宮近くの疏水のサクラ
                    (2013年4月撮影)
(つづき)
皆如庵の薄茶席へまわりました。
三度目の訪問ですが、ここでお茶を頂くのが夢でした。

濃茶席の11名を二手に分けて、私は後の席です。
腰掛待合で苔の美しい庭を眺め、
4名で濃茶席や鶯の鳴き声を思い出しながら待っていると、
さっと紫雨(しぐれ)が来て去っていきました・・・。

待合も一期一会、どのような方と出逢い、どのようなお話をするのか、
そのあとの茶席へつながる貴重な時間でもあります。
お話は忘れましたが、4人の心が寄り添ったひと時でした。

             
                     「皆如庵」の扁額

蹲踞をつかい、お正客さま(濃茶席の殿方)に続いて躙口から席入です。
皆如庵の床は変わっていて、正面に丸窓があり、その前に
西行法師坐像が祀られ、花、香、灯明が供えられていました。
花はサクラと菜の花です。

後水尾天皇御宸筆、一休禅師詠歌の軸が床の左壁に掛けられていました。

     分け昇る麓の道は多けれど
          同じ雲井の月を観るかな 


全国から志して西行忌茶会へ参席した人への賛歌のようにも、
いろいろな道を迷いながら分け昇っている人への応援歌のようにも聞こえ、
心に響く一休禅師の歌です。

道安囲いの点前座は太鼓襖が閉められていて、
向切の炉に釜、仕付け棚の茶器がかろうじて見えました。
でも、ほんの少しだけ見せる演出が期待感を盛り上げます。

しばらくすると、人影が映ってゆらぎ、襖が閑かに開けられました。
濃茶席は円位流でしたが、薄茶席は裏千家流の点前でした。
見慣れた点前ですが、道安囲いの中の点前は美しく凛とした気迫があり、
心地よい刺激を頂戴しました。
(のちの点心席で点前を拝見してお稽古をしたくなった・・と異口同音でした)

            
                  貴人口と躙口が並んでいます

席主は西行庵主の花輪宗恵氏。
改めて皆如庵の不思議な歴史や構造のお話を伺って、
この茶室が礼拝の場であり、時に懺悔室(道安囲いの向こうに懺悔者)
であったことにびっくりしたり、頷いたりでした。
高山右近やキリスト教と関係のある、道安囲いの名席・皆如庵で
お茶を頂けた幸せを噛みしめました・・・。

干菓子は西行庵庵果(塩芳軒製)と有平糖のワラビ(伊織製)の2種、
薄茶は松の白(柳桜園)です。

遠目にも気になっていた釜は、甑口丸釜、二代角谷輿兵衛造。
ごつごつした釜肌と甑口に魅せられ、釜蓋には巴地紋がありました。
炉縁は什物の桑です。
水指は高取一重口、
茶器は中次、花輪嘉純好、上杉満樹作、表蓋に巴紋が描かれています。
ここでも巴が登場しましたが、何かご趣向があったのかもしれません?

            


薄茶席なのでお道具や数々の茶碗を賞玩しながら、楽しく過ごしました。
お正客さまは刷毛目茶碗で銘「玉川」、
私は赤楽の平茶碗(天目?)で弘入造の銘「花小袖」、
薄手で赤味の美しい茶碗でした。
もうじき始まる都をどりに因む団子絵茶碗も登場です。

居心地の良い皆如庵の薄茶席と別れを惜しみ、
近くの高台寺茶寮へ向かい、仲良く4人で点心を囲みました。
京都市から2名、西宮市と大阪市から1名ずつの4人でした。
今日の良きご縁に感謝しています。

                                  

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